2-2.刑 - イルゲン村と毒舌のアベル -
「ローザ、私です。アベルです」
「あ、はい、ど、どうぞ……」
ずっとうとうととしているとノックが響いて、知らないお兄さんが黒いパンを持って立っていた。そのお兄さんは、なんとなく怖い感じがした……。
「これをお食べなさい」
「え、でも、タダではいただけません……」
「無償でその少年を助けた貴女がそれを言いますか? 食事をしなければ、明日の作業で倒れてしまいますよ」
「ありがとうございます、アベルさん……」
「お、お兄ちゃん、誰……?」
ぼくが声を出すと、そのお兄ちゃんは凄く怖い目でぼくを見た。こんな怖い目をする人、ぼくは初めてだった……。怖い。ぼく、何もしていないのに、どうして……。
「私はアベル。ここ、イルゲン村と契約を結んでいる商人です。ローザお嬢様がどうしてもと言うので、ここまで君を運んできた手前、どうしても気がかりでしてね」
「ア、アベルさん……っ、ド、ドゥが、怖がってます……」
「ドゥ……おかしな名前ですね。ではドゥ、助けた手前事前に言っておきますが、この村はとても貧しい。いつまでもローザの世話になれると思ったら、大きな勘違いですよ」
「こ、こわい……」
ぼくには何がどうなってるのかわからない。ぼくはローザお姉ちゃんにしがみついて、つらい現実から目をつぶった。
「ア、アベル、さんっ、運んでもらったことは、か、感謝、してます……。で、でも、ドゥを、いじめないで……っ」
「お姉ちゃん……。ありがとう……」
「こ、この子、記憶喪失という病気、み、みたいなんです……」
「記憶喪失ですか。厄介者を拾ってしまいましたね。……まあ、ですが労働力にはなりそうです。ここで働かせてやるようにと、お父さんには私から言っておきましょう」
「ね、熱が下がるまでは、わ、私が代わりに……」
「ドゥくん、君はローザに守られているだけですか? この村はとても貧しい。本来は貴方を保護する余裕すらない。そのことを、ゆめゆめ忘れないように」
怖いお兄ちゃんが出ていって、ぼくはあふれる涙と顔をローサの胸に擦り付けた。
お姉ちゃんはぼくをやさしく抱き締めてくれた。やさしく微笑んで、母さんみたいに背中を叩いてあやしてくれた。
「ごめん、ね……。ここ、本当に、ま、貧しい、の……。でも、ドゥが元気になるまで、わ、私が、がんばるから……。早く、よく、なってね……っ」
「お姉ちゃん……。ぼく、お姉ちゃんのために、がんばる……」
僕は今病気だ。病気を治して、早くよくなって、お姉ちゃんに恩返しがしたかった。
ぼくは……ぼくは、ドゥ。ぼくは、なんて、無力なんだろう……。
・
それから食事を2回食べて、またぐっすりと眠ると朝だった。
隣には眠りながらお腹を鳴らすローザお姉ちゃんがいて、部屋にまたノックが響いてあの怖いお兄ちゃんが入ってきた。
「熱は引いたようですね」
「うん……」
「ローザは自分の食事をしましたか?」
「わ、わからない……」
「自分のことだけか。身勝手なやつだ。ではこれを彼女に……言っておくがお前の分はない。これは彼女のやさしさに対する私からの敬意だ」
「ごめんなさい……」
ぼくはアベルからパン詰まった袋を受け取って、お姉ちゃんの枕元に置いた。
「では早速一仕事してもらいましょう」
「ぇ……」
「朝食を食べられると思いましたか? 元気になったからには働いてもらいます」
「い、痛い……っ、引っ張らないで……っ」
あ、あれ……? ぼくの身体、おかしい……。
僕、お姉ちゃんみたいに大きな身体をしてる……。あ、あれ、ぼく、こんなに大きかったっけ……。
「一往復だけ付き合ってあげます。さあこちらへ」
「な、何をするの……? うっ、さ、寒い……」
「北国なのだから当然でしょう」
アベルに手を引かれて、ぼくは雪の中に一本だけ走る道を進んだ。アベルは凄い力でぼくの手を握って、乱暴に僕を引っ張る。少しも僕にやさしくしてくれなかった。
「体力はあるようですね。これならどうにかなるでしょう」
「ど、どこに行くの……?」
「湖です」
ついて行くと凍った湖があった。アベルは湖の氷を割って、水を水瓶ですくって僕の前に置いた。それからもう1度別の水瓶で水をすくうと、彼は自分の頭にそれを載せて立ち上がる。
「動かないで、今から頭に載せます」
「そ、そんなに重たいの、ぼくには無理だよ……っ」
「出来ないようならこの雪の中でのたれ死ぬのみです。あなたの味方は、あのローザだけだということを忘れない方がいい」
「う、うぅ……。わかったよ……ぼ、ぼく、が、がんばる……」
水瓶はぼくにも持てたけど凄く重かった。それに手袋がないから手が凍り付きそうで、ぼくはつらくて鼻水と涙が出てきた。
「どんな罪を犯せば、記憶を失い、そんな幼児退行をしてしまうのでしょうね……。さ、ドゥ、こちらへ」
「う、うん……」
僕は水を運んだ。アベルがあと4往復しろって言うから、その後も1人でがんばった。
逃げ出したくなっても逃げる場所がない。逃げたらローザを困らせてしまう。あのやさしいお姉ちゃんのために、僕は何度も何度も雪の道をいったりきたりした。
「ほらお前の分のパンだ」
「ア、アベルは……?」
仕事が終わると、村の男の人がやってきてパンをくれた……。
「アベルさんはご多忙だ。あの人のやさしさに感謝するんだな、お前あのままじゃ雪の中に捨てられてたぜ」
「……う、うん」
「それが終わったら粉挽きだ。早く食え」
「え……っ、ま、まだ働くの……?」
「ここじゃ働かなきゃ晩飯はない。お前にはローザへのツケもあるだろ?」
「……うん。わかった、が、がんばるよ」
「早くその頭、よくなるといいな……」
パンと一緒に白湯をもらった。
それで堅い黒パンを戻しながらお腹を満たした。ビールと厚切り肉が恋しい。ふいにそう思ったけど、ぼくが父さんみたいにお酒なんて飲めるわけない。
午後は石臼を引いた。ずっとずっと石臼を引いた。
涙が出てきても、行くところなんてどこにもないからがんばった。ぼくは変だ。ぼくは、誰なんだろう……。
無心に粉を挽きながら、ぼくは今のぼくを疑った。
ぼくには、大切な人がいた……。
ぼくは、ひとりぼっちなんかじゃない。大切な人を捜して、守らなきゃいけない。
涙を拭って、ぼくは石臼を引いた。
・
「なんで、こ、こんなに、病み上がりの病人を、働かせるのっ!?」
「ローザ、うちの村は貧しいんだ。それにいいじゃないか、意外に素直で働き者だ」
「もう休ませてあげて!」
「そうもいかん……。また税が上がるらしくてな、村長としてもあの子だけを甘やかせんよ……」
夕方になると外が騒がしくなって、ローザとお爺さんがやってきた。
ぼくはポカンとローザを見上げて、笑顔を浮かべるお爺さんと怒ったローザを交互に見た。
「ドゥくんだったかな。今日は君のおかげでとても助かったよ、ありがとう」
「だからっ、や、病み上がりなのっ! もう少しだけ、休ませてあげても、い、いいじゃないっ!」
「そうなるとローザと代わってもらうことになるな……」
「ぇ……っ」
「どうするドゥくん? ローザに代わって仕事をもらうかな?」
「お父さんっ!!」
「ぼ、ぼく……がんばる……。だいじょうぶ、ぼく、もう、元気だから……」
ローザはぼくを助けてくれた。これはぼくの仕事で、ローザの仕事なんかじゃない。
僕はまた顔を上げて、やさしいお爺さん――村長さんに笑った。ローザはそんなお父さんに怒って、それから悲しそうにしていた。
貧しくて手が回らないのは本当なのだろう。そうもう1人のぼくた言ったような気がした。
「では、日が落ちたらローザが迎えにくる。任せたよ、ドゥくん」
「うん……」
「ローザの焼いたパンは美味しいぞ、ほっほっほっ」
「ご、ごめんね、ドゥ……。私の村、お金、なくて、ご、ごめんね……」
「ううん、ぼく、そういうの慣れてるから……」
そうだ、ぼくは元々、凄く貧しかった……。
父さんが……ぼくの自慢だった父さんが、病気になって、母さんが悪いお店で働くようになって、それからのぼくは……。
そうだ……。ぼくはその後、凄く、凄く、凄く……悪い子になったんだ……。
ぼくは真実の欠片を取り戻して、その日はローザと一緒に夕飯を食べて、つかの間のお喋りを楽しんで、一緒に同じ毛布で眠った。
ローザはぼくの母さんより、やさしくて、きれいで、お風呂に入らないから臭いけど独特のいい匂いがした……。




