私の幸せ
アレクシア・ディンブーラ視点です
私なりに、考え、悩み、答えを出して来たつもりだった。
皇国を纏め上げる為に、然るべき罰を与えなくてはならなかった。でもそれは全ての面において甘かった。キースの言う事だけを鵜呑みにしてしまった。
日々運ばれてくる問題に、頭も心も疲弊していった。麻痺していった。
為政者として、考える事を放棄していたと言っていい。
キースの言葉は私に優しかった。耳にも心にも優しく響いた。もっともらしく聞こえたその言葉は私に簡単に染み込んだ。
ルシアン様はキースとは違って苛烈だった。愛するミチルを傷付けられた事に対する怒りが、皇国貴族への罰を重くしていると思ってしまっていた。
そうではなかった。罪に対する正しい処罰を、ルシアン様はひたすら求めていた。本当に許せないとなった時、あの方は自ら始末しに行くのだと、アルト家とはそういう家なのだと、知った時には後の祭りだった。
私とキースによる罰の軽減が続き、ルシアン様がカーライルに戻ると言った時には慌てたし、思い出したのはリオン・アルト公の事だった。
あの方に怒られるのは怖い。お祖父様からも、皇国貴族への罰が甘過ぎると、苦言を呈されるようになっていた。
それでもそう出来なかったのは、怖かったからだ。
恨みを買う事が。嫌われるのが怖かった。ようやく手にした居場所を失うのが怖かった。
私は皇族として生まれた訳でもなく、そのように育てられた訳でもなく、全てが付け焼き刃だった。
その場その場をそれらしく振る舞う事だけは得意になったけれど、自信を持って行えた事などなかった。
誰かに寄りかかりたい。
支えてもらえたらと、皇太子としての役割から逃げたいと言う思いが、ずっと根底にあった。
でも皇太子でなくなってしまったら、私なんて価値が無い。だから、役割を、皇太子としての職務をこなさなくては。
皇太子でいれば、お祖父様も側にいてくれるし、叔母様も私を亡きお父様の代わりに守るとおっしゃって下さる。
フィオニア様も、会いに来て下さる。
そうでなくなったなら、私には何が残るのだろう?
伯母様のように幽閉される?
誰にも見向きもされずに?
私は、自分だけが大変なのだと思っていたのだと思う。
色んな事があったけれど、ミチルにはルシアン様がいて、その他にも守る者がいて、いつも必ず守られていたから、大丈夫だろうと勝手に判断していた。
思い込んでいた。
貴族達への罰を減らしていたのは、そこまでしなくてもいつか分かってもらえると思っていたし、ミチルもルシアン様も一年後に自国に帰ってしまう訳だから、その後の皇国貴族と自分の関係性を考えての事だった。
それが貴族達に誤解を与えた。彼らは私とキースを、簡単に御せると思い込んでしまった。
繰り返し行われるミチルへの嫌がらせに対する処罰を、毎回軽めにしたのだから、そう思われても何ら不思議はなかった。何故それで済むと思ったのか、今では分からない。
結果が、リリー・エルギンによるミチルへの傷害と媚薬の服用。レーフ殿下が助けて下さらなければ、ミチルは穢されただろうと。
しかもこの件について、騎士団長を務めていたキンスキーも加担していた事。唆したのはエルギンではなくオドレイだった事が判明した。
貴族の自尊心の高さと傲慢さ、利己を守る為なら手段を選ばないやり方に、衝撃を受けた。
ここまで増長させたのは、私とキースだった。
ミチルに仕える事が決まっていたオリヴィエは、明確に私を拒絶した。
不敬を承知で申し上げると言われた言葉は、私の胸に棘のように今も刺さったままだ。
"媚薬を使われたと言う事が知られれば、たとえ未遂であっても、生涯その不名誉は付いて回ります。殿下はそれだけの苦しみを与える程、ミチル様が憎いのですか?
ミチル様が殿下に何をしましたか?悩む殿下に寄り添い、助言をして下さったあの方にする事は、仇で返す事なのですか?"
そんなつもりはなかったと言ったけれど、言い訳にもならなかった。
自分が嫌われない為に、私の気持ちに寄り添ってくれたミチルへの嫌がらせを辞めさせる為に、真剣に取り組まなかったのだから。
それが、こんな酷い事にまで発展するなんて思いもよらなかった。
皇国貴族達が私にした事と言ったら、上辺だけの言葉で讃えた事ぐらいだった。
何故、彼らとミチルを比較したのか。比較対象になどなり得なかったのに。
それなのに、ミチルなら許してくれると、私は何処かで甘えていたのだと思う。後日、私とミチルの関係が、修復不可能な事を身を以て知る事になるまで、私は何処までも自分に甘かった。
それを、嫌と言う程に思い知らせてくれたのは、フィオニア様だった。
あの事件の後、フィオニア様は私の元を訪れた。
あちこちから責められ、弱っていた私は、フィオニア様なら慰めてくれるのではとあらぬ期待をした。
でも、思い詰めたその表情から、そうではないと直ぐに気付き、叱られる事を思って震えた。
この期に及んでも、私は自分の犯した罪への罪悪感よりも、想う方に嫌われる事が怖かった。
"何の被害にも遭っていない姫が、何故そんな風に辛そうにするのですか?
泣きたいのも、辛いのも、姫ではない。我が主人の最愛の妻であるミチル様です。
ルシアン様に想いを寄せる令嬢に罵倒され、怪我をさせられ、媚薬を盛られ、見ず知らずの男に穢されそうになったのは姫ではない。その恐怖が、姫には分かりますか?もしそれが切っ掛けでお二人の関係に亀裂が入っていたら?
謝罪されたと言う事ですが、姫の謝罪にはあった事を無かった事に出来る力でもあるのですか?記憶を消せるのですか?時を戻せるのですか?
出来ないでしょう?貴女が皇女であろうと何であろうと、そんな力はないのです。
そしてこんな悲劇を起こしたのは、貴女にも責任があります。貴女は皇国の貴族に嫌われたくないばかりに、ミチル様を生贄にしたのですよ、姫。
貴女と宰相が然るべき罰を与えなかった為に、貴族達は貴女を御せると認識した。
それはそうでしょうね。罰は本来の半分以下だったのだから。侮って下さいと言っているようなものです。
為政者として鉈を振るえないのであれば、今すぐ皇太子を辞してバフェット家の次男にでも譲られてはいかがですか?その方が貴女も、意に添わぬ事をしなくて済むのですから、良いのでは?
……貴女には、失望しました"
失望したと言いながら、その目は私を軽蔑している風ではなかった。
公家の当主達の私を見る視線は、それまでも決して好意的なものではなかったけれど、この件を境に厳しいものに変わったと言うのに。
アルト公がカーライルからやって来た時、私は罰せられると思った。
謝罪の言葉は笑顔で返された。許す気はないと、はっきり言われた気分だった。
ミチルの身に起きる筈だった事をそなたの妻にもしてあげよう、と、アルト公が実の弟であるキースにおっしゃった時、全身を恐怖が駆け巡った。
私にも同じ罰が与えられるのではと思った。その時の恐怖を、それ以上の思いをミチルがしたのだと思ったら、愕然とした。震えが止まらなかった。
私は、何をしてしまったのだろうと。何て言う事をしてしまったのだろうと。
キースの妻とその一族が全員死んだ。キースも病にかかったと言う事でカーライルに戻る事になった。
エルギン一門は極刑に処された。オドレイに唆されたキンスキーは、ルシアン様に処罰されたと聞いた。
それから間も無く、ミチルがオットー家のゼファスの養子に入る事が決定した。皇族になれば、これで誰もミチルを傷付けられない。
ミチルが皇族になった事を祝う夜会において、私はオドレイ達を拒絶した。オドレイ達は戸惑い、顔色を失っていた。
あれだけの事をしておきながら、無傷で済むと思っていたのだろうか?
エルギン一門だけに罪を被せられたと?
何て愚かなんだろう、この者達も、私も。
ミチルは気付いているだろうか?
私と目を合わせなくなっている事に。
無意識だろうか、意識的なのだろうか。
どちらだとしても、それは私が犯した罪に変わりはない。
分かっているのに、悲しくなる。
わざとではなかった。傷付けたかった訳ではない。それは嘘偽りのない正直な気持ち。
でも、そんなのは言い訳にならない。
いつか気持ちが伝わると信じていた。本当に、私は何処までも甘かった。
アルト公は、私に罰を与えない。
いっそのこと皇太子の座から下ろしてくれたなら、楽になるのにと思う。
気が付いた時、私と周囲の間に溝が出来ていた。
変わらないのはお祖父様と叔母様だけ。
修道院を出た筈なのに、私は孤独なままだった。修道院での孤独は私の所為ではなかった。
でも、今は自分の所為だった。
ルシアン様が帝国皇帝により命を狙われた事により、事態は私の与り知らぬ所で動いていった。
決定する場にいても、何一つ分からない。意見も求められはしない。
私は形ばかりの皇太子だ。
ミチルが皇都の環境を良くする為に色々と動いている事は知っていた。
出来る限り手助けしたいと思った。
その旨をルシアン様の代わりに宰相代行を務める、ルシアン様の兄、ラトリアに伝えた。
ラトリアは穏やかで、アルト家の男性の中で一番優しい印象だった。
様付けで呼んでいた所、ラトリアで結構ですよ、と優しく微笑んでくれたのも印象的だ。
「それは、皇太子としてのお考えですか?それとも個人のお考えですか?」
そんな事を聞かれるとは思ってなかった。
「殿下はご存知か分かりませんが、ミチルは皇都の民に人気があります。ですから、個人のお考えでそうなさったとしても、穿った見方をする者は出て来ます。
ミチルの人気に、皇太子が乗っかろうとしている、と」
涙が出そうだった。私にそんなつもりがなくても、過去に私がミチルにした行いから、素直に受け止めてはもらえなくなっているのだ。
これまでまともに助けもしなかったのに、いざミチルが皇都の為を思ってする事の手助けをしようとすれば、陰口を叩かれてしまう。
それもこれも、自分が悪い。自業自得だと分かっている。
本当に伝わって欲しい事が伝わらない。
「殿下、この世には変えられないものが二つあります。
過去と、人の気持ちです」
胸に刺さる。
「それでも、なさいますか?」
気持ちの見返りを欲してはいけない。
分かっている。
だから、頷いた。
「殿下は昔の私に、少し似ていますね」
そう言ってラトリアは苦笑した。
「私はアルト家の嫡子として、兄として、その役割を果たす事に必死でした。
認められなければ、そればかりだった」
認められたい、その気持ちは嫌と言う程分かる。
「でもそれは、私の本当の望みではなかったのです。
殿下、殿下の幸せは何ですか?」
「私の幸せ……?」
そんな事、考えた事も無かった。
お祖父様の元で暮らすようになって、お祖父様達に好かれるように、フィオニア様に褒めていただけるように、皇太子になってからは、貴族や民達に喜んでもらえるように。
そればかり考えていた。
「人の上に立つ者は孤独です。
民とは勝手なもので、感謝を直ぐ忘れ、不平不満ばかりを零す。
殿下は耐えられそうですか?」
即答出来ない。
「己を殺し、他者の為に尽くす。一見美談ですが、傲慢だと私は思います。
それは、そうしている自分に酔っているだけで、本当に相手の幸せを考えてるかは疑わしい」
ラトリアの言葉は、優しいけれど、一つひとつが重く迫って来る。
「私はルシアンとミチルによって救われて、やっと自分が何を求めて、何に幸せを感じるのかを知る事が出来ました。
殿下、貴女はまだ生まれて間もない幼子です。
本来ならもっと時間をかけて、失敗から学ぶ事があったろうに、立場がそれを許さない」
涙が溢れる。
ずっと、誰かに言われたかった言葉だ。
「幸せになる為に、貪欲になって下さい、殿下。良い子になろうと思わずに。魑魅魍魎が跋扈する貴族社会で生きていく為に、強くなるんです。
今はまだ選ばれる側でしょうが、いつか選ぶ側になる為にも強く。
ここにいられる期間は長くありませんが、殿下が望むのなら、協力は惜しみませんよ」
ラトリアは微笑んだ。




