6.災厄都市バウ
盗賊王エリゴルはド変人だ。彼にこの身を盗まれ、調子のいいホラ話を聞かされながらこの地を最初に訪れた時は、ヤツの正気と自分の未来の両方を疑わずにはいられなかった。
その地は災厄都市バウと呼ばれている。『既に終わってしまった世界』だとか、『亡霊だけが住まう国』だとか、人が住める土地とは誰も考えてはいなかった。
バウの周囲には激しい暴風と恐ろしい雷の層が渦巻いている。その暴風の中を浮遊石を含む岩石が無秩序に飛び回り、近付く者を黒焦げのミンチに変える。
そんな土地に本拠を構えるバカは、呆れ果てたことに盗賊王のジジィだけではなかった。
「バウは滅びたとばかり思っていたわ」
「滅びているさ、少なくとももう都市とは言えない」
バウに入るには風穴を通ればいい。一見は奈落に通じているかのように深く真っ暗な穴にお姉ちゃんを導き、俺たちは地下を経由して暴風の向こう側に抜けた。
地上に出るとその先は夕刻の世界だ。嵐に包まれたこの土地は太陽の光に恵まれず、日中の大半がまるで夕方のような薄明かりに包まれる。
俺たちは管理者を失い荒れ果てた郊外から、民を失い墓標と化した石の街を見下ろした。
「こんな場所に隠れていただなんて……。組織がいくら捜しても見つからないはずね……」
「もう一度言うが約束だけは守ってくれ」
「破る気なんて最初からない。それにこんな素敵な隠れ家、あの組織に渡すなんてもったいないもの」
「素敵? ペニチュアお姉ちゃんは変わっているな」
「ボクチンは、外の方が、ずっと好き……」
頭上の雷鳴が落ち着かないのか、モモゾウは袋から顔だけ出してそう自己主張すると、すぐにまた中へと引きこもった。
「ねぇパパ、あの人たちはなぁに……?」
「あれか? あれは見ての通りの変人たちだ。見た目はメチャクチャ怪しいが、特に害はない」
盗賊王の根城に向かって朽ち果てた舗装路を歩いてゆくと、とある世捨て人の村の前を横切った。畑仕事をしていた数人がこちらに気づいたようなので、俺は彼らに向かって手を振った。
すると世捨て人たちは低い声でよくわからない呪文を唱えて、俺の帰郷を歓迎してくれたようだった。
俺は今に至ってもこの隣人たちの正体を知らない。大人も子供も黒いローブとマスクで全身を包み隠していて、度を越したお祈り好きで、会話とは全くの無縁のとんでもない生活をしていることしか知りようがなかった。
正体不明のこの隣人たちはこんな日当たりの悪い土地で、まずい芋やカラス麦、食用とはとても思えない青色の苔を栽培して暮らしている。
「わたし、あの人たちを知ってるわ」
「えっ、それって本当っ!?」
モモゾウが袋から俺の肩に飛び出てきた。
「うん、間違いない……。あの黒山羊ローブと首飾り、あれはバアル派よ」
「バアル派……? 聞いたことがないな」
「当然ね。だって、わたしもおぼろげだけれど……この記憶がもし正しかったら、あれは500年くらい前に滅びた宗派だったと思う。彼らは面白いのよ。彼らは言葉、『言葉』そのものを汚れとしているの」
「わーっ、そうなんだー! あっ、そうかっ、だからみんな喋らなかったんだねっ!」
「人は言葉に支配されている。だから言葉の支配から人を解放する。そんな変わった教えだったはずよ」
「ははは……。滅びるに決まっているだろう、そんな教え……」
「ええそうね、言葉を否定する教えだなんて、その時点で矛盾しているもの。滅びる宿命だったのよ」
村から遠ざかると、俺たちは断崖にそって作られた小さな砦にたどり着いた。そこが盗賊王の根城だ。朽ち果てて大穴が空いた鉄城門を抜けて、俺はペニチュアお姉ちゃんを我が家に導いた。
「ねぇドゥ、帰るときは草むしりをしてからにしない……? お爺ちゃん、帰ってくるかもしれないし……」
「ソイツは望み薄だな。……まあ、草むしりの方には賛成だ」
繰り返し言うが盗賊王のジジィはド変人だ。ヤツは石の砦の中に木造の家を建てて暮らしていた。
玄関には鍵がかけられていない代わりにトラップが仕掛けられていて、俺はソイツを1つ1つ解除しながら深く落胆した。
トラップに変化はない。玄関の様子もだ。ジジィはこの家に帰ってはいなかった……。
「エリゴルは嫌い。でも、この家はなんだか好き」
「ありがとう、死んだジジィが喜ぶ」
「死んでないよっ、きっとどこかで生きてるよっ!」
「かもな。……さて、もてなしたいところだが、食料も茶の葉もあの村の連中に譲ってしまった。先に手がかり探しをしよう。モモゾウ、ペニチュアお姉ちゃんを倉庫に案内してやってくれ」
「ドゥは?」
「ジジィの日記を読み返す」
「え、ドゥが? ちゃんと読める……?」
「バカにするな、書くのはダメだが読むのは得意だ」
「そんなの自慢になってないよっ、ちゃんと覚えてっていつも言ってるじゃないかーっ!」
「案内して。もしかしたら、他の器もあるかも……」
倉庫の物を盗むなよとお姉ちゃんに釘を刺そうとして、やはり止めた。自分たちは散々盗みまくってきたくせに、人に盗むなと要求するのはどう考えたっておかしい。
俺は2人と別れてジジィの部屋に入ると、トラップまみれの棚からジジィの日記の山を取り出して、1つ1つ目を通していった。
・
しばらく没頭しているとペニチュアお姉ちゃんが倉庫から帰ってきた。彼女は俺の後ろに立つと日記帳に目を落として、あのバアル派たちのように沈黙を貫いた。
「ねぇ、パパ……。盗賊王エリゴルには、もう1つの顔があったの……」
「アイツにもう1つの顔? そんなもの2つどころじゃないだろ、百あってもおかしくない」
「そうね、わたしもそう思う。彼は謎の多い男よ……」
「謎しかない。どころでモモゾウは?」
「うんっ、あのねっ、わたしに甘いクリを食べさせてくれるんだって……! あの子、とてもやさしい子……」
「ヤツは盗賊ドゥの良心担当だからな」
話がそれていると気付いて、俺はジジィの日記にまた目を下ろしてお姉ちゃんの言葉を待った。
ちくしょう……読めば読むほどに喪失感に胸が締め付けられる。なんでジジィはここに帰ってきてくれないんだと、悲しくなった。
「エリゴルはこの世界を守ろうとしていた。そんなふしがあるの」
「あのジジィが救世主の真似事? 絶対にあり得ない」
「ならなぜ、常闇の王の器を盗んで復活の妨害をしたの……?」
「きっとソイツが気に入らなかったんだろう。ジジィはそういうやつだ。大盗賊エリゴルとその後継者である盗賊ドゥは、独善的な価値観に基づいて人から宝を盗むんだ」
「たちの悪い男……」
「全くだな。だが俺はヤツから教わったこの流儀が気に入っている」
盗賊王がこのルールで俺を縛ってくれなければ、俺はクズの中のクズになっていただろう。殺しや裏切りをいとわない最悪のサイコパス。それこそが狂人マグヌスが俺に求めていたものだ。
「でも、世界のために動いていたというのはきっと本当。見て……案内してくれた倉庫に、こんな物が残されていたの」
「なんだそれ、ずいぶんと趣味の悪い文鎮だな……」
お姉ちゃんがテーブルに置いたのは、真っ黒い金属で作られたヒキガエルみたいな像だ。
「あのね、これから先代の魔王と同じ力を感じるの……」
「あのジジィ……んなもんを家で保管するなよ……」
ジジィの日記には、世界中からヤバいブツを回収していたなんてどこにも記されていない。俺とモモゾウの知らない裏の裏の仕事をジジィがしていたってことだろうか。
「エリゴルは災厄を回収していた。彼なりのやり方で……」
「そうなると俺も災厄の1つということになるな」
「……エリゴルは嫌い。でもそれは違うと思う。だってエリゴルは、ドゥを宝だと言ってわたしたちから盗んだもの……。嫌い、大嫌い……」
「そんなにジジィを嫌わないでやってくれよ」
その返しは彼女からするとかなりの不満だったのか、睨むようにこちらを見てから、そこから一変して半泣きで人の肩に飛び付いてきた。そして一言目はあの言葉、『パパ』だった……。
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