暗黒の道化
「……ちょいとテラやん、なんなのさあのピエロ女? あいつも人間に憑いたヴォルスってヤツ?」
身を切るような冷風にも似た殺気。グランダイナはそれに身構えながら傍らの契約相手に問いかける。
敵へ向けたその拳は微かに震えて、堪え切れぬ寒気に凍えているようであった。
相棒のテラもまた、浴びせられた殺気に顎を鳴らしながら答える。
『そのはず……だけどこんな、ここまでのヤツがいるなんて……』
揃って身を強張らせる大地組。
だがその正面。濃紫と金のレディピエロは、殺気を放った後は踏み込むでも構えるでもなく、腕を下げて無防備にたたずんでいる。
ぶつけてきた殺気とはまるで不釣り合いな自然体。
その不気味さにグランダイナは攻める踏ん切りがつかず、身構えたまま右へ立ち位置をずらして行く。
そうしてふと空中を見上げれば、同じく身動きをとれずに見下ろした瑞希と目が合う。
『どうしたの? 来ないのならこちらから行くわよ』
ダイナの鎧がもたらす超視覚が友の不安顔を捉えた刹那、不意に響く声。
息をのみ、視線を下ろすグランダイナ。その視界はすでに白い顔で埋まり、同時に横殴りの衝撃が黒い巨体を突き抜ける。
「ぐ、あッ!?」
とっさに上げていた腕を突き抜けた重い衝撃。それにグランダイナの靴底が地を離れて浮かび上がる。
不意を打たれたとはいえ、グランダイナの巨体が打撃に負けて横っ飛びに流れた。
『なあッ!?』
驚愕に眼を見開くテラ。
それを視界の隅に認めながら、グランダイナは浮いた足を地に戻し、それを錨として与えられた動きを制する。
土にブレーキ痕を残して静止。同時にグランダイナは自身を吹き飛ばしたレディピエロへ目を向ける。
だが派手な衣装に包まれたその姿はすでにそこにはない。
「ヤハッ!」
直後グランダイナは背後へ右足を突き出す。
その後ろ蹴りは背後へ回っていたレディピエロの拳と衝突。重なる蹴りと拳を中心に空気が爆ぜる。
『へえ……』
拳を迎え撃った蹴りに、ピエロ女の口から感嘆の息が零れる。
「アァラアッ!」
気合の声を重ねて、さらに蹴りを押し込むグランダイナ。
だがレディピエロはそれに合わせて拳を引いて宙返り。距離を取りつつ左右計八本のナイフを投げ放つ。
冷たく輝き迫る八つの刃。しかしグランダイナは鋭く息を吸い、躊躇なくその切っ先へ逆に踏み込む。
「エェアァッ!」
堅牢な装甲で刃を弾き、滑らせて、ピエロ女の着地を狙って拳を打ち出す。
しかし唸りを上げる拳はピエロシューズのつま先を掠めて空を切る。
「なッ!?」
敵の空中での静止。それによって空振りに終わった己の右拳に、グランダイナは目を瞬かせる。
だがすぐに驚愕の声を飲み込んで首を傾ける。
直後、振り上がったピエロシューズがヒロイックなマスクを掠めて火花を散らす。
「クッ!」
グランダイナは仮面の奥で歯を食い縛り、足を捕まえようと手を伸ばす。
だが弧を描いて振り上がった足どころか、ピエロドレスにまでまんまと逃げられ、伸ばした手は虚しく空をかく。
『何を呆けている? 私が引き受けているうちに、空の者を捕まえてしまえ』
大気を抉り削る勢いで空振りした腕の真上。見えない鉄棒に逆立ちしたレディピエロがクラーケンに声を投げかける。
『は、ははッ!』
それにクラーケンは軟体の体に骨を通したかように身を引き締め、触手を空へ伸ばす。
「まずいッ!」
瑞希を狙って伸びるクラーケンの魔の手に、グランダイナは焦りも露わに駆けだす。
瑞希は一度クラーケンに囚われて、変身を解除させられている。
そんな状態から救出間も無くの変身、戦線復帰。
そしてそれに加えて、発動前に止められたとはいえ、杖による大技を放ってしまったのだ。
今の瑞希の手から晃火之巻子は火と蕩けて消え失せて、宙に浮かぶ身も重く、力が無い。
「こっちを向けぇえッ!!」
踏み込み、タコ足の根元へ右手を伸ばすグランダイナ。
『それはこちらのセリフだわ』
だがぬめりを帯びた表皮に指がかかろうと言うその刹那、冷たい声が背中にかかる。
次の瞬間、グランダイナの伸ばした手に上からのカードがぶつかる。
「ぐッ!?」
ぶつかり爆ぜて、火花を散らすトランプの一札。ダイヤの6。
ダメージで生じたその間に、開いた触手と指との隙間に濃い紫を基調とした人影が滑り込む。
顔面を狙っての血の気なしの掌底。それを割り込んだ左腕の装甲が壁となってガード。
「邪魔!」
奇襲を受け止めたグランダイナは、すかさずトランプで撃たれた右でピエロドレスを捕まえて横なぎに投げ飛ばす。
「すんなってのぉッ!」
音を立てて空を切り、地面と水平に宙を横切るピエロ女。
だが投げ飛ばされながらもレディピエロはその手からトランプを放る。
「ぬぐ!?」
救援に切り替え直す暇も与えぬと迫るカード。ミサイルの如く迫るそれらに、グランダイナは身を丸めるように守りを固める。
装甲や足元に着弾、氷や稲妻を弾けさせるトランプミサイル。
その衝撃にグランダイナが堪えている間に、ピエロ女は宙返り。地を蹴り飛んでまたも踊りかかる。
『あなたの相手は私』
囁くような声と共に放たれる飛び込み蹴り。
声と裏腹に鋭いそれを、グランダイナは装甲表面に滑らせ流す。
黒いヒーロースーツの巨体を掠め、背後へ抜けたピエロ女。
その頭を狙ってすかさずグランダイナは後ろ回し蹴りを繰り出す。
だがレディピエロは身を翻して距離を取り、踊るように蹴りを避ける。
そして蹴りをやり過ごしてから間髪いれずに反転。その勢いに乗せた風切る回し蹴りを放つ。
腕の装甲でそれをガード。同時に一本で体を支える軸足を狙って下段蹴り。
しかし黒い闘士のローキックは、ピエロの足元から生えた大きな玉乗りボールにぶつかる。
サッカーボールの如く飛ぶ彩り豊かな大玉。だが離れていくその上にレディピエロの姿は無く、すでに真上へと分離して、重力に任せて落ちてくる。
『ハッ!』
落下に合わせて振るわれる右腕。
「クッ!」
その一撃をグランダイナは身を引いて回避。
しかし反撃を放つよりも早く突き出てくる後続の左平手。
それを弾きしのいだところで、右のナイフが下から襲う。
振り上がる白刃をその手首ごと叩き落とすグランダイナ。
そしてすかさず膝を撃ちだすが、それもステップを踏むピエロの身を捕らえず空を打つ。
蹴りの回避からすぐさま、レディピエロはターンしながらインステップ。スカートを翻して懐へ潜り込み、肘鉄。
「グッ!?」
装甲ごしにみぞおちを打つ一撃に、グランダイナはクリアバイザー奥の目を明滅。
「こなくそッ!」
しかし懐へ入った敵を逆に抱き込み、太い剛腕で締め上げにかかる。
『く、あ……ッ!?』
ピエロ女の口から初めて漏れた苦悶の声。
鯖折りにする腕にさらに力を込めながら、グランダイナはこの隙に相棒へ顔を向ける。
「テラ、土玉をほどいてッ! 早くッ!」
『えッ? わ、分かった!』
契約者の指示に従い、テラは弾丸生成の魔法を解く。
『ぶふぅばぁッ!?』
直後クラーケンの体から土砂が噴き出す。
先にグランダイナが散々に投げつけた砲弾は大量の土を超圧縮したもの。それを全て一度に解けば、ピエロ女に切り払われた時の非でない土砂の爆発が起こる。しかも起爆するのは大タコの身の内でである。
結果、全身から土砂を噴き出したクラーケンは己を軸にした山を作って動きを止める。
「みずきっちゃん今のうちに校舎に! 一息ついて気力をッ!」
そうして生まれた隙に、空に浮かぶ友へ一時の退避を促すグランダイナ。
『他人の心配とは随分と余裕ね』
だがその僅かな、ほんの僅かな気の逸れに、レディピエロに剛腕からつるりと抜け出されてしまう。
そして抜け出た傍からのローキック。重厚な鋼に守られた脛に打撃の残響も鮮やかな間に、膝側面を二発目が襲う。
「せあッ!」
しかしグランダイナは姿勢を崩そうと目論んだらしき二連打を受け切り、右拳で反撃。
だがそれもピエロ女は大きく背後に身を反って回避。通り過ぎる腕の下で白い顔を嘲笑に歪める。
回避のブリッジからすかさずの蹴り上げ。身を反らした勢いにのせた蹴りにグランダイナはとっさに身を捩る。
グランダイナは、刃にも似たピエロシューズを仮面の顎先に掠めて横転。グラウンドに這うような姿勢で止まるや否や、地を殴るように踏み込む。
「ふん!」
空を引き裂く拳。それは吸い込まれるようにレディピエロの交差した腕を撃つ。
『うぐ!?』
めり込み、腕の防御を圧し折る鉄拳。突き刺さった拳はその威力のままに、ひしゃげた防御もろともピエロ女を吹き飛ばす。
「浅いかッ」
だがグランダイナの仮面から飛び出したのは舌打ち。
その言葉通り、大きく飛んだピエロ女は空中で身を翻して着地。駒のように回転しながら地を削っていく。そして制止と同時に、折れて関節の増えた腕を真っ直ぐに伸ばす。
『数に任せた卑怯者にしてはやるわね。驚いたわ』
瞬時に修復した腕を慣らすように一振りしての一言。
対するグランダイナは打ち込んだ拳を握り直して腰だめに構える。
「そりゃあどーもー。なんせこちとら素人のお子ちゃまなもんでね。痛い目見ないで勝つには数だよりくらいしかなぁいのさ」
構え直しながらピエロに軽口を返すグランダイナ。
対峙する二人。そこから少し離れたところで、土山が弾け飛ぶ。
『おのれぇええええッ!!』
怒号を上げ、己を包む土を押し返すクラーケン。グランダイナへ向けた片目を怒りにぎらつかせ、振り上げたタコ足に力を込める。
『潰してやる! 潰してやるッ!!』
クラーケンはその激情のまま、に大質量の足を振り下ろそうとする。
『こいつの相手は私だと言ったはず』
『ふひぃッ!?』
だがピエロ女の冷たい声と目に気圧されて、情けない悲鳴と共にその身を強張らせる。
『お前は早く逃げた火竜の契約者を。そうしたらこれも譲ってやる』
『ははッ!』
レディピエロの指示に反射的な了承を返して、クラーケンはその軟体を捩って向きを変える。
「おやおや、いいのかい? 先にこっちを囲んで潰すチャンスだったのに?」
『必要ないわ。息切れを起こしているお前と遊ぶのには余計なだけだもの』
まとめてかかってこいと挑発するグランダイナの言葉を、バッサリと切り捨てるレディピエロ。
正確に実情を見切った敵の眼力に、グランダイナは仮面の奥で軽く息を吐く。
「さぁて、そいつはどうかねぇ? 軽く見てると足元すくいに行くぜよ?」
『お前が油断できる相手でないのは知っているわ。それも楽しみであるけれども?』
グランダイナの軽言を、軽快に打ち返すピエロ女の挑発。
それから押し黙って対峙する二人。
その間の空気に、静かな闘気が双方向からじわじわと流しこまれて行く。
空気以外に満たされていく両者の間。
やがて溶けきれずに飽和した闘気に引き寄せられるように両者は駆けだす。
互いの踏み込みで瞬時に詰まる距離。
踏み込みに合わせて繰り出す黒い鉄拳。それをピエロ女が潜る。
だがそれを読んでいたグランダイナは懐へ迫る血の気の無い鼻面を目掛けて膝を突き出す。
が、レディピエロもそれは織り込み済みであったか、突き出された膝に手を乗せ跳躍。グランダイナの頭上へ躍り出る。
宙を舞って背後へ回り込むピエロ。同時にグランダイナの背から金属音が走る。
「ぐッ」
装甲を削り刻む一撃に呻くグランダイナ。だがそれを仮面の下で噛み殺して、黒い闘士は身を翻して背後へ肘を打ち出す。
しかしそれよりも早くピエロ女はその場から飛び退き、距離を取る。
後ろ跳びに合わせてのカードの投擲。
黒い大地の装甲にまで通じる、切れ味鋭いスペードの二。
それを叩き払いつつ、グランダイナはピエロを追いかけて踏み込む。
だがピエロ女は着地するや否や、後ろ跳びに退くベクトルを反転。飛び込むように間合いを詰める。
「エヤッ」
拍子を乱された形になったグランダイナは、勢い不十分を承知で拳を放つ。
体重の乗りも甘く、タイミングのずれた拳撃。それをピエロ女は嘲笑混じりに苦もなくかわし、鋼鉄の仮面へ肘を突き立てる。
「がッ!?」
自身の突進を利用されての肘に、グランダイナの体は堪らず跳ね返ってたたらを踏む。
『もらったわ』
これを好機とレディピエロは開いた間を詰め、掌を黒いヒーロースーツのみぞおちに押し込む。
『そら、そらそら! さっきの威勢はどうしたのかしら?』
ピエロはさらに嘲笑を深めながら、グランダイナの足を踏みつけて体を密着。
それにグランダイナは脇を締めて守りの姿勢を固めるも、ピエロの両腕はその守りの外にある背や腰へ叩き込まれる。
執拗に撃ち込まれる掌打。それに引くことも出来ずグランダイナは防戦一方に追い込まれていく。
押し返す間も無く続く、嵐のような乱打。途切れなく続くように思われたそれの中に、やがて一際大きな一振りが混じる。
慢心か、疲労か。いずれにせよ勝負を急いだ一撃が生んだ僅かな乱れ。
「ヤッハァッ!!」
微かな、しかし待ちに待ったその間に乗じて、グランダイナは地を踏み鳴らす。
『なッ? がッ!?』
輝きを伴う地鳴り。そこから飛び出た山吹色の光が、ピエロ女の青白い顎を逃げる間も与えず突き上げる。
レディピエロを突き飛ばした光の棒。それをグランダイナは手にとって、光の鞘を裂いて現れた翻土棒を斜に構える。




