キミを選んであげる
サーカステントを模した空間。その壁に縫い止められた鈴音を背にしたピエロ女、サイコ・サーカス。
それにグランダイナとテラを前、ホノハナヒメとフラムを後衛とした形で向かい合う竜とその契約者たち。
「で? その三つ目ってのはなぁにやんの? 今までのと違って、ちょーっとは楽しめそうなヤツだと嬉しいんだけど?」
皮肉を交えた軽口を投げつける形で、静寂を破るグランダイナ。しかし軽やかな声のトーンとは裏腹に、強敵に向けた拳は戦いの確信に緩まずに固まっている。
対するサイコ・サーカスは、悠然とした佇まいのまま、笑みに歪んだ唇を開く。
『もちろんよ。今までの前座が霞むほどにスリリングなショーをお見せしましょう』
グランダイナの皮肉をそう流して、サイコ・サーカスはその手から一本の黒いナイフを取り出す。
そして濁った雫を滴らせるそれを握りサイコ・サーカスは跳躍。軽々と竜の契約者たちの頭上を飛び越える。
その放物軌道を目で追うままに振り返るグランダイナたち。
わざわざ塞いだ人質との間を開いたレディピエロ。その不可解な動きからの着地と同時に、その手に握った黒い刃を投げ放つ。
「うッ!?」
無造作な投擲。あまりに自然なそれのために危うく頬の横を見送りかけたそれを、グランダイナは息を飲んで掴み止める。
『キシャァアアアアアッ』
鈴音へ向けて切っ先を向けたナイフは、グランダイナの手の内で蠢き、甲高い奇声を上げる。
「……こいつッ!?」
『まさか、これそのものがヴォルス!?』
捕まってなお威嚇するナイフの正体を察し、大地組を震源地に戦慄が広がる。
『第三演目は障害物つきのナイフ投げよ! 邪魔者を抜いて同胞を新しい宿へ届けられるかしら?』
噛みつかんばかりに暴れる第一投のナイフを握り潰したグランダイナが、その声に弾かれたように顔を向ける。その視線の先では、サイコ・サーカスが両手に扇状の黒い刃を握っていた。
「そんなッ!?」
「ヤバッ!」
攻撃が本番へと移る予兆に、慌てて晃火之巻子から炎の帯を引き出すホノハナヒメと、握り潰したヴォルスの残滓を投げ捨てるグランダイナ。
だが急ぎ備える竜の契約者たちを嘲笑って、サイコ・サーカスの手から無数のナイフが放たれる。
「翻土棒ッ!!」
しかし間一髪。隊列を組み直しながらの震脚と、それに呼び出された山吹の棍が飛来する刃の群れを弾き飛ばす。
「セェエヤッハァアッ!!」
そして手元へ吸い込まれるように落ちてきた得物を掴み、続くナイフの群れを横なぎに打ち払う。
『お見事。さすがにいい手応えね? けど……まだまだ行くわよッ』
まずは防ぎ切ったグランダイナを称えて、サイコ・サーカスはすでに両手に満載にしていたナイフをさらに投げる。
飛来する無数の凶刃。その一本でも鈴音に届いてしまえば、彼女はたちまちに内に秘めた影だけを残し、その肉体の主導権を奪われる。
「させてたまるかってぇのおぉッ!」
その最悪の未来を背に、気をたぎらせたグランダイナが翻土棒を振り回す。
斜め打ち下ろし、振り上げ、左足を軸に翻る体ごとのぶん回し。そして指を駆使した高速回転による盾。
そうして棍が空を引き裂いて唸る度、無数に飛来する凶刃を輝く打撃とそれが生む風のうねりが呑みこみ弾いていく。
翻土棒本体の直撃したナイフは砂の模型を砕いたかのように散り、それを免れた物も例外なく明後日の方角へと流れ飛ぶ。
『ふふ……そうでなくては面白くない!』
投げ放つものことごとくを弾き飛ばすグランダイナに、サイコ・サーカスはその顔に浮かぶ笑みを深め、さらに重ねてヴォルスのナイフを投げる。
またも空を引き裂いて真っ直ぐに飛来する凶刃。
流星群にも似たそれを、グランダイナは真っ向から見据えて得物を構え、何度来ても同じことと言わんばかりに振り払う。
「なッ!?」
だがグランダイナの仮面から出たのは喝采の声ではなく驚愕の呻き。
振り抜いた迎撃の一打を前に、一部のヴォルスナイフがまるで生きているかのように自ずからその軌道をねじ曲げたのだ。
棍の生み出す余波を逃れ、狙いを定められたミサイルのように空を走る黒い刃。
「草薙の返し!」
しかしグランダイナを避けたものも、後に控えていた炎の防壁と衝突。接触と同時に噴き出した火炎が刃となっていたヴォルスを焼き尽くす。
「みずきっちゃんナイスフォロー!」
「これくらいはね……って、悠ちゃん前!」
手の届かないところに入ったカバーに喝采を上げていたグランダイナは、友と自身の超感覚が告げる警告に、振り抜いた翻土棒を戻しながら身を切り返す。
激突。
硬質な響きと重みを押し込むように、サイコ・サーカスが突き出したナイフごと山吹色の戦棍へ身を寄せる。
『おっしーい』
競り合う得物を乗り越えて、笑みを寄せるサイコ・サーカス。
「まあったく……みずきっちゃんが知らせてくれなきゃあーぶなかったよ……っとおッ!」
逆スペードのクリアバイザーに寄せられた白い顔に、グランダイナはその額を突き出す。
『アハン』
だが鋼鉄のヘッドバッドがサイコ・サーカスは鼻っ柱を打つよりも早く体ごと頭を引いて跳ぶ。
『逃がすかッ!』
テラが宙を舞うピエロの軌道を先読みして、着地点に岩の槍衾を作り上げる。
だがサイコ・サーカスは両手から曲がるナイフを投げると、鋭く研がれた岩にピエロシューズを乗せて軽やかにその穂先を渡っていく。
『嘗めるなぁ!』
『はい、はいはいっと』
テラが次々に繰り出す岩槍を、サイコ・サーカスは嘲笑うようにステップ踏んで渡り歩きながら、その間も尽きること無くナイフを投げ放ち続ける。
弓なり、直角、S字と様々な軌跡を描いて空を走るヴォルスナイフ。
『キィシャァアアアアアアアッ!!』
「返しの火でッ!」
『押し返すよぉ!!』
けたたましい奇声さえ上げて鈴音へ殺と到する凶刃は、その前に展開された炎の結界にぶつかり、例外なく火にまかれた形で押し戻される。
『そぉら』
だがそれを気にした風もなく、サイコ・サーカスはさらなるナイフの投擲と同時に針岩山から跳躍。次のナイフを両手にグランダイナ目掛けて足から飛び込む。
「このッ!」
真っ正直な飛び込みざまの蹴りを、両手に握る翻土棒で受けるグランダイナ。だがそこから押し返す前にサイコ・サーカスが残していた足を棒にぶつけてジャンプ。
「クッ!?」
飛び退きに加えて投げ放たれた両のナイフ。雨あられと迫るそれに歯噛みしながらも、黒い闘士は棍と装甲とで弾きながら踏み込む。
「ヤァッ!」
そして着地の衝撃を膝で殺した瞬間を狙って、短く握った翻土棒での鋭い一打を繰り出す。
『アーハン?』
だがサイコ・サーカスはピエロドレスに包んだ肢体を大きく仰向けに逸らして回避。そして間髪入れず片足を軸に身を捩り、ナイフを明後日の方向へ放り出しながらの蹴りが振るわれる。
「……ッ、ハァ!」
それを捩じるように割りこませた翻土棒の腹で受け、合わせて豪脚を振るう。
だがオレンジに輝く蹴りも空を薙ぐばかり。棍を蹴った反動に乗って紙一重間合いの外に逃れたレディピエロは思い思いに標的を目指すナイフをさらに手から解き放つ。
「こんなッ! どこまでも邪魔ばかりしてえッ!」
後方、炎の幕の内から響く焦燥の声。
絶え間なく殺到するヴォルスのナイフに、ホノハナヒメは援護することすら許されず、ただ反射結界の維持しての防御に忙殺されている。
「みずきっちゃ……グッ!?」
『目移りしないでほしいわね、妬けちゃうわ?』
そしてグランダイナもまた、懐に滑り込んで蹴りを繰り出してくるサイコ・サーカスに足を止められ、親友への援護を封じられてしまっている。
敵を振り払おうとグランダイナが繰り出す横なぎの翻土棒と蹴りあげる足。
それをサイコ・サーカスは嘲笑のまま、のらりくらりと潜りかわしながら黒い装甲を蹴りつけ、鈴音を狙うナイフをばら撒いて防護結界を解く暇を許してくれない。
そうして濃い紫と金色の女ピエロは、たった一人で竜の契約者二人を相手にその動きを制し、連携を封じ続けている。
『流石によく粘ってくれるじゃない。嬉しいわ』
「ウッグッ……こっちは、ちーっとも楽しくなーいけどねぇッ!?」
膠着状態すら楽しんでいる節のあるサイコ・サーカスに対して、グランダイナは声を返しながら蹴りに打たれるに構わずの震脚。体ごと押し込みながら棍を振り上げての翻土転翔で華奢な女ピエロを吹き飛ばす。
『おおっと?』
ナイフを手から溢して宙を舞いながら。しかし微かな驚きの声を境に、白い顔には余裕の笑みが戻り、腕を交差させながら身を翻し、両手に満載した黒い刃を投げ放つ。
「ああもう埒が明かんぜよ! テラやん岩をおくれ!」
『分った!』
目の前に迫るヴォルスナイフを真っ向から叩き落としつつ、グランダイナは相棒へ膠着状態を打ち開くための一手を要求。
それに応えて撃ちだされた岩の塊三つを、グランダイナは翻土棒を突き刺してキャッチ。
「翻土棒、大、塊、乱ッ!!」
串を通した団子の如き形になった翻土棒。グランダイナが高々と掲げたそれを振り回すと、翻土棒を包んだ岩塊は刃を砕き弾きながら変化。
先太りの六角柱に鋲を打った、鬼の金棒の様になった翻土棒を構え、グランダイナは踏み込む。
「デェイヤッハァアアアッ!!」
得物の大きく増した重みに任せて突っ込むグランダイナ。
渾身の力を込めた重い一撃は、なおも飛んでくるナイフを砕きながら前進。凶刃を絶え間なく生み出す根元へと肉薄する。
それにはさすがのサイコ・サーカスも白い顔を凍てつかせて、鋭い刺を備えた岩をスレスレに飛び越える。
「行かすかッ!?」
鋲がサイコ・サーカスのピエロドレスを掠め裂く中、グランダイナは振り抜く勢いのままに得物を放り出して手を伸ばす。黒い鋼に覆われた指は闇に似た紫の裾に絡み、離すまいと握りしめる。
『な……ッ!?』
「どっせえぇぇえいッ!」
そして愕然としたうめきを気合いでかき消し、足元へ向けて振り下ろす。
『フフッ』
だが激突の直前、鼻から抜けるような笑みがグランダイナの耳をくすぐる。
そして不意に地面に裂け目が開き、サイコ・サーカスは蛾を模した頭髪から裂け目へと落ちる。
「んなッ!?」
掴んだ裾だけを手の中に残して消えた敵に、今度はグランダイナが愕然の声を漏らす事となった。
そしてサイコ・サーカスの雲隠れに続き、弾いて散らばっていたヴォルスナイフたちが持ち手も無く浮かび上がり、一斉に鈴音を目指して空を走る。
『キシャアアアッ!!』
「みずきっちゃんッ!?」
「任せて!」
想定外の伏兵による奇襲。しかし油断無く結界を構えていたホノハナヒメは、慌てることなく防備を固める。
『この瞬間を待っていたのよ』
その刹那に響いた底冷えのする冷笑。
『瑞希ッ!?』
「え?」
外側への防備に集中していたホノハナヒメが警告に振り向くも、背後に落ちてきた何かは目を合わせる間もなく炎の巫女の背中を蹴りつける。
「あ……かッ!?」
体内から一気に空気を抜かれたような声を吐いて、ホノハナヒメの体は自らの張った結界に衝突。内側から押し広げる形となる。
それを期に、燃料を断たれたかのように散り始める炎。城塞の堅牢さを誇っていた壁が、瞬く間に障子紙へと変わって無数の敵を素通りさせるようになる。
「みずきっちゃん!?」
グランダイナは両手を広げて、意識と巫女の姿を失って無防備に落ちてくる友の体を胸の内に受け止める。
しかしその間にも、サイコ・サーカスの背後ではもう一人の友の胸元へ凶刃が迫る。
『さあ、新しい同胞の産声を、ささやかな拍手でお迎えください』
人の心と体を乗っ取って生まれる新しいヴォルス。その誕生にサイコ・サーカスが嘲笑のままに祝福を求める。
だがその瞬間、まるで場の流れを書き換えるかのように一陣の風が吹き荒れる。
『ふぃー……間一髪ってヤツ?』
『この気配、まさか……』
安堵の息を吐きながらも、どこか余裕を含んだ声。風に乗って広がるそれに、サイコ・サーカスは冷たい目を背後へと向ける。
そこには磔から解放されて力無く壁にもたれる鈴音と、その傍らで羽ばたく鳩ほどの大きさの緑色が。
『ウェントッ!?』
『なんで兄ちゃんが!?』
『やーやーお兄ちゃんに、妹よ。ドラゴン兄弟の三番目、風のウェントくんだよん』
竜の兄妹からウェントと呼ばれた緑の鳥、否、飛竜は鈴音の膝に降り立って朗らかに挨拶をする。
同時にその翼から生まれた風が、鈴音の身を撫でて澱みを運び去るように流れる。
「ん、う、うう……」
すると鈴音の口からうめき声が零れ出て、力無く落ちていたまぶたが持ち上がる。
「……ここは、どこ?」
重たげなまぶたを半ばまで開いて、朦朧と呟く鈴音。まさに夢うつつといった様子の彼女を見上げて、ウェントはその口を開く。
『キミを選んであげる。キミがボクの契約者だ』




