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夜闇の買い出し

「あーもー……ひっでー目にあったぜよー」

 そう言いながら足を揉み解す悠華。

 あれから捕まっても交代はなく、いおりが鈴音と瑞希を送って帰る時間になるまで、塀の内を散々に追い回され続けたのだ。

 そんな鬼ばかりな鬼ごっこで逃走に酷使した足。

 悠華は軽く持ち上げたそれを、畳張りの自室で労っていた。

 現在の悠華の格好は道着ではなく、Tシャツとハーフパンツといった部屋着である。

 ちなみに今着ているTシャツには「くんたま」という四文字が書かれている。

 日を浴び続けて焼けた肌。その下に張りつめた筋肉が訴える疲労を押し出すように、悠華は腿から膝、ふくらはぎから爪先へと揉んでいく。

 テラとの契約で回復力は大幅に増しているが、マッサージやストレッチを行う意味が無いわけではない。

 むしろきちんと回復効果は上乗せされるため、ちゃんとコリや疲労は解しておいた方が良いのだ。

『まぁ、追い回されてたのは悠華だけじゃあないんだけどね?』

 疲れを後に残さぬため、自分の手で入念にマッサージする悠華の横で、テラがその後ろ脚を伸ばす。

「ああ、そー言やーテラやんもあたしを追っかけまわす前に、フラちんに追いかけられてたっけねー?」

 そう言って悠華は揉み解していた脚を畳に置いて、上体を左右に倒して腰を伸ばす。

「でもいーじゃん? アレはただ単にフラちんなりの過激な愛情表現なワーケだしさー?」

『他人事だと思ってぇ……妹に追い回されて体舐め回される身にもなってくれよ!』

 真剣に取り合わない契約者にテラは伸ばしていた足を下ろして恨めしげな目をやる。

「やっははは……じゃあさーあ、捕まりそうになったところで脱ー皮したらいいんでなーい? 今日のアタシみたいにさ」

 そんな相棒のジト目に、悠華は冷や汗交じりに笑いながら具体案を一つ。

 捕まれた道着を脱皮さながらに脱ぎ捨てたことで、日南子でさえも一瞬追い足を止めた脱出法である。

「あ、そーいやあれには婆ちゃんも反応が遅れたっけねー? 名付けて蜥蜴拳ってコトでどーよ?」

 祖母相手に挙げた一定の成果を思い出して、悠華はテラに新技採用の同意を求める。

『いや、どうだろう? そりゃ一回くらいは肝を潰すくらいに脅かせるだろうけど……』

 しかしテラはその問いには首を捻って難色を示す。

『変身した状態からやるにはリスクが大きすぎると思うよ? パワーも防御力も大幅に落ちるし、二度目からはインパクトも薄れるからまず効果は無いだろうし』

 そのまま目を瞑ってリスクを列挙。一度限りの奇策としてはともかく、まず普通には使えないものだろうという考えを告げる。

『……というかさ、オイラの脱出法って話が最初だったけど、そもそもオイラこんなナリだけど、抜け殻残すような脱皮なんてしないからね?』

「え? そーなん?」

 テラの一言に、悠華は心底から意外だと目をぱちくり。

 そんなパートナーにテラはため息交じりにオレンジの宝石のようなたてがみもどきに守られた首をふりふり。

『オイラ蛇じゃなくってドラゴンなんだけど? 甲殻は古くなった端から剥がれてくタイプだし』

 そう言ってテラは猫が伸びをするように、腰を高く前足を低く伸ばす。

「ふぅん、なぁーるほどねぇ……じゃーテラやんがやるには、砂やら石やらの鎧が必要だから意味無いってーコトねー」

 悠華はテラの説明にうなづいて、開いた足の間に上体を床に着くまで倒す。

『まあ、そういうコトだね』

「そーりゃあ残念……」

 相棒としては採用不能だと言うことに、悠華は柔軟姿勢のまま呟く。

「む、う……?」

 そこで違和感を覚えたのか、上体を伏せたまま首を傾げる悠華。そして傍らで伸びを続けるテラに目をやる。

『どうしたの?』

 契約者からの視線に、テラも首を傾げる。

「いやー、なんでか微妙に血行がイイ感じ?」

 テラの疑問に、悠華はなんとなく程度に感じたストレッチ効果を疑問符付きで説明する。

『え? なんでまたそんな?』

「いや、アタシにもなーにがなんだか?」

 唐突なストレッチ効果上昇の感覚に、土組は揃って首を傾げる。

 それはそれとして、二十秒の固定時間を経た土組は揃ってポーズを変更。同時に身を起して右方向へ腰を捻る。

「……う、あー……効、い、て、きたわ―……」

 体を捻りながら、絞り出すような声を上げる悠華。

 そしてまたおよそ二十秒で、テラと同時に捻りを逆へ返す。

「そーいやテラやん、ちょーっと急に気になったコトがあんだけどさー?」

『なにー?』

 ストレッチを続けながらの悠華の言葉に、似たようなポーズで先を促すテラ。

「テラやんってさー、穴掘る時どーやってんの?」

 悠華は投げ出した足に添った形に体を倒しながら、促された先を口に出す。

 装甲に覆われた犬猫似のテラの足。それは穴掘りにまったく向かないということはない。だがそれでも体型を含めてもぐらやケラほどに穴堀りに最適化したモノでもない。

『ああ、仕組みは話してなかったっけ? 触ってる土に力を通して柔らかくした上に、この甲殻から超振動波を出してそれで掘ってるんだよ』

 するとテラもまた同じような姿勢に鳴りながら、たてがみに似たオレンジの甲殻を前足で指して答える。

「へぇー……そーんな風にやってたんだー……」

 テラの答えに悠華は柔軟姿勢のまま自身の手を眺める。

「そーの振動波って、アタシも使えなーいかね? こう、波ーッ! ……ってカンジでさーあ?」

 そう言って悠華は両手を獣の口を作るように組み合わせて虚空へ突き出す。

『いやどうだろう? 絶対無理ってことは無いだろうけど、密着状態でないと使えないんじゃないの? オイラのも直接触るか触らないかくらいの射程距離しかないから』

 しかし悠華の見せた震動波を飛ばすようなイメージに、テラは苦笑を浮かべる。

『まあでも、今までにも無意識に使ってたかもだし、意識すればなにか違う部分が出てくるかもね』

「ふぅーん……そーゆーモンかねー……」

 相棒のアドバイスに、悠華は組み合わせた手を解いて顔の前に持っていく。

「怖い怖ーい婆ちゃんからの課題もあるし、色々じーっくり考えてくしかないかねー……っと」

 そしてこりを逃がすように首を左右に振ると、その場で軽く飛び上がるようにして立ち上がる。

「さて、仕上げに湿布湿布っとぉ」

 疲労回復の仕上げにと、湿布を求めて手を伸ばす悠華。

「およ?」

 しかし部屋に持ち込んだ薬箱を開けたところで、その首が傾く。

 それから箱を置いて、黒地にオレンジラインのジャージに手を伸ばす。

『どしたの?』

「いやーなーんかさ、湿布の他にもなーんやらかんやら切らしてるのがあったからさ」

 悠華は首を傾げるテラに答えながら、ジャージに足を通して出かける支度を進める。

『こんな時間に? 大丈夫?』

 テラはすでに七時を回った時計を見やり、次いで出かける準備を整える悠華へ目を戻して顔を渋く歪める。

「だーいじょぶだってぇー、歩いて十分くらいの「カンザキアスカ」にひとっ走り行ってくるだーけだし―」

 しかし悠華は相棒の心配をケタケタと笑い飛ばして手をひらひら。まともに取り合うつもりがまるで無い。

『そうじゃなくてさ。女の子がこんな時間に一人で出かけるなんて、物騒だって言ってるんだけど?』

 そんな女子としての危機感皆無な悠華に、テラは呆れと心配をまぜこぜにして嘆息する。

「あーらやだ嬉しい! アタシを女の子扱いしてくれるのね!?」

 だがしかし悠華はわざとらしく身をくねらせて見せる。

「でもへーきだってー。みずきっちゃんやすずっぺ見たいにかーいいとか、いいんちょみたいな美少女ならともかく、こんな黒焦げがっしりをわざわざ狙うのなんか、いるワケがない! いるワケがない! いるワケがない!」

『……なんで三度も繰り返すんだよ』

 胸を張って、三度も重ねて的外れな心配だと言い切る悠華。それにはテラもたまらずに深い深いため息を重ねて吐き出す。

『物質界の言葉で、たで食う虫も好き好き。なんていうのもあるんだからさ、安全だって決めつけるのは危ないよ』

「そーかねー? アタシがヒトのオスだーったとしても、アタシは対象にすらならないでございますぜよ?」

 しかし相棒からの重ねての警告にも、悠華は首を捻るばかり。

『……なんか悠華ってさ、変なところで捨て鉢って言うか、自分のコトを無視してるトコ、あるよね?』

 テラは自分の言うことにまったく納得しない悠華の様子を、そう評する。

「いーやいや、何を言うのかねテラやん」

 が、悠華はその一言もケタケタと笑い飛ばす。

「アタシはキツいのも痛いのもイヤでイヤでしょーがない、自分かわいい女ぜよ?」

 なに言ってんのとばかりに爆笑して、悠華はジャージの袖に腕を通す。

 するとテラも説得を諦めたのか、またもう一度深いため息を吐く。

『分かったよ。その代わり何か変な気配を感じたら、すぐにオイラを呼ぶんだよ? 人除けの結界やらなんやらで色々対処できるから』

 そして出掛けようとするパートナーの背中へ、いつでも助けに呼ぶようにと一言投げかける。

「分かった。テラやんがそう言うなら頼りにさせてもらうよ」

 重ねての真剣に身を案じての言葉。それには悠華も今度は笑い飛ばしはせず、うなづき片手を上げて答える。

 そしてジャージのファスナーを引き上げて前を閉じる。

「ほーんじゃ行ってくるぜよ」

『ホントに気をつけてよ』

「オッケーオッケー」

 どこまでも心配そうに声をかけるテラ。

 悠華はそんな相棒に軽く手を振って自室を後にする。

 襖を後ろ手に閉め、板張りの廊下を鳴らさぬように抜き足差し足忍び足。

 日南子に見つかれば、こんな時間に一人でどこへ行くのかと問い質されるのは必至。

 それを避けるべく、悠華は気配を殺して玄関へと向かう。

 恐らく日南子の居るであろう居間。

 その出入り口である襖に近づくにつれて、悠華は吐く息を肺の内に押し込め、入念に気配を消す。

 そのまま悠華は息吹も足音もなく襖の一枚を越える。

 だがその刹那、悠華が横切ったばかりの襖が音を立てて開く。

 身を強張らせ、足を止める悠華。

 悠華はそのまま、厳しい怒鳴り声を覚悟するかのように、息をひそめたままその場から微動だにしない。

 しかし開いた襖から、日南子は一向に姿を現さない。

 そのままどれほどの時間が経ったか、悠華の体は空気の入れ替えに飢えて震える。

「……はぁ……」

 そして襖の奥から呆れたようなため息が吐き出されるのに続いて、居間の出入り口が滑って閉じる。

 静かに閉じた襖の音を後押しに、悠華は玄関へ向けて焦り調子に擦り足。

 そして愛用のスニーカーを一段下がった足元に臨んだところで、静かに、長く、息を吐き出す。

 溜めこんでいた息を出した後、悠華は不足した酸素を密やかに補給。

 悠華はそうして息を整えながら、身を捻って居間の出入り口へ目を向ける。

「……見逃してくれた……ってのか、ね?」

 引き留め叱るでもなく、ただため息だけで戸を閉めた祖母。その意図を推し量って悠華は呟く。

 そして前へ向き直った悠華は、改めてスニーカーにつま先を通すと、なるべく音を抑えて家の外へ。

「さぁて、さーっさと買うもん買って帰ってきますかね。無ー駄無駄に遅くなってお説教はごめんだもんねー」

 閉まった扉を背中に、悠華はいつものおどけ調子で言う。

 そして大門脇の小振りなドアから道路へ出ると、太陽の熱を失いつつある夜気の中へ、黒ジャージに包んだ身を軽い足取りのままに投じる。

今回もありがとうございました。

次回は4月3日18時。連載一周年記念に2話同時更新いたします。

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