・エピローグ1/3 母と弟
王都が興奮に沸いていた。国王ペレイラがついに解放され、反逆者ホーランドが拘束されたと知ると、市民は今日という解放の日に声を上げて喜んだ。
商機に聡い者は仕入れや納品のために都を飛び出してゆき、そうでない者は朝から夜まで喜びに騒ぎ回った。町中が酒と肉の匂いで満たされて、浮ついた空気でいっぱいだった。
東西に展開された反乱軍はじきに瓦解するだろう。俺の仕事はもはや終わったも同然だ。
「ねぇドゥ、本当に会わないの……?」
「ない」
夕方過ぎ、フードロープを深くかぶって住宅街を訪れた。その日の弟はとても明るく、義父と一緒にボール遊びをしてもらっていた。
その傍らには幸せそうに微笑む母がおり、それを見ているだけで目頭が熱くなった。
「でも……一声だけでも、声かけたら……?」
「ダメだ。この先も俺はもっともっと多くの人間の恨みを買うだろう。会うのが賢い選択とは思えない」
いつまでもいつまでも、その姿を見守った。
「ねぇ、ドゥ。盗賊、止めてもいいんだよ……?」
「……10年したらまた同じセリフを言ってくれ、気が変わるかもしれん」
「ボクチンはドゥが心配なんだよぉ……っ」
「俺の家族はジジィとお前だけだ」
飽きもせずにずっと見つめた。しばらくすると義父が家の前を去ってゆき、母も家の中に入った。弟はまだまだボール遊びに夢中で、夕飯の香りが自宅から漂ってきても独り遊びに夢中だった。
「ねぇ、ドゥ。遊んであげたら……? そのくらいならいいでしょ、お願い」
「……あべこべな頼みだな」
「会わなきゃダメだよっ、ちょっとだけ遊んであげてっ!」
「お節介なヤツだな、お前は」
正しいとは思えないが誘惑に負けて、俺は弱い足取りで弟の背中に忍び寄った。足音を消さなくてもいいのにわざわざそうしたのは、拒絶が恐ろしいからだろう。
「あっ、あの時のお兄ちゃんっ!!」
「よう、今日は元気がいいな」
「うんっ、あのねっ、お友達! 帰ってくるかもしれないんだって!」
「よかったな」
「ドゥって泥棒さんがねっ、王様を助けたんだって!」
誇らしい気分になった。兄ではなく英雄としてではあるが、弟が俺のことを誇りに思ってくれている。弟がかわいくてかわいくて、たまらなくなった……。
「勇者カーネリアも一緒だったって聞くぞ」
「違うよっ、ドゥが全部やっつけたんだっ! 本当の勇者はドゥだよっ!!」
「ははは、盗賊が勇者か。ちょっとカッコイイな」
言葉を交わしながら弟とボール遊びをした。少し話して別れるつもりだったのに、つい楽しくて何度もボールを蹴り返しては言葉を投げかけていた。
「へぇ、ポケットに金貨が?」
「うんっ、前も同じようなこと、あったんだって!」
「きっとそれは、リューンとお母さんがいい人間だからだろう。人に親切にした分だけ、現金な神様が現金で祝福してくれたのかもしれないな」
「お父さんもやさしいよっ」
「ああ、そう見える。でなきゃお母さんもあんな笑顔にはならない」
弟、リューンの無垢な笑顔を見ていると、自分が選んだ盗賊という道を後悔しかけた。人様に顔向けのできる商売をしていたら、種違いの兄として一緒にいられたのかもしれない。
「お兄ちゃん……? ボール、返してよ」
「ああ……お兄ちゃんはそろそろ行かないといけない。でなきゃ……」
盗賊ドゥに戻れなくなる。彼らが俺を受け入れるともし言い出したら、葛藤を抱えて生きることになる。盗賊を止めて、一介の市民として生きる。そう思いかけている自分が俺は許せない。
「えーーっ、もっと一緒に遊んでよっ、お兄ちゃんっ!」
お兄ちゃんと呼ばれるたびに嬉しくなる。だがその分だけ、葛藤が膨らんだ。だが結論は『不可能』だ。俺はもうカタギには戻れない。
「ごめんな、もう行くよ」
「じゃあっ、また遊びにきて! 友達もお兄ちゃんに紹介するから、お願い!」
「……わかった。その代わりに約束してくれ」
「約束? なーに?」
「リューン、強い男になれ。お母さんを守れるのはお前だけだ」
マジになり過ぎたせいか、リューンは驚いて目を丸くしていた。だがもう8歳で勇ましい男の子だ。頼りがいのある強気の表情で、弟はうなづいてくれた。
「うんっ、約束するっ!!」
「頼んだぞ、リューン。それじゃあな」
弟に背を向けて、城の方へと歩き出した。弟はこれからどんどんでかくなるだろう。そして誓いを守って、俺の代わりに母を守ってくれる。そう考えると、負けていられなかった。
「ドゥ、待って。追いかけてくるよ」
「弟が?」
「うーうん……お母さん」
モモゾウの言葉に俺は驚き立ち尽くした。恐る恐る背中越しに後ろを振り返れば、息を乱して賭けよってくる母がいた。母に会う勇気は俺になかったのに……。
「ドゥッ、ドゥでしょ! 私よっ、おか――」
親不孝者はナイフを鳴らして母を黙らせた。
「言わないでくれ。俺を憎む連中は、百人どころじゃおさまらない」
「そう、そうね……」
「ありがとう、昔みたいに俺の名前を呼んでくれて……。もう行くよ、関わらない方がいい」
「待って、夕飯だけでも、一緒に……一緒に食べましょ……?」
拒絶されるとばかり思っていたのに、母は俺を夕飯に招いてくれた。今の夫への対面もあるだろうに、俺を家に迎えると言う。熱い涙がこぼれるほどに嬉しかった。
かびたオートミールに酸っぱい肉、すきま風の吹くボロ屋が頭の中でフラッシュバックした。貧しかったが、父さんが病に冒される前は幸せだった。
「俺は俺の信じた道を行くよ。夕飯に誘ってくれて、ありがとう……。母さん……」
「ドゥッ、待ってっ、ドゥッッ!!」
前を向いて歩き出した。モモゾウが勝手に袋から飛び出して、俺の代わりに母の姿を見守ってくれた。
俺の道は悪の道だ。善良な彼らとは決して交わってはいけない道だ。俺は一度も振り返らずに歯を食いしばってその場を立ち去った。
母が俺のことを覚えていてくれた。
母が俺の名前を呼んでくれた。
ただそれだけで十分だ。十分すぎるほどに幸せだ。
俺は母と弟の幸せを願い、悪を喰らう悪の道へと戻っていった。
俺は盗賊ドゥ。誇り高き盗賊王エリゴルの息子。傲慢で身勝手なただの悪党だ。
あと2話で章完結となります。




