7-3.決戦前夜 - 最期の夜、新しい人生 -
もう少しで約束の時間だ。それまで少し休むことにして簡易ベッドに身を横たわらせた。
眠ることはできなかったが、少し間だけ頭を空にして過ごした。
「ドゥ、僕だ……。入ってもいいか……?」
「予定より早いな……。入ってくれ」
ところがそこにカーネリアがやってきた。
約束の時刻は兵士の大半が寝静まった深夜だったはずなのに、いやにくるのが早かった。
「すまない……」
「気持ちはわかる。今夜で全てが決まるんだからな」
「あ、いや……そのことじゃないんだ……」
「違うのか? てっきり緊張しているのかと」
「き、緊張はしている……」
カーネリアの髪が湿っていた。
戦場で湯浴みをするようなやつではないはずなんだが、えらく清潔でいい匂いがした。
燃えるような長い赤毛を持つ女勇者は、勇者とは思えない慎ましさで下を向いていた。
「オデット……」
「あいつがどうかしたのか?」
「君に告白をするって、言っていた……」
「はっ、あいつらしいな。そうか、まあアイツの性格ならそうするだろうな」
つまりそっちの話か。
うかがうような気弱な目がこちらを見ていた。
「オデットと2人で話したんだ……。ドゥは、誰の手にも入らない孤高の人間だって」
「大げさな言い方だな」
「ドゥ、盗賊王は生きていた。君はもう、盗賊王の代わりをしなくてもいいんだ……」
「ああ、それはジジィにも言われた。好きに生きろってな」
「なら……この戦いが終わったら君はどうするんだ?」
「わからない。そうとしか答えようがない」
盗賊を辞める。そうすればカーネリアとオデットと、ずっと一緒にいられるかもしれない。同じ家で笑い合いながら、毎日を過ごせるのかもしれない。
だが俺には盗賊を辞められるかどうか、自信がない。
「ねぇドゥ、いっそ……本当に何もかも捨てて、一緒にどこかに消えてしまわないか?」
それでは本末転倒だ。
皆の前から消えずに済ませるためにあがくのに、カーネリアは一緒に消えたいと言っている。
「ドゥ、僕と一緒に人生を変えないか……? 盗賊を辞めて、どこかで僕と一緒に暮らさないか……?」
「それは……。勇者様とは思えない言葉だな……」
「僕も勇者じゃない人生が欲しい……。みんなの前で胸を張るのも、もう疲れた……」
「気持ちはわかる。だがアンタの性根は変わらないだろう」
「それはどういう意味……?」
「俺もアンタも、目の前に苦しむ人間が現れたら見捨てられないだろう? アンタは勇者として、俺は盗賊としてソイツを助けようとするだろう」
静かに暮らすなんて無理だ。
俺たちの性根は変わらない。この人生を捨てても、結局また同じことを始める。
「俺たちは変わらない。盗賊を辞めた静かな暮らしには憧れを抱いて止まないが、俺はきっと辞められない。奪うこと、騙すこと、断罪をすることに慣れ切ってしまった」
今にも泣き出しそうなほどに悲しい悲しい顔をされた。
盗賊を本当に辞められたら、俺たちの前には幸せな人生が待っているのだろう。
「諦めちゃダメだ、ドゥ。君は変われる」
「いや、そんな気はしない」
「もし苦しむ人が現れたら、今度は盗みや暗殺ではなく、表側の方法で助けたらいい。君と僕は英雄だ、裏のカードを選ぶ必要はもうないんだ」
「それは……」
だが、俺は他の生き方を知らない。字だってまともに書けない。汚れた方法以外で、どうやって人を助ければいいのか、わからない。
「カーネリア……?」
カーネリアが俺の手を握って抱き込んだ。いや、それだけでは感情をどうにかし切れなかったようで、結局抱きつかれてしまった。
「お願いだドゥ、盗賊を辞めてくれ……」
「カーネリア、俺は約束を守れる自信がない」
「君ならできるよ、ドゥ。君の人生に正義が必要だと言うならば、僕はそれを支える。新しい方法で人を助けよう! だからお願いだ、僕たちのために盗賊を辞めてくれっ!」
カーネリアはおずおずと、あまりに不器用に唇を重ねてきた。
いやそれだけではなく、抱擁を止めて一歩離れると己の服に手をかけた。
「な、何を……。カーネリアッ、ま、待て……っ」
「僕の全てを君に捧げる。お願いだ、新しい人生を僕と一緒に始めよう、ドゥ……」
迫る彼女には俺は震え上がった。
美しい彼女の姿よりも、人生を変えることの恐怖の方が遙かに勝っていた。
俺はやり方を変えられない臆病者だった。
「勇気を出して、ドゥ……」
「カーネリア……だが、俺は、怖い……。俺は、盗賊としては一流だが、それ以外では無能のクズだ……。お前みたいに、立派になれる気がしない……」
「大丈夫だよ……。みんな君を信頼している。みんなが君の味方だ。君は多くの者に恨まれているかもしれないが、この世界で最も慕われている英雄でもあるんだ。みんなが手を差し伸べてくれるはずだよ」
再び抱擁がこの胸を包み込み、俺はそれに敗北した。
盗賊を辞めた新しい人生に賭けてみたくなった。
彼女を抱きしめ返して、恐怖をかき消すためにすがるように強く求めた。
「いい子いい子……。君ならできるよ、きっと変われるよ」
「や、止めろ……そういうのは……っ」
「ドゥ……? もしかして君、こういうのに弱いの……?」
「い、いや……ちが、や、止めろ……」
頭を撫でられた。すると今日まで胸の中にあった罪悪感や恐怖が、安堵と共にかき消えていった。
不安が消えると、盗賊を辞めて彼女のように正道に身を置く勇気が出た。
「ドゥ」
「な、なんだ……?」
「思い出が欲しい……。失敗すれば、僕たちは死ぬかもしれない……」
アンタだけでも逃がすさ。
そう答えるのが今日までの俺だった。だがその回答は彼女を悲しませるだけだ。
「わかった。これで最期かもしれないんだ、後先なんて後で考えればいいことだ」
「嬉しい……。夢みたいだ……」
きっとオデットはあの丘で起きたことを彼女に話したのだろう。だからカーネリアもこういった行動に出た。
一緒に生きて帰れるとは限らない。俺たちは最期の思い出を残し、新しい人生への一歩を踏み出した。
盗賊を辞めて正道から人を救う。
カーネリアと一緒ならできるような気がした。




