3-3.決戦前夜 - オデットとの最後の夜 -
「勇者って、なに……」
「ただ人が人をそう呼ぶだけだ」
「あたし、怖い……。あの人たちが、いつかドゥの悪口を言うようになると思うと、あたし凄く怖い……」
「なんで怖いんだ?」
「世界が……今と全然違う形に、変わってしまうから……」
「暗く考えるな、笑え。俺を信じろ」
町に行くつもりだったが、オデットの様子を見て止めた。
町ではなく反対側の道を曲がって、この前ピクニックに行った丘へと歩いた。
「ドゥはどうするつもりなの……?」
「すまん、それは言えない。だが俺たちの計画が成功すれば、ここに戻ってこれる。パーティの続きができるってことだな」
「それ、上手くいくの……?」
「今のところは上手く行っている」
丘の坂道を歩いた。言葉はあまりない。
黙々と道を進み、時々足を止めて遥かな見晴らしを楽しんだ。
ここは俺たちが守った土地だ。
決まった住処を持たない俺たちに、彼女たちがくれたもう1つの故郷だ。
丘を登り切ると、以前に立ち寄った花畑に腰掛けた。
別れの日はこの場所と決めていた。
俺たちはそこで寄り添い合い、夕暮れに入りつつある町を眺めた。
「世界を救った英雄が、これから逃げた臆病者扱いされるなんて、あんまりだよ……」
「俺たちは気にしない」
「あたしが気にするのっ! いっそ、魔王は倒しちゃいけないって、真実を広めちゃえばいいのに!」
「それは止めた方がいいな」
「なんで!? ドゥが臆病者扱いされるなんて、あたし堪えられない……! 悔しいっ、悔しいよ、そんなのっ!」
「魔将バエルが言っていた、人類は詰んでいるってな。真実を知れば、人は絶望を抱えて生きることになる。真実が人の救いになるとは限らない」
オデットの肩を抱いた。
普段大げさに恥じらう彼女は、今日ばかりはおとなしくて、それが余計に俺を不安にさせた。
「別人になっても……いつか必ず、ここに帰ってきて……。あたしにだけ、秘密を明かして……。ちゃんと生きて帰ってくるって、約束して……」
「必ず生きて戻る。ほとぼりが冷めたら化けて戻ってくるよ」
肩を抱き、オデットの手を握ってそう誓った。
誓ってもオデットの悲しみは消えなかった。
彼女が堪えるように目を閉じると、滴となって涙が頬を流れ伝った。
「あたし、あたしね……あたし……」
オデットがこちらを見た。
何かを決意したときの顔だった。
あの凱旋パレードの時のように、彼女の不意打ちの口付けが男の唇を奪った。
悔しそうにオデットはまた涙をこぼして、堪えるように服の袖を握った。
「やっぱり、ドゥが好き……。一方的な憧れなのは、わかってるの……。でも、貴方のことが、大好き……」
「光栄だ。俺もアンタが輝いて見える。異性として好きなんだと思う……」
「でも、カーネリアのことも好きなんでしょ……?」
「彼女のことは今関係ない」
「わかるよ、ずっと一緒に暮らしたから」
どちらも好きだと認めることは不誠実だと思った。
彼女の望む言葉とも思えなかった。
「あたし、平気だよ。ドゥのことを知っているから……」
「俺のことを?」
「ドゥは人と深い繋がりを持ちたがらない。誰かと結婚して幸せな人生を遂げるような人じゃない」
「……確かに。そういうのは想像が付かん」
「本当の意味でドゥを手に入れられる人なんて、どこにもいない。たとえあたしの知らない土地で、カーネリアとドゥが静かに暮らすことになっても、カーネリアはドゥの心を手に入れることはできない」
名前と姿を変えても、お前は変わらないと言われた。
捨てれば別人として第二の人生を歩めると思いこんでいた俺には、痛い指摘だった。
俺は変わらないかもしれない。
苦しむ者が現れたら、付け入る隙だらけの悪党が目の前に現れたら、俺はまた盗みの仕事をするかもしれない。
そしてその道は、伴侶を持つことを許されない孤高の道だ。
「痛いところを突くな……。ま、確かに……オデットの言う通りかもしれん」
「待ってるね、ドゥ。必ず帰ってくるって、あたし信じてるから」
「ああ、筋書き通りには終わらせないさ。だが、誰にも手に入らないと断言するのは、早計かもしれんぞ」
「ぇ……ちょ、待……っ、ド、ドゥ……?」
これで最期かもしれない。
そう思うと迷いはなかった。俺は花畑に倒れたオデットにのしかかり、彼女に触れた。
「俺もアンタが好きだ。アンタほどまぶしい女性は他にいない」
オデットの目が『嘘吐き』と言っているように見えた。
俺は俺の行動で誰かを不幸にするのが怖い。
どちらかを選んで片方を不幸にするくらいなら、両方愛した方がマシだ。
元より俺は社会の輪から外れた存在、道徳なんてクソ食らえだ。
「好きじゃなきゃこんなことしない。俺は、カドゥケスに攫われて餌食にされて以来……。本当は、こういうことが、凄く苦手なんだ……」
オデットは俺を信じた。
信じて受け入れてくれた。
必ず帰ると何度も近い、俺たちは愛を誓い合った。
旅を終え、彼女の元に再び戻れたら、俺は盗賊を辞められる。
その時はそう思った。




