14-1.王子ドゥ、燃え尽きる - 盗賊にはまるで向かない仕事 -
それから3日が経ったある日の夕方。俺は応接間に設置された間に合わせの玉座にて、連日の激務と、息苦しい成り済まし生活にもはや精根尽き果てていた……。
「ドゥ、元気出してー?」
「ああ……」
「大丈夫ー?」
「ああ……」
「大好きだよ、ドゥ♪」
「ああ……」
「もうっ、さっきから『ああ……』としか言ってないよぉーっ!」
「ああ……すまん……」
1日、また1日と過ぎるたびに、俺はアイオス王子に尊敬の念を覚えた。諸侯や、会議に加わるプルメリア、大変だろうにカバーをしてくれるオデットにも同じ感情を覚えた……。
「ほらドゥッ、ボクチンのおやつあげる……っ。口開けて、ドゥ……」
モモゾウは人の胸元に爪を立ててしがみ付いて、くわえてきたブルーベリーを口移しで口腔に運んでくれた。
たった1粒なのにとても甘く感じる。ブルーベリーらしいわずかな渋みと、ザラザラとした小さな種が舌に残ってそれを俺は飲み込んだ。
「モモゾウ……んっっ、美味いよ……」
「ピーナッツも食べるー?」
「頼む……」
「わかったっ、待っててね、ドゥ!」
俺は他人に化けることなど造作もないことだと思い上がっていた。
だがいざこうして4日5日と演じ続けると、どこかしらでボロが出る。段々と俺が俺ではなくなっていって、少しずつ神経がすり減ってゆくかのようなきつい日々が続いていた……。
「口開けて、ドゥ!」
「んん……香ばしくて美味いな……。どうやら思っていたよりもずっと、俺は腹が減っていたみたいだ。お前のおかげでやっと、頭が回ってきたよ」
「よかった!」
「ああ、だがモモゾウ……。俺はもう……全てを投げ捨てて、ただの盗賊に戻ってしまいたい……こんなのは俺には無理だ……」
顔に張り付いていたモモゾウを胸に抱いた。普段ならば好きな時に好きなだけ触れられたこのふわふわの毛皮も、アイオス王子となってからはままならない。
俺はモモゾウを胸の中で何度も撫で回し、王子が1日でも早く帰ってくるよう運命の神に祈った。
「お母さんと弟を守るんでしょ! しっかりして、ドゥ!」
「モモゾウ、お前は最高の相棒だ……」
俺は玉座で身を屈め、うずくまりながらモモゾウを抱え込んだ。ずっとそうしていたかった。
だが、そこにノックと女の声が響いた。
「殿下、イレーネです。少し、お時間をよろしいでしょうか……?」
「わっ、大変……ボクチン、帰るね……っ」
モモゾウが俺の手の中をすり抜けて、肩まで登ると滑空して応接間入り口側の壁に張り付いた。
行かないでくれ、モモゾウ……。そう言える状況ではなかった。
「イレーネですか、どうぞ中へ」
「失礼します!」
近衛兵副長のイレーネが扉を開くと、モモゾウは隙間をすり抜けて出て行ってしまった。
俺は崩れに崩れきっただらしない姿勢と顔をシャンと直した。
「あ、お茶を入れてきてくれたのですね」
「はい、殿下。もしよろしければ、そこでご一緒しませんか?」
「もちろん喜んで。喉が乾いていたのでとても助かります」
「さ、どうぞ」
王子演じながら玉座を離れて応接間のテーブルに落ち着くと、彼女と向かい合いながら熱い紅茶を口に運んだ。すると無意識に小さなため息が出て、イレーネに笑われてしまった。
「だいぶお疲れのようですね」
「来る日も来る日も会議、会議、会議……もう嫌になってしまいますよ……」
「私ごとき言われても奮い立たないかもしれませんが、最近の殿下はまことにご立派です」
「ありがとう……」
「あの頑固者のホワイトレイ伯までもが貴方のことを絶賛していました。貴方はこの国の未来だと」
「ははは……あれは、その……たまたま上手くいっただけです」
音を立てずに品良く茶を飲む。ただこれだけでも俺には拷問だ。
なぜすすってはいけないんだ。なぜ作法ばかり気にしながら、ちびちびと外面を気にして飲まなければならない……。
「あの、殿下……実は、貴方にお話が……」
「話? なんですか、イレーネ?」
「非礼を承知でお聞きします。もしや、貴方は――」
イレーネのこの言いぶりと真剣な顔付き――まさか、ついに正体がバレてしまったのか……?
「その……先ほどだらしない姿勢で崩れておられるところを拝見してしまいました……。もしや、身体が酷く凝り固まっているのでは……?」
「あ、ああ……実はそうなんだ。さすがにこうも毎日この調子だと、疲れてしまって」
「会見と会議漬けの生活ですものね……。あの、そこでなのですが、よろしければこのイレーネがお身体をお揉みしましょうか?」
「そのお気持ちだけで十分です。心配をしてくれてありがとうございます、イレーネ」
本音を言えば頼みたかった。だが筋肉の付き具合で正体がバレてしまうだろう。
話によるとアイオス王子は剣の訓練を怠けて、楽器の演奏にのめり込むような芸術家肌の人間だ。
「……アイオス王子」
「あ、はい、まだ何か心配事でも……?」
「私たち親衛隊は何が起ころうとも、貴方様の味方です。どうか私たちをご信頼下さい」
「ああ、もちろんだよ、イレーネ」
なぜ急にあらたまって、わざわざそんなことを言う……?
やはり正体がバレてしまっているのか……?
あるいは王子と共に出立した近衛兵隊長から、非公式に替え玉の話を聞いているという可能性もあるか……。
ところがそこに、また新しいノックが響くことになった。
「殿下。あの、オデットです。もしよろしければお茶を――」
「あら、ふふふ……」
「えっ……あっ、もしかしてその声……っ」
イレーネは何を誤解したのか、やさしそうに微笑んで扉を開けた。その向こうにはトレイに2人分の茶を乗せたオデットがいた。
「殿下と逢い引きですか?」
「ち、違いますよぉーっ!? これは、ただ、疲れているみたいだったから、ねぎらいたくて……」
「言い訳なんてしなくともいいと思いますよ。殿下、私は少し厨房の方を見てきます」
「ありがとう、イレーネ。気を使って下さり助かります」
「だからっ、違うんだってばーっっ?!」
イレーネは飲みかけの茶を自分のトレイに乗せて、やさしくオデットに微笑んでから応接間を去っていった。
その茶をくれとオデットを手招くと、彼女はため息を吐きながら配膳してくれた。
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