愛に飢えたモノたち
『憎い……憎い……』
見通しきれぬ闇の中、悠華はどこから響いているとも知れぬ声を浴びている。
深い、深い、深い闇。
目が開いているか閉じているか、それすら分からない中。反響を繰り返した声は、前後左右上下から波を持って悠華へと届き、声の主に包まれてあるような錯覚さえ覚える。
『妬ましい……妬ましい……』
水中にも似たおぼろげな浮遊感を感じながら、悠華は浴びせられ続ける恨み節を受け止め続ける。
「これって……前にも……」
悠華は浮くに任せて一人呟きながら、身に覚えのある感覚と記憶とをすり合わせる。
「あぁ、そうそう。刺されて、ひどい熱を出したあの時の」
言葉に出して現状を確認。刺されて起きたという原因まで重なった今と過去に、悠華は浮遊感に漂いながら軽く鼻を鳴らす。
『許せない……許せないよ……!』
「そっか、よーするにさっきから聞こえてくるこの声は……」
そして二度も同じような手段で同じ状況に陥った事を理解し、そんな自身へ呆れながらも悠華は周囲から響いている怨嗟の声が何者のものかも理解する。
この状況はヴォルスに心に入り込まれた時と同じ。つまりはヴォルスと繋がっているということである。
今悠華へそこかしこから浴びせられるこの声は、ヴォルスが集めた負の心。智子の心の闇そのものなのだ。
そう理解するのに続いて、悠華の周囲で闇に閉ざされていた景色が開ける。
塞がれていたまぶたが上がるように開かれた景色。
闇を切り取り開けたかと思いきや、奥から現れた拳が視界一杯に埋め尽くす。
一面を塗り潰す焼けるような白。
それが引くや否や、今度は大きな平手が視界を埋める。
ぐるぐると転がる視界。やがて景色の暴走が収まれば、そこには一組の若い男女が。
「あんな小さな子をッ!?」
足音も荒く近づく大きな男女。
その奥には一枚の鏡が。そこに映った景色の中、若い夫婦とおぼしき男女は、揃って幼稚園児ほどの女児を繰り返し叩き、殴る。
苛立ちに歪んだ顔から唾混じりの罵りを吐きかけ、暴力を振るう大人たち。それに悠華は信じられないとばかりに声を上げる。
大人たちから二人がかりで一方的に傷つけられ、女の子の柔らかそうな頬は青黒く腫れて、額にも拳の痕が深い染みとなっている。
素顔が分からなくなってしまっているほど、痣と腫れで歪んだ童女。
腫れの隙間から覗くその目は、振るわれる力と悪意への恐怖と、自身に振りかかる理不尽に対する微かな憎しみに濁っている。
「これが大人のやることだってのッ!?」
そんな虐げられる幼子の姿に、悠華は憤怒のままに声を張り上げる。
悠華には両親はいない。
物心つく前に死に別れた父と母との間に思い出は無い。
しかし悠華には祖母の日南子がいた。
日南子には厳しく困難な鍛練を強要されはしたし、悠華もそれに反発はした。だがそれでも、体も心も出来ないうちから理不尽かつ一方的な虐待で痛めつけられたことは無かった。
だから悠華には物心つかぬうちに、大人たちから虐げられている子どもの痛みなど分からない。心に抱えた闇を真に理解できるはずはない。
だがそんなことは関係なく悠華は激怒した。
たとえ苦しみに共感出来なくとも、目の前に繰り広げられる悪辣な暴虐に怒りを感じてはならないわけが無い。
その間にも、目の前の映像の中で幼児の虐げられる光景がいくつも重ねられる。
それにつれて鏡に映る幼児は少女へと変わっていき、覚えのある容姿に成長する。
やや幼げでランドセルこそ背負っているが、ボブカットの黒髪に派手ではないが整ったその顔は、紛れもなく荒城智子のものであった。
「あの子がらっきーだってーのは分かっちゃいたけど……けどさッ!」
目の前で繰り広げられる記憶の再生。それが智子の虐待を受けてきた過去であるとはっきりと見せつけられて、悠華は予感はしていても拳に力が籠るのを抑えられなかった。
そこで悠華の胸からじわりと黒いものがにじみ出す。
「う!?」
胸から生じたその何物かに、悠華は戸惑い息を呑む。
戸惑う悠華をよそに、額からもまた同じく噴き出す黒いもの。
霧のようだったそれは、揃ってたちまちに獣の爪にも似た形を持ち、目の前を埋める嗜虐心に歪んだ男の顔を薙ぐ。
男の顔を横切る爪痕。
しかし所詮は過去の再生。男が痛みにのたうつことはなく、切り裂かれた追憶のスクリーンはすぐに映像の乱れを整えてしまう。
だが黒い爪は整った記憶の映像へ再び一閃。
しかしその一撃もやはり、虚しくただ一時記憶の画を乱すだけに終わる。
それでもなお悠華から生えた黒い爪は、大写しの男の顔を掻き消そうと攻撃を繰り返す。
いくら裂こうが過去の映像。意味が無いと分かりきっているにも関わらず、黒い獣爪は悠華の意志とは無関係に暴れまわる。
否、本当に意志とは関係ないのだろうか。
悠華が智子の生みの親らしき者たちに感じた憤怒、憎悪。それらは紛れもなく悠華自身の偽り無い心である。
頭と胸からの獣爪は、そうした悠華の殺意にまで届いた怒りに従って動いているだけ。意味無し。無駄。という理屈では止められない、感情のストレートな現れには違いないのだ。
「ああ。今度会うことがあったら一言言ってやろーじゃん? その前にいおりちゃんと一緒に通報してやるけどさ」
その気づきに、悠華は言いながら自身の中から飛び出した憎悪の爪に手を差しのべる。
憤怒のままに荒れる爪は、差し出された手にきづかぬままその肌を掠める。
血の尾を引いて過る爪。だが自身を傷つけたその手応えに、獣爪は戸惑いまごつく。
「気ーにすんなってぇー。暴れまわってて自分がケガしたくらいなんだってぇの?」
すっかり勢いを無くした獣爪に、悠華はおどけ調子に言って手を添える。
それを受けて獣の爪が脅えたように震える。が、悠華は添えた手を柔らかく弾ませ、撫でながら再び口を開く。
「間違いなくアタシはアンタだ。憎しみのヴォルスとして生まれようとしてるアタシの心さ」
ぐずる赤ん坊に子守唄を歌うように、撫で宥めながら柔らかな声をかける。
「あの時は拒絶しちゃったけど、怠け心を写し取ってたアイツも、アタシの一部には違いなかったんだよね」
穏やかな声を重ねる度に、脅えたように震える黒爪は悠華まで傷つけた暴走が嘘のように落ち着いてくる。
「人の負の心につけこんでヴォルスが人の体まで奪う……そう思ってたけど違うんだ。誰の中にもある怒りや悲しみ、それがヴォルスという軸を得ただけ。爆発した感情は人の心を簡単には塗り潰して、体まで支配する……」
そうしてあやしているうちに、黒い獣爪は痩せ細って分厚い毛皮を失っていく。
やがて刃物じみた爪も無くなり引き締まった少女の手に変わると、悠華の腕に開いた傷口を撫で始める。
「ただ拒絶したりはもうしない……アンタはアタシ。アンタの罪はアタシの罪。だからここに居なって。堪んなくなったら一緒に何とかしようじゃないのさ」
悠華がそう言って黒い手を包む。
すると怒りと憎しみ爪だった手は、スルスルと頭と胸へ巣穴へ収まるように帰っていく。
元の鞘に収まった憤怒と憎悪。
その帰宅を迎えるように、悠華は自身の頭、胸と手を弾ませる。
そうしてヴォルスと化し、暴れだそうとした心を受け入れた直後。悠華は今まで目を塞いでいたものが取れたかのように輝いた目を辺りに走らせる。
「そっか! そーゆーこと! ヴォルスってのは、だったら!」
閃きをそのまま、明らかな言葉に固める前に口に出す悠華。
その輝く目の前では、黒いものを抱き上げる智子の姿が。
まるで布に包まれた赤ん坊のような黒は大きな蛭。
鱗の肌をもち、色合い定まらぬ粘液を染み出させるそれを、智子は我が子のように抱いて胸の内へ招き入れた。
サイコ・サーカスの、またはヴォルス誕生の瞬間らしいそれを認めると、悠華を取り囲む暗い景色が夜明けの色に染まり始める。
昇り来る太陽の先触れに輝く山の端。その輪郭を描く山吹の色。
輝くようなそれが辺りの暗黒を塗り替える中、悠華は自身の意識が浮上していくに任せて目を閉じる。
そして再びまぶたを持ち上げた時には彩りの異なる光が薄幕となって目の前にあった。
その薄幕を透かした向こう。そこには傷つき倒れた梨穂と鈴音の姿が。
「いいんちょッ!? すずっぺッ!?」
身を守る心命力を織り合わせた魔法の衣を裂かれて倒れる二人。その傍らに転がる水の魔傘は破れて、風のメイスは半ばからねじ曲がり折れている。
そして鈴音の左腕と右足、梨穂の右腕も曲がってはいけない所から折れ曲っている。
『悠華……目が、覚めたのか……ッ?』
そんな仲間たちの有り様に思わず声を上げる悠華。
するとそのすぐ傍から耳馴染んだ声が。
「テラやん!?」
どこか苦しげなその声に相棒の名を呼びながら視線を向ける。
仲間たちから切り替えて目を向けたその先。そこには薄い光の幕を足場に伏せて苦しげにうめく獅子に似た大地の竜。
「どーしたんテラやん!? 何があったんッ!?」
歯を食い縛り、顔をしかめるテラと倒れた仲間とを見比べて状況、容態の説明を求める。
『オイラの事は、何が何やら……悠華が目を覚ますすぐ前から急に、苦しく……うっぐ……!』
「ちょいと、しっかり!?」
苦しげに声を絞り出すテラ。
恐らくは悠華がヴォルスと化しつつあった憎しみの心すらも、ありのままに受け入れたために起きた変化なのだろう。
受け入れ難い型の心命力。テラにとって毒にすらなりうる異物に対する苦しみ。
悠華はそんな相棒へ飛び付くように手を伸ばす。
瞬間、悠華たち地組のすぐ傍へ落ちてくる赤。
「みずきっちゃんッ!? フラムも!?」
薄い光の防護幕越しに落ちたのは果たして、ぼろぼろの巫女服に身を包んだホノハナヒメとフラムの火組であった。
「うう……悠、ちゃん?」
肩や腕、腿の傷から血を流して、明らかに満身創痍な風体のホノハナヒメは目を覚ました悠華の姿に微笑む。
『クフフフハハハハ……少しは楽しませてくれるかもしれないと思ったが、こちらの見込み違いか』
そんな弱々しい笑みを見せるホノハナヒメへ投げかけられる嘲笑。
悠華がその笑い声を辿って顔を上げれば、そこには蛭を土台に頭と尾を重ね連ねた異形の塔が悠然とそびえている。
『……あれはヴォルス・エイバン……みんな、あいつに立ち向かったけど、あっという間に……』
「なーるほどねー。アレがいわゆる親玉ってーやつね」
テラの苦しみを堪えながらの説明に、悠華はヴォルス・エイバンから目をそらさずにうなづく。
続いて悠華たちを包んでいた光の幕が消え、悠華は遠目ながらヴォルスの中核と直接対峙する事になる。
『ま、待ってくれ悠華……無謀だ! それに、オイラがこの状態じゃ、変身も……』
無造作に踏み出す進む悠華を、喘ぐように引き止めるテラ。
「だーからって、やらないわけにはいかないっしょ?」
しかし悠華はそんな相棒の心配などどこ吹く風と言わんばかりに、軽い足取りでさらに前へ。
続いて悠華の右拳に灯る輝きが強まると、同時にテラの体にヒビが入る。
『うっおぉッ!?』
自身の体から上がる硬質な音に、テラが眦の切れんばかりに目を見開く。
その苦痛と驚きの声をよそに、地竜の甲殻にできた割れ目はみるみる内に走り広がる。
「テラやん!?」
『あ、兄様ぁッ!?』
テラに起こった変化に悠華とフラムが声を上げる。が、全身をヒビ割れさせたテラは石像のように固まると、亀裂の下から光を覗かせ、爆ぜる。
『あ、ああ……?』
内側から高まる力に負けたように爆散、崩壊した地竜。鼻先へ飛んできた甲殻の破片。慕って止まない長兄の断片に、フラムは起こしかけた体をその場に横たえる。
『う、ぐぐ……なんだってんだよ今のは』
しかしフラムがショックのあまりに倒れた一方、対照的なまでに間の抜けた声が爆心地から上がる。
粉塵となって散る甲殻と鱗の残滓。それらが流れ散った後に現れたのは、砂埃のように漂う粉塵に咳込むテラであった。
『兄様ぁああッ!?』
爆散したかと思いきや、何事もなく健在であった長兄の姿に、フラムは潤んだ目を燦然と輝かせる。
その輝く目を受けるテラの体は、爆発前よりも一回り大きく逞しいものに変わっている。
さらに何より目を引くのは、厚みを増した甲殻の内、腰や肩から生えたオレンジ色の水晶錐。
そしてまた、同じく厚みを増したたてがみ状の宝石甲殻を皮切りに、装甲を黒のラインが縁取る。
朽木や虫、獣の遺骸や排泄物。それらを分解、熟成変化させた命に富む森の土の様な黒。
それはまさに、死や穢れすらも受け入れ取り込む深みの象徴。
『これは……? オイラにいったい何が!?』
そんな黒に甲殻の輝きを強調された体を見回して、テラは自身の変化に戸惑いの声を上げる。
恐らくは悠華の心の変化に合わせて、劇的に成長、変化を果たしたのだろう。
「おぉう、テラやん超進化ってヤツ!?」
が、戸惑う相棒をよそに、悠華はその変化を楽しげな笑みで祝う。
『まさか、ちょっと脱皮が派手だっただけさ』
パートナーの言葉に落ち着きを取り戻し、苦笑で返す。
「ほーんじゃ、いけそーかねぇ?」
『ああッ! もう大丈夫、前より調子はいい位だッ!!』
「上ッ等!」
テラの気力溢れた返事を受けて、悠華は右拳に輝く契約の法具を左掌に叩きつける。
「変……身ッ!!」
本日は二話連続更新です。
ゆうかGも明日が最終回。どうぞ最後までお付き合いください。




