5.少年ドゥと悪い大人
夜になると俺は街に出た。繁華街の方に向かって、街を練り歩きながらカモを探した。
「坊や、綺麗な顔をしているねぇ。お姉さんと遊ばなーい?」
「あっちに行けよ、メス豚」
しかしどっちかというと、繁華街の悪い大人たちにとってカモは俺の方だった。化粧の濃い女が気味の悪い目で俺を見て、鼻息を荒くした。
「口の悪い坊やね! なら5枚でどう?」
「刺すぞ」
「痛っ……まあ怖い、アハハハハッ!」
体当たりをしかけると女は高笑いしながら去って行き、まだガキでしかない俺は自分の目に悔しさの涙が浮かぶのを感じた。
だがやられっぱなしじゃない。俺はあのクソ女の財布をスリ取ってやっていた。
せっかくなのでもう2匹ほど狩ってから場所を変えよう。
俺は繁華街の人混みの中に紛れ込んで、酒で浮かれたバカや、女で夢中で隙だらけのボンボンから財布や、指輪を抜き取って場所を変えた。
「変だな……。なんで、こんなに簡単に……」
路地裏で俺は雪の舞い落ちる空に腕を掲げた。閉じて、開いて、さっきの盗みの感覚を繰り返し思い出す。思い出しながら思った。『スリってこんなに簡単だったか……?』と。
「記憶を失う前の未来の俺は、どんなやつだったんだろう……。こんな技、とても信じられない……。いったいどれだけ盗みの世界に身を置けば、こんな技が……」
欲が出た。裏通りの方に回って、チンピラ風の男と肥え太った物乞いから金を盗んだ。
十分な額が集まった。これだけあれば、あの村の連中はゆとりを持って歳を越せるだろう。俺は突然上達した盗みの技に感動しながら、来た道を引き返していった。
「おい小僧、こんな時間に散歩か?」
「お兄さんたちがいいところに連れてってやるよ」
「ヒヒヒッ、綺麗な顔してるなぁ……? こんなところでうろついてるってことは、お前男娼かぁ?」
アベルの店までもう少しというところだった。
しかし夜中に1人歩きするガキを、悪い連中がほおっておくはずもない。俺は待ち伏せしていたゴロツキども4名に前後をふさがれた。
「違う、俺はスリだ。身体は絶対に売らない……」
「ヒャハハハッッ、そのセリフはひでぇ目に遭ったことがあるやつが言うセリフだろ!!」
「変態どもが好きそうな顔と尻してるもんなぁ……?」
「……取引をしないか。盗んだ金の半分をやる、見逃してくれ……」
俺ではない俺が、口が裂けてもそんなことは言うなと心の中で叫んだ。だが俺は武器を持っていない。なぜか身体は大きくなっていたが、まだ13歳前後の体格だ。こいつらには勝てない……。
「全額よこせ。全額で見逃してやるよ」
「おっ、やさしいなぁ、てめぇっ?」
「違ぇよ。娼館に売るより、また見つけた時に狩った方が美味いだろ?」
「そういやそうだ! あったまいいなぁ、てめぇ!」
悔しい。大人はどいつもこいつもこんな連中ばかりだ。俺のような後ろ盾のない子供から、何もかもを奪い取ってゆく。
強くなりたい。最低の悪党どもに罰を与えられる強い力が欲しい。俺は卑怯なこそ泥だが、こいつらみたいにはならない! 絶対に!
『ひぃぃっ、た、たたたっ助けてくれぇぇーっっ、か、怪物っ、怪物がっ、ああああああっっ!!』
しかし俺の悪運はまだ残っていた。奥の通りから悲鳴が聞こえて、俺はやつらの注意が向けられた隙に包囲から抜け出した。
「あっ、待てガキッ!!」
「待つかよ、クソ野郎っ!」
助けてと悲鳴が聞こえたらどうするべきか? そんなことは決まっている。災難が降りかかる前に逃げる。俺はゴロツキから、さらには怪物とやらから一目散に逃げた。
「じ、人狼ぉぉぉぉっっ?!!」
「嘘だろぉぉっ、う、うわああああーっっ!!」
「た、助け――アアアアアアアアッッ?!!」
雪の振りしきる王都を肺がおかしくなりそうなほどに全力で走った。
その時視界の真上を、大きな何かが人間を抱えて跳躍してゆくのを、見てしまったような気がする……。
ただの悪童でしかない俺は、恐怖に震え上がりながらアベルの店に逃げ込んだ。
息を乱し、涙目になって飛び込んできた俺の姿を、ちょうど店内にいたアベルが不思議そうに見ていた。
「どうしました、ドゥくん?」
「な……なんでも、なんでもねぇ……。なんにも、俺は見てねぇ……」
「ふむ……。そうしていると、真っ当な恐怖心を持った普通の男の子のように見えますね……。怖い目に遭ったようですが、大丈夫ですか……?」
「うるせぇっ、俺はっ、俺は弱いガキじゃねぇ……っっ」
「何を強がっているのです。誰もが最初は弱い子供だったのです。恥じることはありません」
その言葉は半ば予言になった。店内にローザの姿が現れると、俺は幼い頃の自分に戻ってしまったかのように、ローザの胸に飛び込んでしまっていた。
怖かった。あのゴロツキも、あの視界をかすめていった怪物も、怖くてたまらなかった……。
戸惑うローザの赤ら顔が少しずつ俺を正気に戻していった。
悪童時代の俺は、盗みの技に無限の万能感を覚える反面、いつだって悪い大人たちに怯えて生きていた。あの頃の俺にとって、大人は災難や恐怖そのものだった。そんな連中に恐怖を覚えるのは当然だと、もう1人の俺が俺の中でそう認めてくれていた。




