目標不明
赤い陽の差し込む宇津峰の道場。
「イヤッ!」
畳張りのその床を踏み込んで、道着姿の悠華が拳を固めた腕を振り下ろす。
震脚が生んだ重い響き。
その残響が残る畳を踏み締めながら、悠華は腕全体を鞭のように振り終えた姿勢のままで目を横にやる。
怖々と覗き窺うその先には、同じく黒帯の道着を着た祖母の姿がある。
腕を組んで出入り口を塞ぐように立つ日南子は、睨むような厳しい顔のままそれを横に振る。
このように母屋へ通じる通路は怖い見張りが塞いでいる。だがしかし道場の庭に面した戸のいくつかは開け放たれていて、出られないわけではない。
しかし日南子の目が黒々と光っているこの状況では、庭へ出る前に確実に回り込まれてしまう。
腕を組んで、ただ厳しく孫の動きを評しているように見える日南子だが、その実瞬間的にトップスピードを生み出せるように備えられている。
言わば日南子一人で堅牢な包囲網を作り上げられているようなものなのだ。
悠華は逃げてサボれる気のまるでしないこの状況に、諦めを乗せたため息を一つ。
そして庭で妹を鬼に追いかけっこを堪能している相棒を見やると、息を整えながら拳を引く。
「コォォ……」
深い呼吸を繰り返しながら、左拳を前に身を低く構える悠華。
「……さっきのも充分鋭かったと思うんですけど、ダメ……なんでしょうか?」
深く沈んだ構えを取る親友に、貸し道着姿の瑞希は首を傾げる。
「だよねぇ? こう、ズバーンッ! てカンジで、パワー出てたよね?」
その隣で同じく道着の鈴音も、拳を突き出す型を取りながら顔に疑問符を浮かべる。
「そうね。踏み込みに腰の入り方……アレが変身して繰り出されるって考えたら、ゾッとするくらいね」
そんな二人の疑問に、いおりも額の汗を払ってうなづく。
クリオネ型のヴォルスを撃退してからあくる日の放課後。
都合のつく者の全員が宇津峰流の道場へ集まって、型稽古の反復を中心に鍛練をしているのである。
「エェアァッ!!」
拳を休めて会話する仲間たちをよそに、悠華は再び踏み込みを響かせる。
低くから体ごとぶちかますように突き上げた拳。
それはサイが突き出した角とイメージが重なる。
が、駄目。
見事にサイの角突きを象った一撃も、日南子の首を横に振らせるだけであった。
「なら、どうしてですか? 悠ちゃんの拳法のなにがいけないんです?」
先のゾウの鼻を模した腕の振り、加えて今の犀拳も不合格。それ以前のことごとくも食らった否の評価に、瑞希は募らせた疑問をいおりへ投げる。
「そう、ね……」
するといおりは、拳を繰り出す型の反復を止めて、困ったように首を傾げる。
「お師匠様が厳しいのはもちろんだけれど、単純な威力を求めているわけではないから……かしらね」
言葉を選びながら、悠華の拳が認められない理由を告げるいおり。
「なんで威力を度外視に? 戦いの技ですから、そこか一番重要じゃないんですか?」
「私らに分かるように説明してくださいな」
だが理由の肝をぼかしたその説明に、瑞希と鈴音もまた拳突きの型を止めて質問を重ねる。
「ええ、分かったわ」
いおりはさらに重ねられた問いに、うなづき一つ。道着の合わせを直して咳払いをする。
「まず今宇津峰さんがやっている修行は、象形拳という動物などの動作をモデルにした拳法の新型作りなのよ」
教師モードに入ったいおりは、教鞭を振るように揃えて伸ばした左の人差し指と中指を振り振り。目の前の生徒二人への講義に入る。
いおりの語った通り、象形拳とは何らかのモチーフを持った拳法である。
カマキリを模した蟷螂拳。酔っぱらいの動きをモデルとした酔拳。このあたりの名前は聞き覚えのある人もいるだろうか。
しかし特定の流派その物と言う物では無く、○○流××拳と言うように、様々な流派が各々に成立させてきた技である。
ところで酔拳と聞けば「酔えば酔うほど強くなる」という言葉を連想する人もいることだろう。
だがこれはフィクションである。
そもそもアルコールを入れた体で戦闘運動をすることが、非常に危険でありナンセンス。
そのようなドーピングが可能なのは、まず創作上の人物くらいのものである。
「……と、雑学的な話はともかく、そういう技の宇津峰さんなりのモノを作っている訳なのよ」
いおりはそこで説明を区切ると、教鞭に見立てた左手の指二本を右手のひらに弾ませながら一つ息をつく。
「ヤアッ! ハアッ!」
それをよそに、悠華は震脚を二連。それに合わせて拳を右、左と畳にたたきつけんばかりの勢いで振り下ろす。
しかしゴリラを彷彿とさせるパワフルな連打も、やはり日南子に言わせれば不合格であった。
そんな祖母の反応に悠華はこれ見よがしに項垂れて見せて、再び呼吸と構えを整える。
「そもそもこれは、私がお師匠様と相談して考えた訓練で……さっきも言ったけれど、最初から技としての威力や完成度は二の次なのよ」
悠華の様子を一瞥して、いおりは講義を再開する。
「さて、ここは忘れてないかの復習だけれど、まず私たち契約者の力の源は何かしら?」
そう言って教鞭に見立てた指を生徒側に向けて、生徒側からの答えを求める。
いおりの設問におずおずと手を上げる瑞希。
それにいおりは差した指を黙って傾ける。
「えっと……契約者自身の心と、命の力を受け取った幻想種です」
「はい、その通り」
瑞希の答えにうなづいて、いおりは再び伸ばした指を掌に弾ませる。
「私たちの生み出した心と命の力、それが幻想種の力となって、また変身した私たちの力となるわけね」
そう言っていおりは庭でじゃれるフラムとテラを指で指して、そこから身構える悠華との間で横にした8の字を描くように巡らせる。
「つまりは回り回って増幅された、私たち自身の精神力と生命力が力になるわけだから、迷ったり、弱気になっていたりしたら大幅に力は落ちるわけね? ここまではいい?」
いおりはそこで無限大のエネルギーの巡回路を描いていた指を止めると、確認するように生徒たちを振り返る。
「じゃあ、とにかく悠ちゃんが絶対の自信を持てる技を用意しているってことですか?」
「これならとにかく負けないってカンジの?」
説明を受けて、それぞれ自分なりの推測を述べる瑞希と鈴音。
「そう。狙いの半分はそういうことよ。ただ、絶対の自信を込めた技というのは、見切られた場合のデメリットも確かに大きいのだけれど……」
「半分は? 他になにか目的が?」
「もー、もったいぶらないでくださいよー」
いおりの言葉の前半分に首を傾げる瑞希と、唇を尖らせる鈴音。
「ええ、それで半分よ。ただ技に自信をつけるなら新造の象形拳である必要は無いわよね」
そう言ういおりに対して、瑞希は黙って次の言葉を待ち、鈴音に至っては顔全体で「またそうやってもったいぶる」と抗議する。
先を促す二人の生徒。
いおりはそんな目の前の二人に、苦笑混じりに首をひねる。
「この先は宇津峰さんを含めて、あなたたち自身が考えつくべき事なのだけど……」
どうしたものかしらと、困ったように眉を寄せるいおり。
その間に、またも悠華が震脚を響かせて気と拳とを空に放つ。
やがて語るべきヒントがまとまったのか、いおりは小さく顎を引いて口を開く。
「いくら心が力を生むと言っても、憎しみに乱れた心では契約者と幻想種の繋がりは乱れるの。パイプが詰まれば水は流れない。それどころかいずれは破裂しかねない。私から言えるのはここまでね」
そう言っていおりは言葉を切り、揃え伸ばしていた二本指を緩める。
「さて、と。休憩はもうこれくらいで良いでしょう?」
そして拳を握ると、虚空へ向けて構え、息を整え始める。
残りは宿題、とでも言わんばかりに型稽古に戻る教師。
それに対して瑞希と鈴音は、渋々と生命を鍛えに入ったいおりに倣う。
悠華は、そんな教師と友だちたちの様子を横目で見やって、ため息を一つ。
「……あーあ、正解は聞けなかったかぁ」
象るべきモデルについてあわよくば、と考えて講義に耳を向けていた悠華は、結局重要な部分が宿題とされたことに眉を寄せて見せる。
そうしてわざとらしく唇を尖らせて作った拗ね顔のまま、大きく肩を上下。
「……悠華、気が緩んでるよ?」
「オッス! グランマッ!?」
しかし鋭く光った日南子の目にビクリと震えると、慌てて呼吸を整えて次なる型へ備える。
そんな孫娘の様子に、日南子は腕組みのまま鼻を鳴らす。
「まったくこの馬鹿孫は……だいたい今までやってみせた型のどいつもこいつも、やみくもに既成モノを改造しただけのモノじゃないかね」
そして焦れたように、今までの型にボツを食らわせた理由を口に出す。
「だってさぁー婆ちゃん? 今まで習ったヤツが洗練されすぎててさー、どーしてもそっちに引っ張られるんよぉ」
だが悠華はそんな祖母に、この課題が身に余る難題だと抗議の声を上げる。
「やかましい! 誰が歴史ある拳を越えたモノをお前に期待したッ!?」
しかし日南子はそれを一喝。
「格好つけの余計な雑念が入るから、拳として成立したモノに引っ張られるのだ!! いいから次をやって見せよ! 不恰好は承知しているわッ!!」
そして難題としている原因を悠華自身の見栄と一蹴。次を促す。
しかしそう言われては、悠華も見せるためのモノでは無く、本心からの渋面になる。
「んなコト言ったってもうネタ切れだし……」
「観察が足りんのだ観察がッ!! だいたい発想も固い! 普段の稽古サボりにひねっている頭はどこにやった!?」
捨て鉢になって呟く悠華。それを日南子の怒声がまたも襲う。
「残念ながらアータシの脳みそでは取り扱っておりませんー!」
しかし悠華も負けじとふざけ調子に言い返す。
「ええい! このアホ孫めがッ! だったら組手の中であたしが直々に引きずり出してくれるッ!!」
孫娘の煽るような言葉に、日南子が組んだ腕を解いて拳を構える。
「ゲェーッ!? やっばぁッ!?」
そんな祖母の肌を叩くような闘気に、悠華は目を剥き背を向け一目散。
「逃がさんッ!」
だが日南子は恐ろしく静かに、しかし素早く畳を渡って悠華の背に迫る。
「うっげぇッ!?」
すでに襟首を掴もうと狙う日南子の姿を肩越しに認めて、悠華は品の無い声を上げる。
だが日南子が道着の後ろ襟を掴んだ刹那、悠華は両の腕を後ろに伸ばして飛ぶ。
すると道着を整えていた帯が解け、悠華は足の勢いのまま脱皮。
「なにッ!?」
驚く日南子の声を背に、悠華は捕まえられた道着をとかげの尻尾の如く脱ぎ捨てて庭へと飛び出す。
オレンジのスポーツブラに焼け残りの白い肌。
それらを夕日の中に晒しながら、悠華は飛び出た庭で前回りに受け身。
そして転がった勢いに乗って立ち上がると、裸足のまま土を蹴り逃げる。
「おのれッ! 待たんかアホ孫ッ!!」
捕まえるためにブレーキをかけていた日南子は、右手に残った道着の上を投げ捨て、孫娘を追いかけて庭へ。
「へーんだッ! 待てと言われて素直に待つものかってんだーいッ!」
捕獲体制から切り替えるまでのタイムラグを突いて稼いだ間合い。それを無駄にするまいと、悠華は全速力で塀と庭との間を母屋に向けて走る。
日南子の足は確かに、アナタのような年金受給者がいるものかというレベルのスピードだ。
しかし悠華はそんな足の持ち主の孫娘である。
基礎身体能力と遺伝の関係は絶対ではないが、悠華は日南子が求めて鍛え続けてきたのは間違いない。
道場から母屋の間、その僅かな距離で追いつかれるほど、悠華の足は鈍くはない。
「あはは! 待て待てぇ!」
しかし母屋へ飛び込もうとしたところで、不意に響く楽しげな声。
「待てと言われて……って、うええッ!?」
悠華はその声に反射的に顔を上げて、思わず目を剥き足を止める。
「あっははっ!」
悠華の見上げた先。そこには笑い声と共に屋根から振ってくる鈴音の姿が。
腕を広げて飛び込んでくる小さな友人を、悠華はとっさに横へ転がるようにして回避する。
「な、なにッ!? すずっぺ、何のつもり!?」
魔法による身体強化を全開にしてか、いつの間にか先回りして逃げ道をふさいでいた鈴音。
その無邪気な笑みに悠華は片手片膝をついた姿勢で問いをぶつける。
しかし切羽詰まった悠華に対して、鈴音は満面の笑みのまま小首を傾げる。
「え? だって鬼ごっこで特訓の時間なんでしょ?」
何を言ってるのかマイフレンド? とでも言わんばかりに、ワクワク顔で尋ね返す鈴音。
「うぇえッ!? 何がどうしてそんなことに!?」
だが当の悠華はいつの間にか切り替わり始まっていた特訓に目を剥くばかり。
「……と、言うわけだから、お師匠様と私たちで宇津峰さんを追いかけるわ」
その声に悠華が振り返れば、ほんの数歩の間を開けて立ついおりと日南子が。
「えええッ!? いおりちゃんセンセッ!?」
いおりの宣言に驚き声を上げる悠華。それに続いて、いおりの後ろから出てきた瑞希が親友に向かって申し訳なさそうに手を合わせる。
「えと、悠ちゃんゴメンね? なんか私も日南子さん側に回されちゃって……」
『あ、オイラたちも追いかける側で参加するからね?』
『あたいもだよぉ』
『もちろん、ボクも楽しませてもらうからね?』
そして土、火、風の竜の兄弟たちも鬼側での参加を告げる。
「そんなバカな……ッ! 鬼が七に逃げるのが一ッ?! なぜ?! ありえないッ! どうしてアタシがこんな目にッ!?」
周囲を鬼に取り囲まれた状況で始まる鬼ごっこ。
このあまりにも不利な状況に、悠華はただ顔を強張らせて嘆くことしかできなかった。
今回もありがとうございました。
次回は3月27日金曜日18時に更新いたします。




