10-1.ディシムとソドム - 怒りとは酸である -
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熱狂と混乱。歓喜の嬌声と憤怒の罵声。
王都に沸き起こった大騒動は、それを仕込んだ者からすれば最高の見世物だった。
例えば早朝、用水路で洗濯を始めたら服に美しいガラスがくっついていたとか。水底に何か輝く物が見えたから気になって潜ってみたら、それが金貨で目玉が飛び出たとか。愉快な話がいくつも飛び込んできた。
中には目利きの利く小ずるいやつもいて、水路に沈んだ金貨と銀貨を交換すると持ちかけてくるやつもいたそうだ。
肉屋も、魚屋も、雑貨屋も、弁当屋も、宿屋も、誰も彼もがその日の仕事を投げ捨てて、王都中の水路という水路に群がった。こうなっては都市機能は麻痺したも同然だ。
軽い宝石の類は用水路を抜けて下流の川へと流れてゆき、防壁の向こうの郊外で暮らす農家や馬飼いの手にも突然の幸運となって届いたようだ。
それ遺失品の全てにヴァンは所有権を主張したが、ヴァンを恨むこの国の人々が素直に金や宝を返すはずもない。ヴァンに属する者たちは叫び声を上げて金を奪い取ろうとし、人々はそれを強く拒んだ。
家族、友人、恋人、縁の薄い隣人から何からまで、この国の人間は誰かしらをヴァンに攫われている。人々は今日まで恐れ続けてきた犯罪組織に今強く反抗し、これは自分が拾った物だから絶対に返さないと突っぱねた。
アシッドが立案したこの計画は、人々がヴァンに逆らうように差し向けることが狙いでもあったのだろう。激しい対立が流血や涙、怒り、不幸の数々を人々にまき散らすことにもなったのだろう。
それをアシッドという男は承知の上で遂行した。
ヴァンと自警団の戦いではなく、ヴァンとこの国に暮らす人々の戦いに一夜にして変えてしまった。ヤツは王都中に怒りの炎と油をまき散らした。
金貨の所有権をめぐって、市民がヴァンの構成員を袋叩きにしたという報告まで入ってくる始末だ。
あのアシッドという男は、まさに『酸』そのものだった。
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こうして混乱と怒りに満ち満ちた一日が終わると、その翌日にとある急報が飛んできた。
勇者カーネリアが王都にやってきた。
勇者は魔将バエル討伐の協力要請のために王への謁見を求めている。滞在先は貴族街の一角にあるヘラジカ邸。
わざわざ情報を持ってきてくれたグラスに感謝して、俺は貴族街のヘラジカ邸を訪ねた。
「止まれ、ここは今貸し切りだ」
「貸し切り……? やり方がカーネリアらしくないな」
宿の前を堅物そうな兵隊たちが固めていた。
王の命令を受けてカーネリアを護衛しているといったところか。しかしそれは建前で、実際のところは監視と見るべきだろうか。
「む……もう情報が漏れているのか? とにかく勇者様はお疲れだ、あっちに行け」
「俺はその勇者の仲間だ。ソドム、ディシム、ラケル、ペニチュア、カーネリア本人でも誰でもいいから、ここに呼べ」
「勇者様は王との謁見が済むまで誰ともお会いできない」
「……そうか」
なら忍び込めばいいだけだ。俺は怪しい兵士に背中を向けた。
いや、ところがそこに懐かしくて胸が温かくなるような大声が響いた。
「ヒャハハッッ、何やってんだよドゥ! 早く上がってこいよっ、お前に見せてぇもんがあるんだよ、俺はよぉっ!!」
自称元男のディシムの声だ。
振り返って頭上を見上げると、ヘラジカ邸の窓から品なく身を乗り出して、ディシムは再会を大喜びしていた。
騒ぎを聞きつけてか、その隣の窓から巨漢のソドムさんが窮屈そうに顔を出した。
「ドゥ、久しぶり……」
「久しぶりだ、ソドムさん。相変わらずディシムに付きまとわれているようだな」
「う……」
「おら入れ入れっ、その話なら目んたまおっぴろげて実物を見た方が早ぇぜ、バカ野郎!」
兵士たちは何も言わずに道を開いた。
ディシムの口から『ドゥ』という名が飛び出すなり、背筋を整えるように態度を変える者もちらほらといた。




