この騒がしき日々に笑みの花を
物足りないという感想をいただきましたので、エピローグを追加いたしました。
「くぅあぁああ……眠ぅ……」
横射しの朱に照らされた通学路。
そこを歩きながら悠華は大口を開けてのあくびを一つ。
その拍子ににじみ出た涙を擦り拭う横で、瑞希が赤フレームの眼鏡に触れながら笑みをこぼす。
「ホントに眠そう。お昼休みのお昼寝だけじゃ足りなかった?」
「うーんもーぜーんぜん。あーい変わらず婆ちゃんはにわとりみたく早くに起こして来るしさぁーあ……」
微笑ましげな親友にそう返して、悠華は寝ぼけ眼を擦りながら再びの大あくび。
「それで帰ったらまた格闘技の稽古なんでしょ? やっぱりそれくらい体動かさないとダメかなぁ」
続いて鈴音が瑞希の逆側から回り込むようにして、悠華の顔を横から覗く。
「まぁーあ、すずっぺの普段の強化具合ならでーきるだろーけどさぁ、いきなりはやーめたほーが無難よ? 動き慣れてない筋肉がピッキィーンってなるから」
すると悠華は片目を擦る手はそのまま。しかし眠気にふやけた顔を引き締めて、鈴音へアドバイスを返す。
「ならやっぱり素に近いギリギリまで抑えて、その状態で限界いっぱいまで動いたりしたらいいのかな?」
「いんやーすずっぺの場合、回復力は全力で強化してーの、限界迎えた端から回復してスタミナを徹底的に鍛えたほーがいいんでなーい?」
「なるほどー」
おどけ調子ながらも、その実真剣な悠華の意見。それに鈴音は感嘆の声と共に繰り返しうなづく。
「あいも変わらず、ふざけてるんだか真面目なんだか、よね」
そんなやりとりを眺めて、後ろに続く梨穂が肩をすくめて苦笑する。
「そうは思わない?」
そしてストレートで無い笑みをそのままに、振り返り問う。
「私はふざけてるかそうでないか……というより、どちらも揃っているのが悠華ちゃんの自然体なんだと思うけれど?」
首を傾げ応えるのは、黒髪をボブに切りそろえた少女、智子。
一行は今、いつもの四竜の契約者四名に、もう一人を加えた五人で夕焼けの通学路を進んでいる。
智子から憑き物を落としたあの決戦から数週間。
契約を結び直した智子は、第五のメンバーとして悠華たちに加わっていた。
智子が契約を結んだのは、言うまでもなくかつてのヴォルス・エイバン。
生まれ変わり、名をカテナと改めた蛇竜は、改めて負の心と幻想を管理する竜の一族として迎えられた。
しかし同時に、幻想界では今まで流れて来ていなかった負の幻想を具現化した幻想種が出現するように。
ヴォルスという受け皿の消滅。そしてカテナが全てを吸収消化していては、ヴォルスの再来を招きかねない。
ゆえに、負の幻想種に対しては衝動任せに暴れたモノを退治する、という後手に回った対応を取るしか無い。
そして実際に暴れる幻想種を浄化討伐する役目には、少女たちと先代たちが当たっている。
その浄化討伐にはもちろん、サイコ・サーカスの姿を取り戻した智子も贖罪の為に加わって力を尽くしている。
「いえーす、いえーす。なーんにも無くって楽したいってーのも、ちょっとくらいは踏ん張っちゃえるのも、ぜーんぶマジなアタシなーのさー」
そんな死闘を経て得た仲間の言葉に、悠華は屈託のない笑みで振り向き答える。
「確かに、どちらも揃って無ければらしくないわよね」
智子の言葉と悠華の反応。
梨穂はそれらを交互に見比べて再び肩を上下させる。
『悠華、みんな! 聞こえるッ!?』
その直後、五人は頭に響いた声に揃って足を止める。また同時に跳ねあがったその顔は、例外無く鋭く引き締まっている。
『どしたのテラやん!?』
耳を介さずに届いた相棒の声。それに悠華は仲間たちにも届くように制限無しの念話を放つ。
『悠華のお婆ちゃんが、日南子さんが幻想界に引きずり込まれたッ!』
「はぁッ!?」
悠華は相棒からの返事に、思わず上擦った声を上げる。
『近くで邪悪の幻想種に攫われそうになった子がいて、割り込んだ日南子さんが身代りにッ!?』
驚く悠華をよそに進むテラの状況説明。
『……なーんか、婆ちゃんなら一人でなーんとかして、ケロッと返ってきそうだけーんどねー』
それを聞いて悠華は、いつもの調子で思念を送りながらため息をつく。
まるで心配していないとでも言うようなその念話ぶり。だがその眉間は苦々しげに皺が寄り、右の拳もまた固く握りしめられている。
『大変じゃない悠ちゃん! 早く助けに行こう!?』
『ひなお婆ちゃんなら心配ないかもだけど、危ないかもなのも間違いないじゃない!』
『この場で門を開いて、急いで追いかけるわ! マーレ、出来るわね!?』
『私たちの前で強がることは無いわ、厳しい身内が心配なのは当然のことだから』
実際は日南子が心配で今すぐにでも幻想界へ突っ込みたい。
そんな悠華の本心を見透かしているかのように、仲間たちがそれぞれに思念を投げかける。
『……あんがとね、みんな』
自分を気づかってくれる仲間たちの想い。それを心にダイレクトに受けて、悠華は柔らかく口元を緩める。
「ほーんじゃいこーかね! テラやんッ!!」
そしてパートナーの名を叫びながら拳と掌を打ちならす。
続いて仲間たちもまたそれぞれの法具。眼鏡、ブレスレット、イヤリング、ペンダントに手を触れ輝かせる。
少女たちを中心に、弾け溢れる五つの光。
視界を埋める輝きの中、五人の少女たちは一瞬の浮遊感に見舞われる。
そして足が再び地に着いた感触と同時に視界が晴れる。
潮が引くように弱まる光の奥から現れたのは、赤く弱まりつつある光が真上から降り注ぐ草原であった。
天の中心にあり続ける太陽。
月へ変わりつつある世界の中心核からの光の中、それぞれの契約の法具が収まりつつある光を再度瞬かせる。
消える直前に強まる五つの光。それから飛び出す契約竜たち。
獅子もどき。翼と角持つ犬。羽毛の翼竜。首長の海竜。そして闇色の蛇竜。
各々の契約竜を傍らに従えた契約者たちは、闘志に砥がれた目を辺りに走らせる。
「日南子さんは!? 近くにいるのよね!?」
『ああ、使われた門の気配を辿って飛んできたから、このあたりに引っ張られたのは間違いない!』
梨穂の問いに長い首をくねらせて断言するマーレ。
その声を背中に、悠華が視線で景色を薙ぎ払う。すると一際大きな岩の影から巨大な影が飛び出す。
「なに!?」
巨影の立てる地鳴りにも似た重々しい音。
それに五対の契約者たちは一斉に振り向き身構える。
『ばはッ!? ぐふぁあッ!?』
だが少女と竜たちの警戒の目を受けたのは、うつ伏せに喘ぎもがく青黒い馬頭の怪物。
大きな鼻から血を垂れ流してもがく馬面鬼のありさまに、少女たちは唖然として構えた腕を下げる。
それに続いて馬鬼と同じ岩陰から現れるのは一人の老女。
「婆ちゃんッ!?」
長い髪に目立つ白髪を赤い陽に染め、力強い息吹を繰り返すのははたして、悠華の祖母宇津峰日南子その人であった。
『ヒヒィ!?』
拳を固め闘気漲る老女の姿に、馬鬼はおののくままに声を上げて這い逃れる。
その弱々しく情けない様に日南子は拳を緩めず、呆れたように鼻を鳴らす。
「まったく情けない……自分よりも弱いもの相手でなければ立ち向かうことすらできないとは……」
「まぁーあ、こうなってるだろーとは思ってたけーんどねー」
幻想種を無傷で圧倒し、戦意喪失させてしまっている祖母。悠華はその姿に堪らず苦笑を漏らす。
しかしその顔には確かな安堵の色がある。
「あはは……でも万が一のことになってなくて良かったよね?」
続いて瑞希も、一方的な撃退ぶりに冷や汗を添えた引きつり笑いを浮かべつつも安堵の言葉を口に。それを残る仲間たちは一人の例外もなく同じ調子で首肯する。
「もうね……婆ちゃんと先生方がいればいーんじゃないかなーって」
「かも、しれないわね……」
「ひなお婆ちゃん……変身どころか契約すらもしてないのにこの強さって……ウソみたいよね」
身内の無事に安心した上での悠華の軽口。それに梨穂と鈴音も引きつり笑いのまま一言。
「……なにを情けないことを」
が、そんな少女たちの呟きを聞きとがめて、日南子が孫とその友達たちへ向き直る。
「ひっ!?」
鋭い老女の眼光。
厳めしい顔からの射抜くようなそれに、少女たちは堪らず息を飲む。
「ちょうどいい……ここで少しばかり稽古をつけるとしよう。こんな老婆に任せてしまおうとする性根が立ち直るくらいにね……!」
「逃げろぉおおおおッ!!」
日南子がしごきの始まりを告げると同時に、悠華が踵を返して仲間へ叫ぶ。
悠華の声と日南子の気迫。それら二つに追い立てられるようにして、少女たちどころかその契約竜までも残らず老女に背を向けて駆け出す。
「待たんかぁああああああッ!!」
「ひゃああああああ!?」
『怖い怖い怖いッ! お婆ちゃん怖いッ!』
「やっははぁあッ! むーりくりにでも鍛え直すってーんなら捕まえてごらんなさーいってのッ!」
悲鳴を上げ先頭切って逃げ出す風組の後に続きながら、悠華は追いかけてくる祖母へ挑発の言葉を投げ残す。
その足は捕まるまいと大地を必死に蹴っている。が、祖母を振りかえり見る日に焼けた顔は楽しげに緩んでいる。
いつもの、祖母に追いかけられる日常。
この慌ただしくも平穏な、かけがえのない日々を楽しんで浮かんだ、心からの笑顔に。




