凶刃の人魚
『まさか、梨穂!? 梨穂なのかッ!?』
月明かりの降る湖上に現れた人魚のヴォルス。その姿にマーレが目を見開き、契約者の名を呼ぶ。
水の滴る切れ長の眼に、筋の通った細い顔だち。確かにそれは梨穂のものに違い無い。
だが梨穂の顔をしたヴォルス・マーメイドは、マーレの呼びかけに言葉を返すことなく、その唇を薄く笑みの形に引く。
「やばッ!?」
同時にグランダイナはとっさに後ろ跳び。
直後、跳び退った黒い巨体の居た空間をレーザーにも似た水が一薙ぎに切り裂く。
『オイ梨穂ッ! オレだ、マーレだッ! 分からないのかッ「!?』
呼びかけたにも関わらず浴びせかけられた剣呑な返事。
それにマーレはカーテン状の水飛沫越しに重ねて叫ぶ。
だが水の幕を貫いてきた返答は、鋭く太い水鉄砲の一射。
「ふんやぁッ!!」
螺旋を描いて迫るそれに、グランダイナは着地に合わせ腰を落とし、腰を回転。それに乗せて打ち出した拳で水流を打ち砕く。
飛沫を上げて弾け砕ける水のドリル。
砕けながらもなお滝の如く叩きつけてくる水流に、グランダイナは拳を突き出したまま押される。
「う、ぐぅ……!?」
緩まぬ水流に呻くグランダイナ。その足元では水を含んでぬかるんだ地面が踵に削られて轍を刻む。
やがて不意に緩む水の勢い。
「う、おぉう!?」
それにグランダイナは、前へ前へと押し込んでようやくバランスを保っていたものを失い、バランスを崩して前のめりに。
そこへ弾け広がる水を破り、青と闇の色を纏う人魚が飛び込んでくる。
『シャァアアアアッ!!』
首筋とあばら。二対四か所に開いたエラを開き躍りかかるヴォルス・マーメイド。
「うッ!?」
それをグランダイナは体勢を立て直さず、頭を低くしたまま、腕だけを振り上げ盾にする。
「ぐぅ、ああッ!!」
火花を散らして籠手に滑る刃。
凍てつくほどの冷たさを伴うそれに、グランダイナは呻きながらも、踏み締めた足から体を持ち上げ、掬い上げるようにして振り払う。
その突き上げる動きに逆らわず、ヴォルス・マーメイドはその流れに乗ってグランダイナの背後へと回る。
対するグランダイナもまた、それを追いかけ反転。刃を備えた傘からの射撃を振り向きざまの平手で叩き落とす。
『フン……』
だがマーメイドは射撃を弾かれたことを悔しがるでもなく、鼻とえらとを動かして笑い飛ばす。
そしてそのまま刃を備えた傘を携えて、空中を飛沫を散らしながら泳いでいく。
『この気配に戦い方……間違いなくあのヴォルスは梨穂だ……間に合わなかった、のか……?』
マーレは月光を浴びて泳ぐ人魚の動きを目で追い、呆然と呟く。
『そんなバカな!? ならお前も無事で済むものか! 諦めるなッ!!』
『だが! どう見ても今の梨穂は完全にヴォルスなんだぞッ!?』
テラが言うとおり、梨穂がすでにヴォルスへ完全に取り込まれていたのなら、マーレもまともに動けるはずもない。
だがマーレが言うまでもなく、今の梨穂はすでにヴォルスと化しており、今マーレが無事なのもただ万に一つを引き当てただけという可能性も否定はできない。
「あーもー! 耳元で怒鳴るなぁッ!?」
グランダイナは肩の上で意見をぶつけ合う竜の兄弟を一喝。
僅かに気の逸れたその間隙に、人魚が空を蹴って流れ込む。
「……はッ!?」
氷の刃を衝角にしての突撃。それをグランダイナはとっさに白刃取り。仮面の鼻先ギリギリでその切っ先を止める。
しかしそれも束の間、刃を挟んだ両の手が白く凍てつく。
「んなッ!?」
大気の水分もろともに、音を立てて凍っていく両手。それにグランダイナは堪らず驚き声を上げる。
投げて押し返す間もなく、氷刃を挟んだ手は瞬く間に剣もろとも固定。
そしてオレンジ色をしたクリアバイザーの表面をも霜で覆いつくしてしまう。
「う、ぐ……前がッ!?」
『悠華ッ!? うぐ!?』
『梨穂、止せッ! 止すんだッ!』
相棒とその弟と共に、氷へ覆われていくグランダイナ。
マーメイドはその姿にうっすらと唇を開くと、氷の刃を握るのとは逆の手、体の陰に隠していた左腕で黒い刃を振りかぶる。
月夜の中にありながら、なお周囲の闇よりも深い黒い湾刀。
それにグランダイナは息を呑み、体全体を捻って人魚を地面へと叩きつける。
「らぁッ!!」
『いぎゃッ!?』
悲鳴を上げての衝突。と、同時にグランダイナの挟んでいた氷の刃が半ばから圧し折れる。
マーメイドは弾むままに宙へ。しかしすぐさま尾を振るい飛沫を散らすと、空中で姿勢を整える。
「……二刀流ッ!?」
右手に傘を。曲刀を左。
左右それぞれに武器を握り、夜空を舞い泳ぐ人魚。
グランダイナはその姿を見上げながら、腕に力を込めてまとわりついた氷を砕く。
『悠華、大丈夫ッ!?』
「なーんとかね」
腕の氷を振り払い、バイザーの霜をこそぎ落として構える黒い闘士。
その正面ではヴォルス・マーメイドが空を尾で一蹴り。同時に右の傘にから伸びる氷刃を再構築する。
「いいんちょがヴォルスにどんだけ取り込まれてるかはともかく、アタシらがやることは一個だけ。そうじゃない?」
梨穂の面影の強い青のヴォルスと向かい合いながら、グランダイナは竜の兄弟を一瞥。現状で真にやるべきことを確認する。
『ああ! その通りだ!』
『悔しいが、確かに正しいな』
グランダイナの現状認識に、力強くうなづくテラ。
その一方でマーレも、返事と首はひねくれているが、冷静さを取り戻す。
そうして梨穂救出班の意見が一丸にまとまった直後、人魚は傘型の魔法の杖と、月光さえも拒絶する刃を平行に並べ突き出す。
「やっべッ!」
それを認めると同時にグランダイナは右へ駆けだす。直後、二刀の切っ先から放たれたエネルギーの濁流がグランダイナの背後で爆発する。
「うおわととととととぉッ!?」
青と黒。二色の渦巻き混じり合った極太の水流。
それは湖の形をなぞるように走るグランダイナを追いかけて、湖岸の土を抉り飛ばしていく。
徐々に距離を詰めてくる濁流の薙ぎ払い。
「二人とも、飛び込むぜよ!」
グランダイナはそれを肩越しに見やると、横っ跳びに湖へ。
水上へと己から投げ出したその体は、素直に重力に従って落下。水柱を上げて二色の濁流から逃れる。
『息は出来るな?』
「オッケー、ナイスフォロー!」
水をかき進むグランダイナを包む、マーレの青い光。
水中での行動を補助するその魔法に、グランダイナは肩にとりついた首長竜へサムズアップしてみせる。
『けど、湖の中なんて……』
月明かりも満足に届かない暗い水中を見渡しながら呟くテラ。
その危惧の声を半ばで遮る猛スピードの青。
「う、おぉッ!?」
音を立てて潜る人魚に、激しくかきまぜられた湖水。それにグランダイナたちはまるで波にのまれた木の葉のように煽られ流される。
さらに流された先に先回りするように、ヴォルス・マーメイドが駆け上っての新たな水流を作る。
「お、お、おぉおおッ!?」
行きては過ぎ、過ぎては来て。
楕円軌道を縦横無尽に描き泳ぎ回る人魚。
いくら水中行動を補助されているとはいえ、グランダイナが魚同然に泳ぐなど土台無理な話である。
そもそも魚までもが振り回されている荒渦の中で、それを逆流し、脱出することなどかなうはずもない。
そして湖の生き物たちと共に振り回されるまま、グランダイナは背中から水底へ。すでに舞い上がっていた砂を一際濃いものにする。
「……く、あぁ……やーっぱ水中に逃げたのはまずったね」
舞いあがった砂が流れに乗って痛いほどに叩きつける。そんな水中の砂嵐の中、グランダイナは水底に足を踏ん張り身を起こす。
同時にその口から出た言葉に、マーレが眼を丸くする。
『な!? 考えもなしに飛び込んだのかッ!?』
相手に地の利を与えるような真似。その不利を覆す罠を張るでもなくやらかしたと言う言葉に、マーレは有り得ないと口を開ける。
そこへ唸り続ける水を突き破って、一際強い唸り音が一行に叩きつけてくる。
二刀を突き出し、魚雷の如く迫るヴォルス・マーメイド。
言葉通りに水を得た魚であるヴォルスの突撃には微塵の迷いもない。
勝利を疑わぬ突入。
直線で迫る刃の切っ先は、そのままグランダイナの胸を貫くかに見える。
『なにッ!?』
だがグランダイナは左足を軸に右半身を引き回避。
黒く分厚い胸甲を、滑り通り過ぎる氷の刃。
その勢いのままに、マーメイドは肘まで湖底に沈む。
「イヤッハァアッ!!」
瞬間、グランダイナは軸足で湖底を捩り回転。全身を包む水など存在しないような勢いで回し蹴りを撃ち出す。
『おごッ?!』
脇腹を打つ丸太の様な足。
城門さえ破りそうなその一撃は、打点を中心に水を爆発。その勢いのまま、マーメイドの腕を二本の武器と土から解き放ち押し流す。
「やっぱ地に足さえ付いてりゃあ何とかなるもんだぁね」
そう言うが早いか、グランダイナは水底を蹴って人魚を追いかける。
その足取りは陸上でのものと遜色無く、まるで辺りの水の抵抗など感じていないかのようにスムーズである。
水中で抵抗を無視しての動き。
それを実現させているものの一つは、もちろんマーレの補助魔法である。
そしてそれと合わせて、足が地面に触れていることで土の力が高まっていることも要因の一つである。
「ヤァッハァアッ!」
陸上同然の勢いに乗せて、開いた手を突き出すグランダイナ。
『むぐッ!?』
ヴォルス・マーメイドが尾を振り、体勢を立て直そうとした所を、黒い闘士の伸ばした手が掴む。
そして捕まえた瞬間に一際強く踏み込み。勢いを増して、正面の急斜面へと叩きつける。
土煙を起こして埋まる人魚の体。
尾を振り回して抵抗するそれを、グランダイナはさらに土の中へと押し込む。
『うあッ!?』
「今だマーくんッ! いいんちょの心に入ってッ!!」
動きを封じこんで、マーメイドの内に囚われているであろう梨穂を救いに行くように促すグランダイナ。
『そ、そうか! 分かったッ!!』
言われて救出の好機だとマーレはうなづき、その身を青い光へと変えて、人魚の額からその内側へと入り込む。
『う、あ、あああああああッ!?』
マーレの侵入に、眼を剥き頭を振るヴォルス・マーメイド。
その手は黒い装甲に爪を立て、青い尾は振り回される度に土を巻き上げてグランダイナの体を叩く。
グランダイナは左脇を開けて振るわれる尾を受け止め抱え込み、狂ったように悶え暴れる人魚へさらに体重をかける。
「ちっとは、大人しくしなってーのッ!!」
首を掴んだ手を付け根から滑らせて左鎖骨へ。そうしてから、折らないようギリギリの加減で押さえ込む。
だがマーメイドはそれでも身悶えを続け、鋼鉄の腕に立てていた右の爪を振り回す。
「う、お!?」
リーチの違いで届きはしない。が、顔面をあるいは肩のテラを掴もうとするそれに、グランダイナは僅かに身を引く。
「テラやん、アタシの後ろに」
『ごめん、頼む!』
仮に鋼鉄のヒーローフルフェイスが掴まれようが、大した事にはならない。
が、そういう訳には行かない相棒を背中に隠して、グランダイナは丹田からエネルギーラインを通じて右腕に力を集中。
「ヤッハァアッ!!」
人魚の心臓近くを押さえた右手を通して、オレンジに輝く心命力を叩きつける。
「ぐふッ」
光をねじ込まれて、ビクリと体を跳ね上げる人魚。
その唇からは濁った呻きに続いて、黒いものが溢れ出す。
吐き出された地のようなそれは、ぶわりと水に溶けて薄まる。
黒い霧のようになったその奥。そこでヴォルス・マーメイドの唇がうっすらとつり上がる。
その笑みに、グランダイナは背筋の凍るような予感に身を震わせ、一歩引く。
だがつい先程まで解き放たれようと暴れていたマーメイドが、引いた戦士を逆に逃がすまいとしがみつく。
「しまっ……」
顔の横で笑みを深める人魚。
失敗の確信に両目が明滅。
その光と声は、爆ぜ広がる青黒い奔流に呑み込まれ、掻き消される。
今回もありがとうございました。
次回は7月10日18時に更新です。




