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胸の内を侵す病

『悠華、大丈夫?』

「こーれが、大丈夫に見えるってーんなら……目ン玉洗ったほうが、いーんじゃねぇの?」

 障子紙を抜けて光の入る悠華の部屋。

 畳敷きの床に敷かれた布団に寝た悠華が、心配そうに覗き込むテラに軽口を返す。

 しかしその声からは何時もの軽やかさが失われている。

 声と同じく、冷却シートを貼った顔にも力が無い。

 一昨日の戦いの終わり際。鈴音を庇って受けた傷が元で悠華はずっと寝込んでいた。

 傷それ自体は、瑞希とテラの尽力によってその日の夜には塞がった。だが傷は治っても、悠華の全身は高熱に襲われ続けているのだ。

『冗談を言える余裕はあるみたいだね。で、熱は?』

 力無くも遠慮ない軽口に、安堵と呆れ交じえて苦笑しながら、テラは体温計を見せるように促す。

「むう……」

 相棒に促されるままに、悠華は力なく布団から体温計を差し出す。

『えっと、38.8℃……昨日からずっとこんな調子だね』

 体温計の表示を読み上げて眉をひそめるテラ。

「ああ、うん……もうきっついわぁマァジで」

 悠華は身の内を炙る病熱に唸りながら、籠った熱を逃がすように布団ごと寝返りをうつ。

 そんな苦しみ悶える悠華の姿に、テラは深くため息をつく。

『とにかく、今日も休んでなよ。日南子さんにはオイラから様子を伝えとくから』

「うぃい……頼むわテラやん」

 部屋を出ていく相棒を布団の中から手を振って見送る。

『うん。じゃあとにかくちゃんと布団かぶって寝てなよ。今日も瑞希や鈴音は来てくれるだろうし』

 そう言って心配そうな目を後に残して、襖を開けて出ていくテラ。

「あいあーい」

 襖の向こうに消えた相棒に気だるげに返して、悠華は布団を被り直す。

 そして電灯のぶら下がった天井を見上げてため息を一つ。まぶたを閉じて体の力を抜く。

「……こんだけきっついのって、いつ以来だったかな……?」

 悠華はとろりとした目を一度開けて呟き、重く息を吐きながら瞬きを繰り返す。

 そうしてそのまま重たい呼吸を重ねながら、悠華の意識はまどろみの中に溶けていく。

 悠華の意識が深く濁った眠りへ沈んでいく中、その眉間が苦しげに歪む。

「お、かだ……くん……?」

 苦しげな息と共に吐き出した名前を残して、悠華は苦悶のままその意識を失った。

 混濁した意識。

 病熱に蝕まれた脳裏に浮かぶ虚像、夢うつつに悠華は己を中心に渦巻くそれを見ていた。

 その内の一つ。道着を来た少年の像が悠華の目の前に進み出る。

 背も低く細身で、明らかに格闘には向いていない体格の小学生男子。

「お、岡田君……なんでッ!?」

 そんな弱々しい少年に、悠華はうろたえ後退り。

 しかし岡田と呼ばれた少年は、怯んだ悠華を気にした風もなく一礼。拳を握って半身に構える。

 同時に当たりの景色は畳敷の道場へと変わる。

「ダメ、ダメだって岡田くん。踏み込んできちゃダメ……」

 身構えた少年に応じて、ひとりでに拳を構える自身の体に、悠華は開かぬ口で少年を押し止めようと訴える。

 だが懇願じみた警鐘は届くことなく、岡田少年は緊張した面持ちに決意を上塗りして踏み込む。

 子どもながらに、幾度となく型の反復を繰り返したであろう拳突き。望めぬ重さでなく速さを磨いた一撃。

 だがその拳が届くよりも速く、より重く鋭い一発が少年の胸板を打つ。

 恵まれぬ身に課した鍛練。取捨選択をして追求した技。

 それらの努力を、今より小さい悠華の放ったカウンター気味の拳が嘲笑いながら打ち砕く。

「あ、あ……ああッ!?」

 少年を打った手応えに嘆く悠華。だがそれを無視して思い出の中の景色は一撃で仰向けに倒れた少年を映し出す。

 倒れた少年は僅かに起き上がる素振りを見せはしたものの、結局は立ち上がること無くその場で輝きを失って消える。

「やめて……やめてよ、こんな……」

 消える少年に駆け寄ることもできないまま、悠華は自由にならない体の内で嘆く。

 そんな弱々しい嘆きに対して、次の岡田少年が現れて再び頭を下げる。

「いやだ、やめてって……こんなの、何度も見たく無いって……!」

 罪と感じている過去のリピート。寸分違わずに進む試合前の動作に、悠華は幼くなった自身の体を止めようともがく。

 だが過去の虚像は悔恨の思いが生む望みには縛られず、ただ過ぎ去った時間の通りに、淡々と試合相手の努力を打ち砕く映像と手応えとを悠華へ届ける。

 そしてまた倒れた岡田少年は立ち上がること無く消えて、記憶を基にした映像はまた試合前の一礼へと戻る。

「また、繰り返すってえの……」

 またも繰り返される映像に、悠華は過去の自分の中で力無く嘆く。

 幼い頃の悠華にとって、岡田少年は好ましい努力家であった。

 幼く未知数ながら、明らかに武の才には恵まれていない。しかし弱音を吐くことも、言い訳をする事もなく鍛えて、学び、高みを目指し続けていた。

 おそらく初恋の相手であった岡田の努力は、幼い悠華にとっていつか必ず報われるべきものであった。

 だがこの練習試合が。否、それ以前に共にいようと悠華が並んで鍛え始めたことから、二人の間柄は狂い始めた。

 彼が千度繰り返して覚えた型を、悠華は百の反復で身につけた。

 彼が二ヶ月半も要して覚えた技を、悠華はすでに一週間でマスターしていた。

 石段の登り降りでは後からのスタートで彼を抜き去り、そして彼が同年代相手の試合に負け越している間に、悠華は上級生相手に勝ち筋を探っていた。

 生まれた時から日南子の技に触れていた下地と言う差異はある。だが敬意と好意を抱く相手の努力を嘲笑うかのように伸びていく自分自身が、悠華にとって堪らなく後ろめたかった。

 差が明確になる頃には、岡田もコンプレックスから目を逸らすように悠華を避けるようになっていたし、悠華もまた彼を無用に刺激しないように近付かないようにしていた。

 そして決定的なきっかけとなった練習試合。

 岡田が開始直後に放った渾身の一撃に、悠華は無意識に本気のカウンターを引き出された。その結果、たった一撃で完膚なきまでの勝敗の絵を描くことになってしまった。

 試合それ自体には後遺症を残すようなことは無かった。だがこの敗北から、岡田は未発達な体に過剰な負荷を強いるようになった。嘔吐を繰り返しながら、取り憑かれたように稽古に打ち込み、日南子の言いつけを無視して稽古外でのトレーニングを積み重ねた。

 結果、腕と足の腱が断裂。入院し、そのまま転院・転校となってくろがね市を離れる事になった。

 悠華の初恋は自ら相手を追い詰め、そして修復される事無く終わりを告げた。

 それから悠華は自分を鍛える事が恐ろしくなった。より正確に言えば、他者の努力を打ち負かす事を恐れるようになった。

 日南子には思い上がるなと叱咤されたが、それでも悠華は他者と競って取り返しのつかない傷を残したくは無かった。

「もう、もうやめてよ……こんな、こんな思い出、見たくなんか無いのに……」

 そんな後悔と恐怖の象徴とも言える記憶のリフレイン。それに悠華は、両手両膝をついて項垂れた自分にも気付かないほどに追い詰められていた。

 普段の悠華であれば、動揺は有っても意識を切り換えて立ち直る事が出来ただろう。

 だが病によって心身共にダメージを負い続けている今の状態では、乾いた砂細工よりも簡単に崩せるほどに脆くなっていた。

『じゃーあ消えちゃえばいーんじゃなーいの?』

 そう、自分自身から剥がれるように出てきたモノにも気付かないほどに、悠華の心は乱れ、崩れていた。

「消える……? アタシが?」

『そーそー、やぁらかした辛い思い出抱えて苦しむのなーんかだーるいじゃぁん?』

 うつむく悠華の肩を抱くようにして、人型の影は悠華そのものの声で囁く。

「そっか、そうかもね……」

『でがしょお? だからもうガーンバるのやめてさー、楽になっちゃおーぜよぉ?』

 自分こそ悠華自身の内から湧き出た、偽りゼロの本心だと言わんばかりに囁く人影。

「楽になって、いーのかなぁ?」

 その声に疑いを抱くことなく、悠華は膝をついたまま、ずぶずぶと沼に沈むように力を失っていく。

 その様に人影は唇をニヤリと歪めて、さらに畳み掛けようと顔を悠華の耳元へ寄せる。

『いーって、いーって。もうガンバらなくていーって。ってゆーか何で今まで消えずにいたのって……』

 しかし闇へ誘い込もうとする言葉を、不意に飛んできた石礫が遮る。

『おおっと?』

 皆まで言うことを許さぬとばかりの石の弾丸に、闇色の人影は素直に悠華の傍から飛び退く。

「……テラ、やん?」

『しっかりしてよ悠華。こんな奴の言うことを本気にするなんて!』

 悠華の熱に浮かされたような目が捉えたのは、叱咤の言葉と共に歩み寄る相棒の姿だった。

 甲殻を身に纏う獅子もどきが怒りを含んだ目で悠華を睨みつける。否、その矛先は悠華ではない。通り過ぎたさらに奥だ。

 それを辿って悠華が重たげに振り返れば、そこには褐色の肌を持つ一人の少女が立っている。

 右側にまとめたサイドテールの黒髪。成人女性の平均を超えた背丈に、何らかの鍛練で鍛えたらしき引き締まった肢体。

 そして嘲りを含んだ笑みに歪んだ顔。

「あ、アタ……シ?」

 その笑みこそサイコ・サーカスに似た雰囲気を纏ってはいたが、姿は間違いなく悠華自身が呟いたように彼女そのものであった。

『オゥイエー。いわゆるアタシはアンタ、アンタはアタシってぇヤツ?』

 そう言って嘲笑のまま首を傾げるもう一人の悠華。

『黙れッ! これ以上オイラの契約者を惑わすな! ヴォルスッ!!』

 対してテラは怒りを声に出し、相棒を新しい足場で泥沼から押し上げながら、庇うように前に出る。

 テラが怒りに任せて放つ石の弾丸。だがそれに、悠華の姿を写し取ったヴォルスは、笑みを崩さぬままステップ。胸元すれすれにかわしてやり過ごす。

『おぉーう。ひっどいじゃねーのテラやん、相棒に向かって撃つなんてさぁーあ?』

『うるさいッ!! それ以上悠華の声で喋るなッ!!』

 悠華のおどけ調子を真似してヴォルス悠華が挑発。それに煽られるようにテラは語気を強めて、宝石に似たたてがみを開く。

 だが対するヴォルス悠華の答えは、顔の皮を引っ張りながらのあかんべえであった。

『おぉあいにくさまぁ、こぉの姿も声も、もうとっくにアタシのもんさぁ』

 悠華の姿のまま、さらに挑発を重ねるヴォルス。

『こいつッ!』

 それにテラが牙をむき出しにして一歩踏み出す。

 だがヴォルス悠華はテラの威嚇にもまるで怯んだ様子を見せず、面の皮を引っ張る手を離して、この精神世界の主を指差す。

『いーじゃん別にぃ? 実に馴染むぞって感じだしさぁ、主導権もらっても本物とそーっくりそのままだらけてやれるよん? 頑張りたくないのは、アタシたちそっくり同じぜよぉ?』

 言いながらヴォルス悠華は、テラ、本物と交互に見やって笑みを深める。

『ふざけるなッ! 悠華はただの怠け者じゃない! たとえお前がどれだけ上手く悠華を真似出来ても、一面しか理解してないお前を日南子さんやいおりさん、瑞希たちが分からないはずあるかッ!?』

 そんなヴォルスのニヤけ面を一喝する怒号。

「あー……そっか、そうだった。婆ちゃんにいおりちゃん、みずきっちゃんにすずっぺ……テラやんだけじゃなくてこんだけの人がアタシの傍にはいるんだった……!」

 それは本物の悠華の活にもなり、弱っていた心が己自身の足で立ち上がろうと奮い立つ。

 だがヴォルス悠華は驚いたように目を開きこそしたものの、すぐに余裕の笑みを取り戻す。

 すると悠華の足は急に支えを失って、その場に膝を折る。

「な? え?」

『言ったっしょお? 後は主導権だーけ。刃物として侵入したアタシは、アンタの大部分を掌握済みなーのさ』

 抜け出た力に驚き呆ける悠華に、鏡写しの顔をしたヴォルスが種明かしをする。

『あーあ、手荒にするのもめーんどくさいからゆるゆると進めてたのになぁーあ』

 ヴォルス悠華は気だるげに肩を回しながら、立ち上がれぬ悠華へ向けて足を進める。

『こぉーうなっちゃったら、一気にぶんどる方が楽かねぇ』

『悠華には触らせないッ!』

 めんどくさそうに拳を握るヴォルス悠華に、岩の鎧を纏ったテラが突っ込む。

 だが自身を弾丸とした突撃は、悠華の姿のヴォルスにやすやすと叩き落とされてしまう。

『ガッ!?』

「て、テラ……!?」

 砕けた岩の鎧から飛び出す相棒に、悠華は自由にならない体をその場で乗り出す。

『おぉーい、もーやめときなってぇ。アンタに流れる力の大半はアタシがもらってんだから、さ!』

 その一方でヴォルス悠華は、足元に転がるテラを蹴り飛ばす。

『ギャンッ!?』

 砂山を蹴散らすような蹴りを受けて飛ぶテラ。まっすぐに飛んでくる相棒を悠華は体で受け止める。

「……ッつぅ……平気、テラやん?」

『なんの、これくらい、軽いもんだよ』

 叩きつられたパートナーを気づかう悠華。それにテラは、痛みに歪んだ顔を笑みに変えて、満足に動けない契約者を庇う形で前に出る。

 そんな大地組の正面には、だるそうに後ろ首を揉むヴォルス悠華の姿があった。

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