黒い歴史を抉るモノ
「うふふ。教え子に痛々しい記憶を知られてしまったわー。もう消えてなくなりたぁい。うーふふふー」
白と黒の入り交じった空間に横たわるいおり。
自身の中学二年生が現役全開だったころの過去の一端。それを暴かれたダメージは心をへし折り、体から立ち上がる力さえ奪っていた。
「い、いや大丈夫だよいおりちゃんセンセッ! アタシら他にばらしたりしないし!」
「そうですよ! それに私たちはそれくらいで大室先生に幻滅したりしませんから!」
いおりのあんまりな有り様に、悠華と瑞希が見かねてフォローの言葉をかける。
「ふふふ。ありがとう二人ともー。そーよねーまだ中学二年生引きずってるオタクなの見え見えだったのねー。今さらな話よねー。うーふふふー」
「ち、違いますって先生!」
「そーゆー意味じゃ無いんスよ!?」
だが教え子二人の言葉にもいおりの目に輝きは戻らず、貸し道着に包んだ細身の体を横たえるばかり。
『あっちゃあ……なんか悪いことしちゃったみたいさね』
そんな相棒を気の毒に思ってか、アムの影は申し訳なさそうに耳と尾を伏せる。
アムの本体の心情を動作に示す影の像。それを見ていおりはため息を一つ。立ち上がって頭を振る。
「いい加減頭切り換えないと、大人げないわよね」
沈んだ気分を振り払うように、束ねまとめた長い黒髪を振るいおり。
とりあえずは気持ちを切り換えてくれたらしいその様子に一同は揃って安堵の息を吐く。
「それでアム? まず一つ質問。私が今すぐ対ヴォルス戦に参戦するのは可能なの?」
切り換えるや否や、単刀直入に本題の一つを切りこむいおり。
その問いにアムの影はうつむき、首を横に振る。
『今すぐには、どうやっても無理さね』
真っ向から切り込まれた本題に、誤魔化し一つなしのアムの答え。
『今はアタシとルクスの二人がかりで新しい幻想界を育ててるトコなのさ。情けないことに、こうして話しをするだけでも力を割かれちまってるからさ……』
「おまけにヴォルスが暴れて境界線が荒らされるから余計に余裕もない、と」
『悠華の言う通りさね。奴らが荒らしてくれるから安定させるのがやっとさね。昔みたいな繋がりを今すぐ回復するのは残念だけど……』
割り入った悠華の言葉にうなづいて、アムの影はそのまま悔しげにうつむく
『悔しいけど今は、幻想界でなら後方支援ができるってところさね』
いおりの分まで悔しさを滲ませた声。
全方位から集い響くそれが駆け抜けて、静けさが後に残る。
いおりは一言も発することなく押し黙り、他のだれもが声を出すことの無い静寂が白と黒の空間を満たす。
「あー、いおりちゃんセンセ……」
その居心地の悪さに堪らず、いおりへ声を投げかける悠華。
「確かに、こうしてアムと話せていても繋がりの感覚は薄いまま、ノードゥスも現れてない」
だがいおりは、飾りの無い左耳をなぞりながら冷静な声音で呟く。
「今回復してないならそれは無理よね」
耳を触る手を離していおりはうなづく。
「それで、その世界を不安定にさせているヴォルスについても、詳しくは分からないのよね?」
そして顔を上げると、二つ目の問いを投げかける。
半ば確認するようなそれに、アムの影はまた苦々しげに頷く。
『ああ、前の幻想界が崩壊して出来た混沌を奪って、それを寄り代にして動いてるってコトぐらいさね』
「なるほど、私の感覚も的はずれではなかった、と……それじゃあアム、あともう一つ」
そう言っていおりは左人差し指を立てる。
「修行できるような場所。相手になってくれそうなのに心当たりは?」
『ああ、それならどっちもちょうどいいのを紹介できるさね』
いおりからのこの場での最後の質問に、アムの影の表情が和む。
『じゃあお望みの場所まで送ってくから任せておくれよさ』
その言葉が響くや否や、アムの影は渦を巻いてその形を解き、黒い円となって広がる。
『さ、これを潜れば抜けた先はお勧めの場所さね。さ、通った通った』
影の変化した底の見えぬ穴。アムの声が四方八方からそれを潜るようにと促す。
「分かった。それじゃあアム。また会いましょう」
『ああ、あんま無茶しちゃ駄目さ』
促されるままにいおりは躊躇なく踏み出し、アムの影が作った穴へ飛び込む。
「おおっと、いおりちゃん待って待って!」
「あ、アムさん。ありがとうございました!」
軽い別れの挨拶を残して消えるいおり。
それに悠華たちも小走りに続く。
『それでは母さん。ヴォルスについてはまた報告します』
『行ってくるよぉ』
『ああ、気をつけて。ケガなんかするもんじゃないさ』
アムの声に送られて、悠華とテラは勢いを殺さず踏み切り、飛び込む。
それに遅れて、穴の縁で立ち止まった瑞希も、意を決して後に続く。
「おろ?」
「え?」
しかし穴へ飛び込んですぐに開けた視界に、悠華と瑞希は揃って呆けた声を溢す。
飛び込む時には底の見えないほどの深みに見えた穴。だが実際にはちょっとした段差を飛び降りた程度の距離感で、緑に覆われた地面を踏むことになった。
幻想界の核であり外郭であると言う、夫婦竜ならではの転移門という訳である。
「およ? いおりちゃんはどぉこぉだ?」
『まだそう離れてはないと思うけど』
先に降りたいおりの姿を探して、辺りを見回す悠華とテラの大地組。
「あ、悠ちゃん、あっちあっち」
『兄様ぁ、ホラあれ!』
そう言って瑞希とフラムの示す先には、風に長い黒髪をなびかせるいおりの背中があった。
「おお、いおりちゃんセンセ! そっちなんかあるんスか?」
軽々と弾む声を投げ掛けながら、悠華は右サイドテールにまとめた髪を揺らして駆け寄る。
「待った!」
だがいおりは教え子たちに振り返るや否や、かざした平手と声とでブレーキ。
悠華と瑞希はその有無を言わさぬ指示に従って歩みを止める。
「どうしたんですか、先生?」
「なんで止めるんスか」
ゆっくりと歩み寄りながら、何故止めたのかを問う悠華たち。
それにいおりは、自分の前に出ないようにと腕で柵を作って二人を迎える。
「少しだけ下を見てみなさい」
「下ぁ?」
「いったい何が?」
いおりに促されるまま悠華は腕を乗り越えて、瑞希は下に潜り避けて下方向を覗く。
「おんや? 浮いた島?」
悠華の言うとおり、今足場としている崖の下には小ぶりな島が宙に浮かび、風に流れている。
『ああそう。浮島だね。別に珍しくもないよ。悠華も前に来た時に見たことあるだろ?』
その横でテラが自分用に作った小さな浮岩から覗きこむ。
そんなテラを見やって、瑞希が微笑みうなづく。
「へえ……ならここは空なのね、って、空?」
だがそこで言葉を切ると、笑みを強張らせて改めて下方向へ目を向ける。
「うぉうふッ!?」
「ひッ!?」
釣られて下を見た悠華は、はるか下方に霞がかった海を見つけ、悲鳴を揃えて飛び退る。
「だから少しだけにしなさいと言ったのに……」
慌てて崖の縁近くから逃げる教え子たちに、いおりは肩をすくめて島の縁から離れる。
呆れたように苦笑するその顔は、再び空の向こうへ向けられる。
「私が見ていたのは、あれよ」
その視線と左人差し指が向いた先。いくつかの岩塊同然の小島を超えた向こうに浮かぶ、大きめの浮島。
「なんぞあれ?」
「ええっと……神殿? でいいのかな?」
徐々に近づいてくるその島の中央。湖のほとりに立つ建物に、悠華と瑞希が揃って首を傾げる。
太い木製円柱を外周に長方形を描く建物。瓦葺の屋根と相まって、建材は日本の寺院を思わせる。
だが中が太い柱で囲った回廊を外周、その内に本殿を配した構造は古代ギリシャの神殿を模したものである。
社であるにせよ神殿であるにせよ、何を祀っているのかも定かでない混沌とした建物。
『あ、あの神殿は確か……』
近づいてくる神殿を持つ島に心当たりがあったのか、テラが足場にした岩と共に前に出る。
すると神殿の正門を担う柱の間から何者かが表に出てくる。
出てきたその人影は神殿前から跳躍。そして青い空に浮かぶ岩を次々と跳び移ってくる。
一つ、二つと次々と岩を蹴る音が近づき響き、やがて白い衣をまとった女性が一人、一同の前に降り立つ。
腰まで届く緑がかった長い黒髪。
頭上に弧を描く透けるような薄緑の帯を左右上腕に。それと白い薄手の布一枚を巻き付けた、背の高くメリハリ豊かな肉体。
その両腕は小盾と一体化した籠手に守られている。
『神話の英雄のお一人大室いおり様。そして大地と炎の竜族の契約者たちですね? アム・ブラ様からお話は伺っています』
『やっぱりあの神殿はあなたの……!』
「その顔、まさか!?」
着地するや否や、緑がかった長い髪の女性は深々と頭を下げる。
その顔を見てテラは軽く息を吐き、いおりは驚きに黒目がちな目を剥く。
礼から上がった整った女の顔。
凛々しく強い意志を湛えた眼に、形の良い眉。
力強くも険しくは無いその目鼻立ち。
「……ゆ、裕香?」
親友を鏡で写し取ったかのようなそれに、いおりの口からかすれた声が零れる。
「え? 悠ちゃん?」
「呼びました?」
籠手の女を見ていおりが驚き呼んだ名に、瑞希と悠華が揃って首を傾げる。
「いや「ゆうか」って言っても宇津峰さんじゃなくて、ウィンダイナの方」
いおりは教え子たちを肩越しに振り返って、首を左右に訂正。そして改めて正面の女へ向き直る。
すると盾籠手の女は微笑み、口を開く。
『やはり分かりますか。しかし、私は神話の戦女神その人ではありませんよ』
盾籠手の女はそこで一度言葉を切ると、伸びた背筋はそのままに豊かな胸の膨らみに手を置く。
『私は天魔族のウェンディ。新生の時を運んだ風の戦女神、吹上裕香の心命力を基に生まれた幻想種です』
天魔族のウェンディ。盾籠手の女はそう改めて名乗り、頭を下げる。
「裕香の心と命の力を基に? ……と言うことはまさか……」
ウェンディの自己紹介を受けて、いおりの顔が汗を噴く。
「いおりちゃん?」
「どうしたんです?」
瞬時に顔中を汗まみれにしたいおりを心配して覗き込む一同。
『ククククク、フフフフハハハ! フハハハハッ! 我の存在を感じたか? 流石は我が半身ッ!』
そこで不意に響く高笑い。浮岩を跳ね返るそれに、いおりはギクリとその身を強張らせる。
続いて羽ばたきの音を降らせて、黒く大きな影が降り立つ。
巨大に見えたのは翼竜を思わせる黒い翼。
悪魔の背負うような広々としたそれが着地と同時に畳まれ、黒と赤を基調とした人の姿がはっきりとする。
『我、ここに降臨……!』
腕を広げると同時に畳んだ翼も再び広げ、細くしなやかな体を優雅に誇る黒い女。
風に翻る艶やかな長い黒髪。
頭の左右から伸びる赤い筋を帯びた角は、緩やかにねじれて伸びる。
右が黒、左が赤の黒目がちな釣り目には自信の光が溢れている。
そして細身の体を包むのは、透けるような白い肌に密着する黒いワンピースドレス。
「お? なんかいおりちゃんに似てるヒトッスね?」
悪魔を思わせる黒い女。その顔だちから受けた印象をそのままに口に出す悠華。
「おぐふ」
瞬間、いおりがうめき声を吐いてその場でよろめく。
「いおりちゃんッ!?」
『ほう、分かるか? 中々いい目をしているではないか、大地の闘士よ』
よろめくいおりを支えようと悠華が手を伸ばす。だがそれをよそに黒い女は嬉しそうに唇を緩める。
『そう! 我こそが神の魂を受け継ぐ者! 闇黒の炎にて邪を焼き尽くす女神の半身、ナハティア・バァルゼフォン・アリーマーなりッ!』
薄い胸を張って堂々と、声高に名乗り上げるナハティア。
「えっと、神様の? 分身?」
『左様! そこに立つ我らの神話が語る炎の戦女神大室いおり、真名・シャルロッテ・エアオーベルング・神薙の魂の力を受けし天魔族である!』
話についていけずに戸惑う瑞希。対して黒髪の女悪魔ナハティアはそう言って長い黒髪を掻き上げ、いおりを指差す。
それにつられて五対の目がいおりへと集う。
「ふ、ふふ……ふはは、ふぅ……」
塗りつぶして隠した過去を真っ向から見せつけるナハティア。恥とする過去を暴く鏡か恥ずかしいアルバムかとでも言うべき存在の登場に、いおりは体のよろめきを増し、乾いた息をこぼしてついにはその場に倒れる。
「い、いおりちゃんッ!?」
「せんせえッ!?」
『い、いおりさん!』
『し、しっかりしてよぉ!?』
音を立てて横倒しになったいおり。それに悠華と瑞希、テラとフラムの四名は慌てて駆け寄る。
『な、何がどうしてこうなった……?』
その様子にナハティアは冷や汗交じりに盾籠手の女を見やる。
『さ、さあ?』
だが目で助けを求められたウェンディも、困惑顔で肩をすくめるばかりであった。




