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不穏な号砲

『逃がさん! 逃がさん!』

「たたみかけろぉ!」

 グランダイナが殴り飛ばした敵を、弾み調子に追いかける鈴音とウェント。

「逃げる、っていうか……」

『吹っ飛ばしたのはこっちだよぉ……』

 先行する風組の言葉を、火組が苦笑混じりに訂正する。

 そうして行け行けと飛び出して行く鈴音たちに残る仲間たちが続く。

 砕けたガラスドアを越え、契約者たちは雨の弾ける駐車場へ。

 気流をバリアとして降り注ぐ雨を弾く鈴音とウェント。

 その左後ろには一人青い傘を差した梨穂が。

 ホノハナヒメも晃火之巻子から伸ばした炎の帯を頭上に、雨粒を蒸気に変えている。

 そして雨を防ぐ手段を何も持たないグランダイナも、親友が余分に伸ばした炎の帯の恩恵を受けている。

 各々に雨に濡れるのを防ぎながら身構える契約者たち。

 その正面。ずぶ濡れのアスファルトの上にはヴォルス・ハヌマーンが仰向けに倒れている。

 降り注ぐ雨を体表面に弾けさせながら、微動だにしない六腕の異形。

 嫌に耳に障る、地を叩く雨の音と、火に触れて水蒸気へと弾けて消える音の二重奏。

 そればかりが異様に目立つ不気味な静けさの中、慎重派のホノハナヒメのみならず、意気揚々と飛び出した鈴音でさえも踏み込めずにいる。

 固唾を呑み、ジリジリと焦れるままに前進する鈴音。それに引かれるようにチーム全体が進む。

 やがてほんの数歩。強く踏み込めば一息に詰められそうな場所にまで間合いは縮まる。

 それでもなお、無防備に雨を浴び続けるヴォルス。

 料理されるのを待つだけと言わんばかりの無防備さは、むしろ攻撃を誘っているかのようで。仕掛けさせることをしない不気味な壁を形作っている。

「……あの一発で終わってたって事かなぁ?」

 そのあまりの無防備ぶりに、鈴音は楽観的な予測を口に出す。

「……確かにあの感じ、悠ちゃんのパンチは完全に入っていたけれど……」

 だが鈴音の都合の良すぎる考えに、ホノハナヒメは首を左右に。そして、残る仲間も同意見だとばかりに唸る。

『杖による浄化もなしに決着というのは……』

「考えにくいわよね」

 低い唸り声に続いてマーレと梨穂も、ホノハナヒメの言葉を継ぎ足す形ではっきりと意見を口に出す。

「……だよね?」

 鈴音はそんな仲間揃っての否定に素直に意見を翻す。

 もともと自分でも甘すぎると考えていたのか、あっさりとしたものであった。

 そうして鈴音がうなづくと、不意に今まで微動だにしなかったハヌマーンの体が震える。

 反射的に身構える少女と竜たち。

 しかし緊張に強張った一同を前に、震えたヴォルスは立ち上がること無く溶け始める。

「と、溶けてるッ!?」

 異口同音に重なるがく然とした声。

 そう。猿と半獣半人のヴォルスの体はどろどろと溶けだしているのだ。

 まさに雨を浴びせた泥細工のようにその形を失っていくヴォルス。

 そのまま黒い粘液になって体中に絡みついていた泥と共に広がり流れ、消えて失せる。

「消えたッ!?」

「逃げられたのッ!?」

 今の今までヴォルスが倒れていた場所へと駆け寄る四竜とその契約者たち。

 声を上げるグランダイナと梨穂を始め、溶けて消えた敵の姿を求めて視線を巡らせる一同。

 しかしホームセンターの駐車場では雨粒が弾けてしぶくばかり。

 傘となっている炎の明かりが辺りを照らしてはいる。が、雨を含んだ分厚い雲の下の作る闇を押し返すほどではない。

「……って、ちょっと待って……いくらなんでも暗すぎない?」

 その異様なまでの暗さに、グランダイナの目が怪訝な光を灯す。

 いくら雨が降っているとはいえ、まだ陽が落ち切る時刻ではない。

 しかし、今契約者たちの周りを包んでいる闇はまるで人里離れた山か森の中、それも新月か曇り空かと言うほどの深さだ。

 雲越しとはいえ太陽のある時間。しかも町中で、グランダイナの強化された超視力がそれほどに深く感じる闇が立ち込めるのは、明らかに不自然である。

「そう言えば、いつの間にこんな……!?」

『こんなのありえないよぉッ!?』

 グランダイナの言葉で闇の不自然な濃さに気づいた仲間たちが辺りを閉ざす分厚いものへ改めて目を向ける。

 契約者たちを閉じ込めるような分厚く濃密な暗さ。その奥から響く重く蠢くような音。

 それに四竜と少女たちは背中あわせに身を寄せ、忙しなく音の出所を探す。

 すると不意にグランダイナの正面の闇から黒いものが滲み出す。

「う、おッ!?」

 思わず呻き、身を引く黒いヒーロー。だがその背中と後ろ腰は低い位置にあるモノにぶつかる。

「っとぉ?」

 衝突に振り返るグランダイナ。振り向き見た背中はホノハナヒメを始めとした仲間たちと密着。そして同じく振り返っていた仲間たちの向こうにはグランダイナと同じように闇が形を持ったようなモノが現れていた。

 闇の壁から生えて空を掻く、人のものに似た腕。

 その付け根から肩、続けて頭と胴。そして足と逆の腕といった順番で、その腕の持ち主が四方から姿を現す。

 闇から現れた黒々としたそれは猿のもどき。

 痩せぎすな矮躯に、赤い目を飢えに光らせた人に似た怪物であった。

「こいつらッ!?」

 後ろも塞がれていることに気づいた一同は、正面へ向き直りそれぞれの目の前にいる猿を攻撃。

「さっきのヴォルスの手下なのッ!?」

 振り向きざまに殴り倒すグランダイナの後ろで、浄化の炎を放つホノハナヒメ。

「あるいは分身かもしれないわね!」

「とにかく敵ってことでしょッ!」

 その一方で梨穂は広げた傘を左手に、右手の中に生みだした氷剣で切り伏せ、鈴音は振り下ろした風のメイスで黒猿を脳天から叩き潰す。

 契約者たちの一撃を受けて、黒猿の怪物は先のハヌマーン同様に黒い粘液となって溶けて消える。

 しかしそれも束の間、すぐに次の猿が闇の奥から姿を現す。

 飛び付いてきたそれもまた、一撃の元に粘液へと変わる。

 だが迎え撃ったその直後に、次の黒猿が躍りかかる。

『キキギャギャ!』

 それぞれに振るった腕や武器に組み付き、奇声を上げて爪を立ててくる化け猿たち。

 噛みつき、牙まで突き立ててくるそれを振りほどこうと、契約者たちは身を捩る。が、組み付いたその上にさらに重なるようにして、次の化け物が飛び付く。

「こいつらッ!?」

 十二匹、十六匹、さらに二十匹と、四方八方から殺到する化け猿。

 背中合わせに固まって四方を警戒していたのが逆に仇となり、退くことの出来なくなった少女たち。それを埋め潰そうと、黒い猿は現れた端から飛び付き続ける。

 先ほどのグランダイナによる土かけの意趣返しだとでもいうのか、執拗なまでに重圧を重ねる化け猿に、契約者たちはもはや満足に身動きを取れなくなっていた。

『こうなったら……一か八かで、ウェントッ!!』

 契約者と共に押し潰されながら、テラは絞り出すように風を司る弟の名を。

『お、おおッ! 鈴音!』

「うぅ、あぁあああああッ!?」

 長兄の声を受けたウェントに促され、叫ぶ鈴音。

 その直後、鈴音と彼女が握るメイスから風が爆発。

 渦巻き膨れ上がった風は、もはや闇の壁との間を埋め尽くしていたであろう化け猿たちを吹き飛ばす。

『頼んだフラム! マーレ!』

『兄様の為なら!』

『言われずともッ!』

 組み付いたままに千切れた黒い手足。それらを残して猿が飛ぶ中でテラが号令。それに、残る二名の弟妹も口々に返事と共にその司る力を息吹(ブレス)にして吐き出す。

 爆風が残した気流に乗って渦巻く炎と冷気。

「斬り裂けッ!!」

「罪穢れを退けたまえ!」

 続けてその中心部から円を描くように放たれた水流が、粘りのある闇を一閃。さらにその傷を押し広げる形で、浄めの炎による結界が闇を追いやり退ける。

『悠華、この辺りを包む暗黒の壁そのものが……!』

「ヴォルスだってーことねッ!!」

 炎の結界が作り出した空間の中、グランダイナはパートナーの言葉を半ばからかっさらうようにして応える。

 溶けて消えたように見えたヴォルス・ハヌマーンであったが、拡散してグランダイナらを包囲。自身の内側に閉じ込めて、消化吸収するようにじっくりとこちらを抹殺するつもりだった。というのが、テラとグランダイナのたどり着いた推測である。

 その推測を打破するべく、グランダイナは高々と足を掲げる。

 百八十度近く股関節が開き、頭のさらにその上で静止する足。

「ヤアァッハアアアアアアアアアッ!!」

 その先、心命力が踵に灯ると同時に縦一閃。

 真一文字に空を割った輝きは、隕石の如く地に落ちる。

 地響きを轟かせ広がる波紋。それはまさに星が空を越えて落着した時のもの。

 爆発して広がったエネルギーは、水と炎が作った裂け目を楔にして、闇を力任せに抉じ開ける。

『うぎ!? ぎぁあああああああああッ!?』

 押し広げられる闇の中に響く大音声。

 苦悶の絶叫は鐘の内のように全方位に反響、増幅を重ねる。

 もはや発生源さえ埋めるほどに膨れ上がったそれに、グランダイナらは痛みを堪えるように耳を塞ぐ。

 その内に引き裂かれた闇はねじくれるようにして一点に収束。雨の中に黒々とした塊を作る。

 濡れたアスファルトに膝を着き、うずくまる白。

 果たしてそれは溶けて消えたはずのヴォルス・ハヌマーンであった。

『お、おのれぇえ……』

 食い縛った口の端から黒い滴を溢しながらの唸り声。

 真ん中の腕で押さえられたみぞおち。被せられた手のひらの奥からは、口から漏れているのよりもさらに粘りを含んだものが脈打つように溢れだす。

『ごふッ!? よ、くも……よくもッ!』

 咳き込み、黒ずんだ唾を散らしながら、ハヌマーンは下の腕を支えに立ち上がる。

 腹を内から蹴破ったと見える傷を抱え、ふらつきながらも立つその姿に、契約者たちは油断無く構える。

 拳や杖を前に、戦闘体勢を解かぬグランダイナらへ、ハヌマーンはその目を憎悪に燃やしながら足を踏み出す。

 致命の負傷も明らかな満身創痍ながら迫るヴォルスに、グランダイナたちもまた摺り足に前進する。

 敵の捨て身の攻撃を警戒、逆に先んじて封じる機も窺って対峙する契約者たち。

 そのまま双方から間合いを詰めて彼我の距離が短くなるにつれ、その間にある空気が凝縮されるように張り詰めていく。

 充分に膨らんだ風船のような手応えさえ錯覚させる狭間の空気。

 そんな質量さえあるような空気を挟んで、両者は一定の距離を保って対峙。そこから互いに視線を外さぬまま音を立てて唾を飲む。

 互いに動かぬままの睨み合い。

 やがて黒い液を流すヴォルスの口の端が吊り上がり歪む。それを引き金に、契約者たちとヴォルスの間で空気が許容量を越えたように破裂する。

『うぉああああああああッ!!』

 笑みから一転しての猛々しい叫び。それに合わせて腕を振り上げるハヌマーン。

 が、その叫びの勢いのまま猿の腕が向かったのは、自身の黒く汚れた胸当てに隠された乳房の下。黒い濁りを吐きだす、みぞおちに空いた風穴であった。

「なッ!?」

 敵の意外な行動。それに驚き、目を大きくする契約者とそのパートナーたち。

『ごぼ!? あ、がぁあ! あぁあああああああああッ!!』

 堪らず動きを止めたグランダイナらの前で、ハヌマーンはこみ上げる濁りにむせながら、指を突き入れた傷口を広げていく。

 広げられた傷跡から溢れだした黒い濁りがヴォルスの足元に弾けて水音を立てる。

 濡れた地面にさらに水気を注いだそれは、雨に混じって流れて広がっていく。

 血そのもので無いにしろ、自身を構成している要素を吐き出し捨てるその行為は、控え目に言って自殺同然である。

 そんなヴォルスの顔には誤魔化しようの無い苦悶が。しかし同時にその苦しみの中にあっても潰れない確かな笑みがある。

「なんのつもりでッ!?」

 その笑みに気づいてグランダイナが踏み込む。

 だが反応こそ出来たものの僅かに遅かった。

 グランダイナの手が届くよりも早く、ハヌマーンは自ら胸の風穴から己が身を引き裂く。

 黒い濁りを散らして仰向けに倒れていくその顔は、契約者たちへ深々とした笑みを向けている。

 伸ばした手をそのままにブレーキをかけるグランダイナと、その後に続いて駆け寄る仲間たち。

 それを前にして、自ら引き裂いたハヌマーンの体は、水気を含んだ音を飛沫と共に上げ、水たまりへ落ちる。

 直後、仰向けに倒れた六腕の雌猿の体が膨張。

 爆音と共に弾け飛ぶ。

今回もありがとうございました。

終章更新ラッシュはまだ続きますよ!

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