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買い物帰りに迫る気配

「ええっと、湿布の他に消毒薬も少なくなーっててー、軟膏も買い足しが要るのがあったよねー……っと」

 耳にこびり付く感じのCMソングの流れる薬局カンザキアスカの中、薬品コーナーを物色する悠華。

「ふんふ、ふんふふ、ふふふふふんふふ……」

 そうして鼻歌交じりに歩きながら、必要だと口にしたものを陳列棚から摘まみだしては、腕に引っかけた買い物かごへ放り込んでいく。

「ふふんふんふふふ……っと、まずいまずい。前に頼まれて買い物行ったおつりはあるけど、買いすぎ注意っと」

 言いながら悠華は棚に伸ばしていた手を止めて、籠をちらり。

 その内容を指差し確認してうなづく。

「ま、こーんなもんかね」

 ひとまず必要なものの揃ったことを確かめて、悠華は足をレジへ向ける。

「さーて、これで使った分は、後で婆ちゃんからもらっとかないとねー……財布の中身吹っ飛んじゃうし」

 レジへ向かいながら、悠華は財布をポケットの上から叩いて確認。

 家の必需品を買い足して空になった以上、追加の小遣いは要求しても許されるだろう。

 ただ、もし日南子に夜間の外出が見抜かれていたとしたら、その罰として使った分を出してはもらえないかもしれない。

 出かける前の日南子の様子。そして普段の厳格さからそこに思い至った悠華は口を引き結んで冷や汗を浮かべる。

「……もーらえるよねぇ、多分……」

 その不安に、悠華は強張らせた顔のままレジに向かう足を止める。

 そんな悠華の前に、まだセーラー服姿のボブカットの少女、荒城智子が現れる。

「あーれ? らっきー?」

 思いがけず出会ったクラスメイトに、悠華は目を瞬かせる。

「ああ、宇津峰さんじゃない。偶然」

 すると智子は片手を上げて応える。

「それとも、合わせてみねっちとでも呼ぼうかな?」

「うぇーへへへ、みねっちだよー……ってなにやらせんのさ」

 智子の作った呼び名に、悠華はしまりの無い顔を作って乗って突っ込む。

 その打てば響くようなノリ突っ込みに、智子は含みきれない笑いを漏らす。

「で、らっきーはなんでまたこんな時間にカンザキアスカにまで?」

 そんな愉快げな智子に対して、悠華は軽く息を吐いて話を振る。

「私? 塾の帰りよ。今終わったところなの」

「へぇー、たぁーいへんだぁー……アタシの場合は道場の強制稽古だけど、家な分はまだマシだぁね―」

 智子の事情に、悠華はいつもの伸ばし口調で同情を示す。

「おーよ? なららっきーの親御さんは? ここで待ち合わせ?」

 しかし智子の保護者らしい人物の姿が見えない事に、疑問を口にしながら辺りを見回す。

 だが智子は軽く鼻を鳴らすように笑って首を横に振る。

「……来ないわよ。ここに来たのは帰り道ついでの買い出し目的だから」

 智子が冷笑と共に言い放つ答え。

「な……んだってぇ……?」

 吐き捨てるようなそれの内容に、悠華もたまらず緩い顔を強張らせる。

「別に、いつもの事よ? 親とは日頃から干渉し合うことは無いし。まともに話をしたのは、行く塾を指定されたことくらいかしら?」

 智子が事も無げに暴露する家庭の事情。だがそれに悠華は、まるで真正面からロードローラーを叩き込まれたような衝撃を受けた。

 悠華も早くに死に別れた両親との記憶は、幼いころだけのおぼろなものだ。

 親との関係の薄さ。そこは確かに智子とも共通する。

 だがそれでも、悠華には嫌になるほど厳しく接してくる祖母がいる。

 そしてなによりも、霞がかった父母との思い出の中であっても、愛されていなかったという実感は無い。

 家族との触れ合いを当然のものとして持っている悠華にとって、荒城夫妻による智子への接し方は、思わず引くほどのものであった。

「そりゃ……悪い事、聞いちゃったかね」

 強張った顔のまま、吐き出す言葉を慎重に口の中で転がし選ぶ悠華。

 しかし対する智子は、どこかへ向けた冷たい笑いのまま軽く肩をすくめる。

「私にとってはいつもの事だもの、気にしないで」

 そう言うと智子は軽く息を吐いて鞄を持ち直す。

「これ以上遅くなると家での予定も詰まるから、手早く用を済ませるわね。それじゃ」

 智子は言いながら悠華の脇を通り抜け、目当ての品が並ぶコーナーへ向かう。

「ああっと!? 待った待った!」

「なに?」

 そんなクラスメイトへ慌てて振り返って引き留める悠華。

 すると智子は訝しげに片眉を上げた顔を肩越しに向けてくる。

「いくらなんでも一人じゃあーぶないって! ここで別れなくてもいいじゃん?」

 その悠華の提案に、智子はしっかりと全身で振り返りながら目を瞬かせる。

「私を送っていくつもり? それを言うなら宇津峰さんも危ないと思うけれど……」

 悠華の提案に、頬に手を添えて難色を示す智子。

「早く帰らないと、心配する人がいるんじゃないの? 私なら夜歩きは慣れているから……」

 そして悠華側の事情を遠慮して、やんわりと申し出を断る。

 だがそれに悠華は手を左右にひらつかせる。

「いやいや、実はアタシ、婆ちゃんにばれないように忍んで出てきたからさー、ちょーっと今すぐ帰るの怖いってゆーか? 覚悟を決める時間が欲しいなーってね?」

 自分自身の事情と目的、というか本音の片割れをさらけ出す悠華。

 バレていて叱られるにしても、なるべく早く帰った方が恐らくは軽く済むだろう。

 仮に気づかれていなかったとしても、時間をかければ、テラしかいない部屋を見られてバレるリスクも確かにある。

 そんなことは悠華も百も承知している。だがそれでも、夜道を一人歩くことになるクラスメイトを放置は出来なかったし、叱られる心の準備もしたかった。

「……ありがとう。じゃあ途中までね」

 半ば拝み倒すようにしている悠華。その意図を組んでか、智子は呆れ交じりにうなづくと、同行の申し出を受け入れる。

「やっはっは。助かったのはアータシもだよ。じゃ、用事が終わったら行こうか」

「ええ、そうね。ささっと済ませましょうか」

 悠華と智子の間でそういうことに話がまとまる。

「ありがとうございましたー」

 そうして必要なものを買い込んだ二人は、店員の声と耳にこびりつくCMソングを背にカンザキアスカを後にする。

「でさー、らっきーってどこの塾通ってんの?」

 白い月の浮かぶ濃紺の空の下、悠華は左隣を歩く智子に尋ねる。

「ここから少し行ったところにある塾よ。永淵委員長や同じ学校の子たちも同じ所に通ってるわ」

 悠華の質問に、街灯の作る線を指差し応える智子。

「へぇーそうなん? やっぱいいんちょってそこでも優秀だったり?」

「ええ永淵さんはいつも一位よ。やっぱり凄いわよ彼女」

「はー……すっごく頭いーのは知ってたけど、そーこまでとはねー」

 塾での成績の話題。そこで改めて知らされた梨穂の学力に、悠華はただ感心しきりに月を見上げる。

「……ま、表に出せる能力は、だけれど」

 だがそんな悠華の隣で上がる冷ややかな一言。

 それに振り向いた悠華の目は、智子の唇に浮かんだ微かな嘲笑を見つける。

「……どうかした?」

 しかし智子はすぐさま唇に浮かんだ笑みを消して、何事もなかったかのように悠華に尋ねる。

「い、いやー、なーんでも?」

 幻のように消えた嘲るような表情に、悠華は首を左右に振る。

「そーれよりさ、らっきーも結構すごいじゃん? そっちはどんなもんなんよ?」

 悠華は幻覚を振り払うように頭を振って、話を智子関連に向ける。

「私? 委員長に比べれば大したことは無いわよ? 塾でも八位だもの」

 事も無げに自身の順位を語る智子。

 本当にどうということは無いと言わんばかりのその一言に、悠華は頭痛を堪えるように眉間を抑える。

「はー……もー……学校のテストでも下から数えた方が早いアタシにとっちゃあ、どっちも空の上を見てるよ―なモンだよー」

 そう言いながら悠華は、眉間に置いた手をそのままに空を仰ぐ。

「……って、アレ? 確からっきーって、学校のテストでも、この前のももひとつ前のも学年八位だったような……」

 ふと思い出した試験順位。それに悠華は夜空を見上げる目を瞬かせてから、隣のクラスメイトを見やる。

「妙に縁があるのよ。アラビア数字でも漢数字でも、最も美しいと思う好きな数字だからかしらね?」

 悠華の視線に、智子は笑みを浮かべて首を傾げる。

 明らかな誤魔化しである。

 恐らくは狙って取っている順位である。

 ただ全力を尽くしたのであれば、いくら安定していたとはいえ、自然自分と他人の好不調に左右されて、多少順位の前後は起こるはず。

 ましてや比較する人間の異なる塾での成績順位でまで同じ順位というのは異常だ。

 恐ろしいほどに偶然が重なって、ごく稀に発生する可能性は0ではない。だがやろうと思ってでも難しいこれを、狙いもせずに起こすことはありえない。

「そーなん? ぐーぜんって、凄いねー!?」

 しかし悠華は、智子の試験順位を偶然の一致などではないと確信しつつもこれをスルー。

 明らかに一位を取るより難しいことをやってのけながら、それを誇ろうともせず誤魔化している以上、何らかの理由があるのだろうと、悠華はそういうものとしておいた。

「ええ、そうよね」

 対する智子は笑みのまま、悠華の言葉にうなづく。

 しかし、悠華を見つめる細められた目は、悠華が腹の底に仕舞った疑いを見透かしているようだ。

「や、やっはっは……ホント、ホント。らっきーが言う通りに妙な縁ってあーるもんだぁね」

 既視感のある智子の目。それに悠華はぞくりと身を震わせながらも、平常通りのおどけ声を返す。

 誤魔化しを見切った上でスルーしているのはどちらか。

 二人の間に流れる空気も、完全にひっくり返ってしまった。

 そしてそんな雰囲気の中、智子の唇に湛えられた笑みが深まる。

 冷ややかに深まる笑みに、たまらず息を呑む悠華。

「ここまででいいわ、ありがとう」

 だが智子の口から出た言葉は、予想外に穏やかな礼の一言。

「あ、え?」

 唐突に底冷えのする空気を散らして現れた平穏。

 その突然の空気の切り替わりに、悠華は戸惑いを隠せずに間の抜けた声を溢す。

「もうすぐそこだし、明るいところばかりだから」

 雰囲気の変化について行けていない悠華。それにこの雰囲気を作った当人である智子は、何もなかったかのように、話を進める。

「いや、でもそれなら中途半端より……」

「いいのよ。これ以上、宇津峰さんを連れ回したりしたら、私の気が引けるもの」

 食い下がろうとする悠華。しかしその言葉を半ばに遮って、智子が断りを差し込む。

「……わーかったよー、ホントにホントにホントにホントにダイジョブだーね?」

 重ねての断りに、悠華は渋々うなづく。

 そして歌うように節を付けて、念を入れて訊ねる。

「ええ、後は街灯が明るい中を少し進むだけだもの。心配いらないわ」

 そんな悠華に、智子はこみ上げた笑みを息とこぼしながら、心配無用と家までの地理を語る。

 あくまでやんわりとした遠慮。ではあるが、どこかこれ以上の踏み込みを拒否する智子。

 密かに、しかし確かに存在する壁の気配に、悠華は一歩足を引くしかなかった。

「ん、じゃーここで。またね、らっきー」

「ええ、さようなら」

 そうして悠華と智子は、僅かに離れた立ち位置から、互いに向き合って手を振りあう。

 別れの挨拶を交わした後、二人はほぼ同時に背を向けて、それぞれの家に向かって歩きだす。

 電柱に灯る光。それを補うようにたった街灯が照らす夜道を、黒ジャージの悠華はただ一人、買い物袋を提げて歩く。

『あー……テラやん、婆ちゃんは部屋に様子見に来た?』

 スニーカーの足音を鳴らしながら、悠華は右手中指の指輪を顔に近づける。

『いや、日南子さんなら部屋には来てないよ?』

『ホントに? 婆ちゃんに口裏合わせるように言われてない?』

『大丈夫だって、そんなことにはなってないから。悠華じゃあるまいし』

『そりゃどーゆー意味?』

 テラの証言に、悠華は胸を撫で下ろしながら苦笑しつつ思念話で突っ込む。

『どう言うもこう言うも、言葉のまんまだけど?』

『うわーお、キッツイ毒』

 相棒からの遠慮ゼロのコメントに、悠華は苦笑いのまま額を押さえる。

 土組の契約者と竜の、ダイレクトでぶつけ合うな思念でのやり取り。

 そんな念のキャッチボールの中、悠華は背筋からぞわりと身震い。

『あー……テラやん? もーしかしたらテラやんの心配が当たったか、も?』

 足を進めながら、相棒へ声に出さずに告げる悠華。

『なんだって……ッ!?』

 一息に緊迫の色を帯びたテラの思念。それを受けながら、悠華は足を止めずに背後の闇に耳をすませる。

 するとざり、ざり、と地面を擦るような足音が、確かに悠華の耳へ忍び入る。

今回2話同時更新しております。

引き続きお楽しみください。

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