022.タベル
食べるのです。
お義父様の話が終わった後、私もルシアンも何も話さなかった。
何を話していいのか分からなかった。
無言のまま部屋に戻った私は、考え事をしていると思われるルシアンの袖を引っ張った。
「あぁ、ごめんなさい、ミチル。考え事をしてしまって」
首を横に振って、ルシアンの胸に顔を埋める。背中に回された腕の温かさに少しホッとする。
頭が上手く働かない。
あまりに沢山の情報を詰め込まれて、脳が膨張している気がする。
お義父様とは思えぬ程に色んな事を教えてくれたと思う。私に話されたのは膨大な量の情報の一部だろう。
ルシアンも、お義父様も、いつも情報の海から最適解を見出していたのだ。
とてもじゃないけど、真似出来ない。
そんなちっぽけな私が、選択を迫られてる。
アレクシア様は分からないけど、公家の人達は躊躇わずにお義父様の案に乗るだろう。彼らが守るべきはマグダレナの平和であり存続だ。
私だって平和を望んでる。でも、その為に誰かの犠牲を必要とする。それは本当の平和なのか。偽善って言われるかも知れないけど、どうしてもそれが最適解とは思えない。
答えのない選択。
究極の選択。
正解のない問い。
前世でも本とかで見た事はあった。
その時は真剣に考えるけど、そんな状況になる訳が無いと高を括っていた。
だって、世界の半分を助ける為にもう半分を見殺しにしろだなんて選択、誰が想定する?
その時が来た時、私は決めなくてはいけない。
……決められるんだろうか。間違えないのだろうか。
「ルシアン」
「はい」
「もし、私がイリダの人間に捕まって、そのような目に遭いそうな時は、殺して下さい」
「ミチル、それは」
「もしそうなったら、です」
貴族なんだから、政略結婚だって仕方ないって思ってた。
好きでもない人との結婚も出来るって思ってた。
でも、もう無理だと思う。
ルシアン以外となんて考えたくない。絶対に嫌だ。
もしイリダに捕まったら、何人もの子供を産まされるだろうと思う。歌うだけで魔力を生み出せる。その力は血を分けた人間に引き継がれるってなったら、絶対そうなる。
あの魔石の数を見て思った。イリダにとって私達は人じゃない。だから、私の事もそう扱う事に何ら後ろめたさを感じないだろうと思う。下手をしたら殺さないのだから自分達は優しいとでも思うかも知れない。
ルシアンは何も言わず私を抱き締めた。
「そうなったら……貴女を殺した後、私も死にます」
びっくりして顔を上げる。ルシアンは苦笑する。
「何故そんなに驚くんですか?」
「だって、そんな……」
「最後まで諦めません。
でも、その時は私も死にます、貴女と共に」
「駄目です」
涙が溢れた。
「無理です。貴女がいないと生きていけない。知ってるでしょう?」
私はその日初めて、ルシアンを食べた。
逃げたくて。怖くて。頭から離れなくて。
忘れたいのに忘れられなくて。
だから、ルシアンを食べた。
最後まで。
食べた。
*****
遂にギウスが攻めて来た。
通常考えるよりも戦争の準備にかかった期間が短過ぎると言う。
「考えられるのは、族長の容体が急変して、焦った別の息子が開戦を早めた、と言った所かな」
お義父様からあらかじめギウスの情報を得ていた皇帝は、来るべき時の為に戦闘準備をずっとしていたそうで、帝都には思った程の混乱は生じなかった。
むしろ、攻められる事を予見して準備していた皇帝凄い、になっていた。人間と言うのは、結構楽観的なものだな、と思う。
デュー達と皇帝の影達の連携の元、イリダからの暗殺者は着実に仕留められていった。
その数は二十六人に達したらしい。
侵入した人数は三十人と言われていたから、もう少しで今回の暗殺者はいなくなる。
そうなれば次はギウスだ。
祖父母に会いたいと言う気持ちはある。でも、事が進めば、"杖"を取り戻したら、選択を迫られる。
祖母は何て言うだろうか。仕方ないと言うのだろうか。
無性に祖母に会いたくて堪らない。
正解を教えて欲しい。裏技でも何でも良いから。
暗殺者は遂にゼロになった。三十人共いなくなった。
戦況は逐一お義父様に届けられていた。
それを私とルシアンは教えてもらっていた。
まともな戦闘訓練もされず、食事も満足に摂れていなかったろうギウス軍は、烏合の集の方がまだマシだと思う程に統制も取れておらず、敗戦を続けたと言う。
捕虜として捕らえた者達に最低限の食事を与えると、がっついて食べる者、泣きながら食べる者、反応は様々だったと言う。飢えていたのだろうと思う。それは一体どれぐらいの苦しみなのだろうか。
前世では飽食の時代に生き、今生でも食べ物に困った事の無い私には、到底想像もつかない。
白兵戦が続く内に、自ら投降する者も現れ始めたと言う。
そんな彼らの話を聞きながら、もし私が選択すれば彼らは、今死ななくても、その時に死んでしまうのにな、と思った。
そうでなくても、いつか母国に帰ったら、タダでは済まない可能性もある。
それなのに。彼らは少しでも生きたいと思っているのだ。
そんな未来が待ってる事を知らずに。
愚かな将軍の元、命をかけて戦うのが馬鹿らしくなったのかも知れない。
それはあるかも知れない。何故、そんな奴らの為に自分達は死ななくてはならないのかと考えても不思議ではない。
彼らに聞いてみたい。
どうやって死にたいかと。
でもきっと、死にたくないと言う答えが返って来るに違いない。それはそうだ。誰だってそうだ。
……いや、違うよね。
もし、皆が、世界を救う為なら死んでも仕方ない、って言ってくれたからって、はい、そうですかとはならない。
そうじゃない、そうじゃないんだよ。
……答えは見つからない。
そもそも答えなんかあるのか。
「ギウス軍の白兵部隊が帝国に入れないようにする、砦の補強が完了したようだよ」
ギウス軍は騎馬兵が強いと言う事だったけど、長く続く飢饉で、馬の数を維持出来なくなってしまったのだと言う。
だから、白兵戦だった訳で、利は帝国にある。
馬に乗ってこその強さを誇るギウス兵が、歩兵だなんて。
その白兵の大半は帝国の捕虜になっていて、反抗する気配もなく、大人しいものだそうだ。
夜になると、歌を歌うらしい。愉快な歌ではなく、悲しい曲だと言う。
例えこの身が明日にも滅びようとも
何を悲しむ事があろうか
この身に宿った心が
魂が残るのだから
何も悔いる事は無い
そんな歌詞だそうだ。
心境に合う曲を歌っているのかは分からないけど。
そう言えば、あの話を聞いてからずっと、歌っていない。
とてもそんな気持ちになれなくて。
銀さんも、アウローラも何も言わなかった。
あれから、ルシアンは必死に何かを模索していた。
最後まで諦めないと言っていた。
どうしてそんなに心を強く持てるのだろうか?何故迷わないのだろう?
ルシアンが私の立場になったとしても、絶対に迷わないだろう。
梅雨入りした。
続く雨の所為で戦闘が止まっていると言う。
帝国とギウスで通行可能になっているのは、人が二人並んで歩けるぐらいの細い谷間だけらしい。
雨で視界が悪くて、騎馬隊か……桶狭間みたいだな。
まぁ、立場が逆なんだけどね。
何となしに、その話をルシアンとお義父様にする。
「あちらの将軍の気質からして、忍耐強くないからね、何かを仕掛けて来ると思っていたんだけど、そのオケハザマの戦いのような事を仕掛けてくる可能性はあるね」
「嘘の情報を流しますか?」ルシアンが尋ねる。
「そうだね。長雨で攻めても来ないだろうと判断して、陣で武装解除しているとでも流すといいかもね」
「ですが、一騎ずつしか、攻めて来ないと思いますよ?」
懸念される事を伝えてみると、お義父様は笑った。
「早く国に帰りたいだろうからね。その一騎が将軍閣下である可能性は大いにあるよ。
将軍閣下のご出馬を誘う為に、今度の戦いには皇帝が出陣していたのに、と言うのも、それとなく匂わせておいてくれると嬉しいな」
そんなに上手く行くのだろうか、と思っていた所、功を焦った将軍が少数の騎馬兵を連れて、雨の中細い道を突撃して来たらしい。
飛んで火に入る夏の虫よろしく、騎馬兵は武装している帝国の騎士達に次々と捕獲されていったという。
焦りから正常な判断が出来なくなっていたんだろうけど。
まさかの逆桶狭間。
将軍は捕獲され、帝都に運ばれて牢獄に入れられたと言う。捕虜が反旗を翻したらいけない、と言う配慮ではなくて、捕虜が将軍に襲い掛かる事が頻発したからだそうだ。
どんだけ憎まれてるんだよ……。
将軍の弟も一緒に攻め込んで来たらしいんだけど、逃げられた、と言うか逃したらしい。
迎え撃つ側に、お義父様はわざわざ出向いたらしい。
「これで、戦場は帝国からギウスに移るだろう」とお義父様が言った。
「自国を戦場にしてはいけないからね」
その言わんとする事は何となく分かる。
「皇国に使いを出しておくれ。
兵を引き連れての陛下のご出馬を願うとね」
お義父様の案はこうだ。
帝国と皇国は今度こそ、ギウスを完膚なきまでに潰すのだそうだ。
その為に二国が手を組む必要があるのだと。それが何処から見ても分かりやすくなければならないと。
そうする事でバラバラの国を相手にするのではなく、強国二つを同時に相手にしなければならないと相手に認識させられるからと言う事らしい。
そう思わせたい相手は勿論、決まっているけど。
お義父様も、ルシアンも、諦めてないんだと思った。
目の前のギウスとの戦争に対応しつつも、イリダを封じ込める方法を模索してる。
私に出来る事は殆ど無い。
無いけど、私の祈りが少しでも女神に届くように、また歌い始めた。
でもその祈りは、自分勝手なものなのだ。この大陸に生まれ育って来た人達を死なせたくないと、そればかりだ。
「愛情の反対は、何だと思う?」
お義父様が聞いて来た。
愛の反対は、憎しみではないんだよね。
「……無関心です」
何を言いたいのかは分かってる。
慈愛の女神マグダレナの愛は、マグダレナの民にのみ向かう。それ以外の民へは憎しみすら向かない。無関心だ。
だから、どれだけの年月をこの大陸で彼らが過ごしたとしても関係無い。
慈愛の対象にはなり得ないのだ。
神に人の理も倫理も通じない。
ある日、皇帝に呼び出された。
傍らにはレーフ殿下が立っていた。
「噂は城にも届いている」
挨拶を終え、紅茶とお菓子がテーブルに並べられた。
雷帝国で有名なお菓子と、ロマーチカの花が浮かんだ紅茶だ。
「アルト公の屋敷には憂いの姫が住んでいるとね」
明るい歌も、希望の歌も、感謝の歌も、歌えない。
ただ、慈悲の歌を歌い続けていた。
「あれから余はずっと考えていた。
燕国の次期公方から怒られた後も、公に叱責を受けた後も、レーフに怒られた後も」
そう言って、側に立つレーフ殿下を見上げると、殿下は片方の眉だけ器用に上げて、陛下を見返す。
「別の選択肢は無かったのかと。他にやりようはなかったのかと、考えていた。貴女に叱られた後も、考えた。
私は、私なりの結論に達した」
次の言葉を待って、陛下をじっと見る。
「やり直したとしても、余は、きっと同じ選択をする。
暗愚である事は重々承知の上で、余はレーフを失わぬ為に、手段を選ばなかったと思う」
予想と違う答えに、動揺する。
ハンカチを握る。
「民は大事だ。民あってこその皇帝である事は嫌と言う程分かっている。
民もそれぞれ、誰かの唯一なのだろう。だが、余の中の命の重みは一緒ではない。余にとってレーフは替えの効かない存在だ。
愚かと笑われても、余はレーフを守る」
レーフ殿下の顔が赤くなっていく。恥ずかしさに耐え切れなくなったのだろう、殿下は陛下を睨んだ。
「兄上」
陛下は笑った。
「本当の事だ」
顔から笑みを消し、私を見る。
「民の事を大事に思う気持ちはある。ギウスになど蹂躙される気は毛頭ない。アルト公の助力のお陰で被害は最小限に抑えたまま、戦場をギウスに移す事が出来た。
皇国のアレクシア陛下と共に、今度こそギウスを打ち倒す。
例えその後に、祈りで民が命を失うとしても。全ての民が命を失う訳ではない。余は皇帝として、混乱するであろう帝国を導いていかねばならない。
世界の半分が命を落としても、世界は続く」
皇帝は、自国の民の命を皇国に握られている。
それでも、皇帝でいようとするのか。
世界の半分が命を落としても、世界は続く。
大切な人が死んでも、自分にとっては目の前の世界が崩れそうになっても、世界は無情にも続く。
「……公家は迷いなく、この大陸に住むオーリーの民の命を捨てるだろう」
心臓がずきりと痛んだ。
「それは、どうでも良いからではないだろう」
どうでも良いからではない?
どう言う事だろう?
「彼らとて多くの民の命を預かる身。その選択が何をもたらすのか分からぬ訳は無い。分かっていて、選ぶのだよ。半分でも、助けたいから」
助けたいから、その選択をする?
少しでも助けたいから?
どうでも良いからじゃなくて?
助けられる命があるから、その為に選択すると言う事?
目を閉じると涙が溢れた。
ルシアンの指が、涙を拭ってくれた。
陛下は優しく微笑んでいた。
「このクッキーは、リュドミラが作ったのだ。是非、奥様にと言っていたよ」
リュドミラは私を奥様と呼ぶ癖が抜けていないようだ。
テーブルの上に並ぶクッキーに目をやる。
以前リュドミラが作ってくれたクッキーと同じだ。
エマと二人で作ってくれたのだ。
クッキーは甘くて美味しかった。




