ヴォルス・マーメイド
『う……うう、あ』
テント内部に横たわる青い首長竜。
増えた負傷者を前に、悠華とテラ、そしていおりが並ぶ。
「招待状だと言っていたの?」
「うっす。詳しいことはマーくんに聞けって……」
確認するいおりに、悠華はテント前にまでやってきて、マーレを投げてよこしたサイコ・サーカスの言を繰り返す。
『そんな、明らかに罠じゃないかッ!?』
あからさまなまでに罠へと誘う言葉に、テラは憤りのままに声を上げる。
「でもさ、マーくんがこんな状態で引き渡されたってことはさ、いいんちょは確実にあいつにとっ捕まってるわけじゃん?」
『それは、そうだけれど……』
「なら助けに行かないわけにはいかんってば」
だが罠が待ち構えていると分かった上で、悠華は囚われているはずの梨穂の救出に行くとあっさりと言い放つ。
するといおりは腕を組み、もどかしげに唸る。
恐らくはどうあっても教え子に迫る危機を前にして、自身に出来ることの少ないジレンマに苦しんでいるのだろう。
「でさ、マーくんの状態ってどうなの? 何にせよ話を聞かない事には何とも行かんのだけど」
しかしこれからどう動くにせよマーレからの情報は必須。
ということで悠華はテラにマーレの容体を尋ねる。
『それは……』
『う、うぐ……ここ、は?』
悠華の質問にテラが答えようとしたところで、当のマーレがうめき声を上げながら目を開ける。
「気が付いたのッ!?」
『いおりさん……? それに、テラとその契約者か』
目を覚ましたマーレは、重たげにもたげた長首を巡らせて現状を認識する。
『マーレ、何があったんだ? お前の契約者、梨穂は? サイコ・サーカスはお前を招待状だと言っていたらしいが、それはどういう意味なんだ?』
テラは目を覚ました弟に、事情の説明を求めての質問を浴びせる。
『そんなことを……? クソ、あのピエロ、なめたことを……』
立て続けにぶつけられる問いとその内容に、マーレは苛立たしげにヒレを逆立てる。
そんなマーレに、兄とその契約者、そして母の契約者は、問いの答えを黙って待つ。
するとマーレはそんな三者を再び順繰りに見回し、息を深く吸って、吐く。
そして深呼吸に合わせて逆立っていた背ビレを寝かせると、マーレはヒレ状の四肢を動かし、悠華へ向けて姿勢を正す。
『勝手を承知で頼む! 梨穂を、オレの契約者を助けてくれッ!!』
長い首。その先にある頭を床敷きにぶつけんばかりに下げての頼み。
梨穂が他の三組を排除してまで頂点に立とうとする意思。それを諌めもしなかったマーレが、頭を下げてまで悠華たちを頼る。
そんなマーレらしからぬ様子に、悠華とテラもさすがに目を瞬かせて顔を見合わせる。
『梨穂と一緒に、散々突っかかっておいて、虫のよすぎる話だとは分かっている! だがアイツを、梨穂を助けに行ってやってくれ!』
返事の無い事から誤解してか、マーレは頭をめり込ませる勢いで下げて頼み込む。
「いーやいやいや! いいんちょはちゃんと助けに行くつもりだから!? 頭上げてってばマーくんや!」
そんな必死に頼み込む水竜に、悠華は慌てて勘違いを解く。
『ほ、本当にかッ!? アレやコレややってきたオレたちをかッ!?』
『本当だって。とにかく頭を上げて説明してくれよ』
信じられないとばかりに執拗に確認するマーレ。
テラはそんな弟に念押しして、説明を促す。
『わ、分かった。順を追って説明する。まずオレたちは、サイコ・サーカスに負けた。それもこてんぱんにだ』
兄に向けてうなづいたマーレの説明は、自分たちの敗北から始まった。
しばらくは余裕たっぷりに挑発してくるサイコ・サーカスを追いかける形だった水組。
水組からの攻撃はまともに当たることは無かったが、サイコ・サーカスからの反撃はまばらで、易々と凌いで攻めに戻れるものばかり。
敵の余裕は見せかけで、間違いなく押し込んでいると信じて梨穂とマーレは闇色と金色のピエロを追い立て続けた。
しかし一方的に攻めたてていたというのは、ただの勘違いに過ぎなかったとすぐに思い知らされる事になった。
不意に攻勢に転じたサイコ・サーカスによって、梨穂は瞬く間にその脇腹をナイフに貫かれ、ピエロシューズの下に横たわる結果になってしまった。
『……で、サイコ・サーカスが踏みつけた梨穂に何事かを囁いたら、梨穂が森の上に向かって全力の水鉄砲を撃ったんだ』
マーレはそこで話を一区切りつけると、長い首を振って一呼吸。
「なら、みずきっちゃんにすずっぺ、フラちんにウェントんを撃ったのはやっぱり……」
仲間たちを傷つけた者がはっきりして、悠華は眉をひそめて目を伏せる。
『弁護させてもらえるなら、あの時の梨穂はまともじゃなかった。まるでサイコ・サーカスに操られてるみたいで……』
そこでマーレが下手人である契約者をフォローする。が、悠華は分かっていると、皆まで聞かずに首を縦に。
「だろーね。大技ぶっぱする元気があるなら、まずぶつける相手が真上にいるわけだしね」
「ええ、たとえ脅されていたにしても、そこで従うプライドの低さはしてないはずだもの」
その悠華の見解に、いおりも同じくうなづく。
「それに、サイコ・サーカスに刺されたなら不思議じゃないッスよ」
そして悠華はいおりの同意した理由に加えて、もう一つの根拠を挙げる。
『そうか! それか悠華ッ!?』
悠華が注目した、サイコ・サーカスに刺されたという事実に、テラは過去の経験を思い出して声を上げる。
「まさか、宇津峰さんが体調を崩した時の、あの?」
そしていおりもまた、梨穂が置かれているらしい状況を察して、強張った顔に冷や汗を浮かべる。
『おい、どういうことだ? 自分たちだけで納得してないで、オレにも分かるように説明してくれ』
自分たちだけで通じ合っている悠華たち三人。それにマーレが、不満げに解説を求める。
「ああ、うん。それよりまずマーくんや、今いいんちょとの繋がりは、どう?」
悠華は説明を求めるマーレに一言断って、今現在の水組の繋がりについて尋ねる。
『んん? なんで今そんな事を聞く? それに何の関係があるって?』
その質問に、マーレは首を捻りその先の顔に疑問符を浮かべる。
「必要なことなのよ。とにかくどうなっているの?」
『どうもこうも、俺と梨穂の間の繋がりで特に変わったことなんて……』
いおりにも重ねて問われて、マーレは疑問の拭いきれない首捻りのまま、眼を瞑る。
『……なんだコレ!? どうなってるッ!?』
が、繋がりを探り始めてすぐに、閉ざした目がまなじりの裂けんばかりに見開かれる。
『おかしいぞ、梨穂からの心命力の流れが酷く弱くなってるッ!?』
探って初めて実感した異常事態に、マーレは激しく取り乱す。
『こっちから転移も出来ない!? どうなってるんだッ!?』
「……やっぱり、そういうことになってたかぁ」
混乱するマーレを前に、悠華は的中した推測に苦い顔をする。
そしておもむろに立ち上がると、マーレを抱きかかえる。
「急がんとヤバい! マーくん、まだいいんちょの居場所は分かるよね!?」
『あ、ああ! だが、何をそんなに焦ってる!? それに何故契約の繋がりがッ!?』
助けを急ぐ悠華。その問いにうなづきながら、マーレは腕の中から状況の説明を求める。
「いいんちょがヴォルスの依り代にされてる! 前にアタシが指された時よりもずっと早い! ほっといたらすぐにでもいいんちょの体が乗っ取られるんだッ!」
『なん、だとぉ……!?』
悠華の体験談を根拠として断定した梨穂の現状。それにマーレが絞り出すような声で呻く。
悠華が推測した通りに、梨穂がヴォルスの依り代として完全に乗っ取られれば、当然マーレもその影響からは逃れられない。
梨穂は仮に取り込まれても浄化さえ出来れば戻っては来られるだろう。
だが幻想種であるマーレは、恐らくヴォルスもろともに消滅してしまうだろう。否、最悪梨穂と共にヴォルスに取り込まれた段階で、マーレのパーソナリティは消滅する事になる。
「だからとにかく手遅れになる前に行かなきゃ! 行くぜよ、マーくんッ! ワープが出来なきゃ最短距離で……」
『ま、待った悠華! オイラも行くよッ!』
急いでテントを出ようとする悠華に、その相棒が慌てて立ち上がる。
「いや、テラやんはここでケガしたみんなの治療を……」
「いいえ、テラくんも入れた三人で行くべきよ」
「いおりちゃん!?」
相方を仲間の治療を頼もうとする悠華。だがそれを遮って、いおりがテラも加えて動けるもの全員で向かうべきだと勧める。
「でも、みんなのケガを早く治すには……」
「確かにそうね。でもそれは全治一週間の傷を、三日でふさぐというだけのこと。確かに大切だけれど、すぐにでも怪我人を戦線復帰させられるわけではないわ」
瑞希たちの治療を優先しようと言う悠華に対し、いおりは冷静にこの場にテラを残す意義の薄さを説く。
「今一刻を争うのは、永淵さんを救出する事。そのためには今戦える全員で行くべきよ」
重ねて戦力の集中を勧めるいおりの言葉に、悠華は傷ついた仲間たちに目を向ける。
そんな悠華の肩に、いおりが立ちあがって手を置く。
「明松さんと五十嵐さんたちは私が見ているわ。本当は私も加わりたいのだけれど……」
背中を押すいおりの一言。
それを受けて悠華は迷いを振り切るように首を縦に振る。
「……りょーかいッス じゃ、行くよ、テラやん、マーくん!」
『ああ!』
『すまん、頼むぞ!』
そしてテラとマーレを促して、悠華は救出に向かうためテントを飛び出す。
出入り口を潜る瞬間、悠華は中のいおりへ振り返る。
二人は同時に手を上げ、互いに相手に任せ、託す。
そして閉じる出入り口が閉ざされ、征くものと待つ者との線引きを作る。
「投げるよ、マーくん!」
『は!?』
直後、悠華は抱えた水竜の返事を待たず、その体を夜空へ放る。
「変身ッ!!
そして固く握り込んだ右拳を逆の掌へ。
乾いた音を立て、両手の接点から弾け広がるオレンジの輝き。
その光で描いた頭上から腰までの円。それは回り広がり球になって褐色の少女を繭と包む。
やがて光の繭を内から破って現れる、巨躯のヒーロー。
大地の闘士グランダイナは、手元に戻ってきた首長竜をその鋼鉄の腕で受け止め、左の肩にテラを受け入れ乗せる。
『お、おい! いきなり何すんだ!?』
「ゴメンゴメン、手がふさがってちゃ変身できないからさ。で、どっち?」
受け止めたマーレからの抗議の声。
それにグランダイナは謝罪の言葉をそこそこに、目的地へのナビを求める。
『……あっちだ』
マーレは案内を促されて、喉に装填済みだった次の文句を呑み下すと、鼻先で向かうべき方向を示す。
「ガッテン! テラやん、おとーとくんは頼んだぜよ!」
『ああ! 全力で走れッ!』
そして左肩の相棒へマーレを渡すと、全身を巡るエネルギーラインを輝かせる。
闇に溶けるような黒の装甲。
その表面を巡るマグマにも似た力の流れ。
その輝きが目指すべき方角を見据える眼に届いた刹那、グランダイナの巨体は爆音を残して大気を割った。
夜闇を引き裂くオレンジの光。
輝きの残滓を後に残して、放たれた黒い砲弾は一直線に突き進む。
そして目前にまで近づいた奥深い闇の塊を前に踏み切り、再びの爆音に押されるようにして打ち上がる。
流星が反転したかのようにグランダイナは夜空へ。
打ち上がった巨体のそのはるか下方。そこには夜に染まり、月明かりをちりばめた森が山の起伏をなぞり広がっている。
『う、おおッ!?』
瞬く間に森を見下ろすほどの高みまで届けた跳躍。その勢いにマーレの口から思わずといった調子で声が上がる。
『このまままっすぐで間違いないかッ!?』
そんな弟に、テラが進むべき方角を確かめる。
『あ、ああ! このまま一直線で問題ない! これが最短距離だッ!』
テラの問いに、マーレはうなづき、今のコースこそがベストであると太鼓判を押す。
「こーの先ってーと確か……」
勢いを失い、下降線を描き始めるグランダイナ。その目は広々と繁る夜の森と、その先にあるモノを見据える。
そのまま絡み合った枝葉を突き破り着地。
直後、衝撃を受け止めて深く曲がった膝を伸ばし跳躍。月明かりの漏れる天然の屋根に別の穴をこじ開ける。
「……やっぱ、ここかぁ」
そうして森に穴を開けることを繰り返して辿りついた場所。
白い月の揺れる湖。
グランダイナはの着地で波立つ水面を眺めて、予想通りと呟く。
やがて地響きに揺れる水面が泡立ち、人影が一つ、月下に浮上する。
長い髪を持つ、しなやかな細身。
柔らかな女性らしい起伏に富んだその人影。
だがしかし、その下半身は、ヒレと鱗を持つ魚の尾であった。
今回もありがとうございました。
次回は7月3日18時に更新いたします。




