プロローグ1/4.芽吹いたばかりの小さな平穏 - 心変わり -
真実を知ったあの日、全てが変わった。
俺たちがジジィと共に帰国すると、ギルモア、ペレイラ王、大聖堂のお偉いさんたちが口を揃えてこう言った。
『よくやった勇者たちよ。だが魔王を討ってはならない。魔王を討てば、あるのは破滅の未来だけだ』
ジジィのあの話は真実だった。
時代時代の勇者に課せられる最期の役目は、全てを捨てることだった。
名も、仕事も、友人も、家族も、魔王を討てば永久に語り継がれるであろう栄光すらも、カーネリアはこれから捨てなければならない。
もし姿を消さず生きようものならば、人々の期待は魔王を討たない勇者への憎悪に変わり、それが不幸な結末を招き寄せる。
だからルージュという先々代の勇者は、『命が惜しくなって男と一緒に逃げた』というストーリーを作り上げた。
俺たちもその模倣をするべきだろうか。カーネリアと共に誰も俺たちを知らない世界に逃げ込んで、そこで平凡な暮らしを選ぶべきなのだろうか。
俺の結論は否だ。そんな結末は気に入らない。
世界を救った英雄が、世界を捨てた臆病者扱いされて語り継がれるだなんて、俺には我慢がならなかった。
・
王都での謁見が終わると、俺たちはあのランゴバルド領・エクスタード市郊外の開拓地に戻った。
そこが俺たちの家だからだ。そこでオデットやプルメリアが待っていてくれるから、俺たちは我が家へと帰った。
「何ぼんやりしてるの! ボクチンの話、聞いてるー!?」
「すまん、全く何も聞いてなかった」
「もーっっ、教えてって言ったのはドゥでしょーっ!」
「だから謝っているだろう。頼むモモゾウ、ちゃんと聞くから、俺に文字を教えてくれ」
いつもならば、短い休暇を過ごして姿をくらます。
だが今回はそうもいかなかった。俺たちはしばらくここで待機することになった。
「しょうがないなー! 見ててね、こうやって……こう書くんだよーっ!」
モモンガのモモゾウが両腕でペンを抱えて、紙の上で踊るように文字を認めていった。俺はそれを見ながら同じようにペンを握り、震える手で字を模倣した。
「普段あれだけ器用なのに、なんで文字は書けないのーっ!?」
「それは……今日まで自分で書く気が全くなかったからだろう……。これは恐ろしく難しい……」
「一生、ボクチンがドゥの面倒を見るわけにはいかないでしょーっ!」
「わかっている」
ここは我が家のテラス、そこに設置された木製のテーブル席だ。
モモゾウの背中の向こうには、青々とした小麦畑と家々が広がっている。さらにその向こうには山々がそびえ立ち、彼方に渦巻く白い雲を抱えている。
「ドゥ……。ねぇ、急にどうしちゃったの……?」
「どうしたとは?」
「どうして、今さら文字を……覚えようとしてるの……? まさか……ボクチンのことっっ、捨てるつもりじゃないよねーっっ?!!」
モモゾウはペンを投げ捨てて、捨てないでと俺の胸に飛び付いてきた。
「捨てるわけないだろ」
「でも……でも、ドゥとカーネリアは……消えなきゃ、いけないんでしょ……」
「やつらの望むシナリオ上ではな」
「そんなの、酷いよぉ……。なんで、今日まで尽くしてきた、ドゥとカーネリアが……」
「モモゾウ」
「なーにっ、ドゥ!?」
「カーネリアとお前を天秤にかけるようなことはしない。いや、どちらかを選べと言われたら、俺は迷わずお前を選ぶ。お前が俺の相棒だからだ」
「ドゥ……ッ、ボクチンも大好きだよぉぉーっっ!!」
あやすようにふわふわの背中を撫でて、字の続きを教えろと藁半紙の上にモモゾウを戻した。
「俺は一生、お前と一緒にいるよ」
「うん……! でも、女の子もちゃんと幸せにしてあげてね、ドゥ」
「そういうのは苦手だ……」
「でも、これが最期かもしれないんだよ……?」
「……わかっている」
シルヴァランドはあんなに冷たかったというのに、こちらはもう春真っ盛りだ。
ミントの香りが混じった風がなびき、遠くの小麦畑では開拓者たちが声を張り上げている。
あのシナリオを受け入れるならば、ここに居られるのもこの休暇で最後だった。
「わっ、凄い! これっぽっちも上手くなってない! 鍵はあんなに簡単に開けちゃうのにさ!」
「オデット、そのセリフは今日で4人目だ」
そこにふらりとオデットが藁のバスケットを抱えて戻ってきた。
バスケットからは長いバケットがはみ出ていて、焼き立ての香ばしい匂いがした。
「あははっ、それってカーネリアとモモゾウくんと、ドゥのお爺ちゃんでしょ!」
「他にいない」
「プルメリアは?」
「今日はきてない。忙しいんだろう」
「あっ、これねっ、今年の小麦で焼いたんだって! 反乱軍の人たち、あの時は敵だったけど略奪はしなかったんだって……!」
オデットがバケットを千切って、それを半分かじった。
それから美しいその黄金の髪を揺らして、着席している俺に身を屈めてパンを差し出してくれた。
俺は受け取り、モモゾウに硬い耳の部分ひとかけらを渡すと、己の口に運んだ。
「ど、どう……?」
「普通だ」
「えーーっ、もうちょっとありがたがってよーっ?!」
「味は普通だが、楽しい気分になった」
モモゾウの食事をオデットと見物した。
いや、ついつい目を細めてモモゾウを見ていると、横顔をオデットに見られていた。
「なんだ?」
「ドゥ、少し、変わった……?」
「俺がか?」
「初めて会ったときはもっと顔が鋭かった。人を拒絶してた。でも、今は凄くやさしい顔。旅先の話、また聞きたいな……」
それを聞いて何を思ったのか、モモゾウがペンをケースに片付け始めた。
それから俺の肩に飛び乗って、耳元にそのくすぐったい毛並みを押し付けた。
「ボクチン、行くね。オデットとお出かけして……っ」
「お、おい……っ、待てモモゾウ……ッ!」
モモゾウは我が家の壁に向けて滑空し、家の二階まで駆け上がると森の方角へと消えていった。
そんなモモゾウの自由な姿が羨ましくてたまらなかった。
「俺もモモンガになれたらな……」
「あははっ、モモゾウちゃんと結婚するっ!?」
「まあ、俺がモモンガだったら、真剣に交際を考えるくらいにはな」
「あたしもモモンガだったら、モモゾウちゃんのお嫁さんになりたい! ……あ、荷物置いてくるね!」
大きく立派なログハウスの中にオデットが駆けていった。
彼女は元気で慌ただしい人で、さほど待つこともなくすぐに目の前に戻ってきた。
荒れ果てた今日までの人生がまるで嘘のように平穏に感じられた。
再三となって申し訳ありませんが、
並行連載作「ポーション工場」の書籍1巻が7/29より発売中です。
パッケージがちょっとエッチですが、中身もエッチです。どうか応援して下さい。




