枷から放たれた風
「契、約? 私とキミが……?」
鈴音は呆然と自分を指差しながら、膝の上に座る緑の飛竜に聞き返す。
『そうさ。ボクがキミを契約者に選んだんだ』
すると契約の話を持ち掛けた飛竜、風のウェントは理解が染み込むように頷き、言葉を重ねる。
『我らのモノを奪うつもりとは! 図々しいドラゴン!』
そのやり取りに、サイコ・サーカスが白い顔を不快げに歪めて無数のナイフを投げる。
『キシャ! シャアアアアアアアッ!』
黒いナイフは鈴音とウェントを標的に真っ直ぐに飛翔。金切り声を尾に引いて、迷い無く空を駆ける。
『チッ! 横取りも何もあるかっての!』
それにウェントは舌打ち一つ。畳んでいた翼を羽ばたかせて、迫るナイフに対する向かい風を起こす。
しかし投げナイフは勢いこそ弱めたものの、切っ先で気流を引き裂いて道を開け、標的を目指し突き進む。もはや鈴音たちに逃れる術は無い。
だがその切っ先がぶつかったのは黒い重装甲。
「うッ……クッ!」
ギリギリのタイミングで割り込んだグランダイナの背中であった。
「あ、あなたは?」
「おぉーし、ギーリギリセーフ……」
目を見開き、何者かと尋ねる鈴音。新たな切り傷一つ無いその姿を確かめて、グランダイナは安堵の息を吐く。
しかしそれも束の間。グランダイナは安堵の息を半ばに噛み潰して、瑞希を左片手抱きに右肘を振り返り様に繰り出す。
腰の捻りに乗って突き出た肘は、飛び込んできたピエロシューズを迎え撃つ形に激突。接触点にあった空気が弾け、波となって全方位に流れる。
「テラやん、フラちん! それにウェントって言ったっけ? すずっぺとみずきっちゃんの事、頼んだよ!」
肘にぶつけた蹴り足をさらに押し込むようにして跳ね戻るサイコ・サーカス。それから目を離さずにグランダイナはパートナーをはじめとした竜たちに、二人の友の身柄を任せる。
『それはもちろん……って、ちょっと!?』
テラが了解と返事をするが早いか、グランダイナは瑞希の体を預けて、その大きく頑健な体を前に出す。
そこへ真正面から注ぐナイフの雨とサイコ・サーカスの蹴り。
「ヌゥ、ヤッハァアア!」
グランダイナは、それらを腕を交差して残らず装甲任せに受け止め、溌気と共に押し返す。
「え? そんな、まさか……?」
自身を指した愛称と、傍らで保護された瑞希の姿。それらを受けた鈴音の口から、戸惑い疑い混じりの声が溢れる。
『そう。キミが考えてる通り、アレはキミの友だちだ』
鈴音の内心の推測を見透かしたかのように囁くウェント。その声を背中に聞きながら、グランダイナはサイコ・サーカスの投げてよこしたナイフの雨に、震脚と打ち上げの掌底を繰り出す。
「翻土、転ッ翔ッ!!」
爆音と共に生じた衝撃波。爆発的な上昇気流さえ伴うそれは、真っ向から迫る刃物を押し返し、また宙を舞うサイコ・サーカスさえも煽り流す。
「……すごい」
その様に鈴音が感嘆の息を溢す。が、グランダイナに扮した悠華としては、防戦一方でいっぱいいっぱいな現状を称えられても手放しに喜べる気にはなれなかった。
『スッゴイだろ? これが契約者の力さ。こんなスゴイ力をキミのモノにできるんだぜ?』
そんなグランダイナの内心を余所に、ウェントは契約に誘導するように魅力を語る。
『ウェントッ!? どういうつもりだよ! そんな風に契約に誘って!?』
それをテラが強い声で非難。
『今は一人でも戦力が欲しいっしょ? それに、別に強要してるわけでもないじゃん?』
だがウェントは尻尾でグランダイナと、戦列から離れた瑞希とを指して首を左右に。厳しい現実の指摘に、テラもフラムも次の言葉を告げられず、グランダイナの打ち漏らしたナイフを迎え撃つしかなかった。
『さあ、願うといい。自分を縛る鎖を吹き飛ばす力を。自由に羽ばたける翼を。ずっとずっと欲しかったんだろ? 願ってたんだろ?』
そして兄妹がしり込みした隙に、ウェントは鈴音の目を覗き込んで誘いの言葉を重ねる。
『それは私たちが授けてやる!』
その背を狙って、サイコ・サーカスがヴォルスナイフを投げ放つ。
「させるかっての!」
だがそれはグランダイナが腕を伸ばしてキャッチ。金切り声を上げる刃を手の中で砕き潰す。
「……力をちょうだい。私ができることは何でもする……だから、するから、自由に動ける、力が欲しい!」
瞬間、グランダイナの背を、契約に応じる鈴音の声が押す。
『ニヒヒ、オーケー。契約成立だ』
そして満足げな含み笑いと強い風が後に続く。
『クッ……寄りにもよってドラゴンに横取りを……』
苦々しげに風の中心を睨むサイコ・サーカス。それに倣ってグランダイナも背後を一瞥。
するとそこには、緑色に輝く旋風を幾重にも重ねて纏った鈴音とウェントが浮かんでいた。
『ユーラーティオー・クピディタース・スウス……ファートゥス・イルーミノー……ソキウス!』
今までの語り口とは一変して、厳かに契約の呪文を唱えるウェント。
その言葉が締めくくられると同時に、ウェントの胸から飛び出した光のリングが、鈴音の左手首にはまる。
エメラルドにも似た宝玉の収まった細い銀のブレスレット。
それを鈴音は右手で撫でるようにして弾き、光を灯した両腕を広げて身を翻す。
するとスピンする鈴音を中心に輝く風が広がり、繭玉のようにその身を包み込む。
やがて身を隠した風が弾けて広がり、変身を終えた鈴音が姿を現す。
緑色を基調とした動きやすく丈の短いブラウスとスカート。細身の胴とへそを露にしたその肩と袖、裾からは羽根のような薄く長いフリルが伸びている。
その後ろ腰には、透きとおった大きなリボンがなびいて揺れている。
腕はクローバー型の宝石が飾った白い布のアームガードに守られ、足も膝までのブーツに包まれている。
若草色に変じた三つ編みの髪は風に梳かれるようにしてひとりでにほどけて、吹き抜けた鎌鼬が肩までの長さに切り揃える。
今までの自分との決別を示すかのように、伸ばしていた髪を切り捨てて、緑のドレス姿に変わった鈴音は旋風の繭を脱ぎ捨てた勢いのまま、パートナーと共に垂直上昇する。
『惜しいけれど、こうなってしまってはもう仕方がないわね』
サイコ・サーカスはそれを苦々しげに見上げて、指を鳴らす。
それに応えて、テントを模した空間の天井部からピエロ帽子型の頭をしたヴォルス達が現れる。
ピエロ帽のヴォルス達は、落下に慌てふためいた道化芝居を繰り広げながら、互いの体を掴み絡めて、下向きの刺を備えた網を作る。
頭上を蓋で塞ぐヴォルスの群れ。だが鈴音は腰のリボンを皮切りに、ドレスのそこかしこを飾るフリルを大きくさせると、上昇の勢いを緩めるどころか逆に加速させる。
緑の光を尾に引いた鈴音は、無謀なまでの加速のまま衝突。
だが翠の烈風は釣天井の如く落ちてきたヴォルスを、紙同然に突き破る。続いて固まったヴォルスが、開いた風穴を中心に散り散りに吹き飛び、そして蓋を粉々に砕いた風がテント全体を押し広げる。
「あは!」
風に乗って広がる楽しげな笑い声。それを引き金に、天辺間際にまで飛翔していた鈴音が身を翻す。
唸りを上げる風を纏った鈴音は、散らばったピエロ帽子のヴォルスたちを追いかけ、次々と打ち砕いて行く。
「アハ! アハハッ! キャハハハハハハハハハッ!!」
空中を駆け巡りながら高まり続ける邪気の無い笑い声。それに風の唸りと鈍い打撃音とが幾度となく鳴り重なる。
そんな不協和音を奏でていた翠の烈風は、大の字に手足を広げて空中にブレーキ。闇色の残骸の舞う中心で動きを止める。
「体が軽い! 力がどんどん溢れてくるッ! こんな世界、生まれて初めてッ!」
初体験の喜びのままに風を放つ鈴音。その内心を現した感動の嵐は、再びテントを模した空間を内側から押し広げる。
『いいよいいよ! キミの喜びが伝わってくる! なんて心地いい楽しみの心だ、見込み以上じゃないかさあ!?』
そんな風の中を上機嫌に飛び回るウェント。
『さあもっと力を楽しむといい! やりたいように、望みのままに! 躊躇い無く力を振り回すんだ!』
「もちろん! まだまだこの元気な体を楽しみ足りないもの!」
ウェントに誘う声に乗って、鈴音は輝くような笑顔で薄い胸の前に両手を持っていき、その間に光る風を固める。
そして鈴音が球状に固まった旋風を掴んで伸ばすと、一本の薄緑色をした杖が現れる。
愛らしく華やかな鈴音の衣装とは違い、薄緑の軸に銀の握りがついた、六十センチほどのシンプルな杖。
鈴音は胸の前で回るそれを手に取ると、杖の身を一撫で。そして両手持ちに構えるや否や急降下。
「それえッ!」
『むぅ!?』
楽しげなかけ声と共に襲いかかる一撃。瞬く間に降ってきたそれから、サイコ・サーカスは大きく跳び退いて逃れる。
直後、サイコ・サーカスの立っていた場所がまるで大岩の落下を受けたかのように割れて抉れる。
しかし、砕けた床の中心にはそれほどの破壊力を秘めたものは見当たらない。強いて言えば鈴音の降り下ろした杖くらいなものだが、それは床に触れてさえいない。
だがよくよく見れば亀裂の中心に添えられた杖の先端には、空気のひずみとでも言うべきものが確かに渦巻いていた。
風の魔力により超高密度に圧縮した空気。それがサーカステント空間の床を穿つメイスヘッドの正体である。
空気などそこにあって無き様なもの。
少なくとも触れて手応えが生まれるようなものではない。それが日常生活におけるごく普通の認識であろう。だが決してそんなことは無い。
風船や袋、何らかの空間に空気を閉じ込めてみれば分かるだろう。その密閉空間を確かな手応えを以て押し広げているのが空気、大気であるということを。
ごく普通であれば水以上に形の定まらない空気を、魔力で強引にヘッド部分として固めたメイス。
「いくよぉ! レックレスタイフーンッ!!」
謀無用のパワー。無謀なる嵐を具現化した杖を振り上げて、鈴音は飛び退いたサイコ・サーカスへ躍りかかる。
『チッ、その程度で!』
風鳴りを伴う凶器にサイコ・サーカスは舌打ちを一つ。バク宙でアクロバティックに跳び越え回避。
さらに女ピエロは宙返りからカードを降らせて、連撃に向けて構えた鈴音を牽制。
「すずっぺッ!」
「きゃん!?」
緑の魔法少女へ降り注ぐトランプカードの雨。対してグランダイナは、とっさに鈴音を後ろへ投げ飛ばす形で自身と位置を入れ替える。
直後、グランダイナへ着弾したカードが爆散。岩の塊や空気を瞬間凍結させる冷気をまき散らす。
「ふんぬぅ!」
明らかに鈴音への拘束性、殺傷性を追求した属性攻撃を受けながら、グランダイナは装甲まとわりついた霜を振り払い踏み込む。
「もう! びっくりさせないでよ!」
しかし水を注されたと言わんばかりの非難めいた声が、大地の闘士を抜き去る。
駆け抜けた緑の後に黒い装甲を叩く暴風。そしてグランダイナの目の前で、暴風の根源である鈴音がレックレスタイフーンをサイコ・サーカスへ叩きつける。
『むぐ!?』
高速で飛び回る細身の少女の繰り出す鋭い打撃。その見た目からは想像もつかない重い一打に、サイコ・サーカスはうめき声を残して竜巻に巻かれたように吹き飛ぶ。
「あっはぁ!」
その手応えに喝采を上げる鈴音。そして腰のリボンと袖や裾のフリルを羽ばたかせると、風を吹かせて飛翔。
『シャアッ!』
連携をまるで考えていない突撃に、左手に空を掴んだサイコ・サーカスは、ブレーキをかけながら空いた右手でカードを投げる。
迎え撃とうとするそれを鈴音はメイスを横一線に薙ぎ払う。
そして弾けるカードを風に流して、振り子状に体を振って逃げるサイコ・サーカスを追いかける。
「待ちなよ!」
メイスを振り上げ、背に受ける追い風のまま押し込みにかかる鈴音。
「すずっぺ待った!」
それを引き止めようと、グランダイナは走り手を伸ばす。
『フフ』
それを嘲笑うサイコ・サーカス。
次の瞬間ピエロドレスに包まれたその身は、空間に開いた裂け目に滑り込むようにして一同の目の前から消え失せる。
「えッ!? どこッ!?」
突然に消えたサイコ・サーカスの姿を求め、辺りを見渡す鈴音。
その背後で空間が裂け、鋭いナイフを握った腕が現れる。
「すずっぺぇッ!!」
「え?」
そこへグランダイナは爆音を轟かせて跳躍。ロケットのように上昇して風を生む鈴音の背中へしがみつく。
「うぐぁあ!?」
『悠華ッ!?』
「へ? ……う、宇津峰さん!?」
グランダイナの背中。重厚な装甲の隙間に刃が潜りこむ。
庇われた鈴音も今回はテラと同じく悲痛な声を上げる。
「ぐぅ……うぅッ!!」
そんな声を受けて、グランダイナは呻きながらも強引に身を捩り、落下しながらの肘を打ち出す。
『んなぁ!?』
その肘鉄は裂け目の内にひそむサイコ・サーカスの胸を直撃。
思わぬ反撃に驚いてか、ピエロ女は怯んで、異空間の奥へ姿を消す。
「う、あう……」
敵を撤退させたグランダイナは、鈴音の体を掴む腕から力を失い、空中の支えを失う。
「宇津峰さん!? 宇津峰さんッ!?」
鈴音の悲鳴のような呼び声の中、落ちていくグランダイナ。
重い激突音を響かせての落着と同時にバイザー奥の目は光を失い、その巨体も砂となってとけてしまう。
そして崩れた砂山の跡には、血を流して横たわる悠華が残った。




