置いてかれて、山
「え、ええ!? お、置いてかれたのッ!?」
「ど、どうするの!? どうするのよコレッ!?」
あっという間に姿を隠した保護者。
それに瑞希と梨穂がうろたえ周囲を見回す。
まるでいおりと日南子が姿を隠すのを引き金にしたかのように、枝葉から洩れる陽は赤く、力を失ったものへと変わっていく。
「あっはは。うわぁ、なんか凄いことになっちゃったねぇ」
『ああ、ボクもワクワクしてきたよ!』
鈴音とその相棒も同じく、辺りを忙しなく見回す。
だがその瞳に宿るのは火と水の二人ような動揺による揺らぎではなく、より力を強めた好奇心の光。
そして狼狽にせよ期待にせよ、浮わついた仲間たちに対して、悠華はただ一人気だるげに首を捻っていた。
「……やっぱこーなったかぁー」
「ちょっと宇津峰さん? なにを落ち着いているの?! 私たちだけで山の中に取り残されたのよ!?」
予想通りと言わんばかりに普段通りな悠華。
ただ一人落ち着き払った悠華に、梨穂は詰め寄る。
秘密を問い質す。と、言うよりは、その実心細さからすがるような詰め寄り。
「まあちょっと落ち着きなって。多分こーゆーコトになるとは思ってたから」
それを悠華は突き放すコトなく、委員長の肩に手を弾ませる。
「これでどう落ち着けっていうの?! 熊が出るような山に置いてきぼりになったのよ!?」
しかし梨穂はその手をはね除ける。
「それがどーしたちゅーのよ?」
だが悠華は事も無げに問い返す。
そして瑞希と鈴音に手招きをして、固まるように促す。
「それがどうしたって……」
さらに詰め寄ろうとする梨穂。
対して悠華は、梨穂の髪に隠れた右耳を指さす。
「マーくんがいて、なーんで今さら熊なんか心配する必要があるんよ?」
「あ」
契約の法具。ついで自身の契約竜を示されて、梨穂はようやくそれに気がついたように目を向ける。
「そう、そうよ。フラムも、悠ちゃんも、みんながいるのよね」
続いて瑞希も、パートナーと親友の存在に落ち着きを取り戻す。
『まったく、少しは落ち着きなよ』
『悠華に言われるまで忘れるなんて酷いよぉ』
呆れたように言うマーレとフラム。
そんな不満を溢すパートナーたちに、瑞希も梨穂も気まずげに目逸らし。
「あーぶないのがいるのは間違いないけーんども、頼りになるのが要るんだから、油断しなきゃダイジョブダイジョブー」
いつものおどけ調子で、落ち着いていた根拠を話す悠華。
「うん。悠ちゃんの言う通りよね」
それにうなづき、フラムを腕に抱く瑞希。
そんな瑞希を始めとして、混乱から自分を取り戻した仲間たち。
それを見回し確めて、悠華は言葉を続ける。
「それにかーんがえてもみてよー。アタシ一人ならともかく、他に山歩き初心者のみんなも居るのに、無闇に深いトコに置き去りにするはずなーいじゃん?」
『任せられた宝は己が宝より重い、ということか』
「……まあ、道理よね」
悠華の説明に、渋々ながら筋は通っていると認める水組。
「なーんだ。そんなにすごい冒険にはならないんだ」
『ちょっと拍子抜けだよな。こうなるとヴォルス連中でも出てきてくれればいいんだけどさ』
しかし風組の口から出たのは不満の声。
安全性の主張に安堵する梨穂たちとは逆に、鈴音は退屈だと唇を尖らせる。
『おいおい、滅多なコト言うなよウェント』
『だってさ兄ちゃん、山の中をただ降りるだけなんて簡単過ぎるからさ』
テラが弟の迂闊な発言をたしなめる。が、ウェントはすっかり緩んだ調子で不満げに溢す。
『そうだ、鈴音。変身して空から一足先に帰ろうよ。先生も師匠よりも先に、追い抜いてやってさ』
良いことを思いついたとばかりに鈴音にイタズラを提案。
そしてその結果のいおりと日南子の驚いた顔を想像してか、含み笑いを溢すウェント。
にやける相棒と同じものを想像したのか、鈴音もまた満面の笑みを浮かべて首を縦に振る。
「それいいかも! 面白そうだねウェント」
「やっはぁ……一組だけで行動するのはやーめた方が良いんじゃないかな」
しかし提案された悪戯にノリ気の鈴音を、渋面の悠華が引き留める。
「えー……なんで? 悠華ちゃんなんで? いい奇襲になると思ったんだけど?」
引き止められたことに、鈴音は顎に指を添え、不満げに首捻り。
それに悠華は腕組みをしてため息交じりに辺りの森へ目をやる。
「婆ちゃんといおりちゃんの二人なら、みんなの能力は把握してるだろうし、そういう一足飛びの可能性は考えてあると思うんよ」
「うん? それで?」
何かを探すように辺りの木立を巡り見る悠華。
それに鈴音は首の捻りを逆に返して、本題を促す。
「婆ちゃんの事だから、どっかから見張ってると思うんだよね。で、趣旨から外れた行動をとると罰ゲームでもあるんじゃなぁい? 具体的に言うと一食抜きとか」
「えー……何それ横暴じゃない!?」
悠華の上げた具体的な罰則に、鈴音は再び唇を不満に尖らせる。
キャンプ合宿を立案しておいて、使える手を使ってカリキュラムの抜け穴を突いたら罰。
反感を感じるのも無理は無いだろう。
現に、鈴音が代表しているからか口にこそ出してはいないが、仲の悪い瑞希と梨穂でさえ、揃って苦いものを顔に滲ませている。
「婆ちゃんならそれくらい考えそうな……ってだーけなんだけーどね。普段からアタシが受けてるのからだと、飯抜きよりは長時間の正座か、反省座禅ってトコかーねぇ」
「よくそこまで予想出来るものね。さすがに怒られ慣れているってことかしら」
次々と予測を打ち立てる悠華。それに梨穂は半ば呆れたように皮肉を吐く。
その暴言には、やはり瑞希が顔をしかめる。
「でーしょー? 叱られるコトに関しちゃーアタシレベルはそーそーいなーいよ?」
が、悠華はそんな親友の肩を抱くと、屈託の無い笑みで梨穂の皮肉を迎える。
「何を堂々と胸を張っているのよ……」
「こーやって主張しないと目ー立たないからねー……よよよ」
「あなたは何を言っているの……」
満面の笑みに泣き崩れと、悠華の繰り出す斜め上の反応の数々。
それには梨穂も頭痛を堪えるようにこめかみを押さえるばかりだった。
「と、とにかく、みんなで協力してキャンプまで戻ればいいのよね? 動き出さないと遅くなっちゃうよ」
悠華に肩を抱かれたまま、瑞希は親友の顔を見上げて言う。
「そーれもそうだね。陽が落ちきったらマジで危ないし、行こうか」
瑞希に促されるままにうなづき、悠華は移動を始めようと足を動かす。
「ちょっと待った!」
しかしそこへ梨穂が待ったをかける。
「えー……これから動こうってのになによぉ」
悠華について動き出そうとしていた鈴音が、引き留める声に眉根を寄せて振り返る。
「まとまって行動するならリーダーが必要よね? チームの精神的支柱としてまとめるリーダーは絶対に必要だわ。というわけでここはクラス委員長でもある私が……」
「じゃ、悠華ちゃんでイイじゃん」
リーダーの必要性を訴えつつ、滑らかに立候補しようとした梨穂。
だがそれを鈴音のうるさげな推薦が遮る。
「へ?」
それには梨穂のみならず、悠華も呆けた声を上げる。
「うん、それなら私も悠ちゃんがイイと思う!」
ハトが豆鉄砲食らったような顔を見せる悠華と梨穂。それらをよそに、瑞希も手を挙げて悠華を推薦する。
「みずきっちゃんまで!?」
「だって悠ちゃんなら、土壇場でも落ち着いてるから頼りになるもの」
「だよね、どっしり感があるっていうか? それにこの中じゃ一番山馴れしてるワケだし」
驚く悠華に対して、瑞希と鈴音は互いに理由上げて悠華を推し上げていく。
「えー……そう言われて悪い気はしないけどさ、しょーじきリーダーとか、メンドイ」
だが悠華は、友だち二人が自分をリーダーにと推す流れを気だるげにぶった切る。
「えぇッ!?」
「なん、ですってぇ……ッ!?」
「……あはは、まあ悠ちゃんならそう言うと思ったけれど」
後ろ頭に手を組んでのやる気なさげな一言。それに鈴音と梨穂は驚き声を上げ、瑞希は案の定と諦め半分に苦笑い。
「もうリーダーとかどーでもいーじゃん。いいんちょがやりたいならやーってくれりゃアタシは助かるし、山歩きのアドバイスはちゃんとするからさぁーあ」
悠華はものぐさ気質全開に、チームの柱的立ち位置をパスして歩き出そうとする。
「そうやってまた……私をバカにして……ッ!」
梨穂はそうして離れて行く悠華の背中を睨み、拳を震えるほどに固く握る。
「ちょっと待った! 多数決! 多数決できちんと決めましょうッ!」
だが、どうにか拳を震わせるほどの怒りを呑みこむと、先を急ごうとする悠華たちを引きとめる。
「えぇー……いいんちょがやればいいじゃん。もぉめんどくさいから」
だるそうに振り返り、あからさまに梨穂の提案に難色を示す悠華。
「ダメよ! キチンと決着をつけなきゃ私が納得がいかないわ!」
だが梨穂は断固として拒否。先を急ぐ悠華たちへ食い下がる。
『もういいからさっさと決めちゃおうよぉ』
そんな梨穂に、うんざりとした調子でフラムが取りまとめる。
「そうだね。じゃ、悠華ちゃんがリーダーで良いと思う人は……手を上げてー!」
フラムの作った流れに乗って、鈴音が多数決を取る。
「はぁーい!」
「はい!」
決を取った鈴音。そして瑞希が二人同時に手を上げて悠華を推す。
「うん。二対二で決着つーかないねー」
だが推薦された当人である悠華と梨穂は手を上げず、意見は真っ二つに割れたように見えた。
『いいや、五対三だよ』
「え?」
だがそこで挟まれる訂正の声。
それを見下ろせば、招き猫の様な姿勢で前足を上げるテラの姿が。
そしてその周りには、同じく前足を上げるフラム。右の翼だけを伸ばすウェントの姿があった。
『あたいたちの意見も無視しないで欲しいよぉ』
『そうそう』
『フラム、ウェント!? お前ら!?』
抗議の声を上げるフラムと、ニマニマと長い口を引いたウェント。
水組を後押ししない兄弟たちの姿に、マーレは牙を剥く。
『だって、どう考えてもこの場でリーダーやれるのは悠華の方だよぉ』
『ま、そっちが舵を取ってくれたら、それはそれでトラブル満載で面白くなりそうだけどさ』
対して当然だと言わんばかりのフラム。そして笑みのまま皮肉を贈るウェント。
『お前たち……ッ!』
それにマーレは苛立たしげに首をくねらせる。
「止しなさい。結果は結果よ」
だがそれを制止したのは、マーレの契約者である梨穂自身であった。
『しかし、梨穂!? お前だって不満なのは……』
自身以上に不満を抱えてるはずの梨穂へ唸るマーレ。
しかし梨穂は、それに首を横に振ることで応える。
「多数決を言い出したのは私よ。言いだしっぺが結果に従わないわけにはいかないのよ」
苦い顔をして言い放つ梨穂。その声には腹の底に堪えた不満が滲み出ていた。
「けれどそれなら、今の立場で私の能力を証明するだけよ。私の方がリーダーにふさわしかったと理解できるようにね」
しかし髪をかき上げることで精神をスイッチ。自信に彩られた晴れやかな笑みで胸を張る。
「あーもー……分かった分かった。とにかくアタシが先導するから、はぐれないように着いてきてちょーよ」
言いだした梨穂の納得。それを受けて悠華は気だるげに首を振って歩き出す。
「あ、待って待ってリーダー!」
木々の密度が濃い場所へと迷いなく歩を進める悠華。その背中を鈴音と瑞希が慌てて追いかける。
「アタシが危ないって言ったらすぐに身を隠してよ? 変身すりゃなんとでもなるけど、その前じゃ並より体力がある程度なんだからさぁ」
赤い木漏れ日を浴びながら悠華は後に続く仲間たちへ念を押す。
「うん。頑張るから!」
「ねえねえ、熊の他にもまだ危ないのっているの?」
妙に力を込めて気追う瑞希。
そして期待に輝いた目で道中の危険を尋ねる鈴音。
「熊よりも、むーしろイノシシのがヤバいねぇ」
軽く思い出すように視線を巡らせる悠華。
「えー……イノシシって、ウリ坊とか、ようは豚ちゃんでしょ? 全然怖くないでしょ」
だが鈴音はまさかと言わんばかりに悠華の言葉を笑い飛ばす。
「いやいや! 豚の親戚なのは確かだけど、甘く見ちゃアカンよ!? 犬と狼一緒にしてるようなモンよそれ!?」
そんな鈴音の甘い見通しを、悠華は急いで訂正する。
「そう言えば聞いたことがあるわ。体重百キロくらいの巨体が車並みの速度で突っ込んでくるって。そして、軽自動車ですら壊してしまうらしいと」
「うぇ!? マジでッ!?」
梨穂が補足する形で挙げた破壊力の具体例。それには鈴音も目を剥き声を上げる。
「ホントいいんちょの言うと―りなんよ!? イノシシなめたらアカンからね!」
「う、うん!」
梨穂のフォローを受けた悠華の重ねての警告。それに瑞希と鈴音も神妙な顔でうなづく。
そうして山を歩く一同の周囲を、うっすらと埃の様なものが取り囲み始めていた。
今回もありがとうございました。
次回は5月15日18時に更新いたします。




