捕われた水と風
「い、いたたたた……」
「う、うう……ここは?」
グランダイナたちが巨大アリの上に持ち上げられた一方。
鈴音と梨穂は、それぞれの契約竜と共に身を起こす。
『あのヴォルス……サイコ・サーカスと呼ばれていたか? ヤツの支配する空間らしいな』
『やれやれぇ、ボクら思いっきり分断されちまったってワケだね』
青と緑の微かな光だけが灯る薄暗い空間。それを眺めて首長竜は冷静に現状を分析し、翼竜は鼻から長いため息を吐き出す。
「とにかく、この場から脱出するべきよ。あのピエロが何を企んでいるにせよ、律儀に付き合う必要は無いわ」
「……ま、同感かな。閉じ込められたまんまっていうのは面白くないし」
梨穂が暗がりの中で立ち上がり、髪を掻き上げながら脱出を提案する。すると鈴音は、腰を手で払いながらしぶしぶと言った様子で首を縦に振る。
『さてさて? それを問屋が卸しますかな?』
だがそれに一拍遅れて、光が薄闇の中に弾ける。
「うッ!?」
「眩ちッ!?」
不意打ちに目を襲った眩しさに堪らず呻く梨穂と言葉を噛む鈴音。
とっさに目を逸らして顔を腕で庇った二人が、かざした腕を下げて光の出所へと目を向け直すと、そこには暗紫の「J」で左目を縁取った、蝋のように白い顔をした女の巨大な顔があった。
「サイコ・サーカスッ!?」
虚空に現れた自分たちをここに突き落とした張本人の顔のアップに、梨穂と鈴音は揃って警戒も露わに身構える。
『せっかく私たちのショーに招いたのだから、一幕も見ていただけずにお帰りいただいては沽券にかかわると言うものですわ』
丁寧な言葉を嘲笑に乗せて吐き出すサイコ・サーカスの虚像。その眉間を梨穂のウェパルの先端から迸った水が撃ち貫く。
「悪いけれど、サーカス見物してる暇なんて無いのよ。落とせば大手柄であるだろう貴女が直接相手をしてくれるなら別だけれど?」
掻き消える虚像に対し、自身に満ち満ちた笑みで髪を掻き上げ、慇懃無礼に返す梨穂。
『あら、そう言われては是非にお相手を、と言いたいところだけれど……』
だが別の場所に再び現れたピエロ女の虚像は、そこで言葉を切って至極残念そうに首を横に振る。
『あなたたちにお礼をしたいと言っている者がおりますので、そちらのお相手を先にお願いするわね』
その一言と共に、正中線から割れる白いピエロ女の顔。
観音開きに割れたそれから姿を現したのは、二足歩行六本腕の雌ウサギであった。
「なぁーんだ、またあのウサギ?」
「さっき逃げだすほどに痛めつけられたのを忘れたのかしら? 大した功績にもなりそうにないし、がっかりだわ」
ヴォルス・ラビットの登場に、鈴音は足元を蹴ってあからさまなまでの落胆を見せ、梨穂も髪を掻き上げながらの嘲笑で迎える。
『ええ、ええ。分かっていますとも。彼女がそのままではショーにはならないでしょうね』
そんな二人の反応に予想通りとばかりにサイコ・サーカスからの同調の声が上がる。
『ですから存分に歯ごたえを楽しめるように……彼女にも本気を出させて上げましょう』
そして続いた声と同時に、ヴォルス・ラビットの背中に黒い刃が突き刺さる。
『あ、あぁあああああああああああああッ!?!』
「えッ!?」
「へあッ!?」
空気を揺らし、長い前歯を剥きだしに身悶えする六本腕のウサギ。
その声と尋常でない苦悶ぶりに梨穂と鈴音は呆けた声を出しながら反射的に気を強張らせる。
そんな水組と風組の前で、ヴォルス・ラビットは左右共に二番目の腕から黒い長剣を取り出し握る。
『キギ……キギギィィイイイイイイイイッ!!』
軋むほどに食い縛った歯から金切り声を吐き出して、化けウサギはその体を筋肉で一回り巨大化。そしてすぐさまその太い脚で地を踏み鳴らして踏み込む。
「うッ」
「ひゃんッ!?」
瞬きの間に二人に肉薄した化けウサギは、握った黒い剣を一閃。
梨穂と鈴音は共に辛うじて黒い鋭刃から逃れたものの、長い青髪の先と薄いリボンフリルの一部を切り裂かれる。
『ギィ……アァアアアッ!!』
元がウサギとは思えないほどの獰猛な目を巡らせ、ヴォルス・ラビットは逃した標的を目掛けて空を切った刃を追わせる。
「なめるなッ!?」
「アッハハ! やるぅ!?」
しかし追いかけてきた右の横一文字を梨穂は傘で受け、鈴音は左の切り上げを引き離して空へ逃れる。
そのまま梨穂は受けた刃を傘に滑らせ、ウェパルの先端を六腕ウサギに突きつける。
「ぉぐぅッ!?」
だがその刹那、ウサギは拳を握った左三番目の腕を梨穂の脇腹に突き入れ、その勢いのまま離脱。床を、壁を、そして天井を蹴って、空中で対地体勢に身を翻す鈴音に肉薄する。
「んなッ!?」
跳躍しかできないと見くびっていた相手の意外な方向からの強襲。
それに鈴音は驚愕に大きな目を剥きながら、とっさに風を吹かして横っ飛びに逃げる。
しかし風を正面から受けながらウサギは突進。両手の黒い刃を突き出す。
「ひっ!?」
首を狙い迫る刃に息を呑む鈴音。だが偶然に差し込んでいたレックレスタイフーンの柄が刃を逸らして、凶刃は首の皮を浅く裂くに止まった。
「あぐッ!?」
しかしウサギは血走った目と勢いをそのままに、鈴音へと体当たり。緑のへそ出しドレスに包まれた華奢な体を押し飛ばす。
刹那、下からの水のレーザーがウサギを奇襲。だがそれをウサギは上の腕に呼び出した両刃斧の一つを盾に受け流し、逆の手に持っていたもう一本を梨穂へ向けて投げ下ろす。
「クッ!?」
回り、弧を描いて迫る斧。それから梨穂はバックステップに跳び退き回避。
その間に鈴音もまた空間の果てを前にウェントの作った風のクッションに助けられていた。
『どうしたの? もっと思いっきり暴れちゃいなよ』
「アハ。いきなりぶつかりがいが出てきたからビックリしただけよ」
パートナーと軽口を掛け合いながら体勢を立て直す鈴音。そして後ろの壁を蹴ると同時に、翼のようになったフリルやリボンから暴風を吹き出して飛翔。
「おっ返しぃいッ!?」
風を纏う弾丸となった鈴音の狙いは、空中でブーメラン軌道を描く斧を迎える六腕ウサギの横顔。
接近を察知したウサギが中腕の剣を振りながら身を捻るも、レックレスタイフーンの超高圧空気で出来たメイスヘッドは突撃の勢いにも助けられて刃の防御もろともにウサギの上肩を打つ。
『ギキイッ!?』
刃ごとに叩き込み、白い毛皮を朱に染めた一打。その痛みにヴォルス・ラビットは歯の軋みを残して、地に墜ちる。
空中で体勢を整える術の無い六腕ウサギは、そのまま鈍い音を響かせて落着。
「はぁあッ!!」
梨穂はそこを狙い、ウェパルの水レーザーを撃ちながら、水飛沫を伴う滑走で接近する。
倒れた異形の人影は、繰り返す水の銃撃を斧の刃を盾に受け止めながら立ち上がる。しかし銃撃の中立ち上がった六腕ウサギに対しても、梨穂は速度を弛めずにスケーティング。
そして敵を間合いに収めた瞬間、レーザーとして放っていた水を鋭さそのままに凍結。氷の刃と変えて振りかぶる。
『ギキッキィイイッ!?』
それを待っていたとばかりに、ヴォルス・ラビットは右の中腕に握った長剣を横一閃。
だがその真下を、梨穂の笑みが膝と後頭部を擦るほどのリンボーで潜り抜ける。
「甘かったわね」
そして冷笑のままに髪とコートから水飛沫を振り撒きながら立ち上がり、その勢いに乗せて氷刃を繰り出す。
「なにッ?!」
しかし冷たく優雅に放たれた剣撃を迎えたのは硬い激突音。
梨穂の放ったウェパルの斬撃は、ウサギが背に回していた刃に受け止められていた。
『ィイイアァッ!!』
「クッ!?」
梨穂はとっさに突き出された後蹴りをかわしつつ、刃を引いてウェパルを展開。人魚の浮かぶひし形模様の傘を敵との間に挟む。
その直後、ウサギの振り返り様の斧と剣が傘の表面を叩く。
「うぅッ!?」
さすがに竜の契約者の杖と言うべきか、ウェパルは鋭い刃物の激突すら雨を弾くように防ぐ。が、その重みまでは消しきれなかったのか、持ち手である梨穂は腕を襲う苦痛に堪らずに眉を歪めた。
そのまま足から飛沫を上げて、後退りに滑る梨穂。
『キギィア!』
滑る梨穂を逃がすまいと、ヴォルスは膝を深くする。
「アハハハハッ! よそ見してると危ない……よッ!?」
構えるウサギの頭上から、楽しげな笑い声と共に落ちてくる風の塊。だがしかし、そこへ追撃の牽制に梨穂の放った水レーザーが、ヴォルス・ラビットだけでなく鈴音をも襲う。
『うひゃおうッ!?』
「う、わッ!?」
ウェントがとっさに気流のバリアを展開。そして鈴音も身をよじったために、かろうじて直撃は回避。
しかし散らし切れずかわし切れなかった水の一閃が僅かに鈴音の腕や足、腹に赤い血の筋を滲ませる。
『イギィッ!』
そして生まれた隙を逃さず、六腕ウサギは上腕の斧で緑の疾風を叩き落とす。
「ぐ、あがッ!」
『あぐふッ!?』
硬い床にめり込むほどに叩きつけられ、濁った悲鳴を上げる鈴音と、その下敷きのウェント。
「良しッ!」
『チャンスだ、梨穂!』
だがクラスメイトと弟の危機に、梨穂とマーレの口から出たのは攻めのチャンスに対する喝采だった。
足元の風組に意識を向けているウサギに対し、梨穂はウェパルを畳んでフェンシングのような構えでその先端を向ける。
そして自動的にまとめ紐が傘の身を絞ると同時に、水の塊がその先端から放たれる。
人一人を容易く飲み込めそうな水の奔流。
大蛇にも似た鉄砲水は大口を開けて、真っ直ぐにヴォルス・ラビットへと突き進む。
狂暴なまでの水の勢い。それに六腕ウサギも振り返ると下腕にもかぎ爪の様な刃の剣、ショテルを握る。そして六つの刃全てを鉄砲水へ叩きつける。
黒い鋭刃にぶつかり、裂け砕ける鉄砲水。
だが大技を凌いで息を吸ったウサギへ、ウェパルを振りかぶった梨穂が躍りかかる。
そう。先の極太の鉄砲水は梨穂にとっては目眩ましに過ぎない。派手な攻撃で気を引いて、その隙に乗じて仕掛ける。そういう狙いであった。
『キギィアアッ!!』
だがウサギは素早く身を切り返すと、その勢いのまま剣を一閃。飛び掛かった梨穂は真っ向から切り捨てられる。
しかし真っ二つになった梨穂から血は流れず、変わりに無色の水になって崩れ落ちる。
『ギ、キィ?』
いつの間にか立ち込めた霧の中、床に落ちて弾ける水に戸惑う六腕ウサギ。
そこへ今度はウサギの左、そして上に同時に二人の梨穂が姿を現す。
左から進むものは氷の刃で切りかかり、水の上に立って浮かぶものは銃に見立てた傘を構えている。
対してヴォルス・ラビットは左からのを無視。間合いを開けて狙いをつけている空中の梨穂へ、上腕の斧を投げ放ってその場から飛び退く。
恐らくは間合いを開けて攻撃をかけてきている方が本物と見込んでの行動。
だがブーメラン軌道を描いた斧を受けた梨穂は水となって弾け、その当てが外れであることをウサギに告げる。
それを受けて、六腕ウサギは身を翻して左中腕に握った剣を振り下ろす。が、刃を受けたこれもまた水の虚像。本物の梨穂ではない。
襲ってきたどれもが偽物であったということに、ヴォルスは充血した目を辺りを取り囲む霧に走らせる。
そんなヴォルス・ラビットを目掛けて、四方八方から開いたウェパルが人魚の浮かぶひし形模様を前面に突っ込む。
『イギィァアアッ!!』
本物を隠す無数の傘。
それにヴォルスは上腕の握る両刃斧を横薙ぎに投げつける。
弧を描いた斧にウェパルたちは、次々と裂けてその場に水音を立てていく。
水の虚像を薙ぎ払う斧が戻る間も与えず、斧の軌道上から外れていたウェパルたちはヴォルスへ肉薄。
『イギィッ!?』
六腕ウサギは自身を中心に引き寄せられるように集まるそれらを蹴りと剣とで薙ぎ払い、戻ってくる斧を放って飛ぶようにその場から離れる。
しかし霧を突き破るようにして跳ねたヴォルス・ラビットであったが、まるでその軌道を読んでいるかのように、逃げた先で新たな傘が霧の奥から現れる。
『ギィィイイギィイイイイイッ!!』
霧の中を跳ねても跳ねても現れる人魚の収まった青いダイヤ模様に、とうとう六腕ウサギは半狂乱になって武器を握る腕を振り回す。
だが振るっても振るっても、足元を叩く水音が鳴るばかりで、一度も実体のモノには当たらない。
しかしついに、左下腕のショテルが手応えを得る。
盾を迂回して持ち手を傷つけるために弧を描いた刃が、触れても水に変わらぬ傘を捕らえたのだ。
ついに実体に当たったヴォルスはそのまま持ち手から引き剥がすように湾刀を引く。
『残念だったね』
だがそこにいたのは梨穂ではなく、霧に浮かぶ水竜のマーレ。
「ゲームセットよ」
そしてヴォルスを挟んでマーレの逆側、濃い霧を割って現れた梨穂が、冷たい嘲笑と共に両手に握った氷のサーベルでウサギの背中を切りつける。
『アギャッ!?』
濁った悲鳴を溢しながら、握った剣を取り落とすヴォルス・ラビット。
赤く染まった背中を見下ろしながら、梨穂は血のりのついた氷の刃を投げ捨てて、水流で招き寄せたウェパルを改めて手にする。
「さて、スコア一つ」
そして傘型の杖の先を向けた瞬間。横殴りの突風が梨穂たちを襲う。
「うっくッ!?」
予期せぬ水を含んだ風の襲撃に、梨穂は気を取られて仕留めにかかろうとした手を止めてしまう。
その瞬間、風に乗って突っ込んできた鮮やかな緑が、傷を負ったウサギにメイスを叩き込む。
「な!?」
『……にぃッ!?』
目を剥く水組の目の前。両手持ちにしたレックレスタイフーンの柄頭を敵へ打ち込んだ鈴音は、打点から広がる緑色の魔法陣を見下ろしながらその小さな唇を開く。
「……浚っていくのは誰? 盗んでいくのは誰?」
呪文の詠唱に沿って渦を巻く風。しかしその風は広がるのではなく収束。ヴォルスを打った柄頭へ向かって自身をねじ込んでいく。
「見えざる盗人鮮やかに、その手に握って持っていく。流れ流れて飛んでいく。手当たりしだいに掴んでく」
やがて魔法陣までもが風と一緒に打点へと吸い込まれて行き、詠唱の結びと同時に消えて失せる。
そして一拍の間を置いてからヴォルスの体が膨張。まるで一瞬で許容量オーバーの空気をねじ込んだ風船のように弾け飛ぶ。
寄り代だった女性を残し、光を含んだ風になって消えたヴォルス・ラビット。
「あー……スカッとしたぁあ!」
一仕事終えて、晴れ晴れとした顔でメイスを肩に乗せる鈴音。
そして振り向いた笑顔の先では、形の良い眉を不快げにひそめた梨穂が唇を引き結んで立っていた。
「……どういうつもり、五十嵐さん?」
『ウェントもだ……なんで今割り込んだ?』
結んでいた唇を開き、努めて抑えていると分かる声音で問う水組。
対する風のチームは互いに顔を見合わせると、同時に軽く肩をすくめる。
「どういうも何も、そんな大物でも無かったし? 倒せるタイミングだから入っただけだけど?」
『そうそう、いわゆる露払いってヤツ?』
割りこんで浄化した理由を、口の片端を持ち上げての笑みで返す鈴音とウェント。
そんな両者の間で、空気が凍えるように固まろうとしていた。
今回もありがとうございました。
次回は1月23日18時に更新です。




