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瑞希、走る!

 悠華が悪夢に苦しんでいる一方の山端中学校。

 放課後のHRを終えた二―Bの教室では、瑞希が帰り支度を進めながらため息を一つ。

 眼鏡の奥の目が見つめるその先には、持ち主不在の空いた机が一台。熱の為に欠席した親友の席があった。

 瑞希はそんないつもの愉快な調子を失った席を寂しげに眺めて、ため息を重ねる。

 そして鞄の中に教科書やノート、勉強道具を仕舞っていく。

「ねえ明松かがりさ……」

「明松さん」

 調子よく呼びかける声を遮って上からかかる声。それに瑞希が顔を上げると、声の主であるいおりと目が合う。

「先生……」

「これからすぐに宇津峰さんのお見舞いに行くのよね?」

「はいもちろん」

 柔らかく微笑みながら確かめるように訊ねる担任に、瑞希ははっきりと頷く。

「悪いけれど、これをついでにお願いね?」

 それを受けていおりは持っていたプリントを瑞希に向けて差し出す。すると耳同士をふれ合わせるように顔を寄せる。

「……誰かに用事を頼まれそうになったら、私からの用事を出汁にして急ぎなさい」

 囁き耳打ちするいおり。その顔が離れるのに続いて瑞希が頭を巡らせれば、言葉を半ばで遮られた女子たちが気まずそうに目を逸らした。

「どうしたの?」

「あ、いやぁ私たちも一緒にって思ったんだけど、ねえ……」

「あぁー……うん。今日は私たちが掃除当番だったしね」

 言いながら誤魔化し笑うクラスメートたち。それに瑞希は浅く苦笑して、いおりを見返す。

「分かりました。ついででしたし、遅くならないうちに届けます」

「よろしく頼むわよ」

 快く引き受ける瑞希に、いおりはウインクをして見せて、肩に掛った束ね髪を掻き上げ流す。

「じゃあ、また明日ね」

「う、うん……」

「ま、またね」

 用事を頼もうとしていたらしきクラスメートたちへ別れの挨拶を告げると、瑞希は鞄を掴み教室を後にする。

 廊下に出た瑞希は駆け出しそうになる足を抑えて、同じく校舎の外へ向かう生徒たちの合間を縫って、道を早足に急ぐ。

「明松さん」

 そしてちょうど下駄箱に収めた外履きに手をかけたところで投げかけられた声。それに瑞希は取り出した靴を片手に振りかえる。

「永淵委員長……」

 役職名を添えたよそよそしい呼び名。それに構わず、梨穂は自身も靴を取り出して音もなく足元に揃える。

「途中まで一緒に行かせてもらうわよ」

「……分かったわ」

 靴を履き換えながら、長い黒髪を掻き上げて言う梨穂。その返答を求めていない問いに、瑞希は赤い眼鏡の位置を直して頷く。

 昇降口を抜けて校門へと歩く瑞希と梨穂。

 校門を抜けて道路に出れば、部活に残る生徒とそれ以外とに分かれて人の姿はまばらになる。

 そんな通学路を瑞希は宇津峰流闘技塾道場へ向かって黙々と進み、梨穂がその後に続く形で歩を進める。

「宇津峰さんが負った傷、契約者でも丸二日休むほどなのね?」

 その道筋の途中、不意に梨穂の投げかけた言葉に、瑞希の歩調が鈍る。

「……うん。傷はその日の内に塞がったけれど、熱が下がらないって」

 悠華を敵視している梨穂らしからぬ容態を伺うセリフ。疑問の浮かぶそれに、瑞希は戸惑いながらも同行者を肩ごしに見やって正直に答えた。

「ふぅん。どうせ連携を機能させられなかった自業自得でしょうけど?」

 だが、正直な状況説明に返ってきたのは信じがたい当て推量だった。

「……今、なんて?」

 梨穂の言い放った聞き捨てならない一言に、瑞希は足を止めて振り返る。すると梨穂は、瑞希の怒気に鼻で笑って肩を上下。唇に浮かんだ笑みのまま髪を掻き上げる。

「宇津峰さんには明松さんの力を引き出して連携を取れる訳が無い。そう思ったから正直に言ったまでよ」

 この場にいない悠華をあからさまにバカにするその態度に、瑞希は眉根を寄せて眼鏡の位置を直す。

 確かに連携に不備はあった。だがそれは後衛の仕事を務めきれず、たった一撃で沈められた自分の力不足が原因であると瑞希は考えていた。

 クラーケンを相手にも人質を取り返すどころか逆に捕まり、そして今回は中途脱落。悠華に負担を掛けているとすら認識している瑞希にとって、悠華の頑張り不足とする梨穂の見解は、不愉快なほどに的外れであった。

「どだい宇津峰さんにチームを運営するなんて無理な話なのよ。指示って言っても、どうせ曖昧で受け手に丸投げしたもの位しか出していないんでしょう?」

 だが瑞希の内心を想像すらしていないのか、梨穂は得意顔で悠華を批判する。

「どうかしら明松さん? 宇津峰さんとで無く、私とチームを組まない? 私なら明松さんの力をフルに発揮させられると思うわ」

 さらに自分と組むようにと勧誘までしてくる。しかもその口振りによれば悠華とは手を切り、梨穂の下に着いて働けという条件でだ。

「……ふざけないで」

 承認を疑いもせず手を伸ばす梨穂。これを瑞希は繰り返し眼鏡を触りながら、反感のままに拒否する。

「へえ?」

 瑞希の拒絶に、梨穂は努めて抑えて、しかしはっきりと不快げに眉を動かす。

「永淵さんに悠ちゃんの何が分かるの! 一昨日の戦いを……刺されるまでを見もしないで勝手な事言わないでッ!」

 しかし感情を爆発させて詰め寄る瑞希に、梨穂は驚きに瞬きして僅かに身を反らし引く。

「それに曖昧な指示? 私の力をフルに? 冗談じゃない! 私をコマにでもしようっていうの? 悠ちゃんは私を信頼して背中を預けてくれてるし、私も悠ちゃんを信頼して前に出てもらってるッ! 不満なんて、悠ちゃんの信頼に答えられない自分が情けないことだけよッ!!」

 普段の温厚で控えめな態度を焼き尽くしての烈火のごとき剣幕。その勢いのまま捲し立てる瑞希に、梨穂は丸くした目をただぱちくり、言葉を挟むことも出来ずにいる。

「だいたい委員長は悠ちゃんを悪く言うけれど、委員長が悠ちゃんみたいに、変身できない内から私たちを助けてくれた事があった? 無いよね、ただの一度もッ!?」

「そ、それは……」

「気付かなかったでも見て見ぬフリでもどっちでも同じ! 行動はしないのに口ばかり、しかも人の友だちを悪く言って……そんなだから、そんなだからあなたを信用も信頼も出来ないのよッ!!」

 反論の隙を許さない怒濤の言葉。瑞希はそれを真っ向から叩きつけて、眼鏡を押し上げながら踵を返す。

 そして一切の弁解を背中で拒絶して、早足に悠華の元へと向かう。

 足の速さは当然梨穂の方が上であり、その気になれば瑞希が多少先を行ってもすぐに追いつける。だが一向に追いかけてくる気配は無く、瑞希はそのまま梨穂を置き去りに歩道を歩く足を進める。

『ビシッと言ったね、スカッとしたよぉ』

 そんな瑞希にパートナーからの思念が眼鏡を介して響く。

「ど、どうしようフラム。カッとなって本音をぶつけちゃったけど、これで完全に敵対することになっちゃったかな?」

 しかしパートナーの感心に応えた声は、先ほどまでの勢いが嘘のように弱々しく不安げなものだった。

『もう、締まらないにも程があるよぉ』

 この余りの落差には契約相手のフラムも苦笑いを禁じ得ない。

「だ、だって、今度は本気で背中を撃ってくるかもしれないし、余計なことしちゃったかなって……」

 背後の心配を増やしたかと不安を吐露する瑞希。それに対してフラムは呆れ混じりの念を返す。

『やれやれ、そんなの遅いか早いかでしかないと思うよぉ。マーレのことだから準備が出来たらまた絶対に襲ってくるだろうし』

「あ、やっぱりあっちのお兄さん、信用無いんだ」

『兄様とマーレを一緒になんて考えられないよぉ。マーレは確かに頭はいいけど、なんか怖いし。その点兄様は……兄様?』

 フラムが行き過ぎた兄妹愛を溢れさせようとしたその途中、何か異変を察知してか緩んだ思念を緊張に張り詰めさせる。

「フラム? どうか、したの?」

 その唐突な異変に、瑞希もまた緊張した面持ちで眼鏡越しのパートナーへ詳細を問う。

『悠華の精神世界に、ヴォルスが入り込んでたらしいのよぉ!?』

「そんなッ!? なんでッ!?」

 血相を変えて送られてきた思念に、瑞希もまた上擦った声を上げる。

『原因は置いといて、とにかく急がないとッ! 悠華は弱ってるからヤバイよぉ!?』

「う、うん、分かったッ!」

 急かすフラムに、瑞希は慌てて頷き駆け出す。

 だがその目の前を塞ぐように、不意に霧が立ち込める。

「何ッ!? この霧は!?」

 目の前を塞いで立ち込めた霧に瑞希はとっさに駆け足をブレーキ。

 直後、踏みとどまる瑞希を目掛けて霧から黒い腕が飛び出す。

 瑞希の眼前を掠めて空を切る不気味な腕。それはそのまま肩の奥を包む霧を引き裂いて、その奥に潜んでいた怪物が姿を現す。

「虫のヴォルス……ッ!?」

 黒く濡れた甲殻と長い二本の触角。鋭い顎に二対の腕と一対の足を備えた人間大のカミキリ虫。それが救援へ向かう瑞希を阻もうと現れたヴォルスであった。

 激しく顎を鳴らすヴォルス・ロングホーンビートル。そうして顎の音も喧しく四つの腕をわさわさと動かして瑞希へ迫る。

「急いでるの! 邪魔しないでッ!」

 瑞希は迫る手から逃れるように身を引きながら、焦燥も露わに契約の証である眼鏡に手を添える。

「どいてどいてぇええええッ!」

「へッ!?」

 だがそこへ後方から投げかけられる騒がしい警告の声。それに瑞希は驚き戸惑うままに従って道の隅へと身を退ける。

「えいやぁああああああッ!!」

 そうして道を開けた直後、高い位置から気合に溢れた叫びが響く。

 直後、瑞希の頭上を小柄な人影が通り過ぎてカミキリムシのヴォルスへと飛ぶ。

「SZNエクストリィイイイイイムッ!!」

「五十嵐さんッ!?」

 高らかに技の名前を叫んで両足から敵へ飛び込んだのは、長い三つ編みと一緒に病弱さをどこかへ投げ捨てた鈴音であった。

 瑞希以上に小柄で細身な体躯に、活発さを通り越して過激なまでに活力を満たした鈴音。

 敵へ叩き込んだ両足揃えのドロップキック。その反動を利用して跳ぶと、肩に届く程度の長さで揃えた髪をふわりとなびかせて瑞希の側に降り立つ。

「五十嵐さん、どうして!?」

「事情はウェントを通して聞いたよ。ここは私に任せて行ってよ!」

 契約による身体強化を全開にして、体ばかりか心にまで力で満たした鈴音は着地からすぐさまサムズアップ。先を急ぐように瑞希を促す。

「で、でも……」

 心と生命を込めた蹴りから立ち直りつつある長触角のヴォルスと、風竜の契約者とを見比べて躊躇う瑞希。

 契約者となったばかりの鈴音一人にこの場を任せてしまっていいのだろうかという不安。

 しかしそんな不安を顔に滲ませた瑞希に、鈴音は自信の溢れた笑みのまま頭を振って、左手首のブレスレットに手を添える。

「いいから任せてって。悠華ちゃんへの恩返しをして気分良く暴れられるようになりたいの」

 鈴音は誤魔化し無しのストレートに欲望を口にすると、腕輪を弾くように撫でる。

 そうして呼び出した風を巻つけるようにしてターン。その勢いのまま、鈴音は身を包む小さな竜巻もろともにカミキリムシのヴォルスへ体当たり。

「そぉれぇええ!」

 無邪気な掛け声が身を守る竜巻を突き破り、緑髪の魔法少女となった鈴音が姿を現す。スピンの勢いに乗せて繰り出したその拳は、ヴォルスの顎をアッパーカットに直撃。体ごと宙に打ち上げる。

「あは! 待て待てッ!」

 自ら打ち上げた敵を追って、鈴音はリボンとフリルを翼のように広げて飛翔。風を巻き起こして上昇する。

「きゃッ!?」

 瞬発的な暴風に押し倒されて、瑞希は堪らずしりもちをつく。

 へたりこんだ瑞希がずれた眼鏡から空を見上げれば、すでに小さな台風の目は敵を雲の高さにまで運ぼうとしていた。

 ずれた眼鏡を直して瞬きする瑞希の見つめる先では、緑色の輝きが雲と接触。そして光を吸い込んだ白い塊は弾けて形を変える。

 その光景を呆然と眺めて瞬き。そして三度目の瞬きで正気を取り戻した瑞希は、慌てて立ち上がる。

「呆気に取られてる場合じゃないよ! せっかく五十嵐さんが作ってくれた時間をッ!」

 尻をはたき掃った瑞希は慌てて取り落とした鞄を拾い上げる。

『そうだよぉ! 急いで瑞希ッ!!』

「分かってる! 転火、変現ッ!」

 念話で急かすパートナーへ頷き返して、赤い眼鏡のつるを指で弾く瑞希。

 続いてその身は眼鏡から溢れだした炎によって顔から首、さらにその下を踵まで余さず包み隠す。

「はぁああッ!!」

 そして炎を破り振り切って現れる眼鏡をかけた紅の巫女、ホノハナヒメ。

 アスファルトの地面を踏み切ったホノハナヒメはハート型に結ばれた飾り紐で飾られた千早衣を靡かせ、炎の尾を引いて宙を舞う。

 直線で目指す行き先はもちろん、危機に陥った親友の元だ。

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