End - 1.伝説の終わり - どうかいい夢を -
今度のはなかなか上手くいった。いくつか切り結び合った後、後退際に唐辛子袋を投げ付けると、やつはそれを斬り払おうとして自滅した。
赤い粉塵が舞い散り、鎧の隙間に入り込んだ。
「う……」
魔王が膝を突いた。今ならば鎧の隙間に刃を立てれば魔王に深手を負わせられる。
だがそうするわけにはいかない。もし魔王を殺せば、後の世に破滅が訪れることになる。
カーネリアがこちらを横目で見ている。
それに対して俺はそろそろいいだろうとうなづいた。
粉塵が落ち着くと再度突撃した。
慣性の無視を2人がかりの手数で拮抗させた。
「うぐっっ?!!」
魔王の反撃の刃をカーネリアが受けると、地滑りをしながら壁まで吹き飛ばされた。
カーネリアは地に膝を突き、そのまま立ち上がれなくなった。
2対1の優位が崩されると、俺の方も一瞬で崩されてしまった。
カーネリア同様に魔王の剣をナイフで受け止めることになり、壁に叩き付けられることになった。
魔王がこちらに近付いてくる……。
狙いは俺の首か、あるいは――
「何か、落としたようだ」
「ッッ……?! それに触れるな!」
「ほぅ、とても大切な物のようだ」
とある財宝を俺は持ち歩いていた。
それをたったさっき、不覚にも落としてしまった。
立ち上がろうとしても踏ん張りが利かない。このままでは切り札を奪われる。
「美しい宝だ……。これが噂に聞いていた勇者の秘宝。私を倒す切り札か」
ヤツは拾うはずだ。
拾うように俺たちは仕向けた。盗賊王エリゴルが勇者の力を引き出す秘宝を俺たちに授けたと、そう喧伝したのだから。
俺とカーネリアは、やられたふりをしながらヤツを注視した。
魔王は屈まない。ただ足下の輝きを見下ろすだけだ。
それに触れてもらわなければ困るというのに、魔王はただ美しさに見とれるだけだった。
「おかしいと、思っていた……。お前のような男が、なぜこの首を狙うのか、あり得ないと……」
「何を言っている」
魔王が剣を腰に戻した。秘宝を見下ろすのを止め、はいつくばる俺の方を見つめた。
「目的を達するために、味方を騙す。そう、そういう人間だった……」
「なんの話だ?」
魔王が角のあるフルフェイスの兜を両手で触れた。
顔をさらすつもりらしい。魔王はいったいどんな顔をしているのか、否応なく興味が高まった。
「茨の道で踊る哀れな英雄。純粋で、それゆえに矛盾に苦悩する。復讐者に震えながらも、盗むことを止められない。私には、お前が血の涙を流しているように見えた」
魔王がかがみ、兜が持ち上げられ、うつむいていた顔がこちらに向けられた。
その顔を見た瞬間、俺たちは俺たちのしくじりを悟った。
俺たちの計画は、最初から破綻していた。
「人斬りフローズ……君が、魔王だったのか……?」
そいつはカサリアで世話になったあの女だった。
鎧を全て脱ぎ捨てて、彼女は俺たちが仕掛けた罠ではなく、俺たちを無表情で眺めていた。
絶句するしかなかった。
なんてついていないんだと思った。
彼女はバエル討伐の旅に同行している。
とある財宝を妖精国で俺が拾い、廃人になりかけていたことを知っていた。
それが触れてはならない危険な宝であることも。
「今日までの傲慢の罰が当たったか……。ついていないな……」
「だけど、なぜ君が……」
デミウルゴスの涙。触れた者に甘き夢を見せ、夢の牢獄に閉じ込める禁断の秘宝。
マグダラに頼んだ検証によると、魔王にも十分に利くとの見解だった。その正体を知らずに触れればの話だったのだが……。
「そう、これが切り札。デミウルゴスの涙……そういうこと」
相変わらず、人の話に耳を傾けないやつだった。
その性質も、人ではない魔王であるというならば納得だ。一片の情も揺らがせずに人を斬れるところも。彼女は根本から人間とは性質が異なっていた。
「ああ、アンタのせいで全部台無しだ……。せっかく、苦しい思いをして味方まで騙したというのに……」
撤退を考慮した。
デミウルゴスの涙は放棄し、カーネリアの身の安全を確保しよう。逃げられればの話だが……。
「私は、疑問に思っていた……」
「何をだ?」
時間稼ぎに問い返した。
「魔王として繰り返し復活しては、衝動のままに人類を滅ぼそうとするこのループに……」
「それは……。どういう意味なんだ、フローズ……?」
「だから私は、人間に化けた。その時代時代の人間を、隣人の距離から観察した……」
魔王――いや、魔王フローズはどことなく様子がおかしい。
俺たちに近付こうとはせず、この世で最も危険な秘宝の前に立ち尽くしていた。
「そんな中で、盗賊ドゥとの出会いは特別だった……」
「光栄だ。俺もアンタは衝撃だった、ずけずけと痛いところを突いてきた」
「時代時代の結論は、人間など滅ぼされて当然。人が人を騙し、殺し、利用する。なんて醜い怪物……」
まあ、カサリアの騒動からしてもそう見えるだろう。
俺たちの世界から悪党はいなくならない。悪である方が生きやすいからだ。
「だけど、お前は違った。茨の道で踊りながら、人を救おうと必死だった。お前が自己矛盾に苦しみながらも、我が身を犠牲にしてカサリアを変えようとしていたあの姿を見ていたら、私は――」
氷のフローズが微笑を浮かべた。そこにあるのは温かい親しみで、平気で人を斬り殺す氷のフローズではなかった。
「生まれて初めて、生の実感を覚えた。この男を助けてやりたい、楽にしてやりたいと思うようになった」
願わくば後者の結論が、俺の首を落とすという判断にならないよう祈るばかりだ。
俺とカーネリアは危機感を覚え、目配せした。
逃げられるかわからないが離脱するならば今だ。
逃げて、本来あるべき失踪という結末を選ぶしかない。
全てを捨てて、魔王との決戦から逃げる。俺たちは人生を捨てる覚悟を決めた。
「その必要はない。逃走は無意味」
「そう言われようとも、こうなったら逃げるしかない。止めるな」
「ルージュと同じ汚名を着るつもり……? それで、本当にいいのか……?」
「僕はそれで構わない。勇者を止めて、別の人生を歩みたかった」
「ああ、それに他にない。100年後の人々を犠牲にするなどもっての他だ。『ルージュが正しかった』と、アンタはあのとき俺に言ったが、確かにその通りだった」
かつての勇者を賞賛すると、またあの氷のフローズが微笑した。
「ドゥが隣にいてくれるなら、全てを捨てても僕には十分にお釣りがくる。悪いけどフローズ、僕たちはもう行く」
「その必要はない」
「それは逃がさないという意味? 僕たちは逃げて幸せになってみせる」
「いいえ、違う。こうする……」
デミウルゴスの涙。触れてはならない禁断の秘宝。
たとえ魔王であろうとも、触れれば夢に囚われ幻の世界に生きることになる。
「なっ……」
「フローズ……。アンタ……」
フローズは足下のデミウルゴスの涙を拾い上げた。
世にも美しい輝きがその宝石から巻き起こり、彼女はうっとりと見とれた。
「こんな方法が、あったのか……。ん……」
そして頭上を見上げたかと思えば、口を大きく開き、魔王は秘宝を飲み込んでしまった。
「これで、私は夢の中。これでようやく、この果てしない戦いが停戦を迎える」
「フローズ……ッ、そんな……っ?! なんで……っ」
「魔王システムそのものである私を騙す。都合のいい夢を見せる。こんな方法があるなんて、気付かなかった……」
果てしない戦いに飽いた魔王は、自らを夢の牢獄に縛り付ける結末を選んだ。
この結末が訪れることを、彼ら魔将たちは知っていたのだろう。
魔将たちが魔王の傍らに集まり、俺たちを見た。
そこにあったのは敵同士のものではなく、信頼に近い何かだった。
俺とカーネリアもまた、フローズと魔将たちに敬意の目を向けた。
「フローズ、人類を代表して君の決断に敬意を送る。ありがとう……」
「アンタには負けた。俺は確かに、茨の上で血塗れで踊り回る道化だった。これからは、生き方を変えてみる……」
眠気を覚えてか、フローズの目が細くなった。
親しみのこもった瞳が俺をやさしく見ていた。
「けれどいずれ、システムの管理者が、異常に気付く。再び目覚める日が、楽しみ……。魔王システムを騙した人類が勝つか、それとも我々に蹂躙されるのか。決戦の日が、楽しみ……」
そこまで時間を稼げれば十分だと、盗賊王のジジィは言っていた。
時間稼ぎ。それこそが勇者ルージュとその仲間アッシュが求めたものだった。
「おやすみだ、フローズ。俺たちはもう会うことはないだろう……さようなら」
「さよなら、ドゥ……。私は、貴方の物語の、夢を見る……。そんな気が……する……」
魔王は魔将たちに導かれ、魔王のための大きなイスへと腰掛けた。
そして目を閉じた。その目が再び開かれることはなかった。少なくとも、俺が生きている間は。
「君たちに祝福を。僕たちに安らぎをありがとう……。それとエリゴルに、よろしくね……」
魔将たちも己のイスに腰掛け、そして消えた。
俺とカーネリアは身を寄せ合い、この結末に深く安堵した。
これで俺たちは何も失わずに済む。
別れを交わしたやつらと、気恥ずかしさを覚えながらもまた一緒に居られる。
「僕は一緒に蒸発する結末でもよかったけど、オデットと会えないのは嫌だな……。オデット……オデットに会いたい……。早くあの我が家に帰ろうよ、ドゥ」
「ああ。だがその前に……」
風のマントはもう必要ない。
俺はマントを脱ぎ、それをフローズの膝にかけてやった。
「フローズ、どうかいい夢を」
彼女が魔王の役割を放棄したように、俺も盗賊を辞めよう。
カーネリアと同じまっすぐな道で、新しい人生を始めよう。
俺たちは互いに痛む体を労りながら、仲間たちの待つ人間の世界へと引き返していった。
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こうしてこの日、盗賊ドゥの伝説が終わった。
次話からエピローグ。その後、完結となります。




