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6.カドゥケスの奴隷

 夢。最悪の夢を見た。人生のどん底で、俺は自尊心と、純潔と、少年らしいまともな心を失った。

 人攫いのマグヌスの、カドゥケスの奴隷も同然にされた俺は、変態どもの接待の道具にされ、さらにはやつらのおぞましい儀式まで手伝わされた。


 今の俺を作り出したのはあの頃の絶望だ。セントアークの私生児たちの頂点にいた俺は、一夜にして惨めな奴隷以下の獣になり果てた。


「美しい……」

「俺に触るな、豚野郎」


「ヒヒヒッ……ワシが怖いか、ドゥ?」

「そんな感情、もう擦り切れちまったよ。テメェらのせいでな……」


 マグヌスは異常者だ。マグヌスは俺を愛していると言うが、それはきっと本当だ。だがその男は人の愛し方が異常だった。俺が絶望し、闇に染まってゆく姿をヤツは愉悦を浮かべながら見ていた。


「ドゥよ、お前は強い。どんな辱めを受けようともお前は屈服しない。どこまで堕としても憎悪のその目を失わないのは、お前だけだ、ドゥ……ワシの宝物よ」

「いつか殺してやる」


「それこそ本望だ……。お前がワシを殺すほどの悪に染まる日が、ワシは楽しみでたまらない……。憎め、ワシを、お前を救おうともしない大人を、お前より恵まれた環境で育った他の子供たち全てを、憎め、ドゥ!」

「マグヌス、お前は異常だ……」


 マグヌスは俺に悪の英才教育を施した。良心を破壊し、世界全てを憎ませて、彼の信じる【悪のカリスマ】に育て上げようとしていた。屈辱を与えることはそのための手段に過ぎなかった。


「マグヌス、ドゥはいる? 殺しが終わって暇ができたから、少しだけドゥを貸してちょうだい?」

「こ、これは、ペニチュア様……っ。いえ、ですがドゥにはこれから仕事が……」


「二度も言わせないでマグヌス。今すぐ全身が焼けただれて苦しみ抜いてから死ぬ毒を、貴方に盛ってあげてもいいのよ?」

「お、おお、恐ろしいことはお止め下さいっ、ペニチュア様っっ」


「そうだわ。ドゥにも教えてあげましょ」


 毒の技術や調合はペニチュアお姉ちゃんから教わった。誰にも気付かれずに人を暗殺する毒や、身体の自由を奪い拉致するための毒、さらにえげつない最悪の毒の使い方も彼女から教わった。


「いい、ドゥ? どうしても気に入らない人間がいたら殺してしまいなさい。だけど、誰かにそれを気付かれてはいけないわ。貴方にしかできない方法で、確実に消すの。……わかった?」

「わかったよ、ペニチュアお姉ちゃん……」


 怪物たちに魅入られた俺は、新しい怪物として育っていった。マグヌスの狙い通りに富める者を憎み、ペニチュアお姉ちゃんの強い影響を受けて、殺しをいとわない危険な人間に変えられていった。


 ・


 だがそんなある日、ヤツが現れた。盗賊王エリゴルだ。

 ヤツは末端が着るような汚れたシャツとズボンを身に付けて、真っ白なヒゲ面を俺に近付けて荒っぽい笑顔を浮かべた。


 その後は語るまでもない。不死の殺人鬼と人攫いの狂人に魅入られた少年は、盗賊王にまでなんの幸運か気に入られた。

 俺はマグヌスの屋敷からさらわれ、ひょうひょうとした彼の細い背中を追って真夜中の森を歩いた。


「おい、なんで俺を助けた……」

「助けた? わははははっ、俺は自分が欲しくなったものを悪党から奪い取っただけだぜ!」


「わからない。なんで俺なんかを……。俺は汚れていて、心の芯まで腐っている。俺は最悪の悪党だ……」

「俺も悪党だ。気に入らねぇ相手から金を盗み、助けてぇ相手に気まぐれで金を撒いて生きている。頭のてっぺんから足のつま先まで、俺は身勝手な悪党だ」


 エリゴルは変な男だった。義賊として憧れられる英雄像とは正反対に、お喋りで明るくて何よりも自由な人だった。カドゥケスの鳥かごに閉じこめられていた俺には、あまりにまぶしい存在だった。


「俺は義賊になんてなれない……。俺の心は悪に染まっている。俺より幸せな生活をしているやつら、全員が俺は憎い……。俺に手を差し伸べなかった連中全てを、殺してやりたいと思っている……」


 俺を救ってくれたのは、全てを明るく笑い飛ばしてくれるエリゴルの人柄だ。俺のことを気に入ってくれて、この後は息子のように大切に育ててくれた。


「良心が欠落、あるいは著しく乏しい人間のことをサイコパスって言うんだぜ」

「なら俺はサイコパスだ」


「おう、俺もだ」

「まさか、アンタみたいな立派な人に良心がないわけないだろ」


「はははーっ、良心がちょっと人より欠落してるからって、それがなんだってんだ? 世の中には俺たちみたいな正義の心を失っちまった人間が山ほどいる。だが、そいつらの大半は隣人に牙を剥かずに秩序と共に生きている」

「……何が言いたいのかよくわからない」


「ま、要するに善人は俺の後継者にはなれねぇってことだ。自分が悪党であることを知りながら、律することができる人間。それに賢く、何よりずる賢く、身のこなしが巧みで器用。加えてこの世界に、でっけぇ不満を抱えている人間が理想の後継者だ」


 本当によく喋るジジィだった。そのジジィは俺の傲慢な性格を肯定してくれた。おとなしく慎ましかった幼少の自分に戻る必要なんてないと、そう教えてくれた。


「アンタ、頭おかしいだろ……?」

「わはははははっ、お前もな、ドゥ!」


「アンタと話しているとなんだか疲れるよ……」

「よしっ、これからお前に俺の信じる【悪の流儀】を教えてやる! まずは……そうだな、これだけは覚えておけ。俺たちは悪だ、正義の味方なんかじゃねぇ! 気に入らねぇ野郎から金を盗みっ、その金を好き勝手に使ってるだけだ!」


 清々しいほどに迷いのない断言だった。


「お前が嫌なら貧乏人に金を恵まなくたっていい。だがせっかく盗むなら、善人より悪党を標的にした方が心も痛まねぇし、悔しがる顔を想像するだけで気持ちがいいもんだろ? 俺の弟子になるってことは、そういうことだ」


 エリゴルのその思想は当時の俺の境遇とよく馴染んだ。俺は復讐がしたかった。自分を救ってくれなかった世界全ての者へ。


 だがエリゴルはその矛先を、悪党にだけ向けろと教えてくれた。その方がスッとするし、楽しいからだと。シンプルでわかりやすい理屈だった。


「わかったか?」

「はっ、俺が俺の力をどう使おうと俺の勝手だ」


「よしっ、わかったならいい!」

「勝手に決めんなっ、ハナクソ1つ分も理解したつもりはねーよっ!」


「おうっ、ハナクソ1つ分だけわかりゃ上等だ!」


 ペニチュアお姉ちゃんの前以外ではいつだって凍り付いていた自分の頬に、無意識の微笑みが浮かんでいることに俺は驚いて、ヤツからとっさに顔をそらした。


 盗賊王は俺の恩人だ。あのジジィと出会わなければ俺は、マグヌスが生み出した怪物としてカドゥケスにのさばり、罪もない人々を迷うことなく苦しめていただろう。


 だから俺は復讐されて当然――


コミカライズ版「超天才錬金術師」2巻が5月13日に発売します。

本作はエピローグの学園編である1巻の先のアトリエ編から特に面白くなります。

1巻もモンスターコミックの販路が強いのか、書店によってはまだ流通していますので、この機会に手にとってみてくれると嬉しいです。





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