失われたもの。取り戻せないもの。
アスラン王視点です
革命が終わり、イリダ王家は滅んだ。ショロトルはマグダレナから持ち込んだ毒により瀕死の重篤状態に陥った。
二条が飲ませた解毒剤により一命は取り留めたものの、目覚める気配はなかった。
面識は何度となくあったアドリアナが、身篭っている事は身体つきを見れば嫌でも分かった。
その相手がショロトルの別人格だった事に、あの時まで誰も気付いていなかった。
革命が終わったと言っても、これからが正念場だ。
如何にして新しい体制を作っていくかが課題になる。
我等オーリーは引き続き王政を敷くが、イリダは王家を事実上潰してしまった。ショロトルがその後を収束させる筈であったのが、それが不可能となった今、ホルヘが纏め上げねばならない。
だが、ホルヘは共感を得る能力は長けていても、求心力が無かった。
ドレイクがショロトルを殺めようとした。余とオーリーを思ってやったのだと言う事は分かっている。だが、悪手だった。
だからこそ、余はホルヘを支える事を決めた。臣下のした事に対する責任を果たす為であり、イリダの混乱を見たくなかった為である。
諸々の問題の前に、チャルチウィトリクエを止める為にマグダレナに向かわねばならなかった。
エテメンアンキにある船は、チャルチウィトリクエが暴走して直ぐに補修に回していたが、数週間の期間を要した。
言葉にはしないが、皆の顔に焦りが浮かんでいた。それは余も同じだった。
そして、アレは起きたのだ。
余はエテメンアンキの最上階にいた。
光が差し、夜が明けたのかと思い顔を上げた視線の先では、地平線と光が重なろうとしていた。
光が地平線をなぞるように広がっていく。その眩さは幾度と見た朝日とはまた違う光だった。
眩しさに目を細めながら、何が起きたのかを確かめようとした。
光の波は海上を滑るように、恐ろしい速さでこの大陸に押し寄せようとしている。
あまりの光景に、その場にいた誰も動けなかった。声も出なかった。
人の技では無い。
あれは神の御技だと、直感する。
愚かなイリダの王侯貴族と、オーリーの塵共が襲来した事が、女神の怒りに触れたのだと思った。
これまでは見逃されていたものが、遂に逆鱗に触れたのだと考えるのは、自然な事だった。
むしろこれまで見逃されていた事に感謝すべきであった。
腐り切ったそれらを自分達で処分せず、マグダレナに押し付けた。
我等には罪しかない。
その罪に対する罰を与える為に、女神の怒りが、海を渡って迫って来る。
圧倒的な力を前にして、笑いしか出なかった。
「王! お逃げ下さい!」
「何処へ逃げると言うのだ。地平線まで埋め尽くす力から」
神の御技から、逃げられる筈が無い。
眼前の港まで押し寄せた光は、躊躇なく周囲を呑み込んでいく。
二千年に及ぶ歪な世界は、女神によって破壊され、浄化される。
それもまた、一つの道なのかも知れない。
その方が世界は平和になるのではと思う。
「アスラン王!!」
女神の光の前に目を閉じる。
人々の騒めく声に、意識を取り戻す。
──まだ、生きていたか。
起き上がる。
エテメンアンキの外から声がする。
今まで、剥き出しの土、痩せ細る木しか見たことがなかった。それなのに、エテメンアンキを取り囲む大地は、緑、緑、緑。一面の緑だった。
木の無い場所には草花が生い茂る。
「なん……」
上手く言葉にならなかった。
「何が…………起きたのだ…………」
涙が溢れた。
初めてみる、瑞々しく美しい緑を、どんな言葉で形容して良いのか分からなかった。
感じた事がない程に爽やかな風が吹いた。この青臭い香りは、木々の、草花の香りだろうか。
こんなにも満ち足りた気持ちになったのは初めてだった。だが、何故か胸が痛かった。大切なものを失った時の痛みが、心臓を抉る。
半日程経った後に齎された報告を聞いても、驚きは無かった。
納得しただけだった。
イリダ大陸を蝕み続けた毒が消えたと言う。
それ所か、緑溢るる大地に変貌したと、興奮した様子で報告された。
"奇跡です、陛下。奇跡が起きたのです!"
奇跡──。
そう、この現象を奇跡と呼ばずして何と呼ぶのか。
だが何故なのか。
奇跡を起こしたのは女神に違いない。
マグダレナはイリダに攻め込まれていた筈。
我等は女神から呪われ、滅ぼされる事はしていても、祝福を受けるような存在ではない。
チャルチウィトリクエ討伐を準備する我等の元に、燕国から国使が来た。
マグダレナ連合軍の使いだと名乗ったその男は、書状を読み上げた。
「正規の理由も無く、他国に進軍し、攻撃した事における責を問う。
ついては敗戦国として、マグダレナに参られよ。
なお、イリダの王侯貴族、オーリーの上位貴族は尽く討ち死にした事をお知らせしておく」
尽くと言う言葉が引っ掛かり、使いに尋ねる。
「イリダからは更にチャルチウィトリクエなる王族もマグダレナ大陸に進軍していた筈であるが……」
国使は表情も変えずに言った。
「尽く討ち死にしたと申し上げております」
……そんな馬鹿な。
チャルチウィトリクエが乗ったのは、イリダの技術の結晶だ。それを、マグダレナが打ち破れる筈は無い。
余と一緒に国使の報告を受けていた二条も、信じられないと言った顔をしている。
多岐は顎をさすっていたかと思うと、顔を上げ、国使に質問をした。
「兄御前、仰せになりし内容は、イリダの技術の高さを知る某達には、俄かには信じ難き事。マグダレナにて起こりました事を許される範囲でお教え頂けませぬか」
この国使は多岐の兄か。言われて見れば、似ている気もする。
国使は頷いた。
「先行の艦隊は、マグダレナの策によりて殲滅した」
そうは言っても、それなりの戦艦であった筈だ。それを殲滅したと言うのか。いや、殲滅してもらう予定ではあったが、大丈夫なのかと不安が無かった訳では無い。
「チャルチウィトリクエなる者の戦艦に、女神は鉄槌を下されたのだ」
やはり、と納得する。
「それは、公家の面々により女神が召喚されたと言う事に御座りまするか?」
女神の召喚。
我等オーリーやイリダからすれば有り得ない事である。
神は全知全能にして不可侵であり、我等被造物が神を呼び出すなどと。
「否。私は別の戦艦と交戦していたが故にこの目では見ておらぬが、私が受けた報告では皇国公家が一家 ラルナダルト家当主が単身で女神を召喚なされ、危機を救ったと聞いておる」
「ミチル殿が?! もしや先日の光はそれか?!」
「左様に御座います、二条様」
国使は頷く。
「マグダレナ三国と燕国、ト国による連合軍が、イリダの艦隊に勝利致しました事は、紛れも無い事実に御座います」
敗戦による賠償、責任。
マグダレナに行かねばならぬと思った。
二条と多岐に付いて行くのは、余が適任であろう。行く予定であったショロトルはあの通りだ。
臣は反対した。
毒があるのだからと。
分かっている。それでも、我等から向かうのが礼儀だ。
余に何がありし時は、トレニアを女王として立てよ、そう命じた。
*****
エテメンアンキを出るのは、生まれて初めてであった。
土の上を歩くのも、船に乗るのも。
初めて尽くしに戸惑う余を、二条が笑った。
「借りてきた猫とは、今のアスラン王の事を言うのであろうな」
獅子の名が泣く。
だが、余はずっと猫であった。
マグダレナの領域に入る。
毒をその身に受ける事になる。
嫌でも、緊張が走った。
「……濃度が、下がっておりまするな」
多岐が言った。
濃度。毒の濃度。
大陸に近付けば増すのかと思っていたが、そんな事も無かった。
激しい戦闘の爪痕を残したままの湾に入る。
到着した余は、予め用意されていた豪奢な馬車に乗せられた。遠距離用だと言うその馬車は、長時間座っても疲れないように座面に工夫がされているのだそうだ。
馬車の窓からでも、マグダレナ大陸が如何に美しいのかがよく分かった。
緑が溢れたオーリーの大陸を美しいと思ったが、この大陸の美しさはその上をいく。
数日に渡る馬車の旅を終えて到着した先は、ディンブーラ皇国の皇都。
馬車の窓から都の様子を垣間見る。
民が生き生きとしている。笑顔で話をしている。声にも張りがある。
許されるなら皇都を見学したいが、無理な相談であろうな。
皇城はエテメンアンキのそれとは趣が全く異なっていた。
文化が違うのだ、当然と言えば当然であるが。
その違いが目新しく、見る物全てが脳を刺激する。
戦争の賠償に来た事を忘れてしまっている自分に気付き、襟を正す。
案内された場所は、サロンであった。
既に先客がおり、一人は老齢の女性、もう一人は黒髪の壮年の男。
二人共、外柔内剛を絵に描いたような人物だろうと推察する。一筋縄ではいかないタイプだろう。
女性は顔だけこちらを向いて、微笑んだ。
「初めまして、オーリー王 アスラン様」
余に先に話しかけると言う事は、この女性が先日、皇国皇帝に即位したイルレアナ・フセ・ディンブーラか。
それにしても、公式会見前に非公開とは言え、皇帝本人と会うとは思わなかった。
「初めてお目にかかる。ディンブーラ皇国皇帝 イルレアナ陛下」
頭を下げる。
ほほ、とイルレアナ様は笑う。
「王たる者が、そのように軽々しく頭を垂れると言う事は、ディンブーラの属国になる御意志でもお持ちなのかしら?」
「必要であれば」
「つくづく運の無い事だね、貴方達オーリーは」
男が笑いながら言った。
余の視線を受けて男は立ち上がると、優美に礼をして見せる。
「これは失礼を。私はディンブーラ皇国に属するカーライルという小国で宰相をしている、リオン・アルトと言う者。些末な存在が同席させて頂く事をお許し頂きたい」
カーライル王国。
それは歌う姫の国であった筈だ。
姫の伴侶の家名はアルト。公爵位であったか。
家名からして姫の関係者であるようだが、姫の伴侶にしては、年が離れているように思える。
その挨拶に、女皇がほほほ、と笑う。
「アスラン王、こちらの御方は、この世で最も敵に回してはならぬ方ですよ」
アルト公は苦笑する。
「お座りになって」
促されるままに腰掛ける。
「アスラン王、そちらで何が起きたのかは大筋把握しております。我等と協力関係にあったショロトル殿がお倒れになられた事、王族であり王の妾妃であったチャルチウィトリクエが単独で行動し、マグダレナに攻撃を仕掛けた事」
「チャルチウィトリクエに関しては、こちらの不徳の致す所である。女神により鉄槌が下されたとは聞き及んでいるが、被害は大きかったのではないか」
二人の笑顔に暗いものが混じる。
「許されるなら、この手でチャルチウィトリクエなる者を八つ裂きにしたいと思える程の被害でしたわ」
壮絶な笑みを皇帝が浮かべる。
背筋に冷たいものが走る。
「表面上、被害が無いように見えるだろうが、我等は大切な物を失ったのだよ、イリダによってね」
「すまぬ。その大切な物とは何であるのか、教えてもらえぬか。出来る限りの賠償を」
頰を何かが掠めた。
液体が頰を伝う。
「能天気な事だ。これが王とは」
今、何をされた?
何も見えなかった。
頰を掠めた鋭利な刃物は、何処から来た?
「貴方達は、足りないものを技術で補っておいでなのね。だからこそあのような他力本願な策を持って我等を攻められたのでしょうけれど。
次に何かをお作りになられる際は、善悪や倫理を備えた意思あるものはいかがかしら? その言いなりになって頂いた方が良い国になるように思えるもの」
返す言葉が無い。
「我等が失ったものはね、そなた達が歌う姫と呼ぶ者だよ。命を女神に捧げ、我等を救い、チャルチウィトリクエを滅した」
──命を?
「待ってくれ。それならば何故、オーリーとイリダにまで、女神の祝福が届いたのか」
「慈愛の女神による慈悲なのか、姫の願いなのかは、もはや知る由も無いよ」
女神の慈悲?
いや、そうでは無いだろう。
女神は我等オーリーやイリダがマグダレナに近付けないようにする為に、毒で大陸を包んでいたのだから。
そうであるなら、姫が? 攻め込んで来た我等にまで慈悲が届くように女神に願ったと言うのか……?
「オーリーの民は自らの大陸にて国を再建するが良い。
イリダの民も毒が除去された本来のあるべき場所に帰って新たな国を建てるなり、オーリーと共存するなり、好きにすれば良いよ」
ただし、とアルト公は言った。
「今後また同じような事が起きないよう、こちらから人を派遣して監視させてもらうよ」
「無論だ。むしろそうしてもらった方が良い」
アルト公は頷いた。
「正規の会談では針の筵となるだろうが、耐えなさい。
雷帝国皇帝とギウス国の族長は、そなた達を許さぬと豪語しているからね。
王として、今回の災禍を止められなかった罰として、その身で受けると良い」
「……承知した。
貴兄らは、余を害したいとは思わぬのか?」
大切な姫を失う切っ掛けを作った者の一人として、憎まれて当然だ。
「さっきはあまりの物の知らなさと天真爛漫さに手が出てしまったけど、何もする気も無いよ」
「何故?」
アルト公は微笑んだ。
「そなたを罰した所で、姫は取り戻せない。こんな当たり前の事を何度も言わせないでくれないかな?」
ぞわりとする。
「……すまぬ」
「上に立つ者が愚かである事は罪でしか無い。己の頭で考えなさい。考えても分からないなら、その時オーリーの歴史が終わると思った方が良い」
会談があるのは三日後との事で、思いがけず自由になる時間を得た。
二条に案内されながら皇都を散策する。
マグダレナの民が貴族として存在し、オーリーやイリダを祖とする者達は平民として生きていた。
民の暮らしを間近で見たかった余は、夜に一人で酒場を訪れた。
巨体を震わせて泣く男と、そんな男を呆れたように見ている男がいた。
相席しても良いかと尋ねると、二人は僅かに戸惑っていたが、受け入れた。
「何をそんなに嘆いていたんだ?」
余の問いに、石工ギルドの長であると言うグーマがまたおいおいと声を上げながら泣き始めた。
木工ギルドの長 ウェンデが頭を掻きながら答える。
「あんたも知ってんだろ。ミチル殿下が一命は取り留めたものの、意識不明の重体だって」
歌う姫の名はミチルといった。
彼等がいう人物と同一人物だろう。
「そな……おまえ達平民と、そのミチル殿下は身分も違うだろう。支配層の一人が倒れた事がそんなに悲しいのか?」
余の質問に、ウェンデはあからさまに怪訝な顔をした。
「あんた、皇国の人間じゃねぇな。皇国の人間は、腹の中でどう思ってたとしたって、殿下をそんな風に言わねぇよ」
「確かに、皇国の人間では無い」
ため息を吐きながらウェンデが言う。
「殿下はこの国を救った方だ、言い方には気を付けろ」
「それは、貴族に危害を加えられると言う事か?」
「違う。皇都に暮らす平民で、殿下の恩恵を受けていない人間はいない。慕われてんだよ」
詳しく話を聞くと、姫は皇都の民の生活を向上させる為に尽力したのだと言う。
いかに姫が素晴らしい人物かを、グーマが熱弁する。
あまりの熱弁さに「まるで本人と面識があるかのような口振りだな」と揶揄うと、二人は頷いた。
「会った事あるからな、実際」
「俺達平民の身体を気遣ってくれてな、差し入れをしてくれたりな。体調の悪い奴を休ませてくれた。工期が伸びるってのに」
グーマがまた泣き出す。
「……慈愛に満ちた人物だったのだな」
それを、我等は自分達の都合で奪った。
「あの姫さんは、多分そんな事考えながらやってたんじゃねぇと思うけどな」
「ウェンデッ! 殿下は女神のような慈悲深い方だっ!」
「あぁ、はいはい。おまえはこれでも飲んどけよ」
喚くグーマに新しい酒を飲ませる。
「話は変わるけどよ、俺らと同じオーリーの民? の国が別の大陸にあるんだってな」
「あぁ、ある」
「どんな国なんだろうな」
「行きたいか?」
もし、オーリーの民である彼等が祖国に帰りたいと願うなら、王として力を尽くしたいと思う。
「いや、いい」
「俺も行く気は無い」
「良いのか? 同じ民族が暮らす国だが?」
「根っこの部分はおんなじなんだろうけどよ、俺達はこの国の人間だ。もう枝分かれしちまって、別の人間だろうよ。それに姫さんに恩返しもしてねぇ。不義理をしたら罰が当たる」
「そうだ、マグダレナ様の罰が当たる」
うんうん、とグーマが頷く。
我等オーリーとイリダは決して混じり合う事が無かったが、ここでは自然と交流出来ているのだな。
「そうか。幸せだな」
そのように思える国や相手がいる事は、幸いだ。
我等は、罪を贖わねばならぬ。
真の意味で、国や民の事を考え直さねばならぬ。




