5.怪物
ペニチュアお姉ちゃんには気の毒だが俺は逃げた。彼女の中にある異常性に震え上がったのではなく、それはいたって個人的な理由だ。
彼女には同情するべき部分が多い。だがそれとこれは別だ。俺はこの歳でパパにはなりたくない。
常闇の眷属ペニチュアという存在は、俺個人が抱えるにはあまりに闇が深過ぎる!
だから俺は彼女との同行を拒み、モモゾウとの2人で盗賊王の宝を守ると誓って、彼女の前から一目散に逃げた。
「だいじょうぶ、ドゥ……?」
「いや、あまり大丈夫ではない……。少し走るだけで息切れがする、だいぶ血が薄くなっているようだ……」
「これ、ドゥにあげる……」
「ありがとう、モモゾウ」
モモゾウは残り少ないピスタチオを俺に分けてくれた。
今は貿易都市トーポリに戻ってきたところだ。どこか目立たない店で血のしたたるステーキを注文したい気分だった。
「でも、これでよかったのかな……」
「俺だってわからん……。だが、あの重い愛を受け止める度量は、俺にはちょっとな……」
「そうだね……。それに一緒にいたら、ドゥが干からびちゃうよ!」
「それも問題だな。そこの店なんてどうだ?」
「賛成! ちょっとだけちょうだいね、ドゥ!」
「ああ、赤身の部分をちょっとだけな」
「脂身だけくれてもいいよっ、だって今ドゥに必要なのは赤身だもん!」
「却下」
軒先でグリル機を回す肉料理屋を見つけると、俺はモモゾウと一緒にお姉ちゃんに奪われた血肉を牛の厚切りステーキで補給した。もしもあの場に残っていたら、本当に俺は干からびていたのかもしれない。
・
せっかく沿海州までやってきたのに、中原に戻らなければならないなんてついていない。
事情を伏せて密貿易商マルタと交渉すると、出航はちょうど明日だと言われた。
港から再び町へと戻ると、その次は宿を押さえた。続いて中原のみんなのために土産物でも買おうかと、この前のバザーのひしめくエリアに向かった。
バニャニャ農家のおばさんはもう町を離れたのか見かけなかった。
「モモゾウ、これなんてどうだ? オデットの豪華なブロンドに似合いそうだ」
「う、うーん……。でも、誤解させちゃうんじゃない……かな」
「そういうものか?」
「たぶん。でもオデットならどんなお土産も喜ぶと思うよっ、凄くいい子だもん!」
「まあいいやつなのは認めるが、その分だけあれは危うい。また無謀なことに首を突っ込んでいなければいいが……」
「向こうも同じこと思ってるよ、きっと!」
異国情緒あふれる絹のリボンは、小さな孔雀石が埋め込まれていて綺麗だった。
純白の絹と、孔雀石の真紅があのブロンドと絡み合ったら綺麗かと思ったんだが。
「バニャニャを持って帰れたらな……」
「オデットたちに食べさせたいね」
「ああ、俺が魔法使いなら氷漬けにしてでも持って帰ったんだがな」
「あっ! ねぇ、これなんていいんじゃない、ドゥ――ぷぎゅっ?!」
モモゾウが見つけたのはベッコウ製のクシだ。沿海州の名産品で、値段こそ張るが女性が日用使いする物なので贈り物として理想的だった。ただ――バザー街の路地裏にペニチュアお姉ちゃんの姿を見つけた俺は、モモゾウを引っ付かんで黙らせた。
「気付いてないみたい」
「ああ、それに独りだな……」
彼女は呆然と立ち尽くしていた。視線を追えばそこには幸せそうに笑い合う親子の姿があった。父親は奮発して、娘に古着を買ってあげることにしたようだ。
彼女はただそれを見つめるだけで、泣きも笑いもしなかった。
「参ったな……。だが、パパにはなれないぞ……」
「でも、慰めてあげたら……?」
「せっかく姿をくらましたのにか?」
「ううーん……どうしよう。でもこのままはよくないよ」
「でも俺たちは逃げたしな……。怒ったりしないか……?」
「決めた! おーいっ、ペニチュアーッ!」
本当に俺たちに気付いてすらいなかったようだ。モモゾウは俺の手の中から逃げ出すと、人を踏み台にしてペニチュアの胸まで滑空した。
まさかモモゾウが戻ってきてくれるとは思ってもいなかったようで、彼女は感激しているようだった。
「モモゾウ……わたし、あなたに嫌われたと思ってた……」
「ごめんね、ボクチン臆病だからつい……。でもねっ、ほらっ、ドゥもいるよっ!」
モモゾウの小さな手に招かれて、俺は路地裏に入るとペニチュアお姉ちゃんと向かい合った。
「逃げて悪かった。だがこれは難しい問題だ、一時の感情でパパになりますだなんて言えない」
「傷ついた……」
「だろうな」
「けど、こうして出てきてくれたから……もういい……」
「その寛大な言葉に感謝するよ」
弱っていたお姉ちゃんは俺の背中に両手を回して抱きついた。
昔は俺の方が少し背丈が低かったのに、今は胸のあたりにお姉ちゃんの頭があった。
お姉ちゃんからすれば安らぎの瞬間なのかもしれないが、こちらは困惑の感情の方が勝っている。幼心に憧れた女性が当時の記憶のままの姿をしていて、俺だけがこんなに大きくなってしまったのだから。
「本当のパパとママが恋しい……。みんな、わたしのことを化け物だって言うの……。みんなと、ほんの少し違うだけなのに……」
「だったら俺みたいにカドゥケスから抜けるのはどうだ? 暗殺者なんてやっているから怖がられるんだ」
「無理よ……。だって、どこで暮らせばいいの……?」
「それは……」
「永遠に老いないわたしを、どこの誰が迎え入れてくれるの……? そんな場所、どこにもない……カドゥケス以外のどこにも……。こんな世界、早く闇に飲まれてしまえばいい……」
「俺はペニチュアお姉ちゃんを化け物だなんて思った日はないよ」
彼女はこの先も永久に子供のままなのだろう。道行く親子連れを羨み、闇の世界に縛られたまま生きるのだろう。一時の感情に身を任せて、俺がお姉ちゃんのパパになると言ってやりたくなったが……。
やはり彼女のあまりに重い愛情を受け止める勇気はなかった。
許してくれ、そういうのは条件が釣り合わない……。
「姉と弟ではダメか……? 俺は今でもお姉ちゃんのことを――」
「わたし、本当のパパが欲しい……」
ダメだ、やはり重い……。
だがその次の瞬間には、俺たちはプロとして気持ちを切り替えていた。すなわち俺は自分へと放たれた弓矢を的確にかわし、ペニチュアお姉ちゃんが狙ったのとは反対側の暗殺者に、反撃の投げナイフを投げ付けた。
「ペニチュア様、なぜ、我々の邪魔を……。うっ……?!」
「ごめんね……。この人は、本当のわたしのパパになってくれる人なの……」
重い、お姉ちゃんは重すぎる……。
彼女は同僚に自害される前に、昏睡毒で相手を眠らせていた。
こうなると憲兵に素性を探られる前に場所を移す必要があった。俺とお姉ちゃんはすぐにその場を離れ、路地裏から人気のない水路の陰に逃げ込んだ。
「素敵、わたしたち最高のコンビね!」
「ダ、ダメだよーっ、ドゥの相棒はボクチンだよぉーっ!」
「じゃあやっぱり娘でいいわ」
「それも困るって言っているだろう、お姉ちゃん……。あまりわがままを言うと、連れて行ってやらないぞ」
「連れて行く? それってどこに?」
「家だ。俺とモモゾウはこれから中原に戻り、盗賊王の根城に帰省する予定だった。わがままを言うなら連れて行かない」
情報があるとすればそこだろう。奪ったお宝が世界を命運を変えるほどのブツだとすれば、何か糸口を残してくれている。そう信じたい。
「嫌い、嫌いよ。エリゴルはドゥをわたしから奪ったから嫌い……」
「なら別行動だな」
「それはもっとヤダ、一緒に行く!」
またペニチュアお姉ちゃんはところかまわず胸に飛び込んできた。
個室ならともかく、外でこれをやられると人目が気になるどころではない……。
「お姉ちゃん、同行を約束する前にこちらも約束してほしいことが数件ある……どうか聞いてくれないか?」
「なーに、パパ?」
「これ以上、血を吸われると比喩抜きで死んでしまう。不意打ちの吸血はナシだ。いいか?」
「……わかったわ、代わりに誰かを狩ることにする」
「狩るなよっ!?」
「ピィィ……?! やっぱり、この子、なんだか怖いよぉ……」
「それで、2つ目はなぁに?」
「人前でこうしてくっつかれると、俺が町の憲兵さんに目を付けられることになるので、そこは可能な限り自重してくれ……頼む……」
お姉ちゃんは不思議そうに首をかしげた。そんな仕草をされると、守らなければならない小さな女の子にしか見えなかった。
「俺たちは盗賊だ、目立つのは困る」
「わかった。誰もいないところでパパにくっつくわ」
「それも勘弁してくれ……。そして最後は、この旅は復活を阻止するまでの一時的な同盟だ。俺はカドゥケスの人間とは組まない」
カドゥケスは腐敗が具現化したような組織だ。国から国、闇から闇へと暗躍して不幸をまき散らす。特に子供を狙った人攫いだけは絶対に許せない。
「わかった。その時はカドゥケスを抜けてパパを追いかけるわ」
「勘弁してくれ! 俺はいつまでも自由でいたいんだ!」
その後、色々と不毛な問答があったが割愛しよう。
全ての約束をペニチュアお姉ちゃんに飲ませて、俺たちは盗賊王の根城を目指して沿海州を立ち去った。
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