2.悪徳の町グリーンネップ
「お客さんお強いですね。ナンは酔い潰すつもりだったようですが、まさかナンの方が負けるとは」
「若い頃から飲まされてたんだ。……しかし、困ったな」
この店主は長い黒髪がトレードマークのやけに若々しい男だった。そんなは彼に俺は軽く苦笑して、それからテーブルに突っ伏して泥酔状態と相成ったナンを下ろした。
少し視線をずらせば、モモゾウが皿の上でひっくり返っていびきを立ててもいた。
「へーき、へーき……。自分で帰れるぅ~」
「せめて顔を上げて言え。どう見たって無理だろ……」
「じゃあ、送ってー……?」
「彼女の家ならばそこの通りを抜けた先です。緑の屋根の一軒家を探せば、そこが彼女の家です」
「わかった」
彼も家まで送った経験があるのだろう。
いつまでもこんなところで寝かせてもおけないので、モモゾウを残りのベリーごと袋に突っ込むと、俺は酔っぱらいを抱えて店を出た。
「気を付けて」
「ああ、そうする」
夕方はそうは見えなかったのだが、夜のグリーンネップは不穏どころではない危険な町だった。
時刻が遅くなるにつれて酒場の客もガラの悪い連中に入れ替わって、彼らがナイフを抜いて己の強さをいちいち誇張するのを何度か見た。
いざ通りを歩いてみれば、この町は家々の戸締まりが異様なほどに厳重だ。
窓に柵を付けたり、高い塀で敷地を囲んだような家も非常に多かった。そしてそんな警戒心の強い家々を見ていると、ワクワクとしてくるのが盗賊の性だ。
厳重に守ろうとすればするほどに、その奥に何が隠されているのか盗賊は気になってたまらなくなる。派手に飾り立てられたプレゼントボックスが、そこら中に転がっているようなものだった。
「おい、オデット――あ。ああ、しまった……」
「オデットォ~? それってだーれぇ~? ニックの彼女ぉ~?」
「いや、大切な友人だ。ただアンタに雰囲気が少し似ていてな。すまん……」
「んふふぅ~……じゃあ、今夜だけ、あたしがオデットになってあげるぅ~♪」
「遠慮しておくよ。それより家というのはそこか?」
「うんっ、泊まっていきなよっ! ここはねぇ~、この国は、すっっごく……治安が悪いの~♪ うちなら、安全だよぉ~?」
治安が悪いと聞いて喜ぶなんて、俺も相当に歪んでいる。
学者のニックというロールさえなかったら、俺は『こういう混沌とした国の方が好きだ』と答えていただろう。
酔っ払いの鍵なんて待っていられないので施錠を解いて、居間に置かれたベッドへと彼女を運んでいった。
「一緒に寝よ~……? オデットがぁ~、してくれないこと、あたしがしてあげるよぉ~?」
「失言だったよ……。誘いは嬉しいが遠慮しておく、悪いがこれから仕事の準備があるんだ」
明日からは仕事が捗りそうだ。
グリーンネップは町を歩くだけで悪党が釣れること確実の良い町だ。
俺はナンをベッドに寝かせると、首根っこに手を回してくる腕を当たり障りなくふりほどいて、それから戸締まりを済ますと二階の小窓から抜け出した。
行き先はさっきの酒場だ。
「部屋を貸してくれ、数日滞在する」
「お客さん、意外に堅いんですね」
「そうでもない」
「では宿帳に」
「わかった。モモゾウ、起きろ」
字は書けない。酒場の店主は寝ぼけまなこで文字を書くモモンガに目を丸くしていた。
「おや……ニックさん、そこにある荷物は貴方のですか?」
「……違う、あれはナンが持っていたバッグだ。やれやれ仕方がないな……」
さっきまで自分たちが座っていたテーブルの真下に、赤くワックスで磨かれたバッグが残されていた。
俺はそれを肩に抱えて早足で店を出た。
千鳥足で歩く酔っ払いたちをかいくぐり、少し駆ければそこがナンの家だ。ノックをした。
「ドゥ……なんか、変かも……」
「ああ、お前がそう言うならそうなんだろう」
玄関の前で中の様子をうかがうと、妙なことに複数の足音や物音が聞こえてきた。
この家はナンの一人住まいだったはずだ。
その物音は酔っ払いの寝返りにしては騒々しく、それが扉の向こうの俺をうかがうように静かになっていったのだから、いよいよ妙だ。
ここはすっごく治安が悪いと、ナン本人がそう言っていたことをふと思い出した。
「モモゾウ、二階の小窓が開いている。中の様子を探ってきてくれ」
「うん、わかった……!」
モモゾウを家から見て斜め方向に投げ飛ばすと、腹膜を広げたモモンガは優美なカーブを描いて2階の窓の奥へと吸い込まれていった。
少し待つと玄関の鍵が静かに鳴った。何もなければ、モモゾウはもう少し大きな音を立てる。
「大変っ、変な男たちが中にいるよ……っ。数は2人っ、奥の部屋に隠れてやり過ごそうとしてるっ」
「でかした」
簡潔にそれだけ伝えて、俺はモモゾウを肩に乗せたまま屋内に突入した。
獲物はナイフではなく、庭に刺さっていた木の杭だ。暗闇の中を突っ込み、奥の部屋の扉を蹴り開くと、まずは片方の頭を闇の中から殴り付けた。
「なっ、何を――グェッッ?!」
そいつらは俺よりもでかいくせに弱かった。1発ずつ鈍器で頭をぶん殴ると、抵抗力を失って床に倒れた。
居間のベッドには手足を縛られ、猿ぐつわをされたナンがいた。涙を浮かべる彼女を解放した。
「ニック……ッ?! ぁぁ……助けにきてくれたんだ……っ!」
「何もされていないか?」
「うんっ! 袋に入れられそうになったけど、ニックが玄関を叩いてくれたから……」
「そうか、よかった……」
こういう時のために細い革紐を用意してある。そいつで悪漢どものに手首と足首を縛った。
オデットに似た雰囲気の女が浚われる寸前だった。俺はその事実に、己の心拍がいつになく乱れていることに気付いた
「て、てめぇぇ……っ、い、痛ぇじゃねぇかおいっ?! ヒェッッ?!」
「俺は、人攫いが嫌いだ」
感情任せに俺は、悪漢の首にナイフを突き付けていた。
しかしそれは学者のニックがしていいロールではなかった。そのくらい、今の俺は頭にきていた。
「て、てててて、テメェッ、お、おお、俺はウーフ兄貴の舎弟のヤーフ様だぞっっ!」
「知らん」
「ああああああっっ?! 止めろ止めろ止めろっ、ギャァァッッ?!!」
首の動脈の辺りでナイフを肌の上でダンスさせてやると、威勢の良いヤーフが静かになった。
その後も悪党の決まり文句を何か言っていたが、聞く価値もないので奥の物置にやつらを閉じ込めた。
「さて、寝るか」
「ぇ……一緒に、寝てくれるの……?」
「ああ、もう宿は取ってある。一緒にこい」
「ニック……ありがとう……。あたし、ニックがきてくれなかったら……」
「浚われて、死ぬ方がマシな目に遭っていたかもな」
恐怖に震えるナンを強く抱き締めた。モモゾウも彼女の方に張り付いてしばらく離れなかった。
その晩はあの酒場の宿に泊まり、ナンと共に夜を過ごした。静かな怒りを燃え上がらせながら、あらゆる手を使って彼女を慰めた。
彼女がやっと安らかな寝顔を見せたのは、冷たく冷え込んだ朝方のことだった。




