新たなる敵
「フラムゥウウッ!?」
グランダイナが全身をめぐる微かな輝きを両腕に集めて叫ぶ。
波打つように集い輝いたエネルギーは、触手の束を握る腕に力を蘇らせ、掴んだそれを引き千切る。
『ナニィイッ!?』
息切れ膝を突いた身が見せた抵抗に、クラーケンの口から驚愕の声が飛び出す。
グランダイナが力を振り絞って千切った事で、瑞希をまさぐり縛る触手のいくつかが苦悶に悶える。
「おぐぅッ」
だがグランダイナがもう一束と握った瞬間、上空からの触手がその身を打つ。
硬く鋭い爪を備えた大質量の群れ。しかし屋上に膝を沈めながらも、大地の力の結晶たる黒い装甲はびくともしない。
「うぅ……あぁあッ!」
頑健なのは装甲のみではない。少なからず衝撃は受けたはずの中身も、かけがえない友を縛りなぶる触手を手離さず、さらに引き千切ってさえ見せた。
『やめろッ! やめんかあッ!?』
三度触手を千切ろうと掴んだグランダイナ。その背にクラーケンは慌てて爪を備えた触手を叩きつける。
「う、ぐ、あぐッ!?」
『離せ! 離せ、離せェッ!!』
狙いも定かでない乱打に晒され、触手を千切れずにいるグランダイナ。しかし千切れずとも手放しはしない黒い闘士へクラーケンの触手はさらに激しさを増す。
「ぐ、あぐ……ッ!」
『離せ! 離さんかッ!』
突き刺さる爪、叩きつける丸太の如き肉鞭。それら猛然と降りかかる打撃のことごとくを、グランダイナは握った手を離さずにひたすらに耐え続ける。
やがてその巨体を支える校舎屋上に走ったヒビが深まり、グランダイナの体も亀裂の中心に沈む。
『ええい、このッ!』
それでもしがみつくグランダイナに、苛立ちも露に足を上げるクラーケン。
『やめろぉおッ!!』
そこへようやく調子を戻したテラが、龍のように空を泳ぐ砂に乗って割り込む。
『ぐあッ!? この、うっとおしいわぁあッ!!』
残った目を狙って飛び込むテラ。目玉に砂を振りかけるそれを打ち払おうと、ヴォルスは太い触手を振り回す。
そして、不意に広がる赤い光。
『ぐわ熱ッ!?』
熱を帯びたそれに、クラーケンは堪らず声を上げて身を強張らせる。
次の瞬間、細い触手の束は焼き切れる。それを成した炎の塊。その中から赤い羽根つきの犬と、小柄なメガネの少女が姿を現す。
「悠ちゃんッ!」
『無茶しすぎだよぉ!』
身に浴びた穢れを焼き清めながら、瑞希とフラムはグランダイナへ駆け寄る。
『なにぃいッ!? まさか、お前!?』
目前の光景に砂を浴びた目を瞬かせるヴォルス・クラーケン。その驚愕の視線に、グランダイナは目に不敵な光を灯す。
「かかったなタコがッ! ……ってトコかねぇ。頭が冷えればこんなもんさね」
挑戦的な光をそのままに立ち上がると、グランダイナはいつもの軽々とした言葉をクラーケンに放る。
『おのれぇ……』
体をよろけながらも、余裕を取り戻したグランダイナ。その姿にクラーケンは忌々しげに足をくねらせて唸る。
『……ならば、その冷えた頭とやらでこの女たちを救って見せろ!』
そして苛立ちを露に、瑞希と共に捕らえた水橋たち四人を盾にするように掲げる。
「転火変現ッ!」
しかし爪を備えた触手が水橋たちに突きつけられるよりも早く瑞希が変身。腕を一振りして放った炎が人質を縛る触手を直撃する。
『うぐわッ!?』
放たれた火に怯み、クラーケンの触手が踊る。その拍子に、捕らえられていた水橋たちの体が宙に舞う。
「晃火之巻子ッ!」
そして放り出された人質たちへ向けて、炎の帯が伸びて巻き取る。
『オレのッ! ぐおッ!?』
クラーケンは女たちを奪われまいととっさに触手を伸ばす。だがうねる足を水橋らを守る火の帯が焼き、弾く。
そのまま炎巫女姿の瑞希の手招きに合わせて、炎の帯は巻き取った水橋たちを保護する。
「お前なんかの身勝手な欲望が汚していい相手なんて、どこにもいるもんか……ッ」
静かな、しかし断固とした拒絶の意思を乗せた瑞希の言葉。
それにクラーケンの独眼が暗く濁った色に揺らめく。
『ほざけッ! 一度手の内に入ったからには俺のものだぁッ!?』
ヴォルスの激昂に、太さ様々の足がしなり伸びる。
固い床を蹴り、水橋らを連れて大きく後ろへ飛ぶ瑞希。
それを追おうとする触手に対して、グランダイナが割り込んでその身を壁とする。
「えいさぁあッ!!」
真っ向から突っ込んでくる爪を備えた触手の突き。それをグランダイナは拳をぶつけて相殺する。
鋭利な爪がその先端から砕けて肉に埋まる中、瑞希は友の背後で晃火之巻子から伸びる炎を分離。
「攻め来たる穢れをば縛れッ!」
そしてすかさず新たな炎の帯を引き出し、祝詞に乗せて展開する。
『グヌゥワッ!?』
瞬く間に進路を塞いだ炎の壁と触手が激突。刹那、衝突に反応した術式がタコ足を絡め取る。
「どおっせいやぁあああッ!!」
溢れだした炎の縄がタコ足のことごとくを縛り上げたところで、グランダイナはクラーケンの懐へ突進。校舎二棟に渡って横たわる巨体を持ち上げ、投げ飛ばす。
『ナニィイイイイイイイッ!?』
遠く離れていく驚きの叫び。尾を引くようなそれを残してクラーケンはグラウンド方向へ飛ぶ。
そしてその勢いのまま霞の壁に衝突。続いて境界を仕切る壁無き壁をずるずると滑り落ち、重く鈍い音を立ててクラーケンの巨体は地に落ちる。
続いて屋上と階下を繋ぐ扉が音を立てて開き、いおりが姿を現す。
「みんな、無事!?」
「おお、いおりちゃんセンセ!」
「大室先生!」
屋上に出てきた、担任にして幻想契約者としての先輩。それにグランダイナと瑞希は小走りに駆け寄る。
「今からあのタコ片付けてきますんで、助けた人たち預かってちょーだいッス。みずきっちゃん!」
「うん! 先生、お願いします!」
グランダイナの言う通りに、瑞希は赤い光に包んだ水橋たち四人をいおりへパス。そしてその横をすり抜けて、グラウンド目掛けて跳ぶ。
「……ッ、気をつけて!」
背中にかかるいおりの声援。どこか悔しげなそれに、グランダイナと瑞希は片手を上げて答えると、追いかけている敵へ意識を戻す。
『お、おのれぇえッ! 小娘どもがああッ!?』
怒りにまかせて縛られたままの触手を動かそうともがくクラーケンの巨体。
そのサイズから生まれる力には、流石に炎の縄による拘束も長く保ちそうには無い。
正面でもがく敵の様子にグランダイナは瑞希と目配せ。
「アタシが下から行くから、みずきっちゃんは上からたのむよ」
「任せて、フラムッ!」
『アイアイ!』
ほんの短い打ち合わせから、二人は上昇する側と落下する側にとすぐさま散開。二手に分かれてクラーケンを目指す。
グランダイナは緩やかな縦割りカーブを描きながら、前回りに回転。足からグラウンドへ降り立つ。
巻き起こる爆音と土埃。その中心で逆スペードのバイザーに守られた双眸が輝きを放つ。
「テラやんッ!」
『おうともさ!』
呼び声に応じて、グランダイナの体を基点に転移、飛び出すテラ。
オレンジの宝石をたてがみとした小ライオンは、グランダイナの周りに握り拳大の土塊を幾つも召喚する。
グランダイナは宙に浮かんだその一つを手に取り、固く握りしめる。
黒い闘士の握力を受けてもなお砕けぬ土塊。それは超高密度に凝縮生成されたものであった。
そんな超質量の塊を大きく振りかぶると同時に、地を蹴り駆け出すグランダイナ。
『叩き潰してくれるわぁッ!!』
だがクラーケンもまた炎の縛鎖のいくつかを引き千切り、自由になった触手を振り上げる。
「ヤッハァアアッ!」
それを目掛けて、グランダイナは振りかぶった土塊を投げ放つ。
『ぶぐえあッ!?』
空を破り進んだそれは、ヴォルス・クラーケンの表皮へ深々と突き刺さる。
金属を水飴のように握り潰す握力にびくともしない硬度と質量の塊。そんなものを音速の数倍に達する速さで投擲したその威力はまさに戦車砲。
「もいっちょおッ!」
『おのれぇばはッ!?』
グランダイナは叫びながら二発目を握り、投擲。同時に右方向へ直角に足を切り返す。
直後、反撃にと振られていた触手が地を叩く。
グランダイナは地響きを後に残して、さらに土を凝縮した砲弾を握っては次々と投げ放つ。
土煙を上げながら砲撃を繰り返すその姿は、幻想の力で形作られた人間戦車と呼ぶに相応しい。
『生意気ィイイッ!!』
弧を描く形で走りながら砲撃を投げ放つ黒い人間戦車、グランダイナ。それにヴォルス・クラーケンがついに、堪え切れぬとばかりに吠えて触手を振り上げる。
『ぐおうぁッ!?』
だが振り上げた触手は爆発に見舞われてその先端を失う。
グランダイナに気を取られて死角となっていた頭上には、すでに瑞希が炎の浮遊機雷を配置していた。
「降りて炎と広がれッ!」
その命令を受けて残った浮遊機雷が一斉に浮力を手放す。
『ぬわぁああああああああッ!?』
自由落下どころか自ら急下降する勢いでの爆撃。押し潰さんばかりの爆発にクラーケンは堪らず逃げようと校舎へ足を伸ばす。
「そこぉッ!!」
だがその触手の根元をグランダイナの投擲砲が直撃。
『むぐぅ!?』
長い軟体は根元から折れ曲って、クラーケン自身を囲むように巻きつく。
「畳み掛けるぜよぉ、みずきっちゃん!」
「任せて!」
思念と声とでここが攻めどころと意見を重ねる二人。
グランダイナはその場に足を止めて両手に取った土砲丸を互い違いに発射。
一方で瑞希もフラムと共に上空から炎と火炎機雷とを浴びせる。
『うぅおぉごおぉおおおおおおッ!?』
それはまさに空と陸、垂直水平両方向からの十字砲火。
十字に重なる火線の交差点。その上でヴォルス・クラーケンはただ触手をでたらめに振り回して苦悶の叫びをあげるばかりであった。
「さあって、ボチボチ決めましょうかねぇ!? 準備はッ!?」
「完了!」
再度声と念を交えてのタイミング調整。
そして空と陸、二人同時に頷くや否や、ヴォルスを取り囲む形で五つの炎が柱となって噴き上がる。それは上空から見れば、五つの炎を結ぶように円に包んだ「火」の字を描くように赤光の文字列を伸ばす。
地面に描かれた火炎陣はその文字列から注連縄じみた太い炎を生やして巨大なタコを縛り上げる。
そう、すでに瑞希は爆撃に交えて巨大な浄化封印陣の仕込みを済ませていたのだ。
燃え盛る浄化封印陣の完成。それと同時にグランダイナは最後の一発を右手に駆け出す。
猛然とした加速の間に、全身で脈動するエネルギーラインの輝きは右腕へ、そして握った土砲丸へ転移。
「ダメ押しいっぱぁあつゥッ!!」
続いて気合の叫びと共に踏み切り跳躍。完全に動きを封じられたヴォルスを目掛け、飛び込みながらの投擲砲をシュート。
ハンドボールシュートの要領で投げ放った光を帯びた土砲丸は、動けぬ敵の巨体へ真っ直ぐに突っ込む。
だが直撃の寸前、闇色が閃いて砲弾を切り裂く。
「なあッ!?」
『そんなバカなッ!?』
纏ったオレンジの光が霧散し、山のような土が弾け溢れる。
圧縮を強引に解かれて爆散した土。それにグランダイナとテラの大地組は驚きを露わにする。
瞬きをするその目の前でヴォルス・クラーケンの身が裂ける。
そしてまたも黒閃が空を走り、タコの身を縛る炎を斬り裂く。
「えぇえッ!?」
『なに!? なんなのぉ!?』
破壊され、風に散って消える浄化封印魔法陣。それに、上空の炎組もまた動揺を隠せずにうろたえる。
その間にクラーケンの身に開いた裂け目は広がり、その縁に細い指がかかる。
『さっきから黙って見てれば……四対一なんて、卑怯じゃない?』
その言葉と共に裂け目か人影一つ現れる。
暗い紫を基調としたレディピエロ。
右が金、左が暗紫の二色に分かれた蛾の翅を模る髪。
暗紫色の「J」で縁取られた左目。その目が収まった顔は蝋のように白い。
血の気の感じられないその肌からは年齢さえも読み取れず、若そうに見えはしてもその見立てに確信を与えてくれない。
その細身の体を包むのは金の鋲と白いフリルで飾られたピエロドレス。
『ま、まさか貴方は……ッ!? なぜ、なぜ貴方がッ!?』
自身の身を裂いて現れたレディピエロに慄くクラーケン。
だがピエロ女はクラーケンの畏怖など意に介した様子もなく、赤く長い爪を備えた手を一振り。出てきた穴をふさぐ。
『たまたまあなたの腹に収まる羽目になっただけよ。見るに見かねて出てくることになったけど』
ピエロ女は気だるげにそう返して、ふわりと宙へ舞う。
炎の流れ去った地面を玉飾りつきの靴が音もなく踏むと、ピエロ女は正面のグランダイナ、そして空中の瑞希と視線を移す。
『これで四対二……これ以上好き放題はさせないわ。ドラゴンと、その契約者ども』
憎しみを帯びた声と共に広がる冷たい風。
背筋を震わせるそれに、二人と二匹は思わずその身を固く構えた。




