13.酸の男
あれから4日が経った。
4日が経っても残党からの報復はただの一度もなかった。
それどころか、ヴァンの構成員たちが次々と市民に狩られていっているという報告が入ってくるほどで、俺たちは犯罪組織のあっけない終わりに拍子抜けさせられていた。
人々は報復のチャンスがやってきたと気付くなり、今日までずっと恐れてきた誘拐魔たちに牙を剥いた。
中にはあまり上品とは言えない過激な方法で復讐を果たした者もいた。
ついこの前まで市民を恐怖で抑圧していた彼らが、今は密告に怯えて王都から逃げ出そうとしている。
素性がまだ割れていない者も、恐怖に震えながら過ごしていることだろう。
悪徳の国カサリアと呼ばれた国は、今大きな激動に突き動かされて変化しようとしていた。
だが、俺はどうも納得がいかない。
アシッドという男は謀略の天才だった。その一言で片付けるには、今回の件はあまりに鮮やかで手際が良過ぎた。
ヴァンの抵抗が弱すぎる。
1人くらい俺たちを逆恨みして宿を襲撃してくる者がいてもおかしくないというのに、まったく静かなものだった。
同様に王もまた静かだ。先日謁見した際には、俺たちを潰すのではなくヴァンを切り捨てる方向に転換するかのような口振りだった。
いったい誰があの愚鈍な王を説得したのか、どうもわからなかった。
これならば近日中に魔将討伐のために動き出せる。
だがその前に、俺はあの男を問いたださなければならない。
あの男の背後にいる連中が俺の予測通りだとしたら、俺たちはとんだ道化もいいところだったからだ。
・
個人的な話がしたいので2人だけで会いたいと言づてを送ると、妙な場所を指定された。
「ようこそおいで下さいました、ドゥ様。殿下とアシッド殿が奥の東屋でお待ちです」
よりにもよってあのレーベ小宮殿だ。
つい先日までヴァンの根城だった場所で、アシッドは殿下とやらと共に俺の来訪を待っていた。
やたらに丁寧な小間使いに奥へと通された。
庭園には庭師が確認できるだけでも4人もいて、慌ただしそうに花壇を作ったり、新しい苗木を植えていた。
庭の奥に人が2人立っている。
どちらも迎えるようにこちらへ歩いてきて、その片方はあのアシッドだった。
「それがアンタの表の顔ってわけか」
「ああ、全て君のおかげだ。君がいなければ、こうも上手くはいかなかった」
通称グラス。銀縁メガネをかけた自警団のリーダーがそこにいた。
ただし今は王侯貴族のようにきらびやかなジャケットと、まるで王子がするような略冠を頭にかけていた。
「あらためて紹介しよう。こちらはマーカス・ゴルドフィン殿下。亡き先王のご長男だ」
「俺はアンタと2人だけで会いたいと、そう伝えたはずだが……?」
「種明かしのネタは多い方がいい」
人を騙してきたアシッドにあきれの目を送り、グラスあらためマーカス殿下の様子をうかがった。
自警団のトップは王族。それも前王の長男だった。
グラスの責任感の強さは王族ゆえのもので、彼がヴァンに潰されなかったのは王族の生まれゆえだった。
「席を外してくれ、グラス。これから俺がアシッドする話はアンタが聞くべきじゃない」
「殿下は存じている」
「ああ、知っている。君とアシッドの共通点のことで間違いないのなら」
これまでの敬愛の態度から一変して、俺はグラスを鋭く睨んだ。
俺にとって彼の言葉はショックであったし、とても正しいこととは思えなかった。
弱者を守るための戦いだと、そう信じていたのに。
「すまない、他になかったんだ。彼の誘いを断れなかったんだ。もし、アシッドと出会うよりも先に君と出会っていたら、彼と組むことはなかっただろう」
ふいにアシッドが俺の前に立ちはだかった。
とっさに警戒をすると、アシッドは俺の足下にひざまずいた。家臣が王にするかのようにひれ伏し、頭をたれた。
「盟主よ、カドゥケスの力を借りることがそんなに不服か?」
アシッドは己がカドゥケスの一員であることを認めた。
認めた後はいやに誠実な顔付きで俺を見上げ、そのまま膝を上げようとはしなかった。
「自分を奴隷にしたやつらを許せると思うか?」
「盟主よ、今やカドゥケスは貴方の手足だ。貴方が望めば、あの人攫いのマグヌスは感激にむせび泣いて力を貸すだろう」
「やつはヴァンと同じ人攫いだっ! 人攫いを倒すために、人攫いの力を借りてどうするっ!」
「アシッドは信用できる。人攫いもしないと約束してくれた」
その約束を破るつもりはないだろうなと、俺はアシッドに歯をむき出して威圧した。カドゥケスだと自白した以上、もうこの男とは馴れ合いはない。
「約束しよう。人攫いはしない。危険な薬も扱わない。ましてや子供を生け贄に捧げたりもしない。我々は誠実に、ヴァンの後釜として活動すると約束する」
ヴァンの連中が報復を止めて逃げ回るわけだ。
自警団の背後に、ヴァンよりもずっと恐ろしい連中がひかえていたんだからな。
「言葉だけ聞けば破格の好条件だな。狙いはなんだ?」
「復讐だ」
酸に冒されたアシッドの腕が震えた。
憎悪が彼の目の中に燃え上がり、疑問だらけだった俺に小さな納得をくれた。
「俺はヴァンに攫われた奴隷だ」
「俺の同情を引くために、都合のいい嘘を吐いているんじゃないだろうな?」
静かにアシッドが首を左右に振る。
ヴァンに対する激しい憎悪。それだけは疑いようもない真実に見えた。
「俺たち兄弟は貴族の男に買われた。俺は主人が暮らす屋敷で、弟は炭鉱で働くことになった」
「……肺の病か?」
「いや、俺に酸を浴びせた罪で処刑された。兄の方が顔がよかったから自分が炭坑送りになったのだと、最期まで俺を恨んで死んでいった」
「アンタにはもう1度騙されている。作り話じゃないだろうな?」
「その疑り深さ、それでこそ我らの盟主だ」
幸せとは限らないが、アシッドにも平凡な過去があったのだろう。
それが誘拐という形で破壊され、弟を狂わせ、悲劇を招いた。だからヴァンを倒す。舞台の脚本としてはまあまあだ。
「カドゥケス側からすれば、カサリアから流れてくる奴隷がいなくなればそれでいいのだ。ヴァンを潰せばライバルが減ることになる。そう人攫いのマグヌスを説得した」
マグヌスのやつがよっぽど不快だったのか、アシッドは顔をしかめて言った。
それに対してもういい立てと合図をすると、アシッドは立ち上がり、普段の落ち着いた彼に戻ってくれた。
ヴァンを倒すためにカドゥケスに入り、こうしてアシッドは目的を達成した。
財宝で市民の怒りを煽ったこともそうだが、これがこの男のやり方なのだろう。
「アンタとカドゥケスを信じると言わん。だが約束を反故にしたら、次はアンタがターゲットだ」
「何があっても生まれ故郷は売らない」
「その言葉を信じよう。今だけは」
これで用件は終わった。
背中を向けると引き止めの言葉が響いたが、構わずに俺はレーベ小宮殿を立ち去った。
アシッドとグラスのやり方は俺には理解しがたい。
この方法は新たな災厄を招くことにもなりかねない。
しかし全て否定するのも傲慢だろう。
子が攫われ、親がむせび泣く社会であの2人は生まれた。
あの2人はこの悪夢のような世界を変えたかった。
そして実現した。危険なカードを承知で引いて、人攫いどもに天罰を与えた。
アシッドとグラスは称賛に値する男たちだった。
ここでこの章は一区切りです。
投稿が遅くなりました。すみません!




