いおりちゃんのスペシャル実習
《ハッ! ハァアッ!》
画面の中。五色の戦士を相手取って立ち回る、エリー・ゴースこと吹上裕香。
長い黒髪をなびかせヒーローたちの攻撃を掻い潜り、剣が閃く度に五色のヒーロースーツから火花が散る。
辛うじて剣で受けた赤。しかしエリーはすかさず敵の腹を蹴りつけ、怯み屈んだ肩を掴み乗り越えて背後から襲う青と緑をかわす。
そして赤の背を転がる勢いに乗せての剣撃。それで赤の背後に控えていたピンクを牽制。さらに立て続けの左足を軸にした回し蹴りと剣閃で、フォローに回ってきた黄色い女戦士ともどもに薙ぎ払う。
「おうふ、今の動き凄……!」
悠華から感嘆の声が上がる中、テレビの中でエリー・ゴースが躍動。
その長い黒髪が踊る度に、五色の戦士が火花を散らして弾け飛ぶ。
「……それにしても……アタシヒーローもの詳しくないスけど、これって、ちょっと強すぎないスか? 五対一でヒーロー側圧倒されてるんスけど」
映像の内で暴れ回る剣将を指差し、冷や汗交じりに突っ込む悠華。
するといおりは息吐くように笑みをこぼして口を開く。
「まあ、最序盤から最強幹部がいるって評判だからね。今期の「封魔戦士オルターレ」は」
長寿特撮ヒーロー番組、超バトルチームシリーズ最新作「封魔戦士オルターレ」。
魔界から現れた幻魔帝国を相手に、破邪封魔の力を与えられた五色の戦士が立ち向かうストーリーとなっている。
なお吹上裕香演じるエリー・ゴースは、敵ながら部下を庇い、部下の死に隠れて涙する理想の上司とも呼ばれているキャラクターでもある。
「前の作品ではシリーズ初めての女性ブラックのアクションを担当していて、それが本職でその仕事をするためにずっと努力していたんだけど、うっかりスーツ外の役を任せられたらしいわ」
そう言ういおりの視線の先では、黄色の振るった鞭を腕に絡め、ピンクの放った弾丸を剣で弾くエリー・ゴースが。
「先生、詳しいッスね……」
「そう、かもね……詳しくなる機会も多かったし」
悠華の唖然とした声に、いおりは慌てて目を泳がせて誤魔化しの言葉を返す。
その一方でテレビでは、吹上裕香扮するエリーが鞭を絡めた腕を横なぎに、怪人方向に攻めかかる三人へ黄色の女戦士をぶつける。
そんな八面六臂の活躍を横目に、悠華は頬杖を突いて鼻からため息をつく。
「しっかし命がけな戦いを戦い抜いた上に、テレビに出られるほどに大成した人の鎧だったとは、アタシには重たすぎまするなぁ」
「……そうかしら?」
だがいおりはテーブルに肘付き立てた手の甲に顎を乗せて呟く。
その言葉に悠華は首を傾げていおりを見やる。
視線が重なったところで、いおりは言葉の続きを口に出す。
「裕香からあなたが引き継いだダイナの鎧……いちいちこう言うのも言いにくいわね。そうね……グランダイナという名前を贈らせてもらおうかしら?」
いおりは戦士としての悠華に名付けて一度言葉を切り、教え子へ向けた目を片方瞑る。
「あなたがグランダイナとなったからには、きっとあなたが凄いと言った女の姿を引き継げるだけの素養があったからよ」
「そう……ですかねぇ?」
言いながら、照れと疑問のない交ぜになった笑みを見せる悠華。
「そうよ。彼女の傍で共に戦った私がそう思う」
それにいおりは頷き重ねて、自身の直感への自信を、そして教え子への信頼を露わにする。
すると悠華は気恥ずかしさに唇をもごつかせ、視線を落とす。しかしいおりの真っ直ぐな目から逃がした先で、訝しげに探る相棒の目とぶつかる。
「ゆ、裕香センパイの話はとりあえず分かりましたから!」
前と下から注がれる視線から慌てて逃げる悠華。
そして照れくさそうに日に焼けた頬を赤く染めたまま腕を組む。
「とりあえず戦いに関してアドバイスを何か、お願いっす」
悠華は照れ顔を塗りつぶすように歪めて、話の舵を面舵いっぱいに切る。
「ええ。そうね、分かったわ」
そんな教え子に笑みを深め、いおりはテーブルに乗り出した体を起こし頷く。
背筋を伸ばして長く細い指を組み、軽く首をひねる。
「けれど私、今回の敵に関してはまるで知らないのよね?」
「そうなので? ヴォルス知らないんスか?」
首をひねるいおりへ瞬き交じりに悠華が尋ねる。
「私が戦ったのは、二つの世界を滅ぼして作り替えようとした思い上がりの白竜……テラくんの伯父さん。ヴォルスという名前に聞き覚えは無いわね」
そこでいおりは一度言葉を切ると、片目を瞑って考えるような姿を見せる。
「……強いて言えば幻想の残滓、世界のなれの果てに似た印象を感じはしたけれど……」
『いおりさんが知らないのも無理は無いと思います』
いおりの思考を遮るテラの一言。
それに悠華といおりが注目する。その集まる視線を確かめて、テラは続きのために口を開く。
『あれは、ヴォルスの尖兵は……いつからか、どこからともなく幻想界に現れて世界を歪め、崩しだしたんです』
「……そういう類の幻想種、と言うこと? 破滅を願い、造り手に叛く……」
しかしいおりのその推測に、テラは首を左右に振る。
『いえ、あれは幻想種じゃありません。心命力に強い影響を受けるという共通項はありますが、あれは幻想種ではないんです』
静かだが、断固とした調子での否定。
そんなテラの否定に、いおりは束の間の空白を置き、そして頷く。
「……そうなると、私に今教えられるのは力の使い方くらいなものね」
「そう。まさにそう言うのをいおりちゃんセンセに教えて欲しいんスよ」
「分かったわ」
悠華の言葉にいおりはさらに頷いてお茶を一口。
「……本当はグランダイナを教えるならウィンダイナが適任なんでしょうけど、基礎の基礎ならなんとか出来るわね」
そして湯呑を机に置いて、テラへ目を向ける。
「イメージをベースにしたトレーニングフィールドへ私を一緒に連れて行って欲しいのだけれど。出来る?」
『それは出来ますよ。大丈夫です』
「え? なに? 何するんスか?」
いおりとテラの間で調子よく進んでいく話。
その流れが読めず、戸惑うままに視線を行き来させる悠華。
対して、いおりは頬笑みを向けて口を開く。
「私からの特別実習を始めます」
「へ? じっ、しゅう?」
呆けた悠華の声。それをチャイムに周囲の景色がテラのたてがみに似た温かなオレンジで埋まる。
やがてすべてを埋め尽くすオレンジの光が収まると、畳敷きの空間が現れる。
「ここは……」
青々としたものと、妙に鮮やかなオレンジ色のものとがチェック状に並び敷かれた空間。
果てしなく広がる空間を見回し瞬きする悠華。
「……ここは宇津峰さん、あなたのイメージを土台にした空間。私も昔はトレーニングに使っていた空間よ」
不意に背中からかかった声に悠華が振り向けば、そこには悠然と立ついおりの姿が。
「いおりちゃんセンセも?」
「もちろん景色は違うけれどね」
言いながらいおりは頭上を見上げる。
つられて悠華も顔を上げれば、青い空ではなく果ての知れない暗闇があった。
「屋内のようだけど、やっぱり果ては感じられないわね」
呟き頷いていおりはぐるりと視線を一周。
その言葉通り、何十畳と並ぶ畳の奥は木製の壁で隙間無く囲われている。だが、その壁と畳床との境は酷く曖昧で揺らいでいる。
「それ」
まるで立体映像のような囲いをめがけ、いおりは石でも投げるような気軽さで左手から炎を発射。
十畳を一息に渡った火炎はその勢いを緩める事無く一直線に壁に接近。
境の畳まで三、ニ、一。すわ激突かと思いきやしかし、火の弾は壁を前にただ小さく遠くなっていき、やがて焚き火から弾けた火の粉が空に解けるように消えてしまった。
「あれま、消えちゃったい」
何も燃やす事無く消えた炎に、悠華が瞬き呟く。
「……なるほどね」
その傍らで、いおりは炎を放った左手を握開を繰り返す。
『いおりさんどうですか?』
そこで不意に虚空を裂いて現れる窓。
何故か「躍動感」と書かれた掛軸で縁取られた四角いそれ。その裂け目から覗くのは宝石のたてがみを持つライオンもどき、テラだ。
「問題ないわ。ココでならほぼ全力が出せそうよ。ブランクの分を割り引いて、だけれどね」
機嫌良く弾む声で返すいおり。それに窓向こうのテラが安堵に頬を緩める。
『そうですか。じゃあ「シャルロッテローブ」の展開の補助は……』
「それはいらないわ!」
テラの声を鋭く遮るいおり。
『え、でも「シャルロッテローブ」……』
「いらないから!」
裂け目向こうで瞬きするテラを再びいおりの声が制する。
『いやシャルロ……』
「だからいらないの!」
三度目。繰り返される相方と師のやり取りを眺めて、悠華は右の頬を掻く。
「あー……多分ダイナの鎧みたいな、いおりちゃんセンセが昔使ってた装備の話だろうけど、シャルロッテて……」
「お願いだから、そっとしておいて……」
「あ、ハイ」
静かに、そして遠くを眺めながら呟くいおり。
どよりと暗いものを纏った師の姿に、悠華はそれ以上の突っ込みを憚られて頷く。
「ンンッ……それはともかく! 気を取り直して実習授業を始めるわ」
それを受けて、いおりは咳払いを一つ。沈みかけた背筋を伸ばして悠華に向かい合う。
「えぇー……授業ッスかあ?」
「はいはい。あからさまに嫌そうな顔しないの」
「ウィーッスゥ……で、何するんスか?」
悠華はどん底まで下がったテンションを露わに先を促す。
それにいおりはヘの字口でため息をひとつ。
直後、燃え上がらせた左手を前動作なしに突き出す。
「うわっちゃあぁあッ!? ナニなに何ナぁ二するんスかぁッ!?」
とっさに右手で燃える拳の側面を叩き逸らしかわす悠華。
そのまま襲いかかってきたいおりから距離を取り、炎を叩いた手を振りながら抗議の声を投げる。
そんな教え子を正面に、いおりは左足を引いて半身の姿勢を取る。そして指を伸ばした右手を前に出し、緩く空を握った左手を顔の横に添える。
「だから言ったでしょ? 戦闘の特別実習授業よ」
身構えて、静かな声で告げるいおり。
師から放たれた熱を帯びた気に、悠華は思わず固唾を飲み右足を引いて拳を構える。
「要するに組手ッスか……? アタシとしては座学でコツとか教わりたかったんスけどね」
「眠らずに聞く自信があるの?」
「やはは……手短に説明してもらえば?」
日頃の授業態度を的確に指摘され、悠華は冷や汗交じりになりながらもおどけ返す。
そんな悠華の返事に、いおりは身構えたまま磨り足で前進。
「だから居眠りする暇なしの実践実習。習うより慣れろということよ」
そんないおりの接近に悠華は構える拳を強張らせて後退り。
「て、手加減してちょーだいな? いおりちゃんセンセ?」
気圧されての及び腰で手心を願う悠華。
「……グランダイナに変身しなさい」
「うえ?」
いおりから返事として投げかけられた指示に、悠華は思わず呆け半分に聞き返す。
「……いや、でも、そんなことしたらいおりちゃんセンセが危ないんじゃ……」
「手加減して欲しいんでしょう? それで丁度いいくらいだと思うけれど?」
「いやあ、でも、それは……」
重ねてグランダイナへの変身を促すいおり。しかしそれでも悠華は躊躇い、迷う。
「勘違いしないで、今ここでの私と宇津峰さんなら、変身してなければ相手にならないわ」
遠慮も躊躇も場違いだと断ずる厳しい声。
「来ないのならこちらから行くわよ!」
そして鋭い声を引き金に、両手を燃やしたいおりが踏み込む。
「どうなっても知らないッスよ!」
伸び迫る炎の爪。躊躇なく最短距離で鼻先へ向かうそれに、悠華はたまらず両手を胸の前で打ち合わせる。
広がる光が盾となり、鋭い炎を受け弾く。
その間に悠華は合わせた拳と手のひらを頭上に、そこから輪を描くように振り下ろしてヘソ辺りの高さでまた合わせる。
回る光輪が作る卵。それはすぐに内からの圧力に負けて爆散。黒いアーマースーツを纏った巨躯を照らして消える。
「こうなったら、一発で合格点出したるわい!」
グランダイナへ変わった悠華はやけくそ気味に畳を踏みしめ構える。
正面には変身時の反動に乗って、踏み込む前の位置へ戻るいおりが。
三畳の先で床を踏むそれをめがけてグランダイナは突進。
「ヤァッハァアアアアッ!!」
持ち前のパワーを活かした、重機か戦車を思わせる突撃で圧倒する。気をつけるのは接触の時の手加減だけ。
それだけで決着。ぐうの音も出ない合格でこの実習授業はお終い。
そのつもりだった。
「あ、えっ!?」
「ぬるい!」
だが現実は、手加減したとはいえ右手一本で突進が制止。二メートル強の巨体のタックルが、身長一六〇センチの細身の女を一ミリも動かすこと無く止められていた。
「燃えよッ!」
「うわぁあッ!?」
微動だにせぬいおりからグランダイナが身を引こうとした刹那、鋭い声と共に放たれた火炎がグランダイナを呑む。
怒涛の如く流れる火炎流。その流れから捨て置かれる形で外れたグランダイナが畳に仰向けに倒れる。
「あ、あづづ……」
グランダイナは装甲から白煙を上げながらも、両腕も支えに使って身を起こす。
いおりはそれを正面に見据えて、畳三枚の向こうで構えを解かずに立つ。
「言ったはずよ。高めた心が命と重なり、力に変わる。何をするにもまず気合! さあもう一度、気を込めた打撃で私をこの場から動かしてみなさい!」
力強く掲げられた課題。
同時にいおりの周囲を炎が奔り、焦げ跡で円を描く。
対してグランダイナは未だに煙のくすぶる体を立たせ、拳を握り直す。
「……あんま気合とかそういうのって、アタシの性に合わないんスけどねぇ……」
ぼやきながらも、構える師と向かい合うその構えから油断は抜け失せていた。




