灯火を背負って
「あぐっ!?」
とどめをさした。そう思って緩んだ瞬間を襲う一撃。
侮り、残心を怠った悠華の鋼鉄の仮面を、暗い色をしたアイアンクローが握り締める。
「そんな、あんだけめった打ちにしたのに……!?」
仮面の奥で呻く悠華。その首へ逆の手が素早く伸び、指を絡み付かせる。
「が……!?」
首にかかった指が食い込み、呼吸を妨げる。
そして怯んだところで、ヴォルスは悠華の頭と首を掴んだまま、不定形の粘土へ変化。黒い装甲の表面を這いずって悠華の頭上に回る。
「う……ぐ……」
首を持つ両手はそのまま、悠華におぶさりのし掛かるヴォルス。
その足は悠華の両腕に絡み付き、振りほどく事を許さない。
「宇津峰さん!」
しかしそこへ投げ込まれた炎が、再びヴォルスを直撃。
身を焼く火炎に悶えるヴォルス。そして拘束が緩んだ隙を逃さず、悠華はまとわりつく闇色の四肢を力任せに振りほどく。
「っせいやッ!」
引きちぎるようにして剥がした勢いのまま、悠華は掴み返したヴォルスを放り投げる。
投げ飛ばされたヴォルスは宙を横切ると、激しい音と水柱を上げて海に消える。
「……やば、まずったかも」
とっさの事とはいえ、敵を姿の隠せる場所へ投げ入れてしまった事に、悠華は苦々しい声色で呟く。そして不意にエネルギーラインの輝きが弱まり、支えを取り外されたように膝を着く。
「……あ、ありゃ? ち、力が入らなく……」
片手片膝を支えに増やして、悠華は身を包むアーマースーツの重みに耐える。
「なんだってこんな……急に、体が重く……」
陸に打ち上げられたクジラよろしく、自重で崩れそうな体を支える。
そこへ砂を蹴ってテラが駆け付け、悠華と海との間に割り込む。
『さっきので力を使いすぎたんだ! ここはオイラが時間を稼ぐから、なんとか回復をッ』
テラはそう言ってヴォルスの消えた海へ視線を走らせる。
『それにしたって、なんだってこんなに消耗するんだ……オイラも、なんか体が重いし……』
海からの襲撃を警戒しながら呟くテラ。その言葉通り、体を支えている四肢も重たげだ。
「充分に心の力が高まっていなかったからよ」
その疑問に答えるいおりの声。
「心が、高まって無いから?」
その声に悠華が振り返り、オウム返しに繰り返す。するといおりは梨穂を抱えたまま頷き、口を開く。
「私たち契約者の源は心。要はテンション! 高まったテンションを一撃一撃に込めなさい! 高めた心の力が命と重なり、契約した幻想種の……そして自分自身の力となる!」
「そ、そんな精神論で、なんとかなるんですか!」
「なるわ! というより、私たちは病は気からを体現した精神論の権化。信じなさい! そして迷いなく立ち向かいなさい!」
「いきなりそんなこと言われても……」
疑問の声を吹き飛ばすように力強く応えるいおりの教え。
そこへ海を割り飛び出す青黒い影。
『やらせるかッ!』
対してテラは辺りの砂を巻き上げ、襲撃者へ叩きつける。
横殴りの雨か吹雪の如く敵を迎え撃つ砂塵の嵐。その弾幕に敵が怯み、壁にぶつかったように突撃の勢いを失う。
宝石のたてがみを開いて砂嵐を起こしながら、テラは片手片膝をついた悠華へ振り返る。
『悠華、今の内に体勢を整えて!』
敵の進撃を阻む弾幕を緩めず叫ぶテラ。
「う、うう……!」
それに応えようと悠華は四肢に力を込める。
「……うぐっ!」
しかし二mを超える巨体と重厚なアーマーによる自重を押し返すことができず、その場に崩れる。
その脇をすり抜けて、炎の矢が砂の弾幕に混じってヴォルスへ飛ぶ。
「譲れないもののことを思いなさい! 今立てなければ宇津峰さん、あなたの命も奪われるわ!」
二発、三発と激励と共に炎が空を奔る。
テラといおり。両者二人がかりで弾幕による時間稼ぎに奮闘する。
しかし二人の健闘も虚しく、火の混じった砂塵を割って大きな人形が姿を現す。
硬質な青黒い甲殻。
蟹を思わせるその端々から、魚のヒレに似た物が縁取るように備わっている。
両腕には分厚いハサミ。
流線形の頭も甲殻に覆われ、魚とカニのあいのこめいたシルエットを描く。
ヴォルス・クラブと言うべき姿へ転じたヴォルスの尖兵。クラブは甲殻に覆われた二本の足で砂を蹴散らし、悠華へ向けて突進。
「う、ぐぐ……」
呻き、身構えようと悶える悠華。しかし圧し掛かる重圧をひっくり返すことができず、身動き一つとることはできない。
『クソッ! 悠華ぁッ!』
「立ち上がってくれ!」
クラブの突撃を牽制しようと、テラといおりは弾幕の厚みを増す。が、クラブは分厚くなった砂と炎を甲殻で弾き飛ばし前進。逆に勢いを増して弾幕を振り切ろうとさえする。
だがクラブは砂を蹴る勢いをそのままに悠華の横をすり抜ける。
「な……ッ!?」
驚きの声を漏らすダイナ鎧の悠華。そうして振り返った悠華の目に、いおりたちへ迫るヴォルスの背中が映る。
「しまった……ッ」
息を呑むいおり。その腕に抱えられた梨穂と合わせて狙い、ヴォルス・クラブがそのハサミを伸ばす。
いおりの投げ放つ炎。それを弾きながら、大きく開いたハサミが迫る。
炎を照り返す鋭い爪先。ぎざつくその間へ無力な獲物を今納める。
だが打ち合わせ、固い音を響かせたハサミの間に、いおりの体は無い。
「う、ぬうぅううッ!」
「宇津峰さん!?」
『悠華!』
クラブの腰を抱いた悠華が突撃を制止。いおりたちへ伸びる凶刃を引き戻していた。
「ヤアァッハアァアアアアアアアッ!!」
『ギギャ!?』
そして轟く気合を一つ。
抱えたままにヴォルス・クラブを引っこ抜き、脳天から砂浜へバックドロップ。
首の付け根まで砂に埋没するヴォルス。悠華はその腰から腕を外し、いおりたちを背に構え直す。
「ふぃー……火事場の馬鹿力ってヤツッスかねえ」
左肘を前にした半身の構えを取りながら、軽い調子で息を吐く悠華。
巨躯を覆う装甲表面。そこを走るエネルギーラインの輝きにも力が戻り、先ほどまで苦しんでいた重圧をまるで感じさせない。
「さあて、なんか知らんが力がみなぎったし、今の内になぁんとかしちゃいましょうかね」
声にもいつもの軽快さを取り戻して、悠華は足下の砂地を踏み固める。
その足音に反応してか、首の埋まっていたヴォルス・クラブは後ろ回りに転がるようにして首埋め倒立から脱出。ハサミを振るい、威嚇するようにして身構える。
「やっぱね。踏み込まなくて正解だぁね」
ヴォルスは右へ横歩きに動きながら、慎重にこちらの様子を窺う。対する悠華はその動きを追うように、いおりたちへ通じる道を塞ぐ形で構えをずらす。
「相棒。二人を安全なトコまで運んでよ」
いおりと梨穂の盾になりながらのテラへの依頼。
『でも、悠華一人じゃ……』
「ダイジョブダイジョブ。アタシを信じて。さっきみたいなヘマはしないからさ」
あくまで軽々とした口調で相棒の心配に応える悠華。
手をひらひらと空に泳がせての言葉に、テラは眉をひそめて逡巡を見せる。
『……分かった。こっちはオイラに任せて』
だが意を決して頷くと、足下の砂を波立たせていおりたちの元へ向かう。
そしてそのままいおりたちを浮き上がった砂に乗せて離れていく。
『ギシャアアアアアッ!!』
離脱するいおりと梨穂の姿に、顎を開いていきり立つヴォルス・クラブ。
しかしハサミを突き出し駆けだしたそれを、悠華の左腕が纏う重厚な黒装甲が受け止める。
「おぉいおい。アタシを無視して行こうなんてつれないじゃん?」
声の調子通りに軽々と止めた悠華は、ハサミを受けた腕を振り上げヴォルスを無造作に持ち上げる。
「そおりゃあッ!」
そして気合の声を張り上げ、地面へ叩きつける。
『ジャギャ!?』
背中からの激突にヴォルスは苦悶の声を上げる。しかし、すぐさまハサミを放して転がり起き上がると、逆のハサミを閉じたままに殴りかかってくる。
だが悠華は、重々しく迫るハサミパンチをまたも左腕で防御。そして続いて繰り出される逆のハサミパンチも左掌で叩き逸らす。
「りゃあッ!」
『ギギッ!?』
そしてすかさず突き出した右拳を顔面に叩き込む。
拳に砕かれた口吻部を覆う甲殻を散らして、ヴォルスはたたらを踏む。
そこへ悠華が打ち込んだ拳を引きつつ、追いかけるように踏み込む。だがヴォルスも膝のぐらついた足を踏ん張り、脇腹に密着させていた足を突き出す。
「ふんっ!」
だが悠華は襲いかかる鋭い爪先に構うことなく踏み込み、装甲に火花を散らして滑らせて、立て続けの右拳を胸の中央へめり込ませる。
『ギャバ、バッ!?』
爆音。
粉砕。
戦車砲のような鉄拳が蟹の胸甲を打ち砕き、青黒い身をさらに押し込む。
『ギィイ!』
しかしクラブは、破片を胸から落としながらまたも踏み止まる。そして両のハサミで挟み込むように腕を振るう。
「エヤッ!」
だが頭を狙ったそれも、悠華は両腕を割り込ませて防御。
「ハァアアアッ!」
そして腕を開いて押し返すように弾き、同時にがら空きの胴へ前蹴りを打ち込む。
『ギギャアバッ!?』
深々と突き刺さる右足。
それにヴォルスの口から群青色の体液が噴き出す。そしてその両足も砂地から浮き、大きく吹き飛ぶ。
そうして吹き飛んだまま、ヴォルス・クラブは受け身も取れず後ろ回りに砂浜を跳ね転がる。
転がり続けたその体は、波打ち際にうつ伏せに倒れた事でようやく静止。
寄せて返す波に伏した青黒い蟹。悠華はそれをめがけて砂を踏み込み、駆け出す。
爆音を後に残しての突進。
黒い重機の突撃にも似たそれに、ヴォルス・クラブは群青色の泡を吹き、背を向けて帰る波に紛れる。
「逃がすかってのッ!」
波に飲み込まれ、海深く消えるヴォルス。奇襲か、あるいは撤退のためにかは判別は付かない。だが姿をくらました敵を追って、悠華もまた突進の勢いをそのままに海へ飛び込む。
飛沫を上げて海面を割り、流れる水の中を沈んでいく悠華。
やがて淡く光る海藻に彩られた浮き岩へ取りつき、その頭上から警戒の目を走らせる。
光の淡く薄暗い海中。
怪しい影を見つけては目で追うが、目的の蟹の姿には当たらない。
いくらダイナの鎧を着ているとはいえ、水中での活動時間は有限である。
限界を迎える前に仕留めるべく、敵を探すバイザー奥の目にも力が入る。
だがその背中を、鋭い一撃が襲う。
そして流れに揉まれよたつく体を、二度、三度と別角度からの泡引く攻撃が襲う。
泡の尾を引くこの連撃に、悠華の纏う重厚な黒い装甲を貫く威力はない。
しかしこの揺さぶりに悠華の活動時間は大きく削られる。
再度の敵の接近。
それを耳で捉えて振り向き、その勢いで拳を振るう。
だが水に囚われて鈍った一撃は間に合わず、敵の攻撃は黒い装甲を削る。
光を受けた砂が、風に吹かれた雪の様に流れる。
その流れを断ち切ってもう一撃。悠華の突き出した肘よりも早く分厚い装甲を打つ。
攻撃とそれによって生じた流れにあおられながら、悠華は装甲表面の傷を再生させながら、足場にした岩を踏み締める。
その耳を叩く水をかき分ける音色。
真上から迫る襲撃の気配に、悠華は拳を固めたまま微動だにしない。
直撃。
だが同時に、黒い装甲を撃つハサミを悠華の腕が抱え掴む。
そして悠華はヴォルスの腕を抱えたまま、足場にした岩を踏みつける。
重く、鈍い激突音。
同時に悠華の足元から山吹色の光が立ち上り、続いて辺りを流れる砂が集い束なって行く。
光を軸に螺旋を描いたそれが、ヴォルスクラブの体を突き上げ、腕を掴んだ悠華もろとも海面へ運ぶ。
水面を突き破り、一塊になって海上へ飛び出す悠華とヴォルス。
その下で広がる砂浜には、四肢を張ったテラの姿が。
海へ砂を流し込んで、海中に力を満たしてくれていたその姿に、悠華は仮面の奥で笑みを浮かべる。
続いて悠華は敵を手放して空中で分離。
そして同時に、山吹色の光もまたヴォルス・クラブを弾く。
砂浜へ向けて青黒い蟹を弾き落とした光の棒は、縦回転しながら悠華へ接近。その掌へ吸い込まれるようにして収まる。
黒い装甲に覆われた指が握りしめると同時に光がはがれ、翻土棒と銘打たれた戦棍が姿を現す。
「ヤァッハアアアアアアアアッ!!」
そして雄々しい叫びに乗せて、手にした翻土棒を敵へ向けて投げつける。
空を穿ち進む棍は一直線にクラブへ激突。
『グギエッ!?』
その一撃は落下していたヴォルス・クラブの体を一気に加速させ、砂浜へ叩き落とす。
轟音と砂柱を巻き上げての落着。
その落着点へ向けて、ダイナの鎧を纏う悠華も吸い寄せられるように加速。その勢いのまま悠華は躊躇無く翻土棒を胸から生やして倒れたヴォルスへ突っ込む。
「フウッ!」
『ギギィッ!?』
アリ地獄の巣にも似たクレーターの中心。得物を掴んでの着地と同時の鋭い呼気。そしてダメ押しとばかりに突き刺さった棍を押し込む。
ねじ込んだ翻土棒を中心にオレンジ色に輝く魔法陣が広いクレーターをはみ出して展開する。
「命支える大地……」
脈動する光の文字に囲まれた悠華の目がバイザー奥で強く輝く。
「豊かなるその袂に抱かれるまま身をゆだね……」
力を増す双眸の輝きに呼応するように、脈動する光が早鐘を打つようにその激しさを増していく。
「命の輪に還れッ!!」
そして鋭い結びと同時に、ヴォルスの体が爆散。またそれを引き金として魔法陣が重い音を響かせて爆ぜ広がる。
浄化によって周囲を埋め尽くすエネルギー。
それがヴォルスによる歪みを整え、綻んだ二つの世界をあるべき形へ治して行く。
悠華はそんな癒しの光の中で目を閉じ、戦いのために作ったダイナ鎧の巨躯をほどく。
そして目を開ければ、見慣れた学校の廊下であり、いおりと梨穂、さらにテラの姿があった。
「いやあ、無事帰れて良かったッスわぁ」
悠華はそれを認めると、肩を回して安堵の息を吐く。
するといおりも唇を笑みの形に緩める。
「そうね。じゃあ私は永渕さんを保健室に運ぶから、宇津峰さんは午後の授業に戻りなさい」
「うえ……マァジでッスか? アタシも疲れたから休んじゃダメ?」
それに悠華は渋面を浮かべるが、すぐに表情を整え、小首を傾げて伺いを立てる。
だがいおりは梨穂の肩に手を回して担ぐと、笑みのまま首を横に振る。
「大丈夫よ、戦っていないならパンタシアから流れてくる力がすぐに回復させてくれるから」
『そうそう。さっきと違ってオイラも体が重くなったりしてないし、実際悠華ももうほとんど回復してるだろ?』
「そ、そないなことございませんですたい。戦いの緊張で心も体もへとへとでありんすことよ?」
いおりの言葉を後押しするテラ。それに悠華の瞳は目の中をザッブンザッブン。怪しい言葉に合わせて泳ぎ回る。
『……わざわざ友達を心配させることも無いんじゃない?』
そこへダメ押しとばかりに投げかけられるため息混じりの一言。
「ち、ちくしょうめぇええッ!」
すると悠華はこれ見よがしに頭を抱えて見せて、踵を返して階段を駆け降りて行く。




