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8-1.潜入マッカバン邸 - 再会と忘却 -

 アベルは優秀な男だ。賢いだけではなく、冷たく見えて熱い正義の心を持っている。自分とは大違いだと、あの皮肉屋のアベルに俺は感心してしまった。


 そのアベルが言うには、あの守銭奴の大男、徴税長官パブロには多くの味方がいる。そのうちの1人、悪徳貴族のマッカーバン伯爵が今回の標的だ。


 マッカーバン伯の役職は検地長官。各地の税と経済力を評価する役人たちを束ねるのが仕事で、要するにパブロがイルゲン村に理不尽な徴税を行うために、この伯爵が検地の結果をねじ曲げた疑いがある。

 だから怪しい書類を手当たり次第に盗んでこい。というシンプルだが少し厄介な依頼だった。


『ならば小間使いとして潜入しよう。その屋敷で使っている女のお仕着せ、手に入るか?』

『どこの屋敷でも使われている通常のお仕着せだったはずです、すぐ手配しましょう。他に必要な物は?』


『化粧道具。この顔のまま行くのはまずい』

『そちらなばらすぐにでも』


 化粧道具が届くまでローザの仕事を手伝った。それから道具が届くと変装を始め、俺は未来の自分と盗賊王に少し呆れた。確実に盗みを働くためにとはいえ女に化けるだなんて、賢いとは思うがやり過ぎだ。


『お仕着せが届きました。おや、フフフ……化けましたね』

『手が勝手に動いたんだ』


 化粧は薄化粧になった。俺の体格は13歳前後だ。化粧が濃いと不自然になる。

 服を脱ぎ捨ててお仕着せに着替えると、まあ悪くない仕上がりだった。アベルのところで働く新入りの小僧ドゥとの繋がりは、これで完全に消えた。


『1ついいですか?』

『もう行く、手短に頼む』


『なぜそこまでして盗みを続けるのですか……?』

『はっ、そんなの決まってんだろ。俺は悪党から金を盗むのが楽しいんだ』


『そのことを傲慢だと感じたことは……?』

『ある。毎回だ。だが俺は他の生き方を知らないんだ。尊敬する人に、こうやって生きるように勧められた。俺は――なんでアンタにベラベラと、こんなことを話しているのだろう?』


『それもそうですね。いってらっしゃい、ドゥくん』

『ああ……さった片付けて、アンタに助けてもらった礼を返してやるよ。優雅に茶でもすすって待っていろ』


 俺はアベルを気持ち半分だけ信頼した。己の利益だけを考えれば、こんな危険な依頼を持ちかけてくるはずがない。俺が捕まって真実を吐けばアベルも同罪だ。最悪は処刑される。


 この男のことを認めてもいいと思った。



 ・



 小間使いに変装し、無事にターゲットの屋敷への潜入に成功した。


「最近のマッカーバン伯は気が立っておられる。命が惜しければ礼節を欠かさぬように」

「ありがとうございます、執事長」


「最近は屋敷を辞める使用人が後を絶たなくてな、新入りは歓迎だ。がんばってくれ」

「こんな立派なお屋敷なのに、どうしてその方たちはお辞めになったのですか……?」


「それはそのうち嫌でもわかることだ。今は気にすることはない」


 潜入するなりいきなりきな臭かった。賃金の高い屋敷勤めは人気の職業だというのに、その職を次々と放棄するだなんて普通じゃなかった。

 人手不足の現場は、いかにも使いやすそうな安くおとなしい小間使いの登場を非常に喜んで、マヌケにも疑いもせずに仕事を割り振った。


 しばらくは豪華なガラス窓を吹いたり、床掃除をして様子をうかがった。

 ターゲットは当主の書斎。その鍵を開けることは造作もないが、盗みの時間と退路を考えるとしばらくの観察が必要不可欠だった。


 そんな中、屋敷の娘に声をかけられた。


「ごめんなさい、お仕事の邪魔だったかしら……?」

「いいえ、お嬢様」


「そうっ! ならその……少し、わたくしと話さない……?」

「喜んで。……あの、お名前をうかがってもよろしいでしょうか? 失礼ですが私、この仕事に就いたばかりで……」


「わたくし? わたくしはリーゼロッテ・マッカバーン。貴女は?」

「私はゲルタ。今年14歳になるしがない靴屋の娘です」


 年齢はざっと見て20歳前後、しばらく見ていない青空を連想させるような色合いの長い髪だった。

 当主の娘。これは使える。俺たちは庭に出て、他愛のないお喋りを交わした。


「ゲルタは面白い人ね! わたくし、勇気を出して声をかけてよかったわ」

「いえ、私はただの学のない子供です……」


「そうだわ……。ゲルタ、親愛の証に貴女に見せたい物があるのっ。わたくしの部屋にきてくれるかしら?」

「えっと、それは……。ぜひ喜んで」


 小間使いが次々と消えているという話もある。原因は彼女ではないだろうとうかがったが、そうは見えなかった。同姓の話し相手に飢えている。そんなイメージだ。


「こっちよ! わたくしの宝物、凄いのよっ!」


 自分より大きな彼女に引っ張られて、俺は二階のリーゼロッテの部屋の前まで運ばれた。

 それから自分の部屋だというのに、ずいぶんと慎重に扉を開く。


「モモシコフッ、ダメよ。勝手に出ちゃダメっていつも言ってるでしょう?」

「な、なんだ、そのネズミ……」


 扉の隙間からネズミの顔が生えた。驚きのあまりについ俺は巣が出てしまい、己の口を覆った。


「あっああっ、ああああっ……」

「暴れちゃダメよ、モモシコフ! さ、中へどうぞ」

「あ、はい……」


 よく見るとネズミではなくモモンガというリスの仲間だった。その脱走未遂のモモンガはお嬢様の肩に抱かれて、まるで人間みたいな鳴き声を上げて俺を見ていた。


「ねぇ、その子……泣いているよ?」

「えっ……まあ大変! どうしたのっ、モモシコフ!? キャッ……!?」


 入り口の扉を閉めると、リーゼロッテお嬢様の拘束が少し緩んだ。モモンガはお嬢様の肩から飛び立って、俺の平たい胸に張り付いた。そして、そいつはこう言った。


「ドゥッッ、ドゥッッ、よかったっよかったよぉぉ~っっ!! ドゥは絶対死なないってっ、ボクチン信じてたんだからーっっ!!」

「えっ……貴女が、ドン様……?」


「ドンじゃないよっ、ドゥはドゥだよーっ!!」

「でも、ゲルタは女性……では……?」


 予定外の展開だ。俺は俺の肩にはい上がってお嬢様に抗議をするモモンガのコミカルな姿に、どうしたらいいのかわからず当惑した。ゲルタという偽名を使ったのに、ドゥであるとコイツにバラされてしまった。


「なあ?」

「なあにっ、ドゥ!! ああっ、会いたかった、ずっと会いたかったよぉ、ドゥ……ッッ! もう二度と離さないよ……っ、ボクチンたちはずーーっと一緒なんだからっ!」


「モモシコフと言ったか。お前、誰だ……? なんでモモンガなのに喋れるんだ?」

「ぇ…………?」


 その質問はその小動物にとってよっぽどショックだったのか、たっぷり十数秒も動かなくなってしまった。


「モモシコフ、その方はゲルタ様ですわ。かわいそうに、そんなにドン様と会いたかったのですね……」

「だから、俺はドンじゃない、ドゥだ……」


「あら……?」

「あれっ、あれれれっ、あれーーっ!? なんでーっ、なんでドゥ、ちいちゃくなってるのーっ!?」


 この喋るモモンガのせいでこれからの予定が台無しだ。なので腹いせにその首根っこをつかんで吊し上げてやろうかと思った。


「ふわふわだ……」

「ドゥ……ッ。ボクチンもう二度と、ドゥにもふもふしてもらえないかと思ったよぉ……っ」


 しかし触れてみると癖になる触り心地だ。俺はモモンガの背を軽く爪でブラッシングして、どこかで覚えのある触り心地に眉をしかめた。


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