悪夢のサーカスの開演
「えっと……片手を前に、逆の手は肩の高さで引いて、大きく腕を回しながら……」
くろがね市山端区の一角。すっかり日の暮れた町道場から続く道を、三人の少女がまとまって歩いている。
ぶつぶつと手順を口に出しながら腕を動かすのは、最も小柄で長い黒髪を二つ三つ編みにまとめた鈴音。
「あー……すずっぺ。動作はゆーっくり、じーっくりでいーからね。それに動きの正確さよりかは、呼吸のが大事だから。息を乱さずに深ーく吸って、吐く。重要なのはこれ」
その左隣を並び歩く悠華が、右のサイドテールを揺らしながら鈴音の動作を指導している。
日焼けした肌を包む服はセーラー服の二人とは違い、「さいくらのーしゅ」と書かれたTシャツにスパッツである。
「悠ちゃんの道場って、体操みたいなのも教えてたのね」
そして三人娘の最後の一人。緩いクセ毛に赤フレーム眼鏡のトランジスタグラマー、瑞希も腕におさらいをさせながら歩いている。
だが低い位置からの親友の言葉に、悠華は束ねた髪を揺らして頭を振る。
「うーんにゃ? 婆ちゃんが教えてるのは武術と心構えくらいだぁね。今日アタシが教えたのは言ってみりゃあ、毎日の型稽古から適当に見繕って太極拳風味にまとめたアタシのでっち上げ?」
「えぇえッ!?」
悠華があっけらかんと口にした事実に、小柄な友だち二人は口を揃えて驚きの声を上げる。
そう。宿題と勉強を片付けた三人娘は、道場の庭で悠華の指導の下で、太極拳を思わせるゆったりとした動きの型を練習していたのであった。
「あの拳法体操……日南子さんが考えたのじゃ無かったの?」
「うんそう。そもそも婆ちゃんこういう健康法になるようなのにはあんまり興味無いっていうか、鍛えれば全部解決くらいにしか思ってないだろうからね」
戸惑い交じりに確かめる瑞希に対して、悠華は肩をすくめてやれやれと頭を振る。
「こーゆー方向でも商売できると思うから、前々からぼんやり考えててさ。今日ようやくお披露目って感じだぁね」
「へえ……そうだったんだ」
悠華の説明に、鈴音は感心しきりと言った調子で頷き、再度深い呼吸と共に腕におさらいをさせ始める。
「おーういえす。今まで婆ちゃんに叩き込まれ続けてきたのが役に立って、よかったわあ」
ヴォルスとの戦闘の事も考えれば役に立つどころでは無い。が、悠華はまるで初めて活用できたと言わんばかりに、軽い調子で笑う。
そうこうしているうちに、悠華たち三人は目的地である五十嵐家の近くにたどり着いた。
「あ、もうそろそろだよ」
正面に見えた自宅に鈴音は顔を上げる。
「ほーんじゃまたね、すずっぺ」
「また学校でね、五十嵐さん」
「うん。送ってくれてありがとう!」
鈴音は心なしか色の良くなった顔を悠華と瑞希へ向けて、小さく手を振りながら家に向かう。
それを二人は手を振り返して見送る。
「きゃああッ!?」
「えッ!?」
「すずっぺッ!?」
そんな悠華たちの目の前。家のドアに手をかけた鈴音を、いきなり現れた巨大な口が襲う。
大口の持ち主、ピエロの頭は瞬く間に鈴音を口に含み、一噛みもせず丸呑みにする。
「……ッ、すずっぺッ!」
不意打ちに持っていかれた気を素早く取り直して、悠華は瑞希と共に駆け出す。
それぞれのパートナーを法具から呼び出しながら走る二人。そして足の速さに任せて先行した悠華は、ふてぶてしく笑うピエロの前歯に、光灯る拳を叩き込む。
『ア、ガ!? ハガァアッ!?』
心を込めた拳の一撃に、白い石板にも似た歯は折れて、巨大なピエロの顔は涙を溢れさせて悶える。
そうして痛みに開かれた鈴音を呑み込んだ口へ、悠華たちは躊躇無く飛び込む。
長く続く暗闇の穴の中、悠華は後に続く瑞希へ振り返ることなく指輪をはめた拳を掌に打ちつける。
「みんな、行くよッ!」
「うん! 任せて、五十嵐さんを助けなきゃ!」
『ああ、ヴォルスの好きにはさせない!!』
『やってやるよぉ!』
「変身ッ!!」
そして悠華と瑞希は暗闇へ落ちていきながら、声と動きを揃えてその身を光と炎に包み、変身。
オレンジの光が全身に廻る黒い闘士グランダイナと、炎の巫女ホノハナヒメ。
契約者としての戦闘形態へと姿を変えた二人は、竜の兄妹と共に真下に待ちかまえている暗い雲の輪に飛び込む。
「ここは……」
「サー……カス?」
雲の輪を抜けた先に広がる空間。それを見回して呟くグランダイナとホノハナヒメ。
その言葉通り大地組と炎組の四名が降り立った空間は、まさにサーカスのテント内部。緩やかな坂を作る客席に取り囲まれた中心舞台であった。
見世物として放り出された形になった一行は背中を合わせて、警戒の目を周囲に向ける。
緊張に吐息が響く中、不意に人影が四方から一同へ向けて一斉に踊りかかってくる。
「ヤッハァアァッ!」
「ッ!? 祓えの火!」
それをグランダイナは拳と蹴りとで迎え撃つ。その背後ではホノハナヒメが息を呑んで炎の壁を張る。
打撃と炎の波に押し返される人影。関節を粘土でつないだデッサン人形を思わせるそれは、まさにヴォルスの尖兵であった。
だが今まで素体として遭遇してきたものとは細部が異なる。
頭部を始めとする各部位がピエロ衣装風に固まっているのだ。
『このッ!』
『やろぉッ!』
テラの放つロックバレット、フラムのファイアブレスも受けて、ピエロのヴォルスたちは手足をばたつかせて転げ回り逃げていく。
しかし慌てふためいていたのは見せかけだけ。ピエロ人形どもは距離を取るや否や、いつの間にか手に持っていたナイフを一斉に投げ放つ。
「ヤッハァアアッ!!」
「ええぇぇいッ!!」
八方から迫る凶刃を、震脚からの翻土転翔と炎の結界とで押し返す戦士と巫女。
激しく揺らぐサーカステント風の空間。その残滓が響く中、グランダイナは攻め込もうと踏み出す。
「クッ!?」
だがグランダイナは仮面の奥で歯噛みし、出しかけた足を止める。
刹那、その爪先を掠めてカードが地面に立つ。
踏み込みを牽制したカードの軌跡。それを辿れば太く高い柱が一つ。高く高く続く空中演技用のそれを見上げれば、スポットライトの集まるその天辺には蛾の羽根に見える形に髪をまとめた女が一人立っている。
『お久しぶりね。ようこそ私の空間へ。お優しいドラゴンとその契約者たち?』
高い場所から余裕を匂わせて迎える、濃い紫色と金のレディピエロ。
「サイコ・サーカス……ッ!!」
奇跡的に痛み分けに凌ぐことの出来た強敵を見上げて、グランダイナは仲間と共に身構える。
『サイコ・サーカス? 私の事?』
グランダイナの口から出た呼び名に、ピエロ女、サイコ・サーカスは血の気無い白い顔を傾げる。
『なるほど、誰の命名かは知らないけど気に入ったわ。改めまして、Welcome to the Psycho Circus』
柱の上から上機嫌に、歌うようにサイコ・サーカスは名乗り上げる。
そして跳躍。
追いかけるライトを浴びながら落下するサイコ・サーカスは音もなく大きなボールの上に降り立つ。
するとその近くに、気を失った鈴音を抱えたピエロ人形が足をばたつかせながら現れる。
「すずっぺッ!?」
「五十嵐さんッ!?」
強敵の手に落ちた病弱な友の姿にうろたえる二人。
『おや、お友達だったの? 今までほとんど一人ぼっちだったようだから、我らを宿すのに丁度いいと目星をつけていたのだけれど?』
周囲にかけずり回るピエロ人形の手に気絶した鈴音を次々と渡らせながら、サイコ・サーカスは一行を嘲笑に歪んだ顔で見下ろす。
『フッ……まあいいわ。それでは本日のショーは……この少女を巡って我々と竜の戦士たちが奪い合うゲームです!』
そして鼻で笑い飛ばすと、まるで観客へ演目を紹介するように朗々と声を張り上げる。
直後、何も座っていなかったはずの観客席から、万雷の拍手と歓声が巻き起こる。
押し寄せたそれに視線を廻らせば、がら空きだったはずの客席は、デッサン人形のようなヴォルスによっていつの間にか埋められていた。
『それでは、第一幕からお客様方にも参加していただきましょう! 逃げる私どものために、ドラゴンたちの足止めをお願いします!』
サイコ・サーカスはそう言うや否や、足下のボールを操って、背後に開いたテントの裂け目へと姿を消す。無論その後には鈴音を抱えたピエロ帽の人形が続く。
「待て!」
そうはさせじとグランダイナが手を伸ばす。だがその間に別のピエロ帽子が割り込み、塞ぐ。
「邪魔すんなってのぉッ!」
しかしグランダイナは構わずとおせんぼしたピエロ帽の首を掴むと、それを鈴音を連れ込もうとするピエロどもの足元に投げつける。
突っ込んできた仲間に、撤収にかかっていたヴォルスたちはボーリングのピンめいてなぎ倒される。そこから一人宙へ投げ出される鈴音。
「悠ちゃん!」
そこへ向けて、ホノハナヒメの放った炎が道となって伸びる。
「グッジョブみずきっちゃんッ!」
敵を焼き散らしながらの直通路線という援護に、グランダイナは喝采を上げて踏み込む。
その行く手を塞ごうと群がるピエロ人形。だがグランダイナは躊躇なく肩からぶち当たって壁を打ち砕く。
跳ね飛ばした勢いのままホノハナヒメの作ったレールに乗る。
宙を舞う鈴音へ向けて、炎の道を駆け上がるグランダイナ。
一踏みごとに火の粉を散らし、そのまま踏み切ってグランダイナの巨体が跳ぶ。
「すずっぺ……ッ!」
重厚な装甲に覆われた手を伸ばし、友の身を腕の内に保護しようとする。
だがそこへピエロ帽のヴォルスたちが踊りかかる。
「グッ!? 邪魔をッ!?」
群れをなしての飛び込みざまのタックル。そのために大量の重石を受けたグランダイナの動きが鈍る。
その隙に横から飛んできた別動隊が空中で鈴音の体を掻っ攫っていく。
「なぁッ!? しまったッ!!」
鈴音を攫って逃げる敵を目で追いながら、グランダイナは取りついているピエロ帽子どもの下敷きにされる。
「ヤッ! ハァアアアッ!!」
圧し掛かる重みの下でグランダイナは気合を一つ。潰しにかかろうとする敵を力づくで押し返して立ち上がる。
火山弾の如く舞い上がる敵の下から飛び出して、鈴音を攫う敵を追いかける。
しかし加速の出遅れたグランダイナの手は、正面に現れたテントの裂け目へ逃げる敵には届かない。
『ギィヤァアッ!?』
しかし今まさに逃げこもうとする敵の足を炎が絡め取る。
ホノハナヒメが先んじて張っていた罠を踏んだことで足を取られたヴォルスたち。その手から放り出された鈴音を確保するべく、火の粉を引いたホノハナヒメが宙を走る。
だがそれを、踊りかかるピエロヴォルスの群れ。
「うっ……悠ちゃん!?」
それをかわし、炎の防護壁で反射し、身を守ることに集中させられるホノハナヒメ。
「任されたッ!!」
その援護を求める声に、グランダイナは身を翻して突進する。
『悠華、これをッ!!』
重機や戦車の如く、群がる敵の作るバリケードを破り進むグランダイナ。その相棒であるテラが、突進の援護に岩の雨を放つ。
降り注ぐそれは確かに敵を打ち倒すものの、一際大きな岩塊が狙いを違えてかグランダイナの頭上に迫る。
「ナイステラやん!」
だが頭を打つかに見えたその岩を、グランダイナは喝采と共に右腕を突き上げて迎える。
しかし拳を受けた岩は砕けることなく腕を受け入れ、その形を変える。
巨大なオーバーアームへと変化した岩。それを装着したグランダイナはさらに勢いづいて敵を薙ぎ倒す。
続いて降ってくる岩を受け止め次々と装着。四肢に付け加えた巨大な鎧を振り回し、鈴音を保護しようと場を切り開く。
だがその目の前で、また一体のピエロ頭が鈴音の身柄を攫って行く。
「クッ! ヤァッハァアッ!!」
渡すものかと右手を伸ばすグランダイナ。するとその腕を包む岩の腕が発射。指を開いた巨腕はピエロヴォルスの胴を掴んで握りつぶす。
「すずっぺぇッ!」
降ってくる友を迎えるべく、巨岩の腕と装甲の腕を広げる。
だが今まさに受け止めようとしたその瞬間、不意にグランダイナと鈴音との間に空が裂ける。
「あぐぅあッ!?」
直後、空の裂け目から飛び出したものがグランダイナの胸を打つ。
「悠ちゃんッ!?」
鋭い打撃を受けてよろめくグランダイナ。その姿に空中で身を守っていたホノハナヒメが悲鳴にも似た声を上げる。
それを受けて仮面の奥で歯を食いしばりながら、岩を固めた足を踏ん張る。
踏みとどまるグランダイナの前で、裂け目から飛び出した鱗に覆われた腕が鈴音の体をキャッチ。そして別のヴォルスへ向けて放り投げる。
「こなくそッ!!」
ボールのように投げられた友を追いかけようとグランダイナが踏み込む。だが空間をこじ開けて現れた二足歩行の大トカゲがその突進を受け止める。
「グッ!?」
『グゥルゥオァアアアアア』
裂け目から現れたのは、オーバーアームを装備したグランダイナと比べても見劣りしない巨大なワニの獣人であった。
その背後では、壁を得たピエロ頭のヴォルスが、鈴音を抱えてまんまとテントの外へ抜け出ていた。




