火の手が二つ
「ヤバッ!」
「きゃん!?」
とっさに傍らの瑞希を押し倒して伏せる悠華。
直後、炎が瑞希の頭のあった場所を通り抜け、壁にぶつかる。
「火がッ!?」
木目のきれいだった壁を焼く炎。それに忍と遥は手早く消火器を構える。
「ぐぐ……ぐぐぐッ」
そこへ響く、笑い声のようにも聞こえるくぐもった唸り声。
それに悠華が顔を上げれば、燃える舌をちらつかせる怪しい男の姿がある。
男の口から覗く炎。喉奥で膨らむそれに押されて、火吹き男の口が大きく開かれる。
「こなくそッ!」
第二射の気配に悠華は奮い起たせるように声を一つ。体を跳ね上げながらの踏み込みで一息に距離を詰める。
「ぐげらばっ!?」
女子中学生、と言っても人間一人の体重が充分に乗ったタックル。対応する間もなく腹に直撃を受けた男は、煙と火の粉混じりの苦悶を吐き出す。
男の溜めた炎を暴発させた勢いのまま、悠華は火吹き男をサテライトリンクの外へと押し運ぶ。
「おシノさんとハルさんの店に火なんて、シャレにならん大道芸を!」
悠華は歩道へ放火犯を背中からなぎ倒して、そのまま抑え込みにかかる。が、煙を含んだ男の口から肉の焼けた臭いと炎が放たれる。
「わ熱ッ!?」
首を逸らし直撃は回避。しかし掠めた熱に頬と髪が炙られる。
のけ反ったその隙を突かれて押し返され、抑え込みには失敗。
「う、ぐ……ッ!?」
だが路面に叩きつけられながらも、悠華は歯を食いしばって転がり、追って放たれた火炎を避ける。
火吹き男は距離を取った悠華から目を放し、再びサテライトリンクへ。
「それを問屋が卸すかってのおッ!!」
「ぐわァばッ!?」
火を吹こうとするその横面への飛び込み蹴り。
吸い込まれるように突き刺さったそれは、首から大の男の体を横っ跳びに吹き飛ばす。
固い路面に鈍い音を響かせる火吹き男。だがまるでダメージを負っていないかのように身を起こし、悠華へ向けて火炎を吐き出す。
目的のために壊すべき存在。悠華への認識を改めたらしき攻撃に身を沈め、熱が頭上をよぎるや否や膝に溜めた力を解き放ち踏み込む。
「ハアッ!」
重い気合と共に放たれた右拳。それは男の腕のガードを弾き、こじ開ける。
そしてはじいたことで開いた距離を間髪いれずに詰め、懐に滑り込みながらの逆の拳をみぞおちへ打ち込む。
「ぶぅあ!?」
体をくの字に折り、目を白黒させる火吹き男。
悠華は男の薄汚れた服の襟と袖をすかさず掴むと、身を翻しながら足を刈り、腰をはね上げて背負い投げる。
「ぐぅおッ!」
畳み敷きでない固い地面との激突。それに声を上げた男を今度こそ組み伏せるべく、悠華は袖を掴んだ腕を捻り抱え、膝で頭を抑えつける形でのし掛かる。
『テラ、火を吹く妙なおじさんを捕まえた。多分ヴォルスだぁね』
腕を極めた上で人間一人の体重で組み敷く。
大人と子ども程の力量、体格差でもなければ覆しようのない状況。この形で固めて、悠華はようやく相棒へ念で話しかける。
『なんだって!』
『ググ……グググッ!』
だがテラの返事を遮って、火吹き男が唸り炎を吐く。
「なぁッ!?」
放たれた炎はたちまちに逆巻いて柱となり、火吹き男と悠華とを周囲から切り離す。
脱出する間も与えずに完成した炎の包囲。それに悠華が戸惑う間に、頭上の空までもが紅蓮の蓋に塞がれる。
「う、ぐ……」
全方位から襲う熱に悠華はぶわりと汗を浮かべて呻く。
しかし、そのまま蒸し焼きにするつもりかと思われた炎は、すぐに足元から解け、風に乗って消え失せる。
そして炎に焼きつくされた町の景色は、乾いた土と石の転がる荒野へと変わっていた。
「幻想界、ならやっぱり!?」
真上から揺るがぬ太陽。空に浮かぶ島と、雲向こうに煙る海と大地。
悠華はそれらを認めて転移させられた事、そして組み伏せた男の正体に思い至る。
『ググ……グググゥウッ!』
同時に尻と膝に敷いた男からのうめき声が大きく。また捻り抱えた腕もが毛深く、太く変わっていく。
「うげッ!」
成人女性と比較しても平均以上の悠華を軽々と持ち上げつつある獣の腕。悠華はそれに顔をしかめ、すぐさま手放して飛び退く。
間合いを開け、拳を握る悠華。
『グ、ググググッ!』
その眼前では歪な人型が、唸り声を響かせて赤茶けた体毛を膨らむ身に纏い、細く長い尾を腰から生やす。
「変身!」
悠華はそれを真っ向から見据え、足を肩幅に開き、右拳と左掌を胸の前で打ち合わせる。
光を灯した腕を合わせた形のまま頭上へ。そして輪を描き作るように両の腕を広げ下ろしていく。
『グガアアアアアアッ!』
そこへ放たれる炎の塊。人一人包んで余りある程のものが荒れ地を焼き焦がしながら悠華へ迫る。
だが紅蓮の炎を前にしながらも、悠華はその場から一歩も動かない。そして一度放した拳と掌を、再度ヘソの辺りでぶつけ合わせる。
直撃。次いで爆発。
だが爆ぜ広がった炎の消えた後からは光の球が姿を現す。
二発、三発と放たれる炎。だが光の球はその尽くを受け止め砕く。
やがて強固な光球は自ずから膨らみ、爆散。変身を終えた悠華、グランダイナをこの場に送り出す。
強固な黒にオレンジの輝きの映える巨躯の戦士は、左肘を前に右拳を腰だめに構える。
それに対峙するのは赤茶色のネズミ獣人。
だがネズミと言えど、その体躯は分厚く、屈強である。逆立てた赤毛と剥き出しの前歯からも、戦意と殺意が叩きつけるように放たれる。
グランダイナの拳を基点に転移して来たテラもまた、たてがみを開いて敵と向かい合う。
『アイツが新手のヴォルス?』
「そ。人間に化けてたヤツは始めてだぁね」
『いや、おそらく化けてた訳じゃなくて、人間に取りついたんだ。気をつけて、個人の明確な負の感情を直に受けてるから、今までのヤツよりずっと強力なはず』
「やれやれ、面倒な相手ってことかいな」
威嚇するヴォルス・ラットに対して、グランダイナとテラは言葉を交わしながらも油断無く構える。
双方互いに側面へ、それを許さんと、横歩きに位置と間合い、隙を図る。
『ググアッ!』
先にしびれを切らしたラットが躍りかかろうと身を沈める。
対してグランダイナが身構えた刹那、バネを溜めるラットへ流星にも似た炎が突き刺さる。
『ググギィイッ!?』
槍のように鋭い炎を受けて悶えるラット。
「この炎……」
『まさか!?』
火に包まれたヴォルス・ラットをよそに、炎の降ってきた方向を振り仰ぐグランダイナとテラのコンビ。
その視線の先には案の定。宙に浮かぶ炎の巫女の姿があった。
角持つ赤い犬を模した仮面。ハートにも見える結び目の飾り紐と、それを模した紋とで飾られた千早衣。
紛れもなくオクトパスへの止めを持って行った赤い巫女は、袖振り印を結んでラットめがけて火炎を放つ。
「祓えの火放ちてむッ!」
仮面の口が開き放たれた凛とした短き祝詞。
その詠唱に伴って雨霰と火炎が降り注ぐ。
『グ、グガァアアッ!?』
「お……っととぉ」
赤く小さな雲からの炎に巻かれてる赤茶のネズミ。悶えるそれにくべられ続ける炎に、グランダイナはバックステップで身を引く。
そのグランダイナの傍らに、炎の巫女は炎を放ちながら音もなく降り立つ。
「諸諸の禍事、罪穢れ、火にて祓へ給い清めももうす!」
一際強い祝詞の詠唱に乗せて放たれる炎の高波。
それは猛然とヴォルス・ラットを飲み込み、押し流す。
「いやはや、今朝と言い今と言い、フィニッシュ決めてくれてサァンキュー」
グランダイナとしての姿に合わせて加工した声で礼を告げる。
すると炎巫女は、相棒のフラムを模した仮面の奥から探し物の目を周囲に巡らせる。
「そんなことより、聞きたいことがあるわ。女の子を見なかった?」
赤い仮面の口を通しての問い。
巫女の面の奥から注がれる金色の目に、グランダイナはそのヒロイックなマスクを傾ける。
「女の子? 目の前の以外に?」
「背は高めで、黒い髪をオレンジの髪ゴムで右にまとめた格好いい女の子……見なかった?」
おどけ調子の問い返しに、巫女は乗る余裕もないのか焦れた調子で質問を重ねる。
「は?」
炎の巫女の口にした特徴に、グランダイナは呆けた声を返す。
いくつかは怪しいが、挙げられた特徴からおそらくは本来の自分を探しているらしい巫女。その真意が読めず、グランダイナは返す言葉を浮かべられずにいた。
「いいから見たの? 見なかったの? 答えてッ!?」
それを誤魔化しと取ったのか、巫女はフラムの仮面を怒相に釣り上げて詰め寄る。
小柄ながら鬼気迫るその剣幕に、グランダイナは思わず突き上げられるように身を引く。
「お、落ち着きなって。その子なら無事だから」
慌てて詰め寄る巫女の求める答えを返すグランダイナ。
「……ドコにいるの?」
「へ?」
だが焦って応えたのがまずかったか、炎の巫女は不信感を露わに証拠を求める。
「ねえドコ? 無事だって言うならドコにいるかくらい分かるでしょ? ドコなの、ねえ?」
「あ、いや……その……」
身長二メートルの特撮ヒーロー風味になった自分を指差すことも躊躇われ、グランダイナは答えに窮して後ずさる。
『ホラね、もういいでしょぉ。コイツも倒しちゃおうよぉ?』
すると巫女の緩く波打つ赤髪からフラムが姿を現し、相棒へ耳打ちする。
グランダイナを一瞥したその目には怒りが燃えるように灯っている。
「んなぁ!?」
『ふ、フラムッ!? どういうつもりだ! なんでオイラの契約者を倒すなんてッ!?』
焦りも露わに、妹への問いを挟むテラ。
するとフラムはグランダイナへの怒りと憎悪とは打って変わって、満面の笑みを兄へ向ける。
『安心してよ兄様。すぐに兄様を契約で縛ったコイツを倒して自由にしてあげるよぉ』
『は? フラム、何を……』
妹の口にした言葉に呆け声を溢すテラ。
フラムはそれを皆まで聞くことなく、炎をグランダイナへ吹きかける。
「うわっちゃあッ!?」
いきなりの火炎に、慌てて転がり逃げるグランダイナ。
「祓えの火ッ!」
それを追いかける形で巫女も炎を放つ。
「このッ!」
グランダイナは身を起こしながら、迫る火炎を左の拳で殴り砕く。
しかし息つくことを許さぬと、再びフラムが炎のブレスを放つ。
「止せ、止めなって!? 相棒の妹とその相方相手と戦うつもりはないっての!」
それを左へのステップでかわし、逃げた先を読んで迫る火球を右掌底で相殺。さらに吐き出されたブレスを屈みながらの左ステップで潜り避ける。
「そちらにその気は無くても!」
『こっちはアンタと兄様の契約を潰したいのよぉ!』
さらにグランダイナの鼻先へ迫る炎。それを左腕で受け、噛みつくような熱を振り払う。
「なんでこんな味方を減らすようなマネするかなッ!?」
「味方だと言うなら、誤魔化さず正直に彼女の居場所を教えなさい!」
『兄様返せよぉッ!』
戦意は無い、味方だと訴えても、問答無用と放たれる炎。
聞く耳持たずに迫る攻撃を凌ぎながら、グランダイナはヒロイックなマスクの下で歯噛みする。
そこへ迫る一際盛んな火炎。巫女と火竜、合わせて同時に放ったとおぼしきそれに、グランダイナは腕を交差して身構える。
グランダイナを一息に飲み込もうと大口を開ける炎の大蛇。
だが構えるグランダイナの目前で、不意に突き上がった土壁が大蛇を阻む。
『いい加減にしろフラムッ! これ以上オイラの契約者に攻撃するなッ!』
炎を割いて流す壁。その陰、グランダイナの傍らに降り立ったテラが妹へ叫ぶ。
鉄砲水にも似た炎が流れきって、役目を終えた土の壁が沈み戻る。
絶え間無く続いていた攻撃が止んだ事で、グランダイナとテラはようやく話が通じたかと息を吐く。
『フラム……なんで騙す騙さないの話になってるかは知らないけど、オイラたちの契約は……』
『……騙された契約を守る必要なんて無いのよぉッ!』
だがそれもつかの間、テラの説得を遮った炎の息吹きが襲いかかる。
「ゲェッ!?」
『ああもうッ!』
テラはわめくように声を上げて、自分とグランダイナの踏む地面を切り取り浮かばせる。
『止せフラム! オイラの契約はオイラたちが決めたことだ!』
放たれた炎を足場ごと飛び越えながら叫ぶテラ。
だがそこへ、両手に炎を灯した仮面の巫女が迫る。
『なッ!?』
「私のパートナーが望んでるの。悪く思わないで」
フラムの炎を囮に一気に肉薄してきた巫女。その手に生み出された炎は渦巻き練り上がり、必中の距離までに必殺の威力へ高まろうとしている。
練り上がった炎が、いざグランダイナへ放たれようと大きく膨らむ。
その刹那、横合いから飛び出してきた炎の塊が巫女の右脇腹を直撃する。
「あ、がッ!?」
赤の巫女を襲ったもの。それは火炎に飲まれて消えたはずのヴォルス・ラットであった。




