姫の代理
ロイエ視点です
先日の一件以来、私の中にあった焦燥は霧散した。
ルシアン様は全てリオン様に押し付けるおつもりでいらっしゃる。
少し前の私は、主人の名を世に知らしめなくてはと考えていた。天才リオン・アルトの後継者として恥ずかしくないように、と。
己の名を上げる事に、我が主人は欠片程の関心も無い。
ルシアン様はリオン様からの知らせを見ても、表情一つ変えなかった。
読み終えると直ぐ、机の上に放置して帝国の初代皇帝が残した日記に視線を戻す。
「拝見しても?」
私の問いに鷹揚に頷かれる。
机の上にコーヒーを邪魔にならないように置き、会釈をしてからリオン様から届いた手紙を手に取る。
リオン様からとなってはいるが、この字は父 ベネフィスのものだ。
月に一度の定期船が燕国とイリダ間を行き来している。交易の為と言う名目だが、イリダが燕国に送っていたのはそれだけでは無い。間者も送り込んでいたのだから。
その便に、姫の代わりを乗せる事にした、と書いてある。
準備諸々はこちらで行うので気にするなとも。
「代わりとは、ミチル様の代わりと言う事に御座いますか?」
手紙を折り畳んで机の上に戻す。
そうだ、と簡潔な答えが返ってきた。
「偽物と露見する恐れは……」
「どうやって偽物と証明する?」
偽物である事を証明? だが、歌を……。
あぁ、成る程。
「そう言う事なのですね」
ミチル様が歌う事で魔力を生み出せるのは、マグダレナ大陸だからこそ。魔素があるから可能なのだ。
むしろこの大陸を出てしまえば、ミチル様も他の人間も差はない。
「ドレイクは腕を当主様に落とされかけたそうです」
正確には落とされて、父により付け直された、との事だが。
手首には複数の骨がある。それを鋭利な刃であったとしても付け直せる程に綺麗な断面で切り落とせる人間はそうそういない。と言うかそんな事が可能なのかと驚いた。
いくら付け直せたとしても、これまでのようには動かなくなるだろう。
あの男はそれなりの腕前の男だと思う。牽制の為に腕を傷付けたのか、別の意味があったのか。
「父のやりそうな事だ。まず最初に判断力が鈍るような初手が入る。腕を戻してもらえたと言う事は、お眼鏡に適ったようだ」
いつもリオン様は相手の出鼻を挫き、体勢を取り戻す前にご自身の独壇場に持ち込む。
「当主様にやり込まれない方を見た事が御座いません」
気が付けばリオン様を中心に話が回っていく。あの圧倒的な存在感は、天賦の才なのだろう。
「イルレアナ様には通用しなかったようだ」
イルレアナ様──ミチル様の祖母、皇嗣殿下。
確かにあの方には効かなさそうだ。
「先制をあちらから受けた事を楽しげに話していた」
リオン様に先制とは……。本当にあのミチル様の祖母なのだろうか。そう思いたくなる程に似てらっしゃらない。
ミチル様は鈍感だ。だからこそルシアン様はあれだけの人数を付けてらっしゃる。
愚かとも、人の心の機微に疎いのとも違う。人に関する事に関しては聡い部分をお持ちなのに、ご自身に関しては壊滅的と言っていいだろう。
悪意に鈍いと言うか。
「二人は良く似ている」
二人。リオン様とイルレアナ様の事か。
それにしても、先制を打たれて喜ぶとはリオン様らしい。勝敗はどうだったのだろうか?
聞いても良いものかとルシアン様を見ると、答えを教えて下さった。
「イルレアナ様が勝つに決まっているだろう。殿下の機嫌を損ねて困るのは公家だけでは無い。父も同様だ」
ミチル様が関連した場合、イルレアナ様は最強と言う事か。
「ではルシアン様もイルレアナ様のご機嫌を損ねないように気を付けなくてはなりせんね」
「何故?」
「イルレアナ様のご機嫌を損ねたらミチル様に関連する企みが頓挫するので御座いますよね?」
「ミチルを使った企みなどする必要が無い」
「……左様ですね」
ルシアン様がミチル様を使って何かを成そうとする筈も無い。基本的に阻止する側だ。
「オメテオトルは偽物と見抜くと思われますか?」
「見抜く」
即答である。だとするならば、それは時間稼ぎなのか、嫌がらせなのか。
「当主様はオメテオトルに協力するのだと思っておりました」
拷問もせず、薬物による尋問などもしないとお決めになったのはリオン様だ。ルシアン様はそれに倣ってドレイク達を扱ってらっしゃる。
視線は日記に向けたまま、ルシアン様は器用にコーヒーを口にされていく。
「共闘はするだろうが、礼は礼として返すものだ」
礼。マグダレナ大陸において好き放題してくれた事に関してだろう。
「左様に御座いますね」
偽物を掴まされたなら、オメテオトルはどう反応するのだろうか。怒りに任せてマグダレナを攻める……?
「怒ったオメテオトルはどのような行動に出ると思われますか?」
私ではいまいち、オメテオトルの思考回路が読めない。
「存外怒らぬかも知れない」
怒らない? 欺かれて?
「そなたは、オメテオトルの企みを知った上で話しているだろうが、知らない前提で考えてみると良い。
ミチルと同じラルナダルト家の血を引く人間は少なくともあと三人はいる。人質代わりに渡すとして、誰を渡すかなどの駆け引きは普通の事だろう?」
同じ血筋の人間が複数いて、相手が思惑を明確にしていない場合、こちらとしては価値の低い者、失っても痛みの少ない者を送るものだ。それは至極普通の事。
「では、姉を送るのですか?」
「姫を預けると書いているから、そうだろう」
厳密に言えば姫ではないが、姫の代わりと言う意味では最適な人材だろう。
「姉ではないと言われたら?」
「父親を。姉よりも血は濃くなるのだから、こちらとしてはより相手に配慮した相手を献上する事になる。なんら問題はない」
しかし、それでは流石にオメテオトルが怒るのではないだろうか?
時間稼ぎをなさろうと言うのか?
「当主様は時間稼ぎをしつつあちらの膿みを排除するのを協力なさる、結果として力を削がれたあちらにミチル様を渡さずに済む、と言う事ですか? それとも、おびき寄せる為ですか?」
分厚い日記を閉じ、ルシアン様は目を伏せた。
「そなたは複雑にものを考え過ぎる。オメテオトルからすればミチルである必要は無い。女神を呼び出せる可能性を持つ者を必要としているのは確かだが、ミチルが女神を呼び出せると確約はされていない」
確かにそうだが、実際の所、ミチル様は皇族の中で最も女神に近いと誰もが考える事だろう。
奇跡と呼ぶに相応しい祈りをあれだけ日々捧げているのだから。
「神はきまぐれだ」
納得がいかない私は、もう少し話を聞かせてもらえないかと、カップにコーヒーを注ぐ。
「父はオメテオトルの案を否定していない……が、ミチルに関する部分のみ、受け入れていない」
そう言ってから、ルシアン様は日記の上に手を置いた。
「ミチルは女神を呼び出せる確率が高い」
先程、確約されていないとおっしゃったにも関わらず、舌の根も乾かぬうちに真逆の事をおっしゃる。
「全ては推測だ。オメテオトルだけでは無い。俺も父も、可能性で話をしているに過ぎない。確実なのはミチルが実行に移した時に判明する。
八代目女皇と同じ転生者だから、女神に愛されたアスペルラ姫の末裔だから……希望、願望。何でも良い」
ルシアン様もリオン様も不確かな状態での発言は好まれない。と言う事は、何処かにそれを裏付けるものがある筈。
速読であるルシアン様が繰り返し読まれている、帝国の初代皇帝であり、アスペルラ姫の兄が書いた日記。リオン様もお読みになられた日記。
そこに何と書いてあるのか。
「ルシアン様、皇帝の日記には何が書かれているのですか?」
「劣等感、羨望、願望」
掻い摘んでご説明いただいているのだとは思うが、流石に端的過ぎて、どう切り出してよいものか。
「アスペルラ姫に関しての記述が大変興味深い。
皇帝は姫を女皇にしたかった。だがアスペルラ姫の姉が女皇となる。帝国を興してからもアスペルラ姫を帝国に招こうとしていた。
姉と敵対する事を厭うた姫はラルナダルト公と婚姻を結び、姉とも兄とも袂を分かつ」
記憶の内容を思い出しながら聞く。
「皇国との和平後、皇帝は至星宮を訪れる。妹姫を驚かせようと屋上に足を踏み入れた皇帝は、そこで女神と対話する姫を見る」
女神との、対話……。真実にそんな事が可能なのか。
「話を終えた姫に、女神は呼び出す事と、助ける事を約束する」
思わず唾を飲み込んでしまった。ごくりと音がした。
「それは……」
この日記の内容をオメテオトルが知ったなら、希望を抱くに違いない。そう思って不思議ではない内容だ。
自由に女神を呼び出す事が許され、助けを乞う事まで許された特別な姫。
「……オメテオトルの願いなどどうでも良い。ミチルを求める事が許せない。
父には姫の代わりはこちらが用意すると伝えておくように」
吐き捨てるように言うとルシアン様は立ち上がり、部屋を出て行かれた。
私はそっと、皇帝の日記を開いた。
アスペルラに気付かれぬよう、足音を消して屋上に向かう。久々の妹との再会だ。驚かせたかった。
声が聞こえる。アスペルラと誰かの声だ。ラルナダルト公の声──にしては高い。女性の声だと分かるのだが、やけに鮮明に聞こえる。アスペルラの話している内容は判然としないのにだ。
誰かと話しているのであれば、邪魔をしてはならんとは思うものの、様子を伺ってから階下に降りようと思った。
アスペルラが、光り輝く存在と話している。姿は分からないのに、女神マグダレナだと直感する。
"マグダレナ様。この度はありがとうございます"
──構いませんよ。私も愛する民同士が傷付け合うのは見たくありませんから。
妹が特別な存在なのは分かっていた。だが、まさか、ここまでとは思わなかった。
──必要があればまた呼ぶのですよ、アスペルラ。
"いと深き御慈悲に感謝致します"
私は慌ててその場を離れた。
上手くは言えないが、そこに自分のような者がいてはならぬと思えたのだ。
図らずも女神のお声と光り輝くお姿を垣間見る栄誉を得た事は僥倖であった。
皮肉な事だ。もっとも皇位に相応しいものが、どちらの国の皇位にも就いていないなど。
アスペルラ、私はそなたが女皇になりたいと望んだらいつでもこの地位を譲ろう。皇国の女皇になりたいと望むなら、いくらでも手を尽くそう。
その為にも、私は帝国を守り抜いてみせる。




