主君の決意
多岐言綏視点です
廊下を駆ける音が近付く。この音からして我が君だろう。さては件の話を耳にしたか。
「言綏!!」
襖障子が勢い良く開かれた。
「言綏は逃げも隠れも致しませぬが?」
筆を置く。この勢いだと折角書いた書状を駄目にされてしまいかねない。
「エテメンアンキに向かうと言うのは真か?!」
やはりその件でお越しになったか。それ以外で、態々某の部屋に来る理由も無い。
「左様です」
我が君は某の両肩を掴むと、前後に激しく揺する。日頃、不用意に人に触れようとはなさらぬ方が、珍しい。
「何故其方が?!」
「五条様と九条様の尻拭いに御座いますよ」
それ以上でも、それ以下でもない。
「だから、兄上の失態を何故其方が尻拭いするのだ!」
二条様の兄である五条様も九条様も、ご自身の立場を確固たるものとすべく、触れてはならぬものに手を出した。
イリダの者を、帝国の許可なく、マグダレナの大陸に輸送した。一度では済まず、何度も。
浅はかな五条様はイリダに便宜を図ったのだから、自分の為に動くと考えた。
あれは、その様な殊勝な者達ではない。
御せるなどと、よくも思えたものだ。
我が君ならば熟慮なさるであろうが、あの傲慢で残念な頭では思い付く筈も無い。
「アルト公から知らせが来たので御座いますよ」
途端に二条様の眉間に皺が寄る。
「……アルト公から?」
"貴国は我らが大陸に害しか齎さぬ虫を送り込んでいるが、これは、国主のご意志か?"
公方様は何の事を言われているのか、分からなかったとおっしゃられたが、さもありなん。
ディンブーラ皇国カーライル王国のアルト公と言えば、国政に携わるものなら一度は耳にする名である。
戦において負けなし。自身の政敵になった者は須らく葬ってきた。
国政においては挽回不可と言われた事案も、解決へと導く事 数多。
謀にかける時間は長い事もあれば短い事もあり、彼の御仁の糸に引っ掛かったなら、抜け出ることは不可能であると言われる程である。
昨今では皇国内を蝕もうとしていた信仰宗教を封殺し、ディンブーラ皇室の後継者問題を解決に導いた。記憶に新しい所で言えば、雷帝国の皇位継承権を持つ者による野望を打ち砕いた。
つい先日には常勝軍団と言われたギウスを帝国と皇国の連合軍により殲滅せしめてもいる。
そんな御仁からの、警告文。
「教えよ。兄上達が何をなさり、其方がその責を替わるのか!」
「説明に御座りますか?不要に御座いましょう」
何故か、と怒りのまま問われる。
「昼八つ、未の刻の評定には、我が君もご臨席なさりましょうや?」
「無論」
「ならば某からの説明は不要に御座ります。本日の主題はその件で御座います」
評定の場に定刻より僅かばかり早めに足を踏み入れると、五条様に仕える我が長兄と、九条様に仕える次兄が、紙のように白い顔をして座していた。
不憫とは思うものの、己が主人が過ちを犯そうとするのを止められぬのであれば、お役目を返上すれば良いだけの事。それすらもせず、悪戯に物事を悪しき方向に進めてしまった責は、取らねばならぬ。
己が主人こそを公方にと望んだのは兄達もだったのかも知れぬ。然りとて、主家、引いては国の存亡をかけてまで為すべき事では無い。
主人に仕えると言うのは、主人が頂点に就けば良いと言うものではない。斯様な事すら見誤るとは、弟として、多岐家の一員として、恥ずかしく思う。
次兄の隣に座すと、長兄が弱々しい声で声をかけてくる。
「言綏……すまぬ……」
目を向ける事すら面倒である。
漸く我が君が公方になる為の準備に取り掛かり始めたと言うに、このような愚挙を、あろう事かアルト公から知らされるなど。
調べてみれば、それはそれは巧妙に隠されており。悪巧みならば知恵が回るのだと、逆に感心した次第である。
「言綏、答えぬか」と、次兄が苛立ったように言った。
「此の期に及んで、某に兄面をなされますのか」
笑止、と返すと、次兄もぐっと言葉を飲み込んだ。
「取り返しの付かぬ事をなされた事は紛れも無い事実。裁定は公方様がお決めにならしゃります。直に十分な罰を与えられましょう。ご案じめさるな」
それ以上言葉を交わす気は無かった為、目を伏せた。
間も無くして、父上が評定の場にお入りになり、御簾の前に座した。
五条様と九条様も入られ、御簾の前にお座りになる。両脇を公方様の近衛武士に挟まれている。
「公方様の」
小坊主が少年特有の高い声で公方様のお越しを知らせる。
「おなーーーりーーー」
全員が一斉に平伏した。
御簾の向こうに衣擦れの音がした。人数にして二人。
公方様と我が君であろうと思う。
「面を上げよ」
公方様の低く、よく通る声が響く。
一斉に顔を上げる。
思った通り、御簾の向こうに公方様と二条様がおられた。御簾越しではあるが、動揺してらっしゃるのが分かる。
これで、二条様が次期公方になる事は決まった。
公方とその正室しか上がる事が許されない上段之間に、二条様が公方様に続いて上がると言う事は、そう言う事である。
安堵する。
内定していた事とは言え、公にはされていなかった。
「父上!何故源之丞が上段之間に座るのですか!」
五条様が怒りの声を上げた。
御簾は下がったままである。
それは、公方様が、五条様と九条様を御子としても、認めないと言う事に他ならぬ。
「痴れ者が」
怒りを含んだ声に、五条様と九条様の肩が小さく揺れた。隣の兄達も身体を強張らせている。
斯様に、怒りをお隠しにならない公方様を見るのは、誰もが初めてだろう。
「五条、其方、何故イリダの者を帝国に隠したまま送り込んだ」
待ってましたとばかりに五条様が滔々と語り出す。
「これまでの我が国は、帝国や皇国の顔色ばかりを伺って参りました。その為に辛酸を舐めた事も一度や二度ではございません。このままでは我が燕国は彼奴等の属国扱いを受けるのも時間の問題にございます!イリダとも誼を結べば」
「もう良い」
五条様の言葉を公方様が遮る。
「尤もらしい事を言っておるが、公方になりたいが為にイリダに近付いたのであろう。
あの者達は我らの事など人とも思っておらぬ。友好な関係など結ぶべくもない」
そんな事は、と否定しようとした五条様に、父が言う。
「イリダの民は上級国民と下級国民に分かれておりまする。下級国民は棄民と呼ばれ、替えの利く消耗品として酷使されているとの事。自国の民ですらそのような扱いを受けるものを、イリダとオーリーの混血の末孫である我らが、どうしてどうして人として認められましょう」
「マグダレナの民が治める国と共にあってこそ、燕国が存続し得ると言う基本的な事すら分からなんだ其方は、公方の地位は相応しからず」
「次こそは!」
「次などない」
ぴしゃりと公方様が否定する。
「イリダがマグダレナに攻め込めば、我らなどひとたまりもなく滅ぼされるか、良くても奴隷に成り果てるだけぞ。
其方は己が欲の為に燕国を人ならざる者に売ったのだ。その罪は重い。廃嫡如きで済むと思うな」
連れて行け、と言う言葉に近衛が反応し、嫌がる五条様を引き摺るようにして連れ去った。
「五条の妻子に咎は無いが、出家させよ」
事の成り行きを横で見ていた九条様の肩が小刻みに震える。
「して、九条」
俯く九条様の肩が大きく揺れる。
「此方は、マグダレナの民だけが生み出せる魔石の存在をイリダに教えただけでは飽き足らず、定期的に横流ししていたようだな。
喜ぶが良い。イリダは魔石の利用に成功し、マグダレナの有効活用を思い付いたそうな」
「マグダレナを売るつもりなどなかったのです!ただ、イリダが関心を示した魔石を売買する仲買いを燕国が行えば、富が手に入ると思ぅただけなのでございます!」
床に額を擦り付け、必死に懇願する九条様。
「此方の思惑なぞ関係ない。魔石を知り、イリダはマグダレナの民を生ける動力源として、飼育する事を決めた」
再び平伏した九条様を、公方様の合図を受けた近衛が立ち上がらせ、連れ出す。
廊下から九条様の叫ぶ声が響いたが、それも次第に遠去かっていった。
評定の場に沈黙が落ちる。
隣の兄達は脚の上で拳を握りしめ、俯いている。
「今更殊勝な態度を取って如何する」
地を這うような低い声が、父から漏れる。
兄達の額に脂汗が浮かぶ。
公方の子ですらあの扱いなのだ。多岐家の兄達の処遇は更に厳しくなろう。
「主君に最後までお仕えしてこその、忠義」
二人の目が恐怖に見開かれる。
イリダが攻めてくれば、民は何の事か分からずに、恐怖し、蹂躙されると言うのに。
被害者かのような兄達の態度には辟易する。
「大義である」
公方様の一声に、兄達は平伏した。小刻みに震える身体。
こうして兄達と見えるのも最後だろう。私とてどうなるかは分からぬが。
「下がれ」と父が言うなり、兄達は逃げるように評定を後にした。
ゆるゆると御簾が上がっていく。
公方様の横に座す若君の、苦々しき顔と言ったら。
本当に、心優しき方である。
「言綏」
「は」
公方様の呼び掛けに応えて頭を垂れる。
「愚息が犯した罪の尻拭いを此方に押し付ける、余を恨むが良い」
首を横に振る。
「主人が過ちを犯そうとするを正すのも側近の役目で御座ります。その本分を果たさなんだは我が愚兄に御座りますれば、某が汚名を雪ぐは自然な事。その機会をお与え下さいました公方様に感謝こそすれ、恨むなどあり得ませぬ」
床に手を付け、額を付ける。
「身命を賭して、燕国にかかる汚名を晴らす所存に御座ります」
己が身が滅しようとも、為さねばならぬ事。
「頼む。今、この大事を任せられるは其方しかおらぬ」
公方様のお言葉通り、今、これを果たせるは某しかおるまいと言う自負もある。異論は無い。
「私も同行します!」
顔を上げると、口を真一文字に結んだ二条様が某を真っ直ぐに見ていた。
誰もが驚きを隠せない様子で二条様を見つめている。
「愚兄の汚名を雪ぐのが弟の役目であるならば、私も言綏と参ります!」
「足手纏いに御座ります!」
慌てて拒絶する。
「言綏!無礼であるぞ!」
父の叱責が飛ぶも、それ所では無い。
我が君には燕国の統治者である公方の座にお就きあそばしていただかねばならぬと言うのに。何と戯けた事を仰せになるのか!
「なりませぬ!」
「絶対に行く!何なら私が参ります!言綏こそ燕国にて待つが良い!」
「若君なぞ、イリダの悪鬼共に直ぐに騙されましょう。某はイリダにてまで、子守はご免に御座ります!」
「行くと言ったら行く!」
二条様は日頃、聞き分けが良い分、一度言い出したら聞かない。
困る。これは困る。
公方様が止めて下さればと視線を向ければ、何やら愉しげなご様子。
……嫌な予感がする。
「燕国におっても、言綏が失敗れば我らは皆命を落とす訳だ。その責を多岐家だけに押し付けるのも些か問題があるようにも思えてきたぞ」
「公方様!」
父が青い顔をして止めに入る。
「二条、失敗して捕縛などされれば、拷問などの責め苦に合わされる事も理解しているな?」
拷問と言う単語が出ても、二条様の表情には変わりない。
「彼の民の性質の恐ろしさは、書物にて知り得ております。事が進みし折には、燕国が滅ぶ事は必定。
愚兄の犯したる罪、雪がねば我等の未来は無いものと思料致します。
無事に済んだとしても、アルト公のお怒りも解消せねばなりませぬ。イリダを抑える以上の結果を持ち帰れねば、どちらにしろ燕国の未来はありません」
そこまでおっしゃると、父である公方様に平伏する。
「全て恙無く果たせました折には、私を公方にさせて下さいませ」
全身の毛穴が開くような感覚がした。
公方様は目を見開き、二条様を見つめていたかと思うと、目を細め、満足気に微笑んだ。
「無論である。務めを果たす事を、公方としても、父としても、祈念しておる」
気が付けば、自然と頭を垂れていた。父も、小坊主達も、皆。




