13-1.偽りの王子ドゥ - 盗賊王子の新生活 -
いい夢を見た。王都で暮らす弟に、投げナイフの技を教えてやる夢だ。母が俺たちをやさしく見守って、食事に誘ってくれたところで目が覚めた。盗賊である俺には叶わぬ夢だった。
「ここは……ああ、そうか……」
目覚めるとそこは王子の客室だった。やわらかな綿のパジャマに身を包まれて、快適なトリプルサイズのベッドが俺の背中を受け止めていた。
ベッドの上であぐらをかいて、しばらくほうけた。
「はぁ……参った。参ったな……」
起き上がって鏡の前に立ち、一度顔を布で拭ってリセットすると、俺はアイオス王子に再び化けた。それが済むと着替えをして、王子の衣服を身に付けると再び鏡の前に戻る。
どうも落ち着かん……。
「俺は王子だ。俺がアイオス王子だ。アイオス王子は俺1人だ。俺は王子、俺は王子、俺は素敵な王子様だ」
彼の身振りの真似をした。少しキザったらしく手を掲げてみたり、控えめにうつむいてみたり、申し訳なさそうな顔の練習もした。
そっくりだ。これならたぶん、誰も気づかない。そう納得すると、ようやく気分が落ち着いてきた。
そこにノックが響いた。
「入れ」
「おはようございます、アイオス王子。昨晩はよくお眠りになられましたか?」
「もちろんだよ。こんな良い部屋を貸して――なっ、お前、その格好……っ」
王子のお側付きがやってきたかと思えば、それはメイド服に似たお仕着せを着込んだオデットだった。彼女は美しいブロンドにヘッドセットを付けて、おかしそうに笑っていた。
俺はその姿につい見とれていた。
「うわ、昨日も見たけどドゥったら本物の王子様みたい……っ!」
「無警戒にそういうセリフを吐くな」
「あ、ごめん。あ、そうそう、モモゾウちゃん、起きて」
「モモゾウを連れてきてくれたのかっ!?」
モモゾウとはしばらくの間、離れ離れになることが決まっていた。モモゾウの相棒こそが盗賊ドゥであり、もしも一緒に行動すれば、敵が忍び込ませているであろう間者に気付かれることになる。
モモゾウは目を覚ますと、オデットのお仕着せの中から俺の胸に飛び込んできた。
「ドゥッ、寂しかったよぉぉーっっ!!」
「俺もだ、モモゾウ……」
「えへへ、私は一晩中モモゾウちゃんを独占できて、メッチャメチャ幸せだったけどね!」
「アンタが面倒を見てくれるなら安心だ。すまんがしばらくコイツを頼む」
「ボクチン、オデットと一緒なら我慢できるよ……っ」
モモゾウのやわらかな毛並みを堪能してから、やはりどこで気付かれるかわからないので相棒をオデットの肩に乗せた。モモゾウは寂しそうに小さく鳴いたが、今は仕方がない。
「可哀想に……」
「後で慰めてやってくれ」
「あ、それなら大丈夫。今日から私がドゥのサポートをするわ、もちろんこの子も一緒!」
「そーなのっ!? ああ、よかったぁ……!」
「持ち場はいいのか……?」
「だって、見張っておかなきゃプルメリアのお腹に穴が空くもの。ドゥだって近くにいる人が、事情を知っている私の方がいいでしょ?」
「そうだな、フォローを期待しているよ」
この話を他に知っている者といえば、近衛兵のトップをしている男くらいだ。だがそいつは王子のお忍びの旅についていったので、俺は残りの近衛兵全てを騙さなければならない。
「殿下、お食事をお持ちしました。あら、オデットさんもいらっしゃいましたか。おはようございます」
「おはよっ、イレーネさん」
「おはよう、イレーネ。いつも食事を運んでくれてありがとう」
そこに近衛兵副兵長のイレーネという女がシルバートレイを抱えてやってきた。長くくすんだ赤い髪が特徴の生真面目な女性だった。
「ありがとうございます、殿下。さ、冷める前にどうぞ」
「ありがとう」
イレーネは部屋の入り口に立つと、そこで己の職務に入った。アイオス王子の安全のために、付かず離れずで様子を見ること。それが彼女の仕事だった。
「王子様って大変なんですね、プライベートが全然ないっていうか……」
「オデットさん、それが王族に産まれた者の宿命です。特に、今は非常時ですから」
こうやってイレーネは昨日も張り付いてきた。
気が変になりそうだ……。貴族たちの生まれを羨んだことは多かったが、王族となるとここまで自由がないとは思わなかった……。
「イレーネ、少し散歩に行ってきてくれませんか? オデットと2人だけで過ごしたいのです」
「えっ、ちょっ……」
「殿下……? もしや、オデットさんが気に入られたのですか……?」
「はい、実は少しだけ……。だから朝食くらい、彼女とゆっくりと過ごしてみたいのです」
「そうですか、殿下。わかりました、少し出てきます。がんばって下さいね……っ、殿下っ」
「ちょぉぉーーっ?!!」
短いがこれでプライベートは確保された。王子様に口説かれたのかと勘違いしたのか、オデットはだいぶ顔を赤かった。
「食うか?」
「今の絶対誤解されたよっ?! 朝っぱらから何勝手なことやってるのよーっ!?」
「無理を要求してきたのはアイオスの方だ。それに王子くらい一時の恋くらいするだろう」
「後で王子に説明するの超気まずいじゃん……っ?!」
食わないのかとオデットにフォークを差し出すと、彼女は半ば憤り混じりに引ったくって、大きな口にハンバーグを半分も押し込んだ。
モモゾウにはベリーの盛り合わせを差し出してやると、テーブルに飛び降りてかじりだした。
「どうだ?」
「美味しいに決まってるでしょっ!」
「ああ。だが俺たちには豪華過ぎるな。そうもいかないのかもしれないが、昼は普通の飯にしてもらおう」
「ぁ……っ、う、うん……」
フォークを返してもらって食事を再開すると、急にオデットがおとなしくなった。
「さて……ところで王子の仕事って、具体的に何をするんだ?」
「会議よ」
「うっ……!? やはりこの話、受けるんじゃなかったな……」
「あ、ごめんね、ドゥ……。でもお願い、この国の未来がかかってるの。今だけお願い!」
会議。一匹狼のアウトローの俺にはちょっとした拷問だ。
「気にするな、俺も王都の母と弟が気にかかっている。しばらくは我慢しよう……」
「えっ、それ初耳! 弟がいたのっ!? 紹介してよっ!」
オデットは人が食事中だというのにテーブルに身を乗り出して、自覚がないのか胸の谷間を人の顔に近付けていた。オデットもカーネリアも人柄が清らかすぎて、それに対して邪心を持つ自分が嫌になる。
「ダメだ」
「なんでよーっ、ドゥの弟なら絶対かわいいに決まってるじゃない!」
「なんででもだ。……胸、いくらなんでも近いぞ」
「へ……? キャッ、ど、どどど、どこ見てるのさーっっ!?」
「アンタの胸だ」
「ッッ~~?!!」
お仕着せ姿のオデットはいつもよりも可憐に見えた。俺はモモゾウにレタスを分けてやりながら、朝食を王子にしては下品にまとめて平らげた。
・
朝食が済んで少し落ち着くと、俺は会議室に缶詰になった。
「であるからして――」
「いや、だがそこは――」
「まあそうでしょうな。しかし――」
国内諸侯の話となるとまるで俺にはチンプンカンプンだったが、防衛体制や軍略面ならどうにか内容が把握できた。
「殿下、どう思われますかな?」
「ええ、それでいいと思います。ただ、その布陣だと防壁西端が諸侯同士の混成部隊になります。指揮系統が混乱する前に代表を決めておいた方がいい――と思います」
「おお、さすが王子殿下。ごもっともですな!」
思ったままのことを返すと、正体を知るウィロー男爵に絶賛された。
「では私がウィロー男爵の指揮下にはいましょう。彼が決意しなければ、私はこの戦に加わっていませんでした」
「いや、さすが王子ですな」
「ええ、敵も我々と同じ弱点を持っている以上、克服していきませんとな」
家に帰りたい。寝たい。会議なんて投げ捨てて、バカどもバクチをしたり、サーカスのまねごとをしたり、市場を回って無責任に暇を潰していたい……。
「では次の議題に参りますわ。わたくしたちを軍を支える補給物資ですが、今後、兵力が急増してゆくと考えると、早急な――」
クラクラとしながら俺は長い長い、あまりに長い会議を切り抜けていった。こんな生活が毎日続くだなんて……俺はアイオス王子のことを甘く見ていた……。
彼は軟弱なようで、責任者でありリーダーとして戦いを裏方として支えてくれていた……。
「大変ですっ、また新たな諸侯がこちらに近付いていると偵察隊から報告が!」
「おお、それは本当か!?」
「白旗を掲げていました! 恐らくは、援軍かと……!」
「歓迎の準備をいたしましょう。殿下、わたくしとご一緒願えますでしょうか?」
「あ、ああ……もちろんです」
助かった……。
俺は座り過ぎでよろける身体を踏ん張らせて、プルメリアに支えられながら会議室を出た。
「はぁぁぁ……っ」
「ふふっ、お疲れさま。でもじきに慣れるわ」
「今のところは全くそんな気がしないぞ……」
「ふふふ……。普段自信でいっぱいの貴方から、そんな弱音が聞けるなんてかわいらしいですの」
「昔のアンタに戻ったかのようなセリフだな」
「まあ、なかなかおっしゃいますね、ドゥ様。ですけれど、今は淑女よりも狡猾な悪女が必要でしょう?」
「その通りだな。だが本当の悪女は、自分のことを悪女なんて言わない」
俺たちは正門前の防壁上に急行して、新たな諸侯の迎え入れの準備を進めた。
今度のは結構な大物のようだ。それはホワイトレイ伯爵と呼ばれる老齢の男で、約900人もの兵と物資と共に城門前にやってきた。
なぜすぐに老齢とわかったかと言えば、剛毅にも単騎で陣から姿を現して、自ら名を名乗ったからだ。彼は城壁の外側に配下を残したまま、アイオス王子とプルメリアに招かれて、市庁舎へと入った。
うっかり別の小説に投稿していたなんて悲劇はありませんでした。




