いったい何者なんだ
「あれって……」
『まさか、でも……』
空に浮かぶ赤い巫女。ヴォルスの類いとは明らかに違うその姿をグランダイナとテラは呆然と見上げる。
そんな二人を目掛けて、宙に浮かぶ巫女から何かが落ちる。
小さなそれは赤い翼を羽ばたかせて急降下。するとその様子を見たテラが目を丸くする。
『やっぱり……フラムッ!?』
『兄様ぁああああッ!!』
後退りするテラ。それを兄と呼びながら、フラムはまるで勢いを緩めずに突っ込んでくる。
だがその一方。グランダイナらのすぐ傍で立つ火柱から赤い光が広がる。
横合いからの光の津波は、瞬く間に全ての景色を赤く塗り替え飲み込む。
「お?」
流れ過ぎ去った赤い光。その後に悠華の視界を埋め尽くしたのは白い板。
「おぎゃん!?」
それが何かを察する間も無く尻を襲った衝撃に、悠華の口からは品性も何も無い悲鳴が飛び出す。
「く……くほぉおお……し、尻が割れるぅぅ……」
とっさに肘と腕で衝撃を分散。後頭部は守ったものの、悠華の尻はグランダイナのアーマー無しで固い床と激突。その尻餅の痛みに、悠華は目を涙に濡らしながらその場で悶え苦しむ。
「い、いでぇよぉお……な、なんだってまた空中にぃい……」
本人いわく割れた尻をさすりながら、悠華は天井を見上げる。
その涙目が睨むのは白い天井。保健室から少し離れた学校の天井であった。
『いや、なんで転移するときに天井に?』
『なんでってそりゃあのタコに捕まって引っ張り上げられて……』
幻想界に引きずり込まれた時の事を説明する内に、悠華は天井から廊下に放り出された原因を察する。
『なるほどね、出入り口は大体同じ場所になるってコト』
『そういうこと。歪みの大きさ次第で多少アバウトにはなるけれど、ただ壁とか、そこにある何かに埋まったりすることは無いから』
『そぉいつはなにより』
心配の種を否定する相棒の念。悠華はそれに安堵の息を溢しながら立ち上がる。
「痛ぃつつぅ……ああぁもう、終ぉわった後に尻餅なんて締まらないねぇ」
強かに打ち付けた尻と腰に燻り残る痛み。それに顔をしかめつつも、悠華はどこか余裕ある口ぶりで落とした荷物を拾う。
そして痛む尻を擦り庇いながら、教室へ向かう。
『ところでテラやん、あの赤いのが前言ってた兄弟?』
『うん、まあ……そう。妹。炎のフラム』
『なに? 仲悪いの? フラム(あっち)は結構慕ってるように見えたけど』
妙なまでに歯切れ悪い妹の紹介。それと喜色満面に降りてきたフラムとの食い違いに、悠華は首を傾げる。
『いや仲はいいよ。弟のマーレやウェントと違ってオイラになついてくれて……まあちょっと、ちょおぉっとなつき過ぎなくらい、だけど』
『好かれてるのは違いないけど、過ぎたるはなお……ってヤぁツかねぇ』
テラの努めて穏当な表現に、悠華は苦笑い混じりに理解をまとめる。
『いや、その、いい娘なんだよ? 真面目だし、兄弟思いだし』
「悠ちゃん!?」
「およ?」
そうしてテラからの妹のフォローを聞きながら歩いていると、馴染みのある声が教室前でかかる。
それに振り向けば、息と年と背に不似合いな豊かな胸を弾ませるメガネ少女、瑞希の姿が目に入る。
「みずきっちゃんにしては珍しいね、こんな時間に慌ててなんて」
瑞希の提げる、きちんと中身の詰まった鞄を指さし笑う悠華。すると瑞希は癖のある髪を触りながらレンズ奥の目を伏せる。
「えっと、その、ちょっと寝坊しちゃって」
小さく恥ずかしげに苦笑して、目を泳がせる瑞希。
「あれみずきっちゃん? メガネ変えた?」
瑞希の目元を縁取る赤。透き通り輝くフレームのメガネに悠華が目をつける。
「あ、うん……ちょっとハデすぎかな?」
新品のメガネを触りながら、上目遣いに伺う瑞希。
「そぉんなことなぁいって、イエスイエスイエスだよん」
そんなおずおずとした友だちの問いに悠華は満面の笑みで答える。
「そ、そう……? そう、かな?」
サムズアップしながらの悠華に、照れと喜びの入り混じった笑みを見せる瑞希。
「うんうん、かわいいかわいい。明るい色をもっと使ってもいいと思ってたんだよねみずきっちゃんはさ!」
言いながら悠華は両手の人差し指と親指とで作った黄金比長方形をカメラに見立て、瑞希をカメラマンよろしく覗きこむ。
「いーねぇ、あ、いーねぇ!」
「も、もう、やめてってば悠ちゃん!」
照れで頬を染め、口では止めながらも満更でもない顔を見せる瑞希。
「お、照れた顔もカァワイイねぇ! いーねぇ! 次上目遣いのちょーだいちょーだい」
対して悠華は黄金比の覗き窓越しにどんどんと怪しい口調をエスカレート。
「ンッ! ンンッ!!」
「え?」
「おろ?」
そこで響く咳払い。それに引かれて悠華も瑞希も出所へと顔を向ける。
するとそこには、青筋を立てて頬をひくつかせる二―B委員長、梨穂が腕を組んでいた。
「宇津峰さん悪ふざけはそこまでにして! もうすぐに先生が来ちゃうわよ!?」
二人いるにも関わらず、悠華を名指しにしての叱り声。
「……永淵さん、そういう言い方って……」
それに瑞希は眉根を寄せ、か細くも不平の声を溢す。
「はぁいはいっと、さぁっさと教室入りますよいっとぉ」
だが名指しされた悠華の方はそんなものはどこ吹く風と、軽い調子で応える。
「……悠ちゃん、いいの?」
「なぁにが? アタシがどこでもおふざけなのは間違いないし?」
悠華を速足に追いかけてきて、ささやきたずねる瑞希。
その言葉の含んだ梨穂への不快感も、悠華は普段通りの軽々とした調子で受け流す。
「でも……あんな悠ちゃんだけを悪者にするような……」
しかし当の悠華の態度を見ても、瑞希は納得できないのか不満げに食い下がる。
友である自分の為の憤り。悠華はそれに口元を緩め、低い位置にある瑞希の頭を撫でる。
「ゆ、悠ちゃん?」
「あんがとね、みずきっちゃん」
「そんな、別に私、何かしたわけじゃ……」
悠華の礼に瑞希は照れに頬を染むてうつむく。そんな瑞希の反応に、その頭を悠華は抱き抱える。
「え、わ!?」
「カワイイなぁみずきっちゃんは! もう女同士だとか関係ない! みずきっちゃんはアタシが嫁にもらう!」
「え、え? うぇえ!?」
戸惑う瑞希の頭を抱きしめる悠華。そのまま恥ずかしがりながらも抵抗しない瑞希とじゃれあいながら廊下を進む。
「う・つ・み・ね・さ・んッ!?」
一文字ずつ叩き込むような梨穂の声。
「はぁいはい。ごめぇんね」
「むぅ……」
苛立ちを含んだ背中からの声に、悠華は降参だと言うように両手を上げる。
その隣では、瑞希が不満げに唇を尖らせている。
悠華はそんな友だちの肩に軽く手を弾ませる。
そのまま梨穂を連れて教室に入る二人。
「お、宇津峰じゃん!」
「悠華ちゃんだ!」
「およよ?」
教室に入るなり集まった目に、悠華は瞬き首を傾げる。
「宇津峰、お前五十嵐おんぶしてきたってマジかよ?」
「まぁね。たまたま具合悪そうにしてるトコに通りがかってさあ」
手近な席に座る男子の問いに、悠華は顎に指を添えて誇らしげなポーズを作って見せる。
直後、教室全体がドッと沸き立つ。
「やるじゃん宇津峰!」
「いよっ、救急車!」
悠華の目立った親切を讃えて盛り上がるクラスメイト一同。その熱気を悠華は胸を張って堂々と受け止める。
「ヤッハハハハハハ! レスキュー宇津峰と呼んでくれたまえ? ヤッハハハハハハ!」
煽られるままに舞い上がり、クラスメイトのちょっとした祭り騒ぎの神輿として担がれに行く悠華。
「レスキュー! レスキュー!」
「痺れるゥ、憧れるゥ!」
自らノリに乗る悠華を中心にはしゃぎ騒ぐB組。
「静かになさぁあいッ!!」
しかし浮ついた教室の空気を鋭い声が引き裂く。
熱を帯びた空気に冷や水を浴びせるような一喝の出所へ集中する視線。その先に立つ梨穂は苛立ちを隠そうともせず、その形の良い眉を吊り上げている。
剣呑な気を露わに、梨穂はつま先で繰り返し床を蹴り続ける。
艶のある髪を逆立たせる梨穂に、教室内の空気が一気に冷める。
「……まったく、こんなことで大騒ぎして……」
しかし教室全体が従ったにも関わらず、梨穂の床を蹴る足は緩まない。
そんな梨穂の姿に悠華は軽く肩をすくめると、手で瑞希を誘ってすっかり沈静化した教室を歩いて自分たちの席へ向かう。
※ ※ ※
「ふむぅぐごご……ぅごごご……」
二時間目終了のチャイムの鳴り響く中、机に突っ伏して高いびき。教室の中で堂々と眠りを貪る宇津峰悠華。
「もう、悠ちゃん起きて? 次体育だよ?」
「むご? む、ぅうう……すてぃんがー……」
隣の席から苦笑交じりに瑞希が声をかけるも、悠華は多少寝息を乱しはしても、身を起さない。
そんな反応に瑞希はため息を一つ、そして苦笑のまま肩をつつく。
「ほら悠ちゃん、遅れるよ?」
「う……うう、ヴィ、ヴィいくせぇえんッ!? ……な、なんだ夢かぁ」
重ねての声に、悠華はようやく珍妙な声と共に突っ伏していた顔を上げる。
「どんな夢見てたの?」
「よく覚えてないけど、起きる前に……めんどくさいって言ってたら婆ちゃんにドヒャオドヒャオって回り込まれたような」
「ああ、いつもの感じで?」
「うんそう。いつもの感じ」
目覚め間際に見た夢の内容に、頷き合う瑞希と悠華。
「うぅ……夢の中にまで引っかき回しに突っ込んでくるとは、おのれ婆ちゃんめぇ」
一瞬の登場で悪夢に塗り替えた祖母。悠華はそれに対する恨み言を口にして頭を振る。
「でも日南子さんが出てきたおかげで体育には間に合いそうだし、ね?」
「まぁねぇ。おかげでシャッキリ目ぇ覚めたけどさぁ、寝ぇざめは最悪なのよねぇ」
宥める瑞希の言葉に、悠華はだれた口をききながら体を伸ばして解す。
「ほぉんじゃま、着替えていきましょかねぇ」
そして気だるげにだらけた口調のまま、セーラー服の襟に手をかける。
瞬間、ざわつく教室。
「す、すとぉおっぷ!? 悠ちゃんここ教室だからぁッ!? 着替えるなら更衣室で!」
男子を始めとした目が集まる中、瑞希が慌てて悠華の手を掴んで止める。
「おおう、そうだよそうだよ。アリガトみずきっちゃん。危うく脱衣ショーを始めるトコだったよ」
悠華はいつにない勢いの瑞希の制止を受けてようやく気付き、制服にかけていた手を外す。
直後、教室のそこかしこで上がる微かな落胆の息。
悠華がその出所を探して見回すと、こぼれ出たため息たちは慌てて身を隠すべく引っ込む。
「ほっほう? 筋肉的な意味で人気無いかと思ってたけど、アタシもなかなかどうして」
「それって喜ぶとこなの?」
悠華がニマニマと唇を緩めながら辺りを見回す。するとその隣から呆れ調子の突っ込みが入る。
「ギュッギュッギュッな体型のアタシとしては、女の子としてのプライドがくすぐられることは滅多に無いからねぇ。アタシ的にはまあオッケー?」
瑞希の突っ込みにニッと笑みを返すと、再び周囲が微かにざわつく。
「えぇぇぇ……ホントに、いいの?」
悠華の答えに、瑞希は戸惑い交じりに歯切れ悪く問う。
「ああ安心して。痴漢は捻るし、みずきっちゃんへのセクハラは許さんからッ!」
「そういう問題かなぁ?」
サムズアップで堂々と言い放つ悠華。それに瑞希は困り笑いで首を傾げる。
「ま、とにかく着替えに行こうか? 遅らせたアタシが言うのもなんだけどさ?」
言いながら立ち上がる悠華。瑞希もそれに頷いて立ち上がり、二人は連れ立って教室を出ていく。
「あ……宇津峰さん」
「おろ、すずっぺ?」
「……五十嵐さん」
教室を出たところで声をかけてきた鈴音。
背丈も瑞希よりも小さく、細く儚げな長い三つ編みの少女に、悠華と瑞希は目を瞬かせる。
「ちょいとすずっぺ、起きてきて大丈夫なん?」
「うん。宇津峰さんのおかげでなんとか。今からの体育は見学するつもりだけど」
弱々しくもしっかりと微笑んで頷く鈴音。
「なんのなんの。アタシはたぁまたま通りがかっただけなんだよぉん」
対して悠華はヘラヘラと笑っていつも通りの軽口で返す。
「ほぉんじゃ、一緒に行こうかねぇ。ま、見学でも無理はせんようにね」
「う、うん」
悠華が改めて手を差し伸べる。すると鈴音は笑みを深めて差し出された手を取る。
すると逆側に瑞希が回り、袖を摘まむ。
「およ、みずきっちゃん?」
鈴音の逆側に回った瑞希を戸惑い呼ぶ悠華。
だが瑞希は僅かに唇を尖らせて鈴音を見やるだけで、名を呼ぶ悠華に応えない。
「え? なんぞこれ? なんぞ、これ?」
瑞希の纏う雰囲気に、悠華は目を瞬かせながら自分の両脇の二人を交互に見やる。
「どうしたの? 宇津峰さん明松さん?」
「……なにかあったの悠ちゃん? 行こう」
「え、ええぇ……」
まるで気づいていない風の鈴音と、抑えた声の瑞希。その二人に挟み込まれて、悠華はまた顔を交互に左右にやる。
そんな両脇の二人に戸惑いながらも悠華は止めていた足を動かす。
だがその瞬間、悠華の背筋を這う粘ついた感覚。それに悠華は体を捩り、辺りを探る。
しかしその目が、粘ついた感覚の基らしいモノを捕らえることは無かった。




