釣り
言綏視点です
先程の若君との遣り取りを思い出して息を吐く。
あのように誘導すれば、ホルへとアドリアナと言うイリダの研究員に、自分達イリダの為そうとする事がどういう事なのかを、言葉を尽くして判らせようとするだろうと考えた。
少しずつ彼方此方に楔を打ち込むつもりであったに。
斯様に謝られては、毒気が抜ける。
小賢しく立ち回ろうかとも考えたが、イリダの研究員が真に善良であるなら、某は今の所接点を持たずとも良いと考える。むしろ二条様の方が宜しかろう。
それよりも、オーリーとの接触が望ましい。
オーリーの上位貴族ではなく、下位貴族。下位貴族は平民より生宜しと聞く。
あまり野心ある御仁も困るが、それなりのものを抱いて頂かねばならぬ。
王族を贄としてイリダ王室に差し出し、自分達は利権により甘い汁を吸えるようにとイリダの王侯貴族と癒着した咎により、オーリーの上位貴族は須らく殲滅すべきである。
腐敗した部分を取り置く必要は無い。またそこから腐るだけなのだから。
一片の呵責を覚える事無く攻め滅ぼせる相手と言うのも中々に無いもの。
土台を作り、この援助はマグダレナ大陸のディンブーラ皇国公家のラルナダルト家であるとする事で、新しく興る王権への牽制としたい。
今の上位貴族と同じ轍を踏まれて、あまり図に乗られても困る。その度に巻き込まれるのも面倒である。
さて、どう接触をしたものか。
二条様の方はあちらから寄って来てもらったようだが、客人の某が直接的に働きかける訳にも行くまいな。
オーリーの下位貴族から寄ってもらうのが無難であるが、イリダの目もあろうし。
…………ふむ。
敢えて人気の無い道を選んで進む。
視線を掻い潜り、奥地まで辿り着いた所で声をかける。
「どちらの手の者に御座りましょうや?」
しばらく反応が無かったが、居る辺りに視線を向けていると、観念したらしく、姿を見せた。
「こちらに入りてからずっと某達をお守り下さり、感謝の念に堪えませぬよ」
某の言葉に僅かにも反応せず、簡単に姿を見せたと言う点からして、こちらが気付いている事に気付いていたか。
それなりの使い手と見る。
燕国から交易を学ぶ為に訪れた、とは見做されておらなんだと言う事。さもありなん。端からそのつもりもないし、隠してもおらなんだ。
「勘所が宜しいようですなぁ」
察しの良い者は好ましい。無駄が省ける。
オーリーの下位貴族が、燕国の出入り商人に目を付けるとも思えぬし、これ程の使い手を下位貴族が持つとも思えぬし。
某の望む方向に持って行くには遠回りが必要になりそうな点は、些か残念ではある。
「儘ならぬ」
だが、下手に緒を選別しては時間ばかり過ぎると言うもの。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、とも言う。
「貴殿が仕えておる主人に御目通り願いたい」
影はしばらく悩んだ後「……明日、この場所にて返事を教える」と答えて姿を消した。
オーリーの上位貴族か、イリダの王侯貴族か。さて、鬼が出るか蛇が出るか──。
前日は四層を見て回り、イリダの生活水準を確認した。どのような生活をしているのか。その為にどれだけの動力を必要としているのかは重要である。
階層を行き来する方法は階段のみ。夜間になれば灯は最小限となるが、日中は人工灯による明かりが灯される。それによって今が昼なのか夜なのかが判断が付く。本来の灯りの使用とは異なる。
全ての階層においてそうなのであれば、この広さでもある、かなりの動力を使用している事になる。
イリダの下級国民に魔石は回っているのか?下級国民が担う職種は?王侯貴族による圧政に対する不満は?
諸々の疑問を、イリダの階級社会の中央に位置するイリダの下級国民から大凡を推察する。
頂点を見ても意味はなく、最下層を見ても意味はない。
優遇された者と虐げられた者では意図的に処遇が操作されるものである。
そこそこの生活、と見る。
贅沢は出来ぬが窮屈でも無い生活。
昨日、若君に燕国に関する情報への礼として振る舞われた料理は、結構な量であった。
自分の家族以外にあれだけ渡せる。さらに湯気も出ていたあたり、ホルヘとアドリアナの家庭は裕福な部類に入るだろう。
二条様から伺った話によれば、下級国民がなりたい職というのは、王直轄の研究施設だと言う。
俸給は高く、生活が豊かになる。
下級国民達は皆、己が頭脳を磨き、研究施設に招かれる事を夢見る。研究施設で新しい発見や発明などをすれば褒賞を賜る事もあり、定年後には上級国民から声がかかる事があると言う。
ホルヘとアドリアナは兄妹であり、二人とも研究施設に勤務している。
一人居れば裕福になると言われる研究職に家族のうち二人も就いているのだ、裕福でない筈が無い。
こうして意図的に彷徨い歩いて思うのは、イリダの民は表向き洗脳されているようには見えぬ、と言う事である。
薬物による洗脳はされていないと言うが正しいか。
研究施設で働く事こそが最上である、と言う点は刷り込み教育であるが、それは燕国でも言えた事。
こうあるべきでは無く、こう言うものだと脳に植え付けている。それを連綿と続けて行く。
これまた一つの洗脳と言えなくも無い。
建ち並ぶ店の品揃えを具に見てゆく。
食料品は多くはないがそれなりにある。魚介が多い。港からも然程遠くはなかった事からして、不思議はない。
野菜も肉も少なめである。
イリダに来る前に、燕国やト国からどう言った品目が輸入されているのかは確認した。布織物が圧倒的に多かったのは、染色の元となる植物の利用が許されない為だろう。
中央より少し逸れた位置に、椅子が背中合わせに置かれている。目の前には、粉を水で溶かして薄く焼いた物で具材を包んだ、携帯食らしきものを売る店。なかなかに食欲をそそる香りがする。ぶりとーとか言う物らしい。
一つ購入し、椅子に腰掛けて食す。
辛みが効いて美味である。燕国で作るなら米を粉にして具材を包むのが良いだろうか。
食べながら見て来た物を纏める。
衣食住のうち、衣は外より買い付ける。被服は必須ではあるが、食物の様に日々消費される物ではない。月に一度の燕国やト国との交易で十分賄えよう。
食の基本は何もせずとも良い海から多くを手に入れる。住は確保されている。
此度、マグダレナに攻め入る事で安定した動力源が入手可能になると、イリダが考えるだろう事は想像に難く無い。
そうすればこれまで資源として来た自然は時間はかかるであろうが、戻ってくる。
問題になるとすれば、マグダレナの民の立ち位置か。
イリダを支配層とし、オーリーの上位層を取り込むか?
……いや、マグダレナとオーリーが手を組む事を恐れるであろうな。既にマグダレナの民と共存する者達がいるのだから。平民として虐げられるオーリーの民とする事も可能ではあるだろうが、あまりに此方のオーリーの民との境遇に差が有り過ぎる。双方のオーリーの民を会わせるのはむしろ悪手となり得る。
であるならば、オーリーとマグダレナを会わせず、距離を持たせたまま管理するのが最良であると判断するであろうな。それを、誰に管理させるか?
マグダレナ大陸の毒性にイリダもこちらのオーリーも適合しない。
……成る程、燕国とト国がその位置に立つのだな。
燕国にもト国にも、殆どマグダレナの血は入っておらぬ。公方家やそれに連なる者にいくらか混じるぐらいのもの。
同じ祖を持つ者、マグダレナへの依存からの脱却、かつて母国を裏切った事を許すでも贖罪でも良い、なんとでも理屈を付けられるのだ、イリダからすれば。
足音が近付いて来る。
思考を止める。
背中合わせの椅子に男が腰掛けた。
「このまま話を聞け」
知らぬ振りをして手元のぶりとーを口にする。口の中で海老が弾ける。ぷりぷりとして実に美味。
「今夜、三番地の時計台の下にて待つ」
「お断り致す」
気にせずぶりとーを食む。
「其方は某が何者かご存知でありましょうが、此方は存じ上げず。見知らぬ方に付いて行く程お人好しでは御座りませんよ」
「……猫を獅子にしたい。その為なら、我らは何でもする」
猫を獅子に。
アルト伯に囚われているアスラン王の監視人ドレイクは、王から民へ援助をする際に猫を名乗っていたと聞く。その事を言っているのであろうが、知ってると思われるのは早計であろう。
「はて、おっしゃる意味がとんと分かりませぬ。某は燕国の品の価値が分かる方に高くお買い求め頂きたいだけに御座りまする」
「……それならば、我らにまず、品を見せていただきたい」
「それは僥倖。三番地の時計台の下で御座りましたか」
あぁ、と男は答える。
「いつお伺いすれば?」
「二時に」
「分かり申した」
男が立ち上がり、椅子から離れて行く。
どうやらこちらも釣れたようで、何より。
「どう言い訳をしたものか」
二条様は兄君達に命を狙われていたのもあり、ほんの僅かな物音でも目覚めてしまう。
夜中に抜け出すには。
周囲を見渡す。
酒を売る店を見つけた。
店に入り、店主らしき男に声をかける。
「主、一番強い酒を所望する」




