15.御子と私生児
9日目、俺たちはまだ旅の途上にあった。
「カーネリア、大丈夫か? 後少しで国境だ、がんばれ」
「ごめんね、ドゥ……」
旅慣れた俺たちでもなかなかに過酷な旅になった。
人の目を避けるために昼に寝て、夜間に裏街道や山を進むこの旅は、肉体と精神の両方にきた。
「何度も謝るな。ほら、でっかいゴーダチーズを見つけてきたぞ」
「わっ、本当に大きい……」
「わーいっ、チージュだーっ!!」
「落ち着けモモゾウ。あっ、人の手によだれをたらすな……っ」
「ふふふっ……。モモゾウくんを見てるとなんだか元気が出てくるよ……」
チーズにナイフを入れてモモゾウに一欠片を渡すと、ヤツはカーネリアの肩に飛び乗ってそこでカリカリとかじりだした。
モモゾウは水分の残る内側より、外側の硬い部分がお好みだ。
「ふふふ……かわいいなぁ……」
「美味しっ、美味しっ、チージュ美味しっ!」
カーネリアはモモゾウにやさしく微笑んでいる。その姿を見る限り、世界を救う勇者様にはとても見えなかった。
盗んできたパンをナイフで半分に割って、その間に厚いチーズを挟んで彼女に差し出した。
「君は凄いね、ドゥ」
「凄いのは俺じゃない、農家だ」
木の幹を背に腰掛けて、自分の分のチーズサンドを口に運ぶとカーネリアも食事を始めた。美味かったみたいだ。過酷な旅に少しやつれていた彼女の顔が華やいだ。
「その謙虚さが君のいいところだ。ああ、美味しいな……」
「国境を越えたもっと美味い物が食える。シチューとか、牛のローストとか、たまには贅沢がしたいな」
「ナッツの盛り合わせも注文してね、ドゥ!」
「ああ、少なくともドングリよりは美味い」
付近に忍び込める町や村がない場合は、モモゾウから食べ物を分けてもらったりもした。ドングリや栃の実をまた食べたいとは思わない。
「ところでドゥ、村はどうだった?」
「ああ、山奥に相応しい寂しい村だった。……追っ手もいたよ」
農家には盗みの代価として多めに金を置いてきたので、まあ許してもらえるだろう。
しかし気になるのは、村に10数人ほどの傭兵団がいたことだ。
「この前、ドゥが言っていたやつか?」
「ああ、全く同じ連中だ。どうも先回りされていたみたいだ。はっ、優秀な連中だな……」
「そうか、それは気になるな……キャッ?! モ、モモゾウくんっ?!」
「チージュ食べたら、眠くなってきちゃった……。カーネリア、ボクチンちょっとここで寝るね……」
モモゾウがカーネリアの懐に入り込み、それから静かになった。
夜の山中はモモゾウの夜目が頼りだ。カーネリアは少し戸惑っているが、そのまま寝かせてやることにした。
「ドゥがいなかったら、その傭兵団に僕は囲まれて殺されていたんだね」
「負傷くらいはさせられていたかもな」
「僕はそんなに強くないよ、強いのは君だ。……君が、勇者に生まれたらよかったのに」
「アンタは今弱気になっているだけだ」
「僕の本心だよ! 君は悪ぶってるだけで、いつだって弱い人々の味方だった! 僕はそんな君を尊敬しているんだ!」
「……光栄だ」
「本当に君が勇者ならよかったのに……。そして、僕が君を支えるんだ……」
「はっ、何もかもがあべこべな話だな」
「そうだよ、あべこべだ、何もかもが。僕にはもう、何が正義かわからない……」
「おい、しっかりしろ、カーネリア」
腹は減っていたが、村に立ち寄ったのは失敗だったかもしれない。
やつらは今頃、村で不可解な盗みが発生していないか調べているだろう。
かといって悪党以外から盗みを働くのは、盗賊王に教わった流儀に反する。代価を支払わないという選択は初めから論外だった。
「食べて少し仮眠したら国境を越えよう」
「うん……」
「どうした? 何か気になることでもあるのか?」
「ううん……この旅ももう少しで終わりかなって思うと、ちょっと寂しくて……」
「それは気が早いだろ。王都までまだまだあるぞ」
「そうだけど……でも、王都に着いたら君は……」
それっきり、カーネリアは中途半端なところで会話を止めて黙り込んでしまった。
仮眠が済んだら、ここから道なき山を登って国境を越える。
誰にも気付かれずに国境を越えるには、国境警備隊が手薄な山地を抜けるしかなかった。
・
日没、俺たちは残りのパンとチーズで腹を満たしてから山越えの準備に入った。
「さてモモゾウ、早速斥候を頼めるか?」
「うんっ、任せて! じゃ、がんばってね、カーネリア!」
「なんの話だ?」
「こ、個人的な話だ……っ」
毛繕いを済ませると、モモゾウは木から木へと飛び回って、進路の安全確認に出て行った。
いつも袋の中で眠っているやつが、ちょっと肩を離れるだけでなんだか寂しい。
「カーネリア? どうした、寒いのか?」
「う、うん……寒いかも……」
モモゾウと待っていると、カーネリアが隣に寄り添ってきた。
慎ましく恥じらい深い彼女らしからぬやや大胆なスキンシップだった。
「焚き火を使えないのが痛いな」
「は、はうっ……!?」
汚れ知らぬ御子様は、元私生児の盗賊に背中を抱かれて震えた。
思っていたほど彼女の身体は冷えてもいなかった。
「神殿育ちの御子様には刺激的かもしれないが、凍えるよりはいいだろ」
「ほ、本当に、モモゾウくんが言った通りになった……」
上手く聞き取れない小声だった。
カーネリアは美しいがとても純情な人で、そのギャップが俺から見ても魅力的だ。
だいぶ動揺しているのか、徐々に彼女の頬が熱くなっていった。
「ウブなやつだな。ま、身体が温まってちょうどいいか」
「は、離して……こんなの、誰かに見られたら……」
「誰も見てない。もう少しおとなしくしてろ、山は冷えるぞ」
「う、うん……で、でも……。恥ずかしいよ……」
神殿で大切に育てられた彼女と、悲惨な家で生まれてマフィアの手先として育った俺。俺たちは正反対の存在だ。
そんな彼女にこうしてくっついていると、つい悪いことを考えてしまう。
カドゥケスの変態どもに仕込まれた技を、彼女に少し試したらどんな反応を返すだろうか。きっと……冗談じゃ済まないだろうな。
「モモゾウのやつ、遅いな……」
「うん、そうだね……。まだ、戻ってこないかも……」
「大方どこかの木でつまみ食いでもしているんだろう」
「急がなくてもいいよ……。は、恥ずかしい、けど……」
この清らかな存在をこちら側の汚れた世界に引きずり込んでみたい。
性欲や情欲でそうしたいのではなく、汚れた世界があることを聖なる御子様に教えてやりたい。そう思って何が悪い……?
「カーネリアはキスしたことあるか?」
「キ、キスゥッ?! あ、ああっ、あるわけないだろっっ!」
「はっ、アンタはもうちょっと遊んだ方がいいぜ。モモゾウ、隠れてないで出てこい」
「キューッ♪ えへへ……ごめんね、ドゥ。美味しいドングリを拾っちゃっんだー」
「まあそんなところだと思ってたよ」
モモゾウが戻ってきたので彼女の背中から離れ、さあ行こうと手を差し出した。
赤毛の美人は迷った様子で手を重ねて、俺に引っ張り上げられた。鍛え上げているだけあって、結構重い手応えだった。
「ありがとう……だいぶ、温まったよ……」
「さっきのが俺の本性だ。ガブリエルたちの前じゃ、ああいうことはできないからな」
「そ、その話は……も、もういいよ……っ」
「後で話、教えてね、カーネリア」
御子カーネリアに汚れた世界を教えてやりたい。
そう考えてしまう俺はやはり悪党なのだろう。カドゥケスにもてあそばれて育った俺には、背徳もまた盗みと同じく忌避するものではなかった。
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