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7-3.決戦前夜 - アイオスとペニチュア -

「あの時、なぜアイツを殺しておかなかったのだろう……」

「生かした意味なら十分過ぎるほどにあったわ。常闇の王を崇めるカドゥケスを、彼は一応まともな方向に導いてくれるはずよ」


 マグヌスは去ったが、ペニチュアお姉ちゃんは去らずにイスに座り直した。

 彼女は幼い容姿で達観したようなことを言いながら、俺が飲んでいた茶に口を付けた。


「アイツに人生を狂わされた人間は星の数ほどいる」

「そうね。だけどカドゥケスを滅ぼしたところで、カドゥケスの後釜が生まれるだけよ」


「……それは犯罪者の理屈だ」

「そうよ。あの組織は、人の歪んだ欲望を揺りかごにしているの」


 あらためて実感した。

 ペニチュアお姉ちゃんは秩序の側に属していない。


 カドゥケスや常闇の王と距離を置こうとも、彼女は闇から光をのぞき込む側の人間だった。


「秩序や法律があるからこそ、密かにそれを破ることに意味が生まれるの。ルールがなければ、ズルッコはできないでしょ」

「……つまり?」


 お姉ちゃんの向かいに腰掛けた。

 今日のペニチュアお姉ちゃんは達観した老婆であり、果てしない過ごしてきた歴史の生き証人でもあった。


「人間はパパが思っているよりずっと、邪悪なの。そんな身勝手な人たちのために、パパとママが人生と名声を捧げる必要が、本当にあるのかしら……?」

「善良なやつもいる」


「パパ……パパは世界の真実を暴露するべきよ。人間は惨めな厩舎で飼われる豚野郎で、この世界に救いなんてないって、みんなが知るべきだと思わない……?」


 一理あった。俺がお姉ちゃんの立場ならきっと同じことを言う。

 自己犠牲なんて認めない。人を犠牲にするくらいなら、全員が不幸になるべきだと思う。


「そうかもしれない。真実を突き付けるべきなのかもな……」

「でもパパとママはそうしない! 今夜、全部を捨てようとしているっ!」


「ああ、俺たちの名誉と人生を捧げるだけで、多くの者が平穏に暮らせるようになる」

「そんなのパパらしくないわ! あの頃の冷酷だったドゥに戻ってっ! ペニチュアが愛したあの少年、ドゥの名誉が奪われるなんて嫌よっ!!」


 お姉ちゃんのその悲痛な叫びに対して、俺は運命を受け入れた悲劇の勇者の顔をしなくてはいけない。そうでなければならない。


 だというのに俺は今、つい口元をひきつらせてお姉ちゃんに余裕を見せてしまった。

 お姉ちゃんは気付いた。俺が諦めていないことに。


「ドゥ……?」


 イスから立ち上がり、お姉ちゃんの耳元にささやいた。


「俺が素直に運命を受け入れるわけがないだろう。ひっくり返してやるさ」


 お姉ちゃんは目を大きく広げた。

 今日までの全てが演技だと気付いて、口元を弱々しく緩ませた。


「この夜が明けたら世界は変わる。世界を変えるためには全てを騙さなければならない。だから俺は、こうして悲劇の英雄を演じているんだ」

「ドゥ……」


 お姉ちゃんが胸に飛び突いてきた。

 小さい頃はあんなに憧れていたのに、今は俺の方がずっと大きかった。


 永久の時を孤独に生きるお姉ちゃんは、哀れで可哀想で、助けたいのに助けられないもどかしい存在だった。


「ふふっ……そう、そうだったの……。それでこそペニチュアのドゥね。絶望に染まったあの頃の瞳も好きだったけれど、今のパパの瞳も素敵よ……」

「詳しくは言えない。だが必ず成功させる。成功させてお姉ちゃんのところに戻ってくるよ」


 お姉ちゃんは納得してくれた。

 俺の胸から離れて少し距離を取ると、イスに座るのではなく、ふいにスカートを上げてお辞儀をした。


「最期の夜になるかもしれないから、ペニチュアも本当のことを言うわ」

「本当のこと? お姉ちゃんが言うと少しおっかないな……」


「ええ、少しだけ怖い話よ」

「聞くのが怖い」


「……少し前ね、あの旅の終わりに、エリゴルを問い詰めたの。ずっと、気になっていたことがあったのよ」

「お姉ちゃん、恨みはわかるが、あまりあのジジィを苛めないでやってくれ」


 軽口のつもりだったがお姉ちゃんは笑わなかった。

 まるで昔の残酷なお姉ちゃんに戻ったかのように、冷たく鋭い不死者の目でこちらを見た。



「嘆く女の器は、巧妙に模倣された贋作だったのね……」



 カマをかけられただけかもしれない。

 俺は軽く驚いたふりをした。


「まさか、あれは本物だった。お姉ちゃんはジジィにからかわれているんじゃないか?」

「もう、あんな物どうでもいいわ……。常闇の王の復活なんて、もうどうでもいい……」


「そうか。まあどっちにしろ器はもう壊れた。復活させる方法はない」


 しらばっくれる俺にお姉ちゃんは見透かした目をした。


 そんな目をされても演技を止めることはできない。彼女の幸せのためにも、嘆く女の器は壊れたことにしなければならない。真実への糸口を与えたくなかった。


「今は世界の行く末の方が気になるわ。パパが化かした世界の行く末を、永劫の時を生きるこのペニチュアが見届けるの。パパとママの決断が正しかったかどうかを、この目で確かめたいの」


 その言葉は本音だろう。

 お姉ちゃんは弾むような言葉で、生きる意味を新たに見つけたと意思表示をした。


「本当に、今夜で世界が変わるのね……?」

「ああ、変えてみせる。もししくじったら――皆が俺たちを忘れた頃に、また一緒に暮らそう」


「パパ、世界を変えて。救いようもないこの世界に希望の灯火が掲げて。そうしたら、永遠を生きるペニチュアも少しだけ、救われるから……」


 身をかがめると、お姉ちゃんが頬に祝福のキスをくれた。

 幼い頃に憧れていた女性だ。女神のように崇めていた人だ。出発前の最高の祝福だった。



 ・



 外が騒がしくなり、伝令が書簡を胸に抱えて天幕やってきた。

 書簡の片方はペレイラ王、もう片方はアイオス王子からだった。


「ご武運を。世界を救って下さい、勇者様」

「ああ、任せてくれ」


 伝令を下がらせて、火の前までイスを運んで書簡を開いた。

 ペレイラ王からの手紙は謝罪だった。


 クロイツェルシュタインから英雄が2人消える。そのことを彼が喜んでいるはずもなかった。


 悔しい、申し訳ない、どうか新たな人生に祝福を。そんな言葉が何度も文面に頻出した。


 さらにはランゴバルド領への大規模な出資と領地の割譲、それにあわせてプルメリアの爵位を侯爵とすること、勇者パーティの仲間たちに爵位と領地を与えることを約束してくれた。


 それと――盗賊ドゥの母と弟には、王家の離宮を与えるとあった。

 望むならば弟を王家の一員として迎えるために、婚姻関係を結んでもいいとまで記されていた。


「ギルモアたちが人差し指を捧げたのも納得の男だ。俺の弟が王族か……冗談みたいな話だ」


 王の書簡を火に焼べて、アイオス王子の書簡を開いた。


親愛なるドゥ様へ


 兄同然に貴方を尊敬しておりました。これっきりの別れと思うと涙が止まりません。


 貴方がいなければ私は反乱軍にこの首を落とされていたでしょう。惨めな敗北者として、ありもしない罪をかぶせられて、憤慨しながら死を迎えていたと思います。


 私は少しでも貴方に一目置かれたかった。尊敬する貴方に認めていただきたかった。もう会えないだなんて無念でなりません。


 このアイオス・クロイツェルシュタイン。次の時代の王として、貴方の弟君を必ず守ります。父と私で、弟君とお母上を幸せにしてみせます。


 ドゥ様、どうか幸せな人生を。


  ――アイオス・クロイツェルシュタイン



「……仕方ないな」


 俺は天幕を出て、ちょうど去ろうとしている伝令に声をかけた。

 返事の手紙を返したいと彼に伝えると、すぐに筆記用具の準備をしてくれた。


 手紙を書いた。

 英雄とはとても言えない、ミミズののたうつような字で、感謝の手紙を彼に送った。


「アイオス様も喜びます。どうか、魔王を倒して下さい、勇者様」

「任せてくれ、それが勇者の務めだ」


 短く読めたものではなかったかもしれないが、気持ちだけはこれで伝わるだろう。

 伝令に手紙を渡し、敬礼をする彼と馬を見送った。


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