スクールダンジョン
背後から響く重々しい打撃音。
追いたてるようなそれを背に受けて、炎の巫女装束姿の瑞希が飛ぶように校舎へ飛び込む。
事実、小柄なその体は魔力によって低空飛行しており、走るよりもずっと速く瑞希を運ぶ。
「フラム、テラくん。何人、どこにいるか分かる?」
廊下を滑るように飛びながら、瑞希は自身のパートナーと親友から預かった助っ人を見やる。
『正確にはちょっと……上の方に何人かと、この先にもいるよぉ』
『上の階にいるのは、まとまって固まろうと動いてる。いおりさんはこの集団だ』
竜兄妹が鼻を動かして探知結果を報告。そのナビに瑞希は加速して直進。
「ならこっち……保健室側から!」
『いおりさんと合流は?』
「先にはぐれてる人たちをまとめないと! なんならフラムとテラくんが先生側に!」
ワンテンポ遅れながらも追いついてきたパートナーとその兄。瑞希は二人に今現在取るべき方針を口に出す。
それにテラはつかの間俯くも、すぐに頷き顔を上げる。
『……分かった。オイラたちは先にいおりさんの所に。状況は念話で伝える』
「お願い。二人とも」
『任せてよぉ!』
そうして三人は頷き合い、下駄箱前で直進と反転の二手に別れる。
羽ばたく赤と、浮き岩を操る茶色とオレンジ。瑞希は二つの背中を肩越しに見送ると、正面へ向き直って右手の金御幣を構える。
杖であり、巻物の軸でもあるそれから炎の帯を巻きだしつつ、保健室前に続くコーナーを曲がる。
瞬間、瑞希の目の前に現れたのは、窓を割って浸入した何本もの細いタコ足に絡め取られた水橋であった。
「水橋先生!?」
瑞希が呼び掛けるも、気を失った水橋は無反応。はだけた衣類の内と外から絡んだ触手に引かれ、されるがままに外へ運ばれようとしている。
「やめてッ!」
瑞希は急いで炎の帯を引き出し、鞭のように振るう。
瑞希の意思を受けて伸びた炎の巻物は、タコ足の滑り込む窓枠を直撃。一撃で水橋の肢体をまさぐる触手のほとんどを焼き切る。
「穢れ含むもの遮りたまえッ!」
そしてすかさず左手に摘んでいた火の切れ端を札に変化。祝詞の詠唱と共に投げ放つ。
割れた窓に張り付いた火札は赤い光の壁を形成。諦めず浸入を試みる触手を焼き弾く結界となる。
「水橋先生!?」
触手から解放された水橋に駆け寄る瑞希。
ボタンが外れ、無理矢理に開かれた着衣の端々から肌が覗いているが、それ以外は無事な様子に瑞希は思わず安堵の息をこぼす。
そして瑞希は羽織っていた千早を脱ぐと、それを水橋の体の下に潜らせる。すると千早は大きく広がり、角に火を灯して独りでに浮かび上がる。
魔法の担架となって気絶した養護教諭を運びだす巫女上着。
瑞希は浮かび上がったそれから窓の、己の張った結界の外に目をやる。
赤い光の幕の外。そこでは半ばから焼き切れたタコ足が、煙を上げながらこちらを窺うようにうねっている。
先を行く水橋を運ぶ千早を追いかけながら、瑞希は結界で閉めだした敵へ繰り返し振り返る。
しかし後方への警戒を振り払うと、先を行く担架代わりの巫女上着を追いかける。
瑞希はそのまま水橋を護衛しながら、特別教室棟の上階を目指して階段に沿って上昇する。
合わせて瑞希は晃火之巻子を引き出し展開。開かれた炎の巻物から浮かぶ校舎の立体マップを見つめる。
「二階に三人……三階にも一人。それに、敵も近づいてる……!?」
ワイヤーフレームで構築された、簡略化された校舎の像。その中に点在する青い火と、外側を這う濁った灯火の群れ。その動きと位置関係に瑞希は眉をひそめる。
「……ッ! とにかく、近くからッ!」
助けを求めるようにレンズ奥の目を泳がせる瑞希。
だが命の安全を担う重責から生じた逡巡を振り払うと、最も近くの反応へ向けて加速する。
正面の廊下に倒れた女子生徒。三年生の青いスカーフを巻いた上級生めがけて、瑞希は上着で作った担架を引っ張り滑り込む。
足袋と草履を合わせた模様のブーツで廊下を甲高く鳴らしてブレーキ。
水橋を乗せた千早担架を女生徒に横付けし、さらに広げたその上に乗せる。
乗せ終えるが早いか否か。遠く、建物の逆端の教室から窓の割れるけたたましい音が響く。
「早いッ!」
触手の侵入、侵攻の速さに瑞希は歯噛み。
右手に地図を展開したままの巻子。左手に気絶した養護教師と生徒を乗せた千早を掴んで身を翻す。
瑞希はそうして両手それぞれから尾を引くように物を提げて、半ば飛ぶようにして廊下を走る。
しかしその行く手を阻むように、細い触手が廊下側面の窓を破り流れ込む。
「祓えの火ッ!」
押し出されたところてんの如く廊下へ流れ込む触手。
それらが鎌首をもたげるよりも早く、瑞希は晃火之巻子に指を走らせて炎を飛ばす。
杖なしで放ったものの三割増しに程に勢いを増した炎が窓際を迸り、なだれ込んできた触手を焼き払う。
その熱に耐えかねてか、炙られたタコ足はお焦げ交じりの香ばしさを残して外へと逃げる。
しかし火の範囲から外れていた分の触手は、怯むことなく瑞希とその手が引く千早に乗った教師と生徒を狙って這いずる。
「草薙の返しッ!」
殺到する敵の魔手に対し、瑞希は巻子を振るって炎の帯を伸ばす。
瑞希たち三人を包むように取り囲んだそれは、突っ込んできたタコ足を次々と触れる端から逆に焼き払っていく。
炎帯を盾に廊下を突っ切る瑞希。
その正面。科学室のドアが横滑りに開き、触手があふれ出る。
肉とは思えぬ鋭さで突き出すタコ足。まさに槍衾となって迎えるそれに、瑞希は息を呑む。
「ッ! 晃火之巻子!」
しかし予感と予想もあってか手早く防護帯を分離。前方に向けて新たに引き出した炎の帯を折り重ねる。
重ねた炎の盾を前にして激突。
接触を引き金に噴き出す炎は肉の槍衾を強引に焼き切りこじ開ける。
わき上がる焼け焦げの香。それを押し破って科学室へ押し入る瑞希。
そして左手に掴んだ上着を放して身を翻し、折り畳んだ炎の帯を広げる。
「災いを阻む結界を成さんッ!」
円を描いて広がった炎の帯は自ら札の形に千切れ拡がって展開。
火札と火札との間に生まれた赤い光の壁は科学室に入り込んでいた触手を押し返すように拡がっていく。
触手を押し返す壁を透き通って現れる女子生徒二人。
瑞希たちと同じ世代である赤スカーフの二人の姿を確かめて、瑞希は吐きかけた息をのんでその傍へ向かって床を蹴る。
水道とガスバーナーを備えた机の上を一飛び。
袖と袴を広げて女生徒二人の間に舞い降りると、瑞希は付いてきた魔法の担架をさらに拡大。二人の追加乗員を作ったスペースに乗せる。
「ふぅ……はぁ、はぁ……」
二年生二人を乗せ終えたところで、瑞希はその場に膝を突く。
肩を上下させる瑞希の周りでは、敵を阻む赤い結界もその輝きを弱めてしまっている。
フラムとの契約で得た力で、瑞希の身体能力は当然強化されている。
だが救助を目的とした戦闘にペースは崩れ、心身ともに大きく消耗。
『瑞希、聞こえる? こっちはいおりさんと合流できたよぉ』
不意に届いたフラムからの念話。それに瑞希は息を大きく吸い込み、喘ぐ息を身の内に押し止める。
『瑞希? どうしたのぉ?』
『……ッ、大丈夫。私の方はまだ助けないといけない人が……』
フラムの心配の念に、瑞希は呼吸を整えながら急いで状況を報告。
その途中で瑞希は、水橋を始めとする助けた人々を一瞥。そして深呼吸を繰り返しながら立ち上がる。
人々の安全。それが誰に任されたことかを思い出してか、結界もまた息を吹き返すように輝きを取り戻していく。
「後二人。すぐに助けてそっちに合流するから」
念だけでなく、はっきりと口にだして宣言。
そうして己を鼓舞した瑞希の目はレンズの奥で強い輝きを放つ。
そんな疲労の曇りを押し退けた目が周囲を一巡りし、ある一点で固まる。
赤く輝く結界の外。そこで上階へ向けて伸びるタコ足を見つけたのだ。
敵の動きを捕捉した瑞希は急ぎ飛翔。
天井すれすれにまで飛び上がって、科学室の外へ一直線に空を走る。
水橋らを載せた千早を連れて廊下へ出る。そこから素早く手近な階段へ向けて身を翻す。
だが三階へ続く階段には、すでに降りてくるタコ足の群れが待ち構えていた。
「えぇい!」
捕らえようと一斉に躍りかかる触手。それを瑞希はとっさに炎の帯を盾にガード。カウンターに噴き出した火炎がタコ足を焼き払う。
しかし焼き切ったと思ったのも束の間、後に続くタコ足が燃えたものを踏みつぶして迫る。
「そんなッ!?」
波のように押し寄せる敵の魔手。それに瑞希はたじろぎ、空に足を突っ張りブレーキ。
しかし方向転換は間に合わず、いち早く伸びた二、三本のタコ足が瑞希を襲う。
「あうッ!?」
鞭にも似たそれをしのぎ切れず、頬や腕に赤い傷が走る。
その痛みによって生じた隙に、瑞希の手首足首に触手が絡みつく。
「ううッ」
四肢を締めつける痛みに呻く瑞希。
しかしその愛らしい顔を苦悶に歪めながらも、晃火之巻子を握る右手を捻る。
その動きに杖側面から伸びた炎の帯がうねって四肢を縛る触手を焼き切る。
瑞希はそうして拘束を振り払うと、すかさず金御幣とそこから伸びる炎の帯を振るいつつバックステップ。首や腰を狙い迫っていた魔の手を阻む。
後ろ跳びに着地。それに合わせて水橋らを乗せた千早の端を引っ掴み、横へ飛翔。
「晃火之巻子ッ!!」
名を呼ぶ声に応じて、炎の帯は細かく分解。まるで本のページを破り撒いたように広がる。
宙を舞う炎。それは触手が触れると同時に爆発。上階からのタコ足の侵攻を迎え撃つ。
魔法の浮遊機雷を後に残して、瑞希は階段から撤退。
しかし逆側の階段を使おうにも同じ状況なのは火を見るより明らか。
「どうすれば……ッ!」
焦燥を口に出して、瑞希は周囲に目を走らせる。
そこで瑞希は廊下側面の窓。ガラスの割れた枠から見える、霞がかった空に目を付ける。
窓をふさぐタコ足はない。つまり外からなら回り込めるルートがある。
「けれど、罠かもしれない……」
しかし目に見えて開かれた道が誘いである可能性に、瑞希は躊躇い二の足を踏む。
焦燥と逡巡のせめぎ合い。内に渦巻くそれに、瑞希は眉を寄せて下唇を噛む。
その間に炎の浮遊機雷で塞いだ階段を抜けて、タコ足が群れを成して侵入。
「そんなッ!?」
ジリジリとなぶるように迫る魔の手に振り返る瑞希。すると同時に水気含みの鈍い音が床を叩く。
それを肩越しに見れば、今まで影も形も無かった触手が枠だけの窓から廊下へ侵入してきていた。
「しまった……!」
無数の触手に挟まれる形になってしまった瑞希。窓は罠だと分かったが、これではまるで意味が無い。
前と後ろへ交互に目をやりながら、瑞希は火帯を周囲に幾重にも回して防御。守りの体勢に入る。
触れれば火を噴く晃火之巻子の結界は、瞬時に瑞希と気絶した犠牲者の上下左右を包囲。
何者の侵入も許さぬと、隙間なく鉄壁の構えを取る炎の帯。
しかしその強固な防備へ触手の群れは躊躇なく群がる。
何の用意もなく突っ込んできたタコ足は、無造作に燃える結界と衝突。
「うッ……!」
激突に反応しての爆発。前後左右全方位。同時に噴き出した火炎の中心で、瑞希は思わず身を縮ませる。
一度目の衝突を押し返したのもつかの間。勢いのゆるんだ炎を抜けて第二陣の触手が接近、結界へ突っ込む。
それにまたも反応して炎が爆発するように噴射する。
浮遊機雷の事も結界の事もまるで学習していないかのように繰り返されるタコ足の突撃。
「これは、このままじゃ……ッ!?」
数に任せての押し包みに、瑞希はその中心で思わず取った自分の行動が悪手であったと悟る。
貪欲に群がる敵を弾き返すのに、奪われ続ける力。
このままでは物量に圧し負けて遠からず結界を貫かれる。
「なんとかしないと……でも、どうしたら……ッ!?」
根づいた受け身の気質が生んだ、絶体絶命の状況。それに瑞希は身を縮ませたままレンズ奥の目を忙しなく動かす。
不意にその頭上で響く軋み。
「え……ッ?」
それに瑞希が顔を上げれば、再び固い軋み音が響いて天井に亀裂が走る。
そして三度目の軋みの直後、ヒビの入った天井が割れ裂ける。
「うそでしょッ!?」
天井を崩しながら落ちてくるタコの足。
瓦礫と共に押しつぶそうと降るそれに、瑞希も反射的に火の術を打ち上げる。
だが結界の維持に力を奪われた中で放ったそれは、滝の様な触手の群れを僅かに焼くだけに終わる。
そして火をかき消して降り注いだ触手は真上から瑞希の体を這いずり、絡みついて行く。
「そんな……いやッ! いやぁああああッ!?」
瑞希は悲鳴を上げて手足を振るい、身を捩る。
しかし抵抗も虚しく、巫女服に包まれたその身は、悲鳴ともどもにうねる触手の内へ呑み込まれてしまった。




