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9.それはかじるなよ

 雪国シルヴァランド。その王都の往来は故郷セントアークと比較すると幅広い。建物と建物があちらよりもずっと離れていて、往来の左右には白い雪がうずたかく積み重なっている。


 往来には立ち話をする者もなく、露店のたぐいもまるで見あたらない。

 誰もが厚いコートと帽子をまとい、足早に建物から建物へと渡り歩く。この都の人々は道で立ち止まるということを知らなかった。


「ドゥ、会いたかったよぉ……っ」

「お前は何回同じことを言うんだ。モモシコフ」


「違うよぉーっ、ボクチンはモモゾウだよぉーっ!」

「モモシコフはモモシコフでイケてると思うぞ」


「もーっっ、そういう問題じゃないのーっっ、大事な名前なのーっ!」


 家々から薪の煙が上がっている。

 商店や酒場からは人の笑い声や怒鳴り声も聞こえてくる。往来は冷たく寂しいが、引き替えにここは建物の中が賑やかで温かい。


 なぜわざわざこんな過酷な土地で暮らすのだろうかと、俺はローザたちシルヴァランド人が不思議でならなかったが――その土地にはその土地のよさというものがあるのだろう。


 実際、アベルの店の軒先までやってくると、俺の胸にもホッとするような温かい感情が膨らんだ。

 粉雪の降る薄曇りの空を見上げて、俺はナメられないように表情を引き締めてから扉を押し開いた。


「外は寒かったでしょう、奥の暖炉で温まっていて下さい」

「そうする」


「こちらが終わったらすぐに行きます」

「なら心の準備もしておくといい。物騒な物を見つけた」


 アベルは鋭さのある男だが、接客中は全くの別人だ。今だって柔和な笑みを浮かべて、どこかの屋敷の使用人とおぼしき男にイルゲン村のライ麦粉や毛皮を売り込んでいた。


 店を抜けて住居まで行くと、俺はコートを脱いで膝のモモゾウと一緒に暖炉の前で温まった。


「どうした?」

「ん、んんー……? あの人、ドゥの友達……?」


「アベルか? ヤツを疑いたくなる気持ちはわかるが、今のところは味方だな」

「んー……。あのね、ボクチン……あの人と、どこかで会ったような、そんな気がするの……」


「そうか。お前がそう言うならそうなんだろうな……」


 アベルがくるまでしばらく休んだ。

 温かな暖炉の前でモモゾウを指で撫でていると、急にうとうととしてきた。


 小娘に化けて、人手不足の屋敷でこき使われて、ロッテお嬢様の相手まですることになった。疲れて当然だった。

 モモゾウが代わりに起きていてくれると言うので、俺は誘惑に負けて目を閉じた。



 ・



「そろそろ起こした方がいいでしょうか?」

「うん、そう思うよ。カリカリ……」


 不意に声が聞こえてハッと身を起こすことになった。

 後ろを振り返るとテーブルに腰掛けたアベルと、皿の上で松の実をかじるモモゾウの姿があった。


「すまん」

「気にしません。モモゾウくんが話し相手になってくれましたから」

「ごめんね、ドゥ。でもね、見張ってるって約束はしたけど、起こすとは言ってないよっ」


 こんな姿になったからだろうか。モモゾウにまで子供扱いされてしまった。

 俺は書類の詰まったバックを持ち上げて、テーブルの上にそいつを荒っぽく乗せた。


「約束の物だ。マッカバーン邸の書斎より盗んできた。……ん、どうした、中を見ないのか?」

「……すみません、少し考え事をしてしまいました」


 彼はそう答えてバックを開き、中に詰まっていた書類を取り出すと、素早くそれを仕訳していった。

 ただの直売所の店主とは思えないほどに手早い。アベルはやはりどこか怪しかった。


「いえね……まさか盗賊の力を借りる日がくるなんて、思わなかったので……」

「頼んだのはアンタだろ」


「ええ……あの村を救うには、盗賊ドゥを頼るしかありません。事実、頼って正解でした」

「満足したなら何よりだ。おっと、そいつは丁寧に扱った方がいいぞ」


「何か入っていますね。これは――うっっ?!!」


 丸めた書類をアベルが広げた。アベルは現れた[指]に悲鳴にも近い声を上げて、指をテーブルの上に落とした。

 それが跳ねて、最後はモモゾウの皿におさまったようだ。


「え、なになにー? ピィィェェェェーーッッ?!!」

「モモゾウ、そいつはかじるなよ」


「やだぁーっっ、趣味の悪いこと言わないでよぉーっっ!!」

「物騒な物とは言っていましたが、こういうことでしたか……」

「ククク……。アンタもまともな感性を持っていたんだな」


「当然です、私は貴方ほど悪党ではありません」


 紙束で指を包み直して騒ぎは落ち着いた。

 優秀なこの男のことだ。どういうことか予測は付いているだろう。


「書斎に落ちていたんだ」


 変装をしていたことを思い出し、うっとうしいお仕着せを脱ぎ捨てた。

 それから髪を散らし、布で化粧を拭って、イルゲン村の人たちがくれた粗末な服に着替えた。


「本当に……マッカバーン卿は、人狼だった、ということですか……」

「あるいは殺人鬼のどっちかだろうな。あの書斎は警備が厳しく、部外者が入れるものではない。おまけにあそこでは、新米の奉公人が次々と行方をくらましているそうだ」


 着替えが済むとコートを身に付け直した。

 これは都にきてアベルが俺にくれたものだ。アベルは――確かに怪しいが、悪党とは思えない情け深い人柄をしている。


「俺はいったん村に戻る。俺があっちにいた方がアンタだって安心だろ」

「書類の分析を手伝ってはくれないのですか?」


「俺は盗賊だ、そういうのは向いていない。渡り鳥みたいに町と町を渡り歩いて、悪党から盗んでは行方をくらますのが俺の日常だ」

「悪党……。ですが本当に、貴方が狙った相手が悪党だっと言い切れますか……?」


「そこを突かれると痛いな……。中には善人や、善行を犯しながら悪行を重ねる標的もいたのかもしれない。だからこそ、盗賊王も義賊とは自ら名乗らなかったんだろう」


 残りの松の実をモモゾウごとポケットに入れてアベルに背を向けた。

 このままだらだらとしていたら夜になってしまう。


「盗賊ドゥ、貴方は神にでもなったつもりでいるのですか……?」

「傲慢なのは理解しているさ。だが盗賊王エリゴルが数多くの人間を救ったのも事実だ。エリゴルが失踪した今、ヤツの代わりになれるのは俺だけだ」


 アベルにはやはり裏や闇といったものがある。

 この返答で彼が満足したとは思えなかったが、別にこっちは分かり合いたくもない。俺はアベルの直売所を出て、イルゲン村へと続く往来を歩いていった。


「おい、どこに目をつけてんだよガキ! おい逃げんなっ、わびに財布出してみせろやっ!」

「ご、ごめん、なさい……」


 その道中、気弱な少年を演じて一仕事をした。わざと治安の悪そうな通りを選んで、カモになりそうなヤクザ者にぶつかった。


「へへへ……素直に出すなら別にいんだよ。じゃあな、クソガキ」

「ぼ、僕のお金……っ、全部だなんて聞いてない……っ!」


 この調子ならば小一時間で十分な額が集まるだろう。

 去っていった間抜けの財布から少額だけ残して抜いて、その財布を懐に戻して次のターゲットを狙った。


 盗んで、渡して、騙して、去って。また盗み続けた。

 汚れた金であろうとも、これがローザたちを助ける金になると信じた。



 ・



「イルゲン村? それなら近くまで寄るよ。そうだな、君は軽そうだし銅貨5枚で乗せてあげよう」

「ありがとう、お兄さん……」


「いえいえ、さあ乗ってくれ! 話し相手は大歓迎だ!」


 子供の身体になるというのもあながち悪くない。格安の運賃で交易商人の荷台に乗せてもらうと、残りの道のりは楽ちんで楽しいものになった。


ストックをどうにか確保できました。

遅くなってすみません。

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