幻想界修行遠足
「さて、これでみんな揃ったわね」
宇津峰流闘技塾道場。その畳の敷き詰められた床に、借り道着を着たいおりが腰に手を当てて立つ。
その正面では胡坐をかいた悠華と、正座の瑞希が並んで座っていた。
「はい! いおりちゃん先生」
「はい、なにかしら宇津峰さん」
そこで異様に元気に手を上げた悠華を、いおりが授業で指すように指名する。
「まだドラゴン兄妹が揃って無いッス」
「あ、ホントね。テラくんはさっきまでここにいたのに」
悠華の指摘にいおりは道場内を見回す。
「悪いけれどここに呼び出してくれない? いてくれないと私が二人の模擬戦の相手も出来ないし」
「りょーかいでっす」
「分かりました」
いおりの頼みに悠華と瑞希は揃って契約の法具に手を触れ輝かせる。
拳に輝くオレンジと眼鏡から輝く赤。それぞれの光から二頭の竜が飛び出す。
飛び出た二頭は勢いを失って落下。
その片方、赤のフラムは畳を前に翼を広げて制動、ふわりと音もなく着地する。
しかし橙のテラは砂の足場を呼ぶ事も無く床へ激突。
『へぶぅ!?』
鈍い音と声を上げて落着するテラ。対してフラムは広げていた羽根を畳んで、くるりと振り返る。
『いやあ、ゴメンだよぉ。兄様との触れ合いでついつい時間を忘れてたよぉ』
舌舐めずりしながらそう言うフラムの赤い毛並みは、まるで自ら光を放っているかのように艶めいている。
だがその一方で、未だ立ち直ってこないテラの甲殻は湿り気を帯びてこそいるが張りが無く生気に乏しい。
「ああ、うん……大丈夫? テラくん」
そんな対照的な竜の兄妹の有り様に、いおりは強張った笑みをフラムへ返す。そしてテラへ気遣いの言葉を投げかける。すると小さなライオンもどきは四本の足を踏ん張って立ち上がる。
『ふ、ふふ……お気遣いなくいおりさん。別に殺されるわけじゃありませんしね? フフフ……』
よろよろと力なく立ち上がり、悠華の傍へ歩み寄るテラ。悠華と瑞希との間に腰を落ち着けたそれに続いて、フラムが何食わぬ顔で兄の隣に身を寄せて座る。
「ンンッ……さて、それじゃあ気を取り直していくわよ」
そんな竜の兄妹にいおりは咳払いを一つ。場の空気を切り替えにかかる。
「先日の戦い……その時私たちはとんでもない強敵にぶつかったわ」
いおりの口から出た言葉に、悠華と瑞希のみならず、テラとフラムもその身を強張らせる。
白い顔に蛾を模した髪をしたピエロ女。こちらを終始翻弄し、圧倒し続けたこれまでにない難敵。
その白い顔を歪めた不気味な嘲笑を思い出して、土と火の四名の顔に緊張が走る。
「前回はアレを……私は仮にサイコ・サーカスと名付けたのだけれど、どうにか退ける事は出来たわ。けれど、それも辛うじて。止めをさせたとも思えない」
いおりの言う通り、サイコ・サーカスを倒しきれてはいない。その事は最後に拳を打ち込んだ悠華自身が理解していた。
ほんの一手。わずか一歩。何かが違えばいおりは殺され、それを皮切りに全滅していた。
それほどの敵との確実な再戦の予感。それは悠華の背筋にひどく冷たい汗を伝わらせる。
その隣では瑞希もまた青い顔で身を震わせている。
「だから次にサイコ・サーカスと遭遇した時に備えて、この先生き残るために、宇津峰さんと明松さんには契約者としての力量を高めてもらうわ!」
戦慄する二人を前に、いおりは細身の胸を張って強化特訓の方針を宣言する。
だがいおりはそれからすぐに肩を落として、ため息を一つ。
「本当は私が先頭に立って二人を守らなければならないのだけれど、ね……今の私では悔しいけれど安定した戦力にはなれないから」
そう言っていおりは眉をひそめ、苦々しげにうつむく。
「あぁー、それでいおりちゃんセンセ。どんな稽古をするので? やっぱあれッスか、イメトレ空間組手?」
沈みかけた空気を切り替えるべく、悠華は特訓の内容に水を向ける。
するといおりは眉間をほぐしてうなづき、顔を上げる。
「ええ、そのつもりよ。他に契約者が目立たず全力を出せる様なところは無いし、私が相手を出来ないしね」
そこまで言っていおりは腕を組み、悩ましげに首を傾ける。
「できれば生身で練習相手もできるようになりたいけれど、アムとも話が通じない現状では、ね」
そう言って無い物ねだりをしても仕方ないと、ため息まじりに肩をすくめる。
「ねえフラム、テラくん、なんとかならないかな?」
そんな担任の様子に、瑞希は契約相手とその兄から考えを聞こうと訊ねる。
『母様と話すのは大丈夫だと思うよぉ』
『うん。それはなんとかできるかな』
その瑞希の問いに、竜の兄妹は顔を見合せ、揃って首を縦にふる。
「ほ、本当にッ!?」
「できるの!?」
「マジでぇ!?」
テラとフラムの口から出た答えに、いおりと瑞希、そして悠華が驚きも露わに詰め寄る。
三方向からの圧力すら帯びた問いに、テラとフラムは思わず身を寄せて再び首を上下させる。
『う、うん』
『いおりさんの戦線復帰までは分からないけれど……母さんと話すことは大丈夫。できるよ』
「それで、どうするの? 何をすればいい?」
戸惑いながらも、可能だとはっきりと肯定する竜の兄妹。それにいおりは問いを重ねて続きを促す。
『いえ、特別なことは何も。幻想界へのゲートを開きます』
「え? 今、幻想界に自由に行き来できるの?」
テラの出した案に、いおりは半ば呆け調子に尋ねる。
『はい。もちろん普通の人は自由にとはいきませんけれど、オイラたちなら正規のゲートを開いて案内できます』
「そうか……十年前とは状況が違うものね」
かつての戦いを思い出し比べながら、いおりは腕組み一人頷く。
「そんじゃあ今日はイメトレ空間じゃなしに、幻想界に行ってそこで修行ツアーってことで良いんスか?」
そこへ悠華が再び手を上げて質問を挟む。
「そうね。行けるのならそうしましょう」
「イエー! 遠足! 遠足イエーッ!」
新しくもたらされた情報による行き先変更に、悠華は両手を上げてガッツポーズ。
「いやいや、悠ちゃん。一番の目的はトレーニングだから」
「いやぁみずきっちゃん、修学旅行だって似たよーなモンじゃん?」
「今回はちゃんとトレーニングもしますからね」
「マぁジッスかぁ!?」
しかしいおりからの釘刺しに、悠華は肩を落として項垂れ、落胆の様子をこれでもかと見せる。
そんな悠華に苦笑しつつ、いおりは竜の兄妹へ改めて目を向ける。
「それじゃあお願いするわね、二人とも」
『まかせてよぉ。むふ、兄様との共同作業……ぬふふ』
『わ、分かりました』
隣の妹からの流し目と舌舐めずり。それにテラは笑みを引きつらせながらも頷き、了承する。
そしてテラは未だに熱いまなざしを送る妹と共に三人の中心に進み出て、四肢を床について立つ。
『テラの名を鍵として幻想の門へ……』
『フラムの名を鍵として幻想の門へ……』
二人の口が紡ぎだした言葉に続き、その足元から光の円が二つ広がる。
オレンジを外、赤を内。幻想文字が並び形作った二重の光輪。それは互い違いに回りながら広がり、悠華、瑞希、いおりを足元から支えるように囲む。
『二つの鍵を受けて繋がれ二つの世界……』
『結び、繋ぎ、ここに境を……』
詠唱が進むに従い、回転する文字列の光輪は最初の二つを輪郭に内側に数を増やしていく。
テラとフラムを中心とした二色光輪のミルフィーユ。それはやがて回転を止めて畳の上で輝く。
『開け、世界の門ッ!』
そしてテラとルクスが声を揃えて詠唱。それに続いて、積み重なった光の円が鍵を開かれた門の様に左右に割れ開く。
「おおぅッ!?」
「ひゃんッ!?」
「お……っと!?」
足元に開かれた巨大な穴。それに一同は驚きの声を残して吸い込まれるように落ち消える。
「おお、おぅッ!?」
穴を抜けてすぐにブレーキのかかる落下。
緩やかになった落下の中、悠華は辺りを見回す。
白と黒の混じり合った空間。前後左右上下、辺りを取り囲む二つの色に、悠華は目を瞬かせる。
「ここは……」
「どこ?」
波紋の様に広がる光。それを足元に呟く悠華の傍に、瑞希が波紋を足跡に残して歩み寄ってくる。
「……アム」
その近くへゆっくりと降りてくるいおりの口から、かつてのパートナーの名が零れ出る。
光の波を立てて着地するいおり。
すると周囲を包む白黒の中から一部の黒が分離する。
『……久しぶりさね』
四方八方、空間全体から集まるように響く声。それに宙に浮かぶテラとフラムが姿勢を正す。
「この声は……」
響いてきた声に、いおりの顔が笑みに輝く。
その目の前で人間大の黒い塊が身を捩り、翼をもつ四足の獣へと変わる。
『本当に久しぶり、いおり。また会えて嬉しいさ』
耳を包むような巻き角と、艶のある翼を備えた黒い雌狼。
フラムの角と色を変えて大きくしたようなそれに、いおりの顔を彩る喜びが輝きを増す。
「アム!」
満面を彩る喜びの色のままに、翼持つ黒い狼へ抱きつくいおり。
「よかったアム……! また会えて私も嬉しいッ!!」
再会の喜びを露わにしての抱擁。
感無量のそれを受けながら、黒い狼は触れ合ういおりの体にその頬を擦り寄せる。
『ああ、本当に。こうしてまた会えてよかったさ』
しかしその穏やかな喜びの言葉は、いおりと触れ合う狼からではなく、変わりなく空間の外周から集うように注がれる。
「アム、まさか?」
それに違和感を感じてか、いおりは喜びの笑みを曇らせて黒い狼へ目を向ける。
すると黒い狼はその赤い目を閉ざして静かに頷く。
『ああ。アンタが考えてるとおりさ。この体はアタシ自身じゃない、言ってみりゃ触れる影ってとこさね』
苦笑気味に口の端をゆがめるアムの影。
「……そう、か。そう言うことか」
その言葉に、いおりは僅かに寂しげな笑みを見せながらも、抱擁の腕を解きはしない。
アムの影はそんな懐かしい友の腕を黙って受け入れながら、尾を軽く振る。
『あの、母さん? 影とはいえ、出てきてても大丈夫なの?』
『そうだよぉ。普段は声だけでもめったにないのに』
そこへ姿勢を律したままのテラとフラムが、心配そうに声をかける。
それにいおりが心配そうに身を離す。が、アムの影は笑みのまま首を横に振る。
『大丈夫さ。ルクスがしばらくは自分で支えるからやれってさ』
「そうだったの。ありがとう。ルクス」
いおりは顔を上げると、この再会の為に尽力してくれている親友のパートナーへ、礼を述べる。
『好きでやってることだから気にしないで……だとさ』
言葉を紡げぬ伴侶の言葉を代弁するアム。それを受けていおりは、アムの影を改めて抱きしめる。
「……恩に着るわ」
『だから気にしなさんなってさ』
そう言ってアムの影は、いおりの首を撫でる手を心地良さそうに受け続ける。
「いやあ、あんないおりちゃんはぁじめて見たよ。なんかもう泣きそうじゃん」
「そうだね。やっぱりそれだけ深い絆だったってことだよね」
担任とそのパートナーの再会。その光景を眺めながら、悠華は所在なさげに足を振り、瑞希は滲み出た涙をハンカチで拭う。
やがて再会の抱擁を解いたいおりとアムは、改めて土と火二組の契約者たちへ目を向ける。
「紹介が遅れたわね。彼女たちがテラくんとフラムちゃんの契約者。私の教え子の宇津峰悠華さんと、明松瑞希さんよ」
「こんちはッス。アムさん」
「あ、あの、その、フラムにはいつもお世話になってます!」
片手を上げて朗らかに挨拶する悠華と、慌てて頭を下げる瑞希。
『はじめまして。テラとフラムの母親のアム・ブラさ。こちらこそ、子どもたちが世話をかけたさね』
頭を下げる影に続いて、全方位からの穏やかな挨拶を返すアム。
そしてアムの影像はいおりを見やり、ついで悠華と瑞希へ目を向ける。
『それにしてもいおりの教え子だって言うから、どんな挨拶が飛び出すかと思ってたけどさ。いや、なかなかどうしてまともで安心したってモンさ』
全方位からの安堵の声。それに悠華は後ろ頭に手を組んで、白い歯を見せる。
「いおりちゃんセンセの教え子で、ってどんな心配してたんスか?」
馴れ馴れしすぎるほどの朗らかさで笑う悠華。
アムの影は、そんなパートナーの教え子を咎めるでもなく、いおりと交互に目をやって見比べる。
『おや、どうやら知らないようさね? まあ、ずいぶん落ち着いたみたいだし、無理も無いさね』
「おいちょっと? なにを話すつもり?」
口の端を緩めて笑うアムの影に、いおりは頬に冷や汗を一筋。強張りひきつった唇を開く。
『だっていおりったらさぁ、アタシのことを「我が半身」って呼んだりとか、自分をどこぞの魔王の姫の生まれ変わりだのとか……』
「ちょっ!? わ!? ヤメッ!?」
契約を結んでいた当時の、厳重に封印していた言動の数々。痛々しい記憶を全方位から赤裸々に語り出すアムの声に、いおりは頭を抱えて辺りへ視線を巡らせる。
「ああ、シャルロッテってそう言う……」
塞ぐべき口を求めて慌てふためくいおり。それを悠華と瑞希はただ生温い笑みで見守るばかりであった。
『そうそう、シャルロッテ・エアオーベルング・神薙! 変身してもしなくてもそんな名前を名乗ってさ……』
「イヤッ! やめて! ヤァアメェテェエエエエエッ!?」
ほじくり返される歴史を埋め直そうと、いおりの悲痛な叫びが白黒の空間に響いた。




