プロローグ4/5.芽吹いたばかりの小さな平穏 - カーネリアとの生活 -
誰かが肩を揺すっているかと思えば、それはあの生真面目な顔をしたカーネリアだった。
「ああ……カーネリアか。ソドムさんとディシムは……あ、いや、違ったな……」
「もう夜だよ、ドゥ。でも君がそんなふうに寝ぼけるなんて珍しいな……」
ここはランゴバルド領の開拓地だ。旅先の野営地ではない。
見れば夕日は西の地平に消えていて、天を見上げれば澄んだ紺色の空に星々が姿を現していた。
「気が抜けたようだ……。それに、アンタの顔を見るのはいつだって旅先だ」
「もっと肩の力を抜いていい。最近の君はとても穏やかで、あの盗賊ドゥとは思えないくらいだ」
「誰かさんのせいで、この国ではもう盗みなんてできないからな。気だって抜ける」
「ごめんね……。僕が君を勇者と祭り上げなければ、消えるのは僕だけでよかったのに……」
「気にすることはない。貧乏くじを一緒に引くやつが増えてラッキーだったと思え」
「うん……考えようによってはとてもラッキーだ。君と一緒なら結末を受け入れられるよ」
カーネリアに手を握られて、俺は純情な女のように震えてしまった。
こういうのは俺に合わない。こういう真面目な男女関係は苦手だ……。
「アンタはそれでいいのか……? 悔しくないのか……? アンタの名誉はどうなる……?」
「僕は名誉のために戦っているんじゃない」
カーネリアは俺の手を離さなかった。
らしくない彼女は席の隣に寄り添って、ぴったりとくっついてきた。
「カーネリア……?」
「オデットに首飾りを自慢された」
「あ、ああ……」
「でも少し寂しそうだった……」
「そうか。そうだろうな」
「羨ましいと思った一方で、僕は浅ましくも幸せだと感じた。君とずっと一緒に居られる僕は、なんて幸せなんだろうと……」
彼女の手を握り返してそれとなく慰めた。
カーネリアはこういう人間だ。だからこそ皆が彼女を愛し、信じる。オデットだってきっとそうだ。
「俺も……俺も少し、その結末を心の底で期待している」
「本当……?」
「盗賊ではない新しい人生。最初は考えもしなかったが、今はそれに憧れている……」
「僕もだ! 僕も……勇者なんかじゃなくて、もっと普通の……普通の女の人生があったんじゃないかって……」
俺たちは互いにうつむき、それぞれが平凡な未来を空想した。
そんな折り、俺はふと思った。
夢のようなこの生活は、あのデミウルゴスの涙がもたらした白昼夢ではないかと疑った。
現実の俺は、まだあの妖精国でよだれをたらして立ち尽くしているのではないかと、急に不安になった。
「わっっ、ど、どうしたんだ、ドゥ!?」
「まだ寝ぼけているような気がして、確かめてみたんだが……夢から覚めないな」
両頬を力いっぱい叩いても、あるのは本物の傷みと、目を丸くさせてのぞき込んでくるカーネリアだけだ。
「ったく、何やってんだ? せっかく良いムードなんだからそこは押し倒せ、ドゥ!」
「お、押し倒っっ?!」
それと、盗賊王のジジィが木陰から姿を現した。
腰には釣カゴをくくり付けていて、右肩には紐で縛った大きな鮭を背負っていた。
「カーネリアをからかって遊ぶな」
「何言ってんだ、お前もからかってるに決まってるだろ」
「なおたちが悪い」
「ぼ、僕たち、そんなことしません……っ。まだ、早いと思います……」
「ガハハハハッ、お前さんはルージュよりお堅いな!」
「ジジィの言うことをまともに受け答えるな。5割が何も考えていない軽口で、もう3割は嘘八百だと思え」
俺たちが席を立ち上がると、ジジィはテーブルにあった藁半紙を拾い上げた。
酷い俺の字を、それはもう楽しそうに口を歪めて見ていたよ。
「上手くなったじゃねぇか」
「人をからかっておいてどの口が言う……」
「いや、僕も上手くなったと思う」
「おう、ギリギリ読めなくもない! いややっぱ読めないな!」
気に入ったそうなので藁半紙はくれてやって、俺はペンケースだけを持って家に戻った。
だいぶ冷えてきたし、中から夕飯の香りがしていたのもある。
「あ、お帰りっ、エリゴルお爺さん!」
「よぉぉーっ、オデットちゃーんっ! ちょいと厨房借りるぜ」
「わっ、おっきな鮭!」
「開きにして塩焼きにするからよ、先に飯食っててくれや」
「大丈夫、手伝うよっ!」
オデットとジジィは波長が合う。
家の中に入ると、ジジィとオデットはまるで親子のように笑い合って厨房に入っていった。
「僕も手伝ってきていいか……?」
「楽しみにしている」
その後の晩餐は、いつも以上に楽しいひとときとなった。
オデットの機嫌がよかったのもあるし、首飾りの件でジジィが散々に騒ぎ立てたのもある。
陽気なジジィと明るいオデットに引っ張られて、俺とカーネリアもつい明るく笑ってしまった。
けれども――時々、カーネリアの表情が引き締まったシラフに戻るのが少し気にかかった。
何かあったんだなと、察せずにはいられなかった。




